歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京都市中京区・堀河院跡 土師器にほぼ全文の「いろは歌」の墨書を確認

2013年06月28日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所は27日、平安京にあった堀河院跡(京都市中京区堀川通御池北東)で1983年に発掘した土器の小皿を再調査した結果、平仮名でほぼ全文がそろっている「いろは歌」の墨書を確認したと発表した。
 小皿(土師器、直径9cm、高さ1・5cm)は、平安京左京三条二坊九町にあたる(現、ANAクラウンプラザホテル京都敷地内)、堀河院跡の井戸から出土した。 12世紀末から13世紀初めのもので、ほぼ全文が残るいろは歌では国内最古となるという。
 いろは歌の47文字のうち、皿の欠けた部分(「く」「え」「て」「ゆ」の4文字分)以外は、ほぼ全文書いてある。 皿の右端から順番に書かれているが、徐々に余白がなくなり、最後の行「ゑひもせす」は1行目に戻って右端の余白に書いてある。
 太めの文字でバランスが悪く、初心者(子供)が手習いのために書いた可能性があるとみている。
 いろは歌は、10世紀末から11世紀中ごろに成立したとされる。 いろは歌が書かれた墨書土器では、三重県明和町の斎宮跡から国内最古となる11世紀末~12世紀初めの土器の一部が昨年に確認されている(注1)。今回の土器はほぼ全文が確認できる史料としては唯一となる。 また、昨年、西約1kmにある藤原良相(よしみ)邸跡から出土した土器に国内最古級(9世紀後半)の平仮名が書かれているのが確認されている(注2)。
 墨書土器は29日から7月28日まで市考古資料館(上京区)で公開される。
[参考:時事通信、共同通信、京都新聞、読売新聞、毎日新聞]

(注1)2012.1.18 三重県明和町・斎宮跡 出土した土師器の破片に最古の平仮名の「いろは歌」
(注2)2012.11.29 京都市中京区・平安京右京三条一坊六町跡(藤原良相邸跡) 9世紀後半の墨書土器に平仮名
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長岡市・長岡京跡 8世紀後半の貴族着用の漆紗冠が出土

2013年06月28日 | Weblog
 長岡市埋蔵文化財センターが27日、長岡京市神足大張の長岡京時代(8世紀後半)の遺構で飛鳥から平安時代にかけて貴族が着用した漆塗りの冠・「漆紗冠(しっしゃかん)」が4点見つかったと発表した。
 網状の繊維に黒漆を塗ったもので、最も大きい冠は横15cm、縦12cmで、縁(ふち)にあたる輪が失われていたが、元の形に近い状態で残っていた。7世紀後半の天武天皇の時代から五位以上の貴族が被(かぶ)ると定められた。
 長岡京の南端に近い六条大路と東一坊大路の交差点付近の溝から、壊れた土器などのごみと一緒に見つかっており、平安京に遷都する際に捨てられたものではないかとしている。
 また、漆塗りの箱も出土しており、漆製品の工房が近くにあったと見ている。
 動物の皮を漆で塗り固めた「漆皮箱(しっぴばこ)」の一部も出土した。
 現地説明会が29日(土)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、京都新聞、産経新聞]
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トルコ・ビュクリュカレ遺跡 動物の頭部を象った彫像が出土(紀元前20~前18世紀頃)

2013年06月21日 | Weblog
 中近東文化センター(東京都三鷹市)付属アナトリア考古学研究所が発掘調査しているトルコ中部ビュクリュカレ遺跡で、アッシリア商業植民地時代(紀元前20~前18世紀頃)のものとみられる、水晶のような石に金や宝石で象眼を施し、ヒョウとみられる動物の頭部を象った彫像(長さ3cm、幅2・2cm、高さ1・6cm)が出土した。アフガニスタン産のラピスラズリを使うなど、交易の広がりを示す遺物としている。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 ビュクリュカレ遺跡

青い目、神聖なヒョウ?4千年前の遺跡から彫像(読売新聞) - goo ニュース
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桜井市・山田寺跡 国内最古級で北斉時代の中国製陶器・「三彩」破片か

