若狭町と花園大(京都市)考古学研究室などが26日、若狭町藤井の5世紀初頭の藤井岡古墳(直径約23m、高さ約4mの円墳)で、甲冑をまとった埴輪の一部が見つかったと発表した。
平成25年の調査に続いて、同考古学研究室などが、形状や装飾の状況を詳しく調べるため、今月6日から発掘調査を行っている。
大和政権の工人が作っていたとされる「甲冑形埴輪のかけらが多数出土した。埴輪は推定高さ60cm、幅50cm程度で、古墳の上部に並べられていたとみられる。 同古墳は山の尾根を生かした作りになっており、斜面には葺石も確認された。 葺石や甲冑形埴輪を備えた様式などから大和政権との深い関係が確認されたとしている。
現地説明会が29日に行われる。若狭町民向けが午前10時から、一般向けが午前11時から。
藤井岡古墳から南西に約10km離れた若狭町脇袋には、古墳時代中期の上ノ塚古墳(全長100mの前方後円墳)が存在する。
同様の埴輪は小浜市の太興寺古墳群(5世紀末)でも見つかっているが、今回の方が古い。
[参考:中日新聞、産経新聞、読売新聞、朝日新聞]
平成25年の調査に続いて、同考古学研究室などが、形状や装飾の状況を詳しく調べるため、今月6日から発掘調査を行っている。
大和政権の工人が作っていたとされる「甲冑形埴輪のかけらが多数出土した。埴輪は推定高さ60cm、幅50cm程度で、古墳の上部に並べられていたとみられる。 同古墳は山の尾根を生かした作りになっており、斜面には葺石も確認された。 葺石や甲冑形埴輪を備えた様式などから大和政権との深い関係が確認されたとしている。
現地説明会が29日に行われる。若狭町民向けが午前10時から、一般向けが午前11時から。
藤井岡古墳から南西に約10km離れた若狭町脇袋には、古墳時代中期の上ノ塚古墳(全長100mの前方後円墳)が存在する。
同様の埴輪は小浜市の太興寺古墳群(5世紀末)でも見つかっているが、今回の方が古い。
[参考:中日新聞、産経新聞、読売新聞、朝日新聞]