歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

横手市・陣館遺跡 「後三年合戦」時代の建物跡を発見

2014年09月27日 | Weblog
 横手市教委は24日、同市金沢(かねざわ)の陣館(じんだて)遺跡から、後三年合戦(1083~87)の時代のものとみられる「四面庇付掘立柱建物跡」が見つかったと発表した。
 金沢柵は後三年合戦によって滅亡した清原武衡(たけひら、?-1087)らが立てこもり、源義家の連合軍と対峙した最後の場所と推定されてきた。横手市北部の金沢城跡と陣館遺跡のある一帯が推定地とされているが、場所の特定には至っていない。
遺跡推定地から建物跡が見つかったのは初めて。
 建物跡は標高92mの丘陵にあり横10m、縦14m。母屋の大きさは横6m、縦10m柱跡の位置関係から、四方に屋根の庇が伸びていたことgさわかった。 国史跡の大鳥井山遺跡(横手市)の建物跡と同規模という。 仏像が安置されていたことなどが分かり、寺院があったと推定される。(注1)
 建物の正面とみられる東側では長さ15.6cmの短刀とみられる鉄製品が見つかった。
 現地説明会が10月11日(土)午後1時半に開かれる。
[参考:2014.9.25河北新報、読売新聞]

(注1)北東250mのところに、真宗大谷派帰命山桂徳寺がある。本尊である木造阿弥陀如来坐像は豪族清原氏の阿弥陀堂に安置されていたが、後三年の役の戦火で像は厨川に落ちて焼失を免れたと伝わる。残念ながら様式からみて鎌倉時代初期の作らしい。


過去の関係ニュース・情報
 陣館遺跡
 後三年合戦
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桜井市・茅原大墓古墳 地中レーダーなどによる科学調査で埋葬施設が盗掘されず残っている可能性

2014年09月18日 | Weblog
 桜井市茅原の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳(国史跡、全長約86mの帆立貝式前方後円墳、4世紀末~5世紀初め)で地中レーダーなどによる科学調査が行われ、古墳の中心部に埋葬施設が盗掘されずに残っている可能性があることがわかった。
 市教委は昨年12月、茅原大墓の後円部墳頂に13m四方の調査エリアを設定し、地中レーダーと、電気探査の2つの方法により、埋葬施設の有無を調べた。 その結果、くぼ地のような堆積土層の変化が確認され、棺をおさめるために掘られた墓壙がある可能性が出てきた。石材(竪穴式石室)を示す反応はなかったため、粘土槨や、木棺を直接埋めた埋葬施設があることが想定されるという。 また、付近が荒らされた痕跡がないため、、盗掘を受けず築造当時の状況が残されている可能性があるという。
[参考:産経新聞]

茅原大墓古墳に埋葬施設残る? 地中レーダー調査などで判明 奈良・桜井(産経新聞) - goo ニュース

過去の関連ニュース・情報
茅原大墓古墳
 2012.2.16 前方部から「渡り堤」が出土、葺石やくびれ部も
 2011.2.24 4世紀末の最古の人物埴輪・「盾持人埴輪」が出土
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松阪市・朝見遺跡 水辺で鏡を用いた祭祀 平安時代の水路から青銅鏡が見つかる

2014年09月09日 | Weblog
 松阪市和屋町の平安時代の集落跡「朝見遺跡」の幅約6m、長さ約10m、深さ約1mの大溝(水路)の表面部分から、平安時代10世紀後半の青銅鏡2枚と底から古墳時代2世紀の青銅鏡1枚が見つかった。雨乞いの儀式に使われたとみられ平安時代の2枚は大溝が埋没し水流が弱まったころ、鏡面を上に向けて溝に捧げられたことがわかった。 県埋蔵文化財センターによると、祭祀で捧げた後、そのままの状態で残されていたとみられるという。
 平安時代の1枚は鏡の裏面に蓮や牡丹などの瑞花文の葉を描いた丸い瑞花円鏡(直径10・5cm、厚さ0・8cm、重さ191g)で完全な形で見つかった。 平安時代のもう1枚は鏡の裏面に瑞花文と2羽の鳳凰を描いた八角型の瑞花双鳥八稜鏡(直径8・5cm、厚さ0・3cm、重さ37・5g)で8片に割れていた。古墳時代の1枚は鏡の裏面の文様がない鏡(直径7cm、厚さ0・1cm、重さ20g)で鏡の半分だけ、錆びた状態だった。
 現地説明会が9月6日午前十時から開かれた。
 青銅鏡は7日と9日から15日まで、明和町の斎宮歴史博物館エントランスホールで展示される。
[参考:伊勢新聞、産経新聞、朝日新聞、読売新聞、三重県HP]

過去の関連ニュース・情報
2011.9.14 松阪市・朝見遺跡 越州窯系青磁片などが出土 斎王宮との関連も
 平安時代中期から後期にかけての越州窯系青磁片、緑釉陶器片150点、緑釉緑彩陶器片4点、石製のベルト飾りや、「官」「成」「西」などの文字の入った墨書土器片50点などが出土。
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栃木県壬生町・車塚古墳、古墳の周囲を須恵器の瓶で装飾か

2014年09月06日 | Weblog
壬生町教委が5日、初めての本格的な調査を8月下旬から進めている古墳時代終末期(7世紀頃)に築造された国指定史跡(1926年)車塚古墳(壬生町壬生甲)で、
■これまで82mとされてきた円墳の墳丘の直径が84mであることが判明
■3段築成の墳丘の頂上や斜面にかけて全面に小さな河原石を敷き詰める装飾が施されていることが分かった。 全体が葺石で覆われた古墳が確認されたのは県内で初めて。
■墳丘の頂上部分や平坦部、周溝から須恵器の破片が多数見つかった。古墳の周囲を取り囲むように須恵器の瓶(かめ、高さ50cmほど)が並べられていた可能性が高いという。 この時期は古墳を飾る埴輪制作が制限されていたため、埴輪に代わって配置されたとみられ、全国の古墳で同様の例はないという。
と発表した。
現地説明会が7日午前10時と午後2時に開かれる予定。
[参考:下野新聞、共同新聞、産経新聞、読売新聞、毎日新聞]

壬生・車塚古墳、須恵器かめ周堤に 全国初の発見、埴輪代わりに装飾か(下野新聞) - goo ニュース

車塚古墳「埋葬者に大きな権勢」 全体に葺石、周囲は須恵器 栃木(産経新聞) - goo ニュース

<車塚古墳>古代に思いはせ 壬生の発掘調査 河原石で全面装飾、権力誇示の政治的意図 須恵器のかめの破片も /栃木(毎日新聞) - goo ニュース
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