県文化財保護協会が29日、昨年に平安時代中期(10世紀後半)の緑釉陶器窯(春日北1号窯)が見つかった春日北遺跡(甲賀市水口町春日)で、新たに同じ時期の緑釉陶器窯4基が見つかったと発表した。
当時、平安京で流通していた緑釉陶器は近江産がほとんどを占めていたとされ、量産体制ができていたことを示す発見という。
4基は、先に発見された窯の南側に、東西方向に並ぶようにして造られていた。うち3基は、薪を燃やす燃焼室と陶器を焼いた焼成室に分かれ、その下に火を通す溝があり、既に見つかっている窯と同じ構造。東端の1基だけが2つの焚口を持っており、燃焼室の底に粘土を柱状に立て、その上に焼成室の床を張って陶器を炙り焼きしたとみられる。この構造は、京都府亀岡市の篠窯跡群のものと同じという。
同遺跡では昨年、灰釉陶器窯と緑釉陶器窯を1基ずつ確認しており、最初の窯(春日北1号窯)の40m東では、愛知県尾張地方に多い灰釉陶器窯1基が県内で初めて見つかった。この窯が年代的には最も古い。一緒に出土した陶器などから、当初は東海地方や京都の影響を受けていたとみられるが、10世紀半ば以降の窯は近江独自の構造を備えており、6つの窯を10世紀前半~後半の60余年間にわたって順次、造り変えながら使っていたとみている。
遺物は碗と皿がほとんどで、コンテナ100箱分あった。窯からも、形が歪んだり、途中で割れて出荷されなかったとみられる不良品の碗が出土した。
現地説明会は5月1日午後1時半から開かれる。
[参考:京都新聞、毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
2009-09-19春日北遺跡 平安時代中期の緑釉陶器窯が出土
当時、平安京で流通していた緑釉陶器は近江産がほとんどを占めていたとされ、量産体制ができていたことを示す発見という。
4基は、先に発見された窯の南側に、東西方向に並ぶようにして造られていた。うち3基は、薪を燃やす燃焼室と陶器を焼いた焼成室に分かれ、その下に火を通す溝があり、既に見つかっている窯と同じ構造。東端の1基だけが2つの焚口を持っており、燃焼室の底に粘土を柱状に立て、その上に焼成室の床を張って陶器を炙り焼きしたとみられる。この構造は、京都府亀岡市の篠窯跡群のものと同じという。
同遺跡では昨年、灰釉陶器窯と緑釉陶器窯を1基ずつ確認しており、最初の窯(春日北1号窯)の40m東では、愛知県尾張地方に多い灰釉陶器窯1基が県内で初めて見つかった。この窯が年代的には最も古い。一緒に出土した陶器などから、当初は東海地方や京都の影響を受けていたとみられるが、10世紀半ば以降の窯は近江独自の構造を備えており、6つの窯を10世紀前半~後半の60余年間にわたって順次、造り変えながら使っていたとみている。
遺物は碗と皿がほとんどで、コンテナ100箱分あった。窯からも、形が歪んだり、途中で割れて出荷されなかったとみられる不良品の碗が出土した。
現地説明会は5月1日午後1時半から開かれる。
[参考:京都新聞、毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
2009-09-19春日北遺跡 平安時代中期の緑釉陶器窯が出土