同村教委が30日、檜前(ひのくま)遺跡群で朝鮮半島で多く見られる「大壁」と呼ばれる7世紀前半~半ばの土壁の遺構や7世紀後半の集落跡が出土したと発表した。渡来系氏族、東漢氏(やまとのあやうじ)の氏寺「檜隈寺」の南約200mで、本拠地とされる同遺跡群で大壁建物が初めて確認された。
公園整備のため約1200㎡を調査。L字形の溝(南北10m、東西7m以上、幅40~70cm)が見つかり、溝の中には、柱の抜き取り穴(直径約20cm)が並んでいた。溝に細い柱を何本も立てて竹などで補強し、土壁で塗り込める技法で造る渡来系の建築工法の大壁とみている。5世紀後半に朝鮮半島の百済地域に現れ、日本でも6世紀後半以降、大津市周辺を中心に、御所市や高取町などで見つかっている。
出土した土器から大壁は7世紀半ばになくなったらしく、同後半には掘っ立て柱建物(東西6.3m、南北4.2m)に造り替えられていた。
さらに、この西側で7世紀後半の掘っ立て柱建物が6つ見つかり、集落を作っていたらしい。中には4面のすべてに庇がつく可能性があるものがあった。住居が「渡来」系の大壁建物から「国産」の掘立柱建物へと移り変わっていく様子がうかがえるとする。
檜隈寺周辺では9月、渡来系の特徴とされ、煙の通る道がL字形になった石組みのかまどがある7世紀前半~半ばの竪穴式住居跡が出土した。
現地見学会は11月3日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:朝日新聞、毎日新聞]
渡来人の拠点か、7世紀の「大壁」出土 奈良・明日香村(朝日新聞) - goo ニュース
過去のニュース・情報
檜前(ひのくま)遺跡群
檜隈寺
大壁
公園整備のため約1200㎡を調査。L字形の溝(南北10m、東西7m以上、幅40~70cm)が見つかり、溝の中には、柱の抜き取り穴(直径約20cm)が並んでいた。溝に細い柱を何本も立てて竹などで補強し、土壁で塗り込める技法で造る渡来系の建築工法の大壁とみている。5世紀後半に朝鮮半島の百済地域に現れ、日本でも6世紀後半以降、大津市周辺を中心に、御所市や高取町などで見つかっている。
出土した土器から大壁は7世紀半ばになくなったらしく、同後半には掘っ立て柱建物(東西6.3m、南北4.2m)に造り替えられていた。
さらに、この西側で7世紀後半の掘っ立て柱建物が6つ見つかり、集落を作っていたらしい。中には4面のすべてに庇がつく可能性があるものがあった。住居が「渡来」系の大壁建物から「国産」の掘立柱建物へと移り変わっていく様子がうかがえるとする。
檜隈寺周辺では9月、渡来系の特徴とされ、煙の通る道がL字形になった石組みのかまどがある7世紀前半~半ばの竪穴式住居跡が出土した。
現地見学会は11月3日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:朝日新聞、毎日新聞]
渡来人の拠点か、7世紀の「大壁」出土 奈良・明日香村(朝日新聞) - goo ニュース
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