弥勒寺(미륵사)は、百済武王(在位600-641)とその王妃が龍華山麓の池から弥勒三尊が現れたため、池を埋めて伽藍を作ったと伝わる。
1980~1996年の発掘で寺の伽藍配置が明らかになった。
中央の木塔を中心として、その東西に九層石塔があり、各々塔の後方(北)には金堂がある三院一寺式の寺院である。3金堂の後方にはひとつの講堂とさらにその後方には僧房がある。また、中央木塔の前方(南)には南門を配置する。
17世紀頃にはすでに廃寺になり、半分程破損している西塔と幢竿支柱など一部だけ残っている。
今年1月に、金銅製舎利壺、金製舎利奉安記などが発見された。百済舎利荘厳具は2007年国立扶余文化財研究所が発掘した扶余・王興寺で塔跡から出土した昌王時代(577年)のものに続き、今回が2番目の発見だという。
奉安記には全193字が書かれており、弥勒寺の創健者は、武王の王后(佐平沙乇積徳女)であり、創建時期は己亥年正月廿九日(武王在位中であれば、AD639年)であることがわかった。
金銅製舎利壺は、「国宝中の国宝」と評価の声が上がっていたが、X線透視の結果、中に内壺があるとわかり、それを3月末に開封した。
1.これまでの簡単な経緯
2009.1.14 弥勒寺址西塔の解体作業中に、1層心柱上面中央で舎利孔を発見、その中から舎利具が見つかる。(19日発表)
2009.1.20 一般公開される。
2009.3.31 金銅製舎利壺(外壺)を開封して、その中から金製舎利内壺と舎利、玉などの遺物を収集した。
2009.4.23 金銅製舎利外壺の開封結果を発表。
2.舎利壺の中身
金銅製舎利外壺(금동제 사리외호)(高さ13㎝、幅7.7㎝)
金製舎利内壺(금제 사리내호)(高さ5.9㎝、肩幅2.6㎝)
瑠璃(ガラス)製舎利瓶(유리제 사리병)(数十個の破片状態で出土、口径4㎜、厚さ0.26-0.32㎜)
真身舎利(白色) 1顆 および 宝珠(보주) 11顆
今回見つかったガラス製舎利瓶は口内側直径が4㎜と確認されたことにより、開封当初に12顆の舎利を収集したとの発表がされたが、白色舎利1顆だけがガラス瓶内に安置することができる大きさという点で、舎利は1顆だけ安置されたものと見られ、残りの赤紫色または群青色の「舎利」は供養品に入れた宝珠と考えられると判断された。
3.弥勒寺舎利具と王宮里(왕궁리)舎利具の共通性
益山弥勒寺石塔から639年百済武王時代に製作された舎利装厳具が発見されることにより、1965年同じ益山王宮里5層石塔で発見された舎利装厳具もまた百済時代作品であることがほぼ確実になった。弥勒寺舎利壺と王宮里金製舎利内箱の蓋を比較すると模様でもその製作技法がほとんど同じことがひと目でわかるものであった。特に葉3枚がある蓮弁文(연판문)、パルメット文(팔메트문)と魚子文(어자문)の配列が類似の構成を見せている。
[参考:聯合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
弥勒寺から舎利装厳具が発見
キーワード:佐平沙乇積徳女、佐平沙宅積徳女、佐平砂宅積徳女
1980~1996年の発掘で寺の伽藍配置が明らかになった。
中央の木塔を中心として、その東西に九層石塔があり、各々塔の後方(北)には金堂がある三院一寺式の寺院である。3金堂の後方にはひとつの講堂とさらにその後方には僧房がある。また、中央木塔の前方(南)には南門を配置する。
17世紀頃にはすでに廃寺になり、半分程破損している西塔と幢竿支柱など一部だけ残っている。
今年1月に、金銅製舎利壺、金製舎利奉安記などが発見された。百済舎利荘厳具は2007年国立扶余文化財研究所が発掘した扶余・王興寺で塔跡から出土した昌王時代(577年)のものに続き、今回が2番目の発見だという。
奉安記には全193字が書かれており、弥勒寺の創健者は、武王の王后(佐平沙乇積徳女)であり、創建時期は己亥年正月廿九日(武王在位中であれば、AD639年)であることがわかった。
金銅製舎利壺は、「国宝中の国宝」と評価の声が上がっていたが、X線透視の結果、中に内壺があるとわかり、それを3月末に開封した。
1.これまでの簡単な経緯
2009.1.14 弥勒寺址西塔の解体作業中に、1層心柱上面中央で舎利孔を発見、その中から舎利具が見つかる。(19日発表)
2009.1.20 一般公開される。
2009.3.31 金銅製舎利壺(外壺)を開封して、その中から金製舎利内壺と舎利、玉などの遺物を収集した。
2009.4.23 金銅製舎利外壺の開封結果を発表。
2.舎利壺の中身
金銅製舎利外壺(금동제 사리외호)(高さ13㎝、幅7.7㎝)
金製舎利内壺(금제 사리내호)(高さ5.9㎝、肩幅2.6㎝)
瑠璃(ガラス)製舎利瓶(유리제 사리병)(数十個の破片状態で出土、口径4㎜、厚さ0.26-0.32㎜)
真身舎利(白色) 1顆 および 宝珠(보주) 11顆
今回見つかったガラス製舎利瓶は口内側直径が4㎜と確認されたことにより、開封当初に12顆の舎利を収集したとの発表がされたが、白色舎利1顆だけがガラス瓶内に安置することができる大きさという点で、舎利は1顆だけ安置されたものと見られ、残りの赤紫色または群青色の「舎利」は供養品に入れた宝珠と考えられると判断された。
3.弥勒寺舎利具と王宮里(왕궁리)舎利具の共通性
益山弥勒寺石塔から639年百済武王時代に製作された舎利装厳具が発見されることにより、1965年同じ益山王宮里5層石塔で発見された舎利装厳具もまた百済時代作品であることがほぼ確実になった。弥勒寺舎利壺と王宮里金製舎利内箱の蓋を比較すると模様でもその製作技法がほとんど同じことがひと目でわかるものであった。特に葉3枚がある蓮弁文(연판문)、パルメット文(팔메트문)と魚子文(어자문)の配列が類似の構成を見せている。
[参考:聯合ニュース]
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キーワード:佐平沙乇積徳女、佐平沙宅積徳女、佐平砂宅積徳女