2013年06月19日 | Weblog

 桜井市の山田寺跡(特別史跡、7世紀)で出土した陶器「三彩」の破片が、国内で出土した中国製陶器としては最古級で、唐三彩の源流とされる北斉(550-577)時代の可能性が高いことが、兵庫陶芸美術館(篠山市)の弓場紀知(ゆばただのり)副館長(東洋陶磁史)の調査でわかった。
 山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ、?-649)が創建した。完成は、石川麻呂の死後。 奈良文化財研究所が1976年から発掘調査を進め、三彩など「鉛釉陶器」の破片43点が見つかっている。
 弓場氏は、82年に出土した三彩の破片(6・5cm×5・8cm)が、6世紀の中国製の特徴があり、山西省太原市にある北斉の貴族・婁叡(ろうえい)の墓(570年頃)から出土した三彩の壺と同じ種類の可能性が高いという。
 これまで国内最古の中国製陶器は、長崎県壱岐島の双六古墳(そうろくこふん、全長91mの前方後円墳、6世紀後半)で出土した6世紀後半~7世紀初頭の二彩碗とされてきた。
 陶器片は奈良県明日香村の奈文研飛鳥資料館で展示されている。
[参考:共同通信、朝日新聞]
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宇城市・大塚古墳 「コンパス文」の須恵器出土

2013年06月16日 | Weblog
 宇城市教委は13日、4月から調査が進められている同市松橋町松橋の大塚古墳(全長約80mの前方後円墳、5世紀)から、円弧が連なった形の文様「コンパス文」のある須恵器が出土したと発表した。
 ■ 古墳の周溝部分で「コンパス文」を含む須恵器の破片が見つかった。 「コンパス文」の須恵器は、朝鮮半島から流入。 出土したコンパス文の須恵器は5世紀中頃を少し遡る同中期前半のもので、県内最古の須恵器となる。 復元すると高さ40~50cm、直径約30cmの器が2個できるという。 同様の土器出土は関西を中心に全国で10カ所ほどしか確認されていない。
 5、6世紀にかけて、関西の有力者の石棺には宇土半島産の馬門石(まかどいし)が使われており、コンパス文の須恵器は両地域のつながりを示す新たな資料となりそうだとしている。
 ■ 新たに見つかった周溝跡などから、全長が100m(横30m)を超える県内最大規模の前方後円墳となる可能性がある。
 15日午前10時~正午に現地説明会が開かれる。
[参考:熊本日日新聞、西日本新聞、読売新聞、KKT熊本県民テレビ、RKK熊本放送]

備考: 2001.8.3神戸新聞の記事で、兵庫県赤穂郡上郡町の竹万(ちくま)宮ノ前遺跡で出土したコンパス文のある須恵器は、5世紀前半に造られたものとみられ、しかも国内で生産された可能性が高いとしている。

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浜松市・郷ケ平6号墳 同古墳群3基目の前方後円墳と判明、シカの埴輪も出土

2013年06月13日 | Weblog
 浜松市文化財課は12日、同市北区都田町の郷ケ平(ごうがひら)古墳群について、位置や形が不明だった「幻の古墳」6号墳が新たに前方後円墳と確認され、珍しいシカの頭部などの埴輪が大量出土したと発表した。埴輪は精巧に作られており、当時の儀式を知るうえで貴重なものという。
 古墳群は5世紀後半から6世紀中ごろ築かれたとされる7基(注1)が集まっている。 これまで3号墳(全長22m、5世紀後半)と、墳丘が残っていた4号墳が前方後円墳(全長26.5m、6世紀中)(注2)であることが分かっていた。
 今回の6号墳調査は5月から1ヶ月間行われ、溝(幅2m)の跡などから、6世紀前半のものとみられる前方後円墳(全長約20m)と判明した。五世紀後半~六世紀前半にかけ、三代にわたり有力者がいたことを示すとみられるという。
 シカの埴輪の出土は県内では同市浜北区内に次いで2例目で、雌あるいは子ジカと見られるシカの頭部はほぼ完全な形で、また雄ジカの埴輪も角部分が見つかった。狩猟に関わる儀式で使われた可能性があるという。
 このほか人の鼻や手、馬の一部などの埴輪も見つかった。
 浜北文化センターにある市民ミュージアム浜北歴史資料館(同市浜北区)で15日午前10時と午後1時半の2回、発掘調査報告会が開かれる。出土品は、同館で15日から30日まで展示される。
[参考:中日新聞、毎日新聞]

