歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

高取市・市尾カンデ遺跡 国内最大級、最古級の大壁建物跡が見つかる

2018年11月27日 | Weblog
 奈良県高取町教委は27日、同町市尾の「市尾カンデ遺跡」で、4世紀末~5世紀初めに渡来人が建てたとみられる大壁建物が見つかったと発表した。
 溝や直径30~40cmの柱穴を16棟分確認した。
 東西14・5m、南北13mの完全な形で溝が確認された1棟が、国内最大級としている。
 今回の調査で古墳時代の大壁建物や掘立柱建物の跡が、合せて24棟見つかった。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース、TVN奈良テレビ]

過去の関連ニュース・情報
 大壁建物

2009-02 高取市・薩摩遺跡 1棟は約15m四方あり、全国最大規模。
2011-05 高島市・天神畑遺跡 古墳時代前期(4世紀後半~5世紀初め)の大壁造り建物。


国内最古の大壁建物跡か、奈良 渡来人の定住早まる可能性
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鳥取市・青谷上寺地遺跡 弥生時代の人骨は殆どが“渡来系”

2018年11月19日 | Weblog
 青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で出土した弥生時代後期(1~2世紀)の大量の人骨のDNA分析を進めてきた国立科学博物館、国立歴史民俗博物館及び鳥取県埋蔵文化財センターなどは17日、同町の市青谷町総合支所で報告会を開催し、同館の篠田謙一副館長は約40体の人骨から母系の遺伝情報が分かる「ミトコンドリアDNA配列」を分析し、母系の祖先をたどった調査結果、32体の塩基配列の特徴を調べることができたと説明した。
◆遺跡は弥生時代前期~古墳時代前期に存在。老若男女の人骨が100体以上見つかっている。
◆放射性炭素年代の測定により、人骨が弥生時代後期後半(2世紀)のものである確実性が高まった。
◆人骨の大半は朝鮮半島や中国大陸などからの“渡来系”である可能性が高い。
◆日本古来の“縄文系”は32体のうち、わずか1体だった。
◆人骨間に母系の血縁関係がほとんどみられない。

 同遺跡が多様な人の集う交易拠点だったとする従来の説を強く裏付ける結果になった。
 出土した人骨には殺傷痕のあるものも含まれ、戦乱などがあったとされる。
 青谷上寺地遺跡展示館(青谷町)では、17日から分析した人骨5体などの一般公開している。
[参考:11.3日本海新聞、11.18毎日新聞、読売新聞、NNN日本海テレビ、11.12鳥取市HP]

過去の関連ニュース・情報
 青谷上寺地遺跡
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鳥取市・青谷上寺地遺跡 土手や水路の護岸の木造構造物を発見

2018年11月16日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは14日、青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町青谷)の中心部北側で、弥生時代終末期(3世紀前半)に土手や水路の護岸などの土木工事を多数重ねていたとみられる、杭や板を組み合わせてつくられた木造構造物が複数見つかったと発表した。 港湾施設の可能性があるという。
 現地説明会が17日午後1時半からを行われる。
[参考:日本海新聞、毎日新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
青谷上寺地遺跡
青谷上寺地遺跡 古代の港湾施設の可能性



<青谷上寺地遺跡>弥生期の土木工事跡 港湾施設か 17日説明会 /鳥取
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岡山市・造山古墳 前方後円墳の後円部西側に大量の葺石

2018年11月10日 | Weblog
 岡山市教委が発掘調査を進める前方後円墳・造山古墳(同市北区新庄下)で7日までに、後円部西側の試掘溝で墳丘を覆う大量の葺石が出土したことがわかった。墳丘の斜面全体に葺かれていた築造当初の状況を保っているとみられる。試掘溝からは複数の埴輪片も出土した。
[参考: 山陽新聞]

過去の関連ニュース・情報
 岡山市・造山古墳


造山古墳の後円部に大量の葺石
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奈良市・大安寺旧境内 平城京の「六条大路」の側溝跡が出土 旧境内を横断

