歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

豊岡市・但馬国分寺跡 出土済の木簡に記された「鋳所」を全国初確認

2010年11月30日 | Weblog
 豊岡市教委が30日、奈良時代後期(8世紀後半)の但馬国分寺跡(同市日高町)から、仏具や鐘など銅製品を鋳造した「鋳所(いものどころ)」(鋳造工房)とみられる遺構が新たに見つかったと発表した。
 調査は史跡の東端約250㎡で実施した。 見つかった鋳造遺構内には石を敷き詰めた1.1m四方の区画があり、中心部に高温で熱して銅を溶かしていた炉とみられる跡があった。 また、坩堝(るつぼ)(直径約15cm、高さ約10cm)と呼ばれる土器が2個見つかっている。
 同跡からは、1977年の調査で「鋳所」の文字がある神護景雲2年(768)の木簡が出土しており、実際に「鋳所」の存在が確認できた全国初のケースとなる。
 現地説明会が12月4日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:神戸新聞、産経新聞、毎日新聞]
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つくば市・小田城跡 信田郭と呼ばれる曲輪で大規模改修跡が見つかる

2010年11月30日 | Weblog
 つくば市教委は29日、国指定史跡「小田城跡」(同市小田)の本丸南東部にある「信田郭(くるわ)」と呼ばれる曲輪(約百m四方)で、4度にわたる大規模改修の跡が見つかったと発表した。
 曲輪内からは、青磁の破片や素焼きの小皿・かわらけ、建物の焼けた壁土が出土し、有力者(注1)の屋敷があったとみられるという。
  注1:小田氏の重臣として信田(信太)氏の名前が上がっている。
 現地説明会が12月5日(土)午前10時30分と午後1時30分の2回開かれる。
[参考:東京新聞、毎日新聞、常陽新聞]

過去の関連ニュース・情報
2009.12.1 小田城 新たに掘り跡と通路が見つかる
 つくば市教育委員会は30日、今年度の調査結果で、これまでの調査では存在が知られていなかった堀跡(上幅約8m、深さ約3m)が約50mにわたり新たに見つかり、さらに堀跡と本丸跡の間に堀を渡るための橋が存在し通路があることがわかったと発表した。
現地説明会が6日午前10時半と午後1時半から開かれる。[参考:産経新聞]

2008.12.4 小田城跡 格子状の障子堀が県内初出土
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伊勢崎市・三軒屋遺跡 奈良・平安時代の「斜め柱穴」が見つかる 全国4例目

2010年11月28日 | Weblog
 奈良・平安時代の郡衙の跡である「三軒屋遺跡」(伊勢崎市上植木本町)の第16次調査で、斜めに掘られた穴の遺構「斜め注穴」が見つかった。27日には現地説明会が開かれ、約120人が参加した。
 同遺跡一帯は奈良、平安時代に佐位郡(広瀬川以東の伊勢崎市の区域)と呼ばれた。2005年には八角形の正倉の跡が全国で初めて確認された。1030年頃に書かれた「上野国交代実録帳」の記載と一致し、文献通りの郡衙の遺構とわかった。
 今年度行われている第16次調査で、発掘された八角形の正倉の東側数10mの地点で、斜め柱穴を伴う2つの竪穴状遺構が確認された。ともに北西、南西コーナーに約45度斜めに掘り込まれた柱穴(深さ約1・3m)があった。
 斜め注穴は、幢竿(どうかん)と呼ばれる旗を立てて儀式を行ったというのが通説になっている。
 同種の遺構は全国で武蔵国分尼寺(東京都)、上総国分寺(千葉県)、下野薬師寺(栃木県)に続いて4例目で、郡衙跡での発見は初めてという。
[参考:東京新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
2005.7.6
 「三軒屋遺跡」の発掘調査で、奈良時代を中心に上野国佐位郡の郡衙跡から、八角形をした倉跡が全国ではじめて発見された。
 八角形の正倉は、東西約14m、南北約15mの大きな高床式建物跡で、地面を一度掘り下げて版築を施してあり、礎石の跡が34箇所確認されている。
 文献史料「上野国交替実録帳」(1030年)の中にある「八面甲倉」の記載と一致していることが確認された。
[参考:共同通信、伊勢崎市HP]

