大阪市教育委員会が30日、高槻城跡(大阪府高槻市)の江戸時代の二の丸跡に当たる城跡公園野球場跡地の発掘調査で、キリシタン大名・高山右近(1552~1615年)が1573年に城主となった時代に掘られたとみられる障子堀跡(幅約16m、深さ約4m、長さ70m)と石垣(長さ約45m)が見つかったと発表した。障子掘跡は堀底を泥で覆って隠し、落とし穴のような機能を持たせていた。 障子堀は東国を拠点とした戦国大名の北条氏が小田原城(小田原市)や山中城跡(三島市)で取り入れた技術で、西日本では松江城下町遺跡(松江市)など数例しか見つかっていないが、秀吉の大坂城の障子堀より古く、近畿で最古級とみられる。
また堀の中から「元和三年(1617)」と墨書された石材が見つかり、江戸時代初期の修築時に埋められたことも分かった。
現地説明会が2月2日(日)午前10時~正午に開かれる。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、高槻市HP]
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障子掘
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高槻城跡から高山右近の障子堀発見、最先端技術で防御
また堀の中から「元和三年(1617)」と墨書された石材が見つかり、江戸時代初期の修築時に埋められたことも分かった。
現地説明会が2月2日(日)午前10時~正午に開かれる。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、高槻市HP]
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