向日市埋蔵文化財センターは16日、同市寺戸町の全長91.2mの前方後円墳「五塚原(いつかはら)古墳」(3世紀半ばから後半の築造)の後円部が正円形だったと発表した。
同センターは9月から、後円部の東から北東にかけて2か所を調査。これまでの成果と照合したところ、直径約55mの正円形であることが判明した。 各段の下側に10~50cm大の石を巡らせ、斜面や平坦面に拳大の葺石を敷き詰めていた。
古墳の東側は箸墓古墳と同様に、丘陵を削り平坦にしたところに盛り土をしていることが分かった。
纒向古墳群(桜井市)の勝山古墳(全長115mの前方後円墳)をモデルにした可能性がある。
また、正円形で3段の後円部と、2段の前方部で構成される古墳には、3世紀後半の西殿塚古墳(天理市)、4世紀前半の崇神天皇陵(天理市)などがあるが、五塚原古墳が大型前方後円墳の原点となった可能性があるという。
同古墳の前方部の形状が、箸墓古墳(桜井市)と同時期の築造とされる東田(ひがいだ)大塚古墳(桜井市)と一致することも判明し、遅くとも箸墓古墳と同時期に造られたことがより確実になったとしている。
現地説明会は19日(土)午前11時~午後3時に開かれる。
[参考:京都新聞、産経新聞、読売新聞、KBS京都、五塚原古墳第5次発掘調査現地説明会資料(立命館大学文学部)]
過去の関連ニュース・情報
五塚原古墳
2012.9.21
五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳の順で築造された。
2013.8.22
前方部から後円部へせり上がる「隆起斜道」(推定幅6m)のうち幅1.5m分が長さ約2mにわたって確認された。
2014.10.21
前方部が2段と判明し、構造が箸墓古墳と一致。後円部の平面形は正円でなく楕円形の可能性。
後円部は正円、大王墓の原点か 京都・向日、五塚原古墳(京都新聞)
同センターは9月から、後円部の東から北東にかけて2か所を調査。これまでの成果と照合したところ、直径約55mの正円形であることが判明した。 各段の下側に10~50cm大の石を巡らせ、斜面や平坦面に拳大の葺石を敷き詰めていた。
古墳の東側は箸墓古墳と同様に、丘陵を削り平坦にしたところに盛り土をしていることが分かった。
纒向古墳群(桜井市)の勝山古墳(全長115mの前方後円墳)をモデルにした可能性がある。
また、正円形で3段の後円部と、2段の前方部で構成される古墳には、3世紀後半の西殿塚古墳(天理市)、4世紀前半の崇神天皇陵(天理市)などがあるが、五塚原古墳が大型前方後円墳の原点となった可能性があるという。
同古墳の前方部の形状が、箸墓古墳(桜井市)と同時期の築造とされる東田(ひがいだ)大塚古墳(桜井市)と一致することも判明し、遅くとも箸墓古墳と同時期に造られたことがより確実になったとしている。
現地説明会は19日(土)午前11時~午後3時に開かれる。
[参考:京都新聞、産経新聞、読売新聞、KBS京都、五塚原古墳第5次発掘調査現地説明会資料(立命館大学文学部)]
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五塚原古墳
2012.9.21
五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳の順で築造された。
2013.8.22
前方部から後円部へせり上がる「隆起斜道」(推定幅6m)のうち幅1.5m分が長さ約2mにわたって確認された。
2014.10.21
前方部が2段と判明し、構造が箸墓古墳と一致。後円部の平面形は正円でなく楕円形の可能性。
後円部は正円、大王墓の原点か 京都・向日、五塚原古墳(京都新聞)