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韓国慶州・四天王寺 金堂は後代に拡張され、雁鴨池は今よりはるかに広かった

2010年11月28日 | Weblog
 文化財庁国立慶州文化財研究所24日、慶州市排盤洞四天王寺(사천왕사、史跡 第8号)址に対する5次調査結果、金堂が後代に拡張された事実を確認したと発表した。
 初めの金堂は、石を敷き土を固めて基壇部を作ったが、後代に拡張された金堂の基盤部は初めの金堂跡の基壇終端部分を斜めに切り、その後の部分に土と石を一部混ぜて構築したことが確認された。後代の金堂は東西21m、南北15m規模で、初めの金堂と比較すると東西方向は2m、南北は3m拡張され、南北軸の中心が北に若干移動したことが分かった。
 迦陵頻伽文殊軒瓦と「舎」字銘の異形瓦なども出土した。
 また、雁鴨池東側の王京遺跡では、679年創建された新羅の東宮の雁鴨池関連建物跡と庭園施設、塀跡(宮城)などが確認され、東宮の領域が現在の整備された雁鴨池より東と北にはるかに広かったこととみられる。
 さらに、東西方向の道路遺跡が発見され、皇龍寺一帯の新羅王京計画都市と密接な関連があると見られるとしている。
[参考:2010.11.24聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2009.5.25国立慶州博物館特別展「四天王寺」
 2008.12.16 統一新羅初の双塔一金堂式・四天王寺址(慶州) 発掘調査で新たな出土
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韓国・益山市王宮里遺跡 百済宮廷後苑の水路と北門跡を確認

2010年11月28日 | Weblog
 国立扶余文化財研究所は24日、百済末期に造成された全北益山王宮里遺跡(왕궁리 유적、史跡 第408号)で曲水路がある大型後苑(후원)と北門跡を確認したと発表した。
 王宮里5層石塔の北側丘陵地帯から、半楕円形状の水路に囲まれた後苑(南北長さ約240m、東西幅71m)を確認した。
 また、後苑の空間で最も平坦で四方を眺望できる高い場所からは、正面と側面が各々4間(10m)の正四角形の建物跡が発見された。儀礼や祭礼などと関連した空間だったものとみられるという。
 北側城壁の中央からやや東に偏った地点で、正面3間(長さ4.4m)、側面2間(幅3.9m)の北門跡が発掘された。 これで東西南北全ての門跡が確認された。
 さらに、「大官官寺」の字が彫られた瓦が北壁で発見され、5重の石塔北東側からは中国青磁が割れ状態で出土した。
[参考:2010.11.24聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2009.10.29 韓国・益山市王宮里遺跡 百済宮廷後苑を発見
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釜山市・美音洞貝塚 5世紀三国時代文化層から卜骨に使った鹿骨が出土

2010年11月28日 | Weblog
 慶南文化財研究院は25日、釜山江西区美音洞(부산 미음동)を発掘調査した結果、三国時代から朝鮮時代までの時期に造成された貝塚で5世紀頃の層から卜骨(복골)に使った鹿骨を収集したと発表した。
 卜骨は韓半島では、1980年代に泗川勒島貝塚(사천 늑도 패총)遺跡で初めて確認され、以降もその出土量は数少ない。
[参考:2010.11.25聨合ニュース]
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御所市・秋津遺跡 塀の部材? 先端が尖った杭が出土

2010年11月27日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が24日に発表したばかりの古墳時代前期(4世紀前半)の秋津遺跡(御所市)で、先端が尖った杭が出土したと読売新聞が報じた。
 杭は、塀で囲まれた区画内にある井戸跡から6点出土し、うち2点(残存の長さ32cmと48cm、直径約5cm)は、先端が尖っていた。杭の形状から、塀の部材とみられる。
 現地説明会は28日(土)午前10時~午後3時に開催され、杭も展示される。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.11.24・秋津遺跡 4世紀前半最大級の施設群が見つかる
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坂戸市・町東遺跡4区 東山道武蔵路の道路遺構?が出土

