今朝(4月14日)のグッドモーニング「ことば検定」の今日の問題は
日本橋の麒麟像、オリジナルの特徴とは?
で、答えは「翼がある」であった。
東野圭吾の推理小説『麒麟の翼』(きりんのつばさ)のイメージが強いのであろう。
実は「翼」ではなく「鰭(ひれ)」だそうである。
日本橋の「麒麟像」の製作経緯等が東京都公文書館ホームページに記載されている。
それによると、装飾の設計を建築家・妻木頼黄(つまきよりなか、1859-1916)、製作を東京美術学校に委嘱(製作主任は同学校の助教授の津田信夫(1875-1946))、獅子と麒麟の原型製作を渡辺長男(わたなべおさお、1874-1952)、鋳造を岡崎雪聲(おかざきせっせい、1854-1921)が担当したとある。
「日本橋記念誌 / 安藤安編」(日本橋記念誌発行所 1911)の「獅子と麒麟/岡崎雪馨著」では、麒麟像のモチーフについて参考にする作品が乏しかったが、彫刻物では九段の靖国神社にある鈴木長吉氏作、青銅燈籠の腰に造られた麒麟像が、最も参考品として有力であったことが記されている。
また、「翼」と「鰭」とを検討した結果、羽が生えたような形の背びれを採用したとしている。(「妻木頼黄と日本橋の意匠 金山弘昌著」(慶応大学日吉紀要-人文科学 2012 )にも同様なことが記載されている。)
左:靖国神社「青銅燈籠」の麒麟像レリーフ、 右:日本橋「青銅製麒麟像」
靖国神社の青銅製金燈籠の麒麟像レリーフ
西南戦争に派遣されて、犠牲となった警察官を慰霊するため、明治12年(1879)に竣工、翌年5 月17 日に警視局(警視庁の前身)から青銅製金燈籠 2基が奉納された。
・銅工の鈴木長吉(1848 -1919)作
・腰部周囲の文様:龍、鳳凰、麒麟、玄武
この靖国神社の金燈籠について得られる情報は、インターネットでも上記の内容だけであるが、「小倉惣次郎と大隈重信伯像」(沓沢耕介著 早稲田大学會津八一記念博物館研究紀要第4号2002年度)に、この金灯篭の装飾、麒麟の原型を作ったのが、小倉惣次郎(1845-1913)であるという。灯篭には8面/基のレリーフがあり、この全てあるいは一部を小倉が製作に関与している。」 実は、早稲田大学の大隈重信像第1号は小倉惣次郎が制作し、鈴木長吉が鋳造している。1903年に完成し、1907年早稲田大学中央広場に設置された。現在は大隈講堂の回廊に移されている。
小倉惣次郎は富岡村下郡(現在、木更津市)に生まれた。幼くして久留里町大和田の宮大工興三郎の従弟となり、宮造りと彫刻を勉強したという。 波の伊八こと、武志伊八郎信由(1751-1824)の彫刻作品を時折見て、心に刻んでいたのだろう。
左:靖国神社青銅製金燈籠 右:早稲田大学大隈講堂回廊の大隈重信像
追記:2020.5.14
早稲田學報 早稲田記念號(第百五十三號、明治四十年十一月一日)に「大隈伯銅像製作談」の中に、「鑄物師鈴木長吉氏談」があり、その中で
(小倉惣次郎)氏が其の後の金工作品中、処女作ともいふべきは、靖国神社における金燈籠の装飾「麒麟」なり。
と記載されている。さらに、小倉惣次郎が明治15年頃より金工物に興味があったらしいことが書かれている。すなわち、鈴木長吉氏自らが、靖国神社金燈籠の装飾「麒麟」像は小倉惣次郎氏の作であることを語っているわけである。
追記:2022.1.18
日本橋の上に架かる首都高速道路が地下化されることになり、日本橋と麒麟像などが話題となっている。
1月15日(土)「新美の巨人たち」で、この日本橋麒麟像が採り上げられた。制作の参考にした靖国神社の灯籠に刻まれた麒麟のレリーフの作者は鈴木長吉氏としているが、前述のとおり、鈴木長吉氏が語っているように小倉惣次郎氏であろう。