(注1)以前は、8基としていた。
(注2)以前は、6世紀初めとしていた。

過去の関連ニュース・情報
2012.8.2 浜松市都田町・郷ケ平3号墳 弾琴人物埴輪が県内初出土
 郷ケ平3号墳(全長22mの前方後円墳、5世紀後半)から出土した遺物のうち、復元などが済んだ埴輪6点を公開した。 このうち、弾琴(だんきん)人物埴輪の出土は県内初。馬形埴輪の完全復元も県内初となる。
2011.9.16浜松市・郷ケ平3号墳の一部が残存
 郷ケ平古墳群(6世紀初め頃)は、8基の古墳があるといわれる。 現在、墳丘が残っているのは4号墳(全長26.5mの前方後円墳)だけ。
 2011年1月の調査では3基の古墳(1~3号墳?)が確認され、内1基(3号墳?)の周溝から、埴輪や石器、須恵器が出土した。
 今回の発掘では3号墳の一部が残存していることがわかったとしている。

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大村市・竹松遺跡 平安時代の地層から紡錘車が出土、彼杵郡の港を示す「木 都」の線刻文字

2013年06月10日 | Weblog
 長崎県教育庁新幹線文化財調査事務所は7日、大村市竹松町の竹松遺跡で平安時代から鎌倉時代に、遺跡周辺に古代の彼杵郡(そのきのこおり)の津(港)があったことを示す文字資料が出土したと発表した。 彼杵郡の港を示す文字史料が発見されたのは初めて。
 10世紀後半から11世紀中頃の滑石製紡錘車(直径約4.5cm)に線刻文字で「木」と「都」が刻まれており、2文字で「きのつ」と読み、「杵の津」のことと考えられるという。 遺跡付近に郡衙があったことを強くうかがわせるとしている。
 郡衙は竹松遺跡に近い大村市寿古町周辺にあったとみられているが、それを裏付ける遺物は見つかっていない。
 ほかに、13世紀頃のものとみられる中国・宋代の「湖州六花鏡」(径約11cm)、中国製の陶磁器などが出土した。
 今月23〜25日午前10時〜午後5時、遺跡内の現場事務所(大村市竹松町997)で遺物展示見学会が開かれる。
[参考:長崎新聞、西日本新聞、毎日新聞、朝日新聞、NHK]

備考)
 『延喜式』に、「西海道 肥前國上 管 基肆養父三根神埼・佐嘉・小城 松浦・杵島・藤津・彼杵・高來」と記載されている。
 奈良時代の732~740年頃に編纂された『肥前風土記』に彼杵郡が記載されている。
 平安時代の承平年間(931~938年)に編纂された『和名類聚抄(和妙抄)』に「彼杵郡大村郷」と記載されている。

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大阪市・亀井遺跡 国内最古、2400年前の石製分銅が出土

2013年06月08日 | Weblog
 奈良文化財研究所の分析で7日、弥生時代の環濠集落の亀井遺跡(大阪府八尾市など)で1981年に出土した弥生時代前期末(約2400年前)の石製品11点(長さ3~8cm、直径1~4.5cmの円柱形)が、国内最古の天秤用の分銅とみられることが分かった。
 これまでの原の辻遺跡(長崎県壱岐市)の中国製とみられる青銅製分銅の「権」(弥生時代後期)より500年以上遡るという。
 一緒に出土した石杵に、赤色顔料の朱が付いていたことから、朱の配分量を厳密に量るために必要だったのではないかとみている。
 石材は輝緑岩などで、製作途中とみられる1点を除く10点の重さは、6種に分類でき、最軽量は8・7gで、ほかは17・6g、34・5g、最重量は約32倍の280gだった。 最大値280gを基準にすると、8.7g、17.5g、35g、70g、140g、280gと2、4、8、16,32倍となる、重さの違う6個1セットで、本来は2セットあったとみている。
[参考:共同通信、毎日新聞]
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古賀市・谷山北地区遺跡群 新たに武器、農具を確認