2010年11月27日 | Weblog
 坂戸市教委は同市戸宮町東の「町東遺跡4区」から、奈良時代の東山道武蔵路と特徴が酷似した道路遺構が見つかったと発表した。
 東山道武蔵路は七世紀後半から八世紀後半まで使用されていたと考えられており、群馬県太田市付近で東山道の本道から分岐して、武蔵国府までを結んだと推定されている。町東遺跡は、南北にほぼ直線に延びるこの推定ルート上にある。
 道路遺構は、路面の両側に側溝が掘られており、溝間の幅約10m。所沢市の東の上遺跡で発見されている東山道武蔵路の側溝と同様に粘性の高い土(ローム)が塗られていた。東の上遺跡の約16km北の八幡前・若宮遺跡(川越市)では、「駅長」と墨で書かれた土器が出土している。また、近くの女堀遺跡でも東山道武蔵路とみられる遺構が見つかっている。
 町東遺跡から北に約2kmの推定ルート西側には、県内最古・最大の古代寺院跡とされる勝呂廃寺(七世紀後半~十世紀)がある。
[参考:東京新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2008.12.4 太田市 上強戸遺跡群 奈良時代の大型車輪部材が東日本で初出土
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光明皇后発願一切経の一部「出曜経」を確認

2010年11月27日 | Weblog
 大阪大総合学術博物館(大阪府豊中市)は26日、奈良時代天平8年(736)に光明皇后が主導して始まったとされる写経事業、「光明皇后発願一切経」の一部で「出曜経(しゅつようきょう)」第4巻の末尾2枚縦26.6cm、横68.5cmが確認されたと、報道関係者に公開した。
 事業で写された計約7000巻のうち約1000巻が現存するとされ、うち750巻は宝物として正倉院で保管されている。今回見つかった経典は天平14(742)年に作られ後世に散逸したもので、保存状態も良く、「正倉院宝物級の貴重な文化財」という。
 経典は来年5月1日から約2カ月、大阪大で一般公開される。
[参考:産経新聞、毎日新聞]
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山梨県富士河口湖町河口の「西川遺跡」 奈良~平安時代の「塩の道」に別ルート

2010年11月27日 | Weblog
 山梨県富士河口湖町河口の「西川遺跡」で、奈良~平安時代(8~9世紀)の土師器や須恵器などの破片が50点出土し、そのうち、製塩に使用されたとみられる3点が確認された。深さ約10cmのコップ型をしていたと推定されるという。
 甲斐国への塩の流通経路はこれまで富士川に沿った経路と考えられていたが、県東部の富士山麓で製塩土器が初めて見つかったことで、「塩の道」がほかにも存在した可能性が出てきたという。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
2009.6.5 山梨日日新聞
 富士河口湖町教委が西川遺跡で行っている調査で、「川」の字が書かれた奈良時代8世紀の墨書土器が出土した。現在も使われている地名「河口」の河を意味しているとみられる。
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岐阜県養老町・象鼻山古墳群 弥生後期築造の2基を新たに確認、同古墳群の築造は2世紀に集中

2010年11月27日 | Weblog
 養老町教委は24日、同町橋爪の象鼻山(ぞうびさん)古墳群の第5次発掘調査で、同古墳群が2世紀中ごろから後半に大規模な造成をした上で、計画的に一斉に造られた遺跡であることが分かったと発表した。
 同古墳群は、濃尾平野の西端にある象鼻山(標高142m)の山頂周辺に70基の古墳が確認されている。今回の調査は、山頂から直線で約200m離れ、標高の低い2つの古墳を発掘。20号墳は16m四方の方墳であり、36号墳は20m×17mの方墳であることを確認し、出土した壺と鉢などの土器から2世紀中頃から後半にかけての築造と分かった。いずれも大規模な整地をした後に盛り土して墳丘を造っていた。
 山頂周辺では、この2基とほぼ同時期に造られた5基の古墳が確認されており、最も北に位置する1号墳(前方後方墳、3世紀後半)を例外として、同時期に同じ方法で築造されていた。
 濃尾平野を中心とする広範な地域の複数の集団が、実力者を埋葬する共同墓地として利用した可能性が高いという。
 現地説明会が27日(土)午後1時から開かれる。
[参考:岐阜新聞、中日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.5.19 象鼻山古墳群 2世紀後半の方墳と円墳を発掘調査