2018年11月08日 | Weblog
 奈良市教委が7日、奈良市平城京の大安寺の旧境内で、塔院の北門や道路側溝とみられる遺構が出土したと発表した。 搭院北門と側溝の位置関係から、平城京を東西に走っていた「六条大路」(道幅約15m)が旧境内を横断していたことが確実となったとする。
 大安寺は奈良時代、天の香具山の南麓にあった前身の大官大寺が平城京遷都に伴い、現在地に移建した。 大安寺式伽藍配置と呼ばれる様式で、南大門の南に東西両搭が置かれた。
 今回の調査で、当時の南大門から約32m南側で、築地塀に取り付いた塔院北門とみられる東西2本の門柱跡(幅約5・1m)が出土した。また、北門跡の約1m北から南側溝とみられる溝が出土した。
 現地説明会は10日午前10時〜午後3時に予定されている。
[参考:共同通信、産経新聞]

奈良、大安寺を六条大路が貫く 側溝跡発見で論争決着

平城京の東西道路「六条大路」 大安寺旧境内の横断確実に


過去の関連ンユース・情報
 大安寺
 2017.11.27 市埋蔵文化財調査センターが16日、平城京の東西の道「六条大路」(約15m幅)を挟む溝の跡とみられる遺構が見つかったと発表した。 [参考:京都新聞、朝日新聞]


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栗東市・蜂屋遺跡 法隆寺と同じ木型で作られた「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」が出土

2018年11月01日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が1日、縄文時代から中世にかけての集落遺跡「蜂屋遺跡」(栗東市蜂屋)の寺跡で奈良県斑鳩町にある法隆寺創建時の遺構「若草伽藍」と中宮寺跡(同町)と同じ木型で作られた「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦(にんとうもん たんべんれんげもん のきまるがわら)」(7世紀後半)が2点見つかったと発表した。 同様の文様の瓦は横見廃寺跡(広島県三原市)などでも見つかっているが、全く同一のものは初めて。 瓦は寺の西端とみられる溝から大量に出土した。
 また、境内の境界を示す築地塀跡とみられる溝跡から、若草伽藍が焼失した後に造営された西院伽藍(現在の法隆寺)創建時の瓦と共通する瓦や、大規模な建物の屋根に取り付けた「鴟尾」の一部も出土した。
 蜂屋遺跡のある栗東市北部は奈良時代、栗太郡(「くるもと」郡その後「くりた」郡に変化)物部郷と呼ばれていた。 もともとは4~5世紀に権勢を振るっていた物部氏が持つ領地の一つだったという。 丁未の変(587年)で物部守屋が蘇我馬子に敗れ、厩戸皇子(聖徳太子)の所領になったと推測する。 「法隆寺伽藍縁起并流記(ならびにるき)資財帳」(747年)には、法隆寺の所領と記され、聖徳太子がが建立した法隆寺に物部郷を寄進し、法隆寺の荘園や倉庫が設けられたとみられる。
 蜂屋遺跡には、飛鳥時代後半に創建された瓦葺きの屋根を持つ寺院が存在したと考えられるとしている。
 現地説明会は3日午後1時半から開かれる。
[参考:共同通信、時事通信、産経新聞、毎日新聞、京都新聞]


 中宮寺(創建607?)は聖徳太子(574-622)の母穴穂部間人皇女(用明天皇の皇后、?-622)の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺(606ないし607年創建)と対照的な位置に創建された寺です。その旧地は、現中宮寺の東方三丁の所に土壇として残っていたのを発掘調査したところ、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが確認され、それは法隆寺旧地若草伽藍が四天王式であるのに応ずるものといえます。而もその出土古瓦から、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われます。[参考;中宮寺HP]


法隆寺と同じ軒瓦出土、関連寺院造営か 滋賀、飛鳥時代の遺跡

滋賀の寺跡に法隆寺と同文様の瓦 蘇我氏勝利で勢力下に

物部氏の領地を聖徳太子が寄進か 法隆寺と同じ瓦

法隆寺式の瓦が大量出土=蜂屋遺跡、関連寺院存在か―滋賀県

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