2013年06月08日 | Weblog
 古賀市教委は7日、今年4月に馬具が見つかった谷山北地区遺跡群船原3号墳の墓道入口から約5m離れた埋納坑から、あらたに漆塗りの弓や鉄鏃などの武器や農具が確認されたと発表した。
 馬具のほかに、武器、農具も一緒にまとめて埋納されているのは珍しいという。
 弓は金銅製の鞍などの下に敷き詰められ、見た目は黒い漆膜状だが等間隔に装着された飾り鉄製金具や、先端に取り付ける金具「弓弭(ゆはず、弓の両端の、弦の輪をかける部分)」が4点確認されたことから弓と判定した。長さは推定2・2~2・3m。少なくとも6点、漆膜状の広がりから、それ以上あるとみられるという。飾り用の「両頭金具」も見つかった。
 鉄鏃は数十点が束で見つかった。
 農具は鉄製の鋤先や鎌など。ほかに直径約9cmの馬鈴2点など金銅製品がこれまでに31点以上が確認された。
 木製の鐙も3組あったことが新たに判明したため、少なくとも4組の馬具が埋納されていたことが分かった。(前回は2組以上としていた)
[参考:共同通信、西日本新聞、毎日新聞、産経新聞、古賀市HP]

過去の関連ニュース・情報
2013.4.29 古賀市・谷山北地区遺跡群 船原3号墳に隣接した埋納坑から古墳時代後期の金銅製馬具が一式出土
 圃場(ほじょう)整備の途中で、7世紀初頭前後に築かれた船原3号墳の墓道入り口から5m離れたところに、長さ5.2m、幅0.8m、深さ0.7mほどの埋納坑があり、馬具がまとめて納められていたのが発見された。
 鉄製の壺鐙や輪鐙、金銅張りの鞍、紐を連結する辻金具や轡引手(くつわひって)、雲珠(うず)や杏葉(ぎょうよう)、鈴などの馬装飾のほか、馬冑(ばちゅ、馬用の冑(かぶと))や馬甲(ばこう、馬用の甲(よろい))と見られる鉄製品も多数あった。 鞍や鐙の数から2セット以上の可能性もあるという。
 金銅製の轡引手は国宝の藤ノ木古墳や宮地嶽古墳(福岡県)の出土品など4例しかない。

2011.10.23 太宰府市・大宰府跡 弓金具の「両頭金具」が出土
 弓の両端に付ける弓金具「両頭金具」(鉄製で長さ2・4~2・9cm、直径3mm)が7点出土したと発表した。 8世紀の製造とみられる。 大宰府での弓の管理を示す初の発見。



キーワード: 船原3号墳、船原古墳
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石岡市・瓦塚窯跡遺跡 新たに10基が見つかる 

2013年06月04日 | Weblog
 石岡市教委は、同市部原の瓦塚窯跡(かわらづかかまあと)遺跡で、新たに瓦窯跡10基が見つかったと発表した。これまで24基を確認しており、瓦窯跡は計34基になった。1カ所に瓦窯跡が集中する遺跡としては全国最大級という。
 同遺跡は、8世紀半ばに創建された常陸国分寺・尼寺(同市石岡地区)に瓦を供給した窯跡。 今回の調査で、国分寺より古い瓦を確認。操業期間は8世紀前半〜10世紀前半の200年間にわたることが判明した。
 現地説明会が9日(日)午前11時と午後2時の2回開催される。
[参考:毎日新聞]

石岡市・瓦塚窯跡遺跡
2011.2.10 これまでに見つかった13基と合せ24基となり、かすみがうら市の松山瓦窯を越え、県内最大の遺跡となった。関東最大とされる南河原坂窯跡(千葉市緑区)の20基に並び、関東地方でも最大級の窯跡であり、常陸国の瓦の生産拠点だったことをうかがわせるとしている。操業は10世紀まで継続して行われていた可能性がある。
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