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福岡県久山町・首羅山遺跡 12世紀の高麗青磁印花文方形香炉の破片が出土

2010年11月27日 | Weblog
 久山町教委は、中世の山岳寺院の遺構がある首羅山(しゅらさん)遺跡(同町久原)の発掘調査で、「高麗青磁印花文方形香炉」(12世紀前半)の破片が出土したと発表した。
 大規模な寺院があったとされる基壇の西側で、香炉の縁や底の部分など約10点、最大5cmの破片が発掘された。 昨年度の調査で約2cmの破片が一つ見つかっていたが、今回の新たな出土で、香炉の全体像が確定された。 繊細な文様と翡翠色の上薬で彩られた、当時の技術の粋を集めた一級品という。
 韓国にある高麗王邸の瓦を製作していた窯跡でも類似した破片が出土しており、町教委は寺院が東アジアの中で重要な位置を占め、優れた品を集める力を持っていた証しと分析している。
 現地説明会が28日(日)午前9時半から現地で開かれる。
[参考:2010.11.25西日本新聞、福岡県HP]

過去のニュース・情報
 2010.5.19首羅山遺跡 これまでに見つかったものより約100年古い山岳寺院建築物の基礎部分を発見
 2009.5.17首羅山遺跡 山岳寺院の遺構確認


2012.11.16 追記
 首羅山遺跡が、新しく国の史跡に指定されることになりました。
 年に一度の首羅山遺跡見学会が11月23日(祝)9時30分より開催されます。
  集合場所は、白山神社(JRバス山の神バス停下車徒歩3分)
[参考:久山町HP]
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水戸市・吉田古墳 38年ぶりに石室調査を実施

2010年11月26日 | Weblog
 水戸市教委は26日、「線刻壁画」を持ち八角形墳の可能性がある吉田古墳(同市元吉田町)で石室の調査が38年ぶりに行われ、報道陣に内部を公開した。線刻壁画の保存状態や石室の構造を確認し、保存計画を練るのが目的。
 大正3年(1914)、東京帝国大学の調査で石室内の壁画が初めて確認された。壁画は、「鉾」や「靭」、「大刀」が描かれている。72年の前回調査で、石室の修復作業などが行われた。墳丘はほとんど現存していないが、2006年に古墳の周囲の溝を調査し、八角形墳だった可能性の高いことが判明した。墳丘の範囲も東西約26m、南北約30mで、7世紀半ばごろの築造と推定される。
 現地説明会が28日(日)に行われる予定。
[参考:共同通信、産経新聞、東京新聞]

水戸市の八角墳を38年ぶり調査 石室内部を公開(共同通信) - goo ニュース
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栃木県・上神主・茂原官衙遺跡 東山道跡とを結ぶ入口跡を発見

2010年11月26日 | Weblog
 上三川町教委と宇都宮市教委は国指定史跡「上神主・茂原官衙遺跡」の本年度発掘調査で同遺跡南側に東山道跡と上神主・茂原官衙遺跡を結ぶ入り口跡を発見した。同遺跡と東山道跡の密接な関係性が明らかになったとする。
 現地説明会は27日(土)午後1時半~3時に開かれる。
[参考:下野新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.11.27上神主・茂原官衙遺跡 敷石遺構跡を確認 11/28現地説明会
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伊達市・宮脇遺跡 室町時代に再建後、京都北山文化の影響を受けた池、庭園跡見つかる

2010年11月26日 | Weblog
 伊達市教委は25日、再建後の霊山寺跡とされる宮脇遺跡(同市霊山町大石)で、建物に囲まれるように築かれた池や庭園、石垣跡が見つかったと発表した。
 霊山寺は山岳信仰の聖地として栄えたが、室町時代に再建された際、京都北山文化の影響を強く受けて生まれ変わったことが分かったとする。
 一般向け説明会が27日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.12.12 宮脇遺跡 室町期の霊山寺跡 建物跡を囲む溝と石組みが出土
 2008.10.29 宮脇遺跡 室町期の霊山寺跡 発掘調査現地説明会開催案内
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