明日香村・檜隈寺跡 「呉」の異体字「吴」記した瓦出土
明日香村教委が29日発掘調査報告会で、明日香村檜前の檜隈寺跡(国史跡)近くで、「呉」の異体字「吴」(注)が記された7世紀後半の瓦が8月に出土したことを明らかにした。(注:口の下の天は、縦の棒がなくニの下に人を書いている)
文字が記されていたのは軒丸瓦(直径16cm、厚さ3cm)2枚の裏側で、いずれもヘラのようなもので刻んであった。瓦の模様から7世紀後半のものと見られる。
同様の瓦は過去に同寺跡近くで拾われたことがあるが、発掘調査で見つかるのは初めて。檜隈寺の造営に、渡来系氏族の呉原氏(くれはらうじ)がかかわったことを示しているのではとみる。
檜隈寺は、この地域の渡来系氏族の総称である東漢氏(やまとのあやうじ)が建てたとされ、寺跡のある檜前地区のすぐ東に東漢氏の一派の呉原氏の本拠地だったとされる栗原地区がある。
[参考:朝日新聞]
[9月25日掲載分]
東漢氏の再興期の居宅跡か 700年前後の建物群跡が出土
飛鳥時代(7世紀)の有力渡来系氏族、東漢(やまとのあや)氏の拠点とされる奈良県明日香村の檜前(ひのくま)遺跡で、7世紀後半~8世紀前半の大規模な建物群跡が見つかったことを村教委が25日発表した。
東漢氏の氏寺される檜隈(ひのくま)寺跡に近く、同氏の居宅跡の可能性が高いという。東漢氏は、当時権力をふるった蘇我氏と密接な関係があったとされるが、日本書紀などでの記載は乏しく、今回の発見は謎に包まれた一族の実態を知る上で貴重な資料となりそうだ。
建物跡は、檜隈寺跡の南約200mの見晴らしのよい尾根上に、5棟がほぼ1列に並んだ状態で見つかった。最大の建物は南北3・6m、東西10・5mの床張り構造で、すぐ南側には庇の付いた建物跡(南北3・6m以上、東西5・4m)、中央部で間仕切り用の柱のある建物跡(東西7・5m、南北3m)などが見つかった。
東漢氏は、大陸の最先端技術を日本にもたらし、外交や軍事面で権力を築いたが、大化の改新(645年)による蘇我氏滅亡とともに衰退。677年には天武天皇に「七つの大罪を犯した」と指弾されたが、存続を許されて再び力をつけた。今回の建物群跡は、東漢氏の再興期に建てられた可能性が高く、一族の復興のシンボルとなる寺の造営や維持管理に携わった人が住んだのではないかとみている。約100年の間に3時期に分けられ、数回建て替えられたとみられる。東漢氏が飛鳥の都近くを拠点に暮らしていたことを裏付けた。
[参考:共同通信、産経新聞、前出]
明日香村HPでは、表題の現地見学会を予定しています。
今年の6月には、檜隈寺跡から白鳳-天平期の金銅仏が出土しており、その関連など、中身が気にかかるところです。
明日香村教育委員会では、昨年度より国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区整備に伴う発掘調査を実施しています。
今年度の調査で、檜隈寺の南方約200mの地点で、東漢氏の居住地に関わる建物群が見つかりましたので、下記の日程で現地見学会を開催いたします。
■ 日時: 平成20年9月27日(土) 午前10:00~午後3:00
■ 場 所: 発掘調査現場(於美阿志神社の南方約200m) (奈良県高市郡明日香村大字桧前地内)
■ 内容: 東漢氏に居住地に関わる建物群
■ 備考: 現地での説明はありません。
[参考:明日香村HP→発掘成果情報]
現地見学会に600人が訪れたと報道 [参考:9/28読売新聞]
明日香村教委が29日発掘調査報告会で、明日香村檜前の檜隈寺跡(国史跡)近くで、「呉」の異体字「吴」(注)が記された7世紀後半の瓦が8月に出土したことを明らかにした。(注:口の下の天は、縦の棒がなくニの下に人を書いている)
文字が記されていたのは軒丸瓦(直径16cm、厚さ3cm)2枚の裏側で、いずれもヘラのようなもので刻んであった。瓦の模様から7世紀後半のものと見られる。
同様の瓦は過去に同寺跡近くで拾われたことがあるが、発掘調査で見つかるのは初めて。檜隈寺の造営に、渡来系氏族の呉原氏(くれはらうじ)がかかわったことを示しているのではとみる。
檜隈寺は、この地域の渡来系氏族の総称である東漢氏(やまとのあやうじ)が建てたとされ、寺跡のある檜前地区のすぐ東に東漢氏の一派の呉原氏の本拠地だったとされる栗原地区がある。
[参考:朝日新聞]
[9月25日掲載分]
東漢氏の再興期の居宅跡か 700年前後の建物群跡が出土
飛鳥時代(7世紀)の有力渡来系氏族、東漢(やまとのあや)氏の拠点とされる奈良県明日香村の檜前(ひのくま)遺跡で、7世紀後半~8世紀前半の大規模な建物群跡が見つかったことを村教委が25日発表した。
東漢氏の氏寺される檜隈(ひのくま)寺跡に近く、同氏の居宅跡の可能性が高いという。東漢氏は、当時権力をふるった蘇我氏と密接な関係があったとされるが、日本書紀などでの記載は乏しく、今回の発見は謎に包まれた一族の実態を知る上で貴重な資料となりそうだ。
建物跡は、檜隈寺跡の南約200mの見晴らしのよい尾根上に、5棟がほぼ1列に並んだ状態で見つかった。最大の建物は南北3・6m、東西10・5mの床張り構造で、すぐ南側には庇の付いた建物跡(南北3・6m以上、東西5・4m)、中央部で間仕切り用の柱のある建物跡(東西7・5m、南北3m)などが見つかった。
東漢氏は、大陸の最先端技術を日本にもたらし、外交や軍事面で権力を築いたが、大化の改新(645年)による蘇我氏滅亡とともに衰退。677年には天武天皇に「七つの大罪を犯した」と指弾されたが、存続を許されて再び力をつけた。今回の建物群跡は、東漢氏の再興期に建てられた可能性が高く、一族の復興のシンボルとなる寺の造営や維持管理に携わった人が住んだのではないかとみている。約100年の間に3時期に分けられ、数回建て替えられたとみられる。東漢氏が飛鳥の都近くを拠点に暮らしていたことを裏付けた。
[参考:共同通信、産経新聞、前出]
明日香村HPでは、表題の現地見学会を予定しています。
今年の6月には、檜隈寺跡から白鳳-天平期の金銅仏が出土しており、その関連など、中身が気にかかるところです。
明日香村教育委員会では、昨年度より国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区整備に伴う発掘調査を実施しています。
今年度の調査で、檜隈寺の南方約200mの地点で、東漢氏の居住地に関わる建物群が見つかりましたので、下記の日程で現地見学会を開催いたします。
■ 日時: 平成20年9月27日(土) 午前10:00~午後3:00
■ 場 所: 発掘調査現場(於美阿志神社の南方約200m) (奈良県高市郡明日香村大字桧前地内)
■ 内容: 東漢氏に居住地に関わる建物群
■ 備考: 現地での説明はありません。
[参考:明日香村HP→発掘成果情報]
現地見学会に600人が訪れたと報道 [参考:9/28読売新聞]