桜井市文化財情報発掘調査現場から(235回、広報「わかざくら」 平成20年7月掲載)「矢塚古墳の範囲確認調査」が配信された。
矢塚古墳の範囲確認を目的とした、纒向遺跡第154次(矢塚古墳第3次)調査である。
今回の調査は、
①前方部周辺で、その北・西側に4か所トレンチを設定
②後円部南側の周濠を確認するため1か所トレンチを設定
③後円部南側の周濠を確認のための調査
結果(成果)は、
前方部北西隅となる墳丘と前方部前面の墳丘盛土を確認した。
現存する前方部の長さは約28mとなり、古墳の全長は約93m以上となる事がわかった。
前方部北側裾から、前方部の幅が今残っている水田の畦から推定される位置より約3.5m北に広がる事がわかった。
前方部北側で周濠を確認。ただし、その外側は今回の調査範囲の中では検出できなかったため、周濠の平面形は依然として不明
遺物は、周濠から若干の古式土師器が出土。昨年と同様に庄内形甕はあるものの布留形甕が見られないため、今のところ時期については第1次調査で周濠から出土した土器群の庄内3式期より新しくはならない。
今回の調査の成果から、推定される矢塚古墳の全長と前方部前面側から検出した周濠外側の地山の位置、削平を受けている可能性があるものの、確認した前方部墳丘との距離から前方部墳丘の本来の長さを考えると、最も古いタイプの前方後円墳である纒向型前方後円墳の規格である、全長・後円部径・前方部長が3対2対1の比率を持つ可能性が高い事が確認された。
という内容である。
[備考]
今年3月6日に、「矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳」の発掘調査結果が各報道より発信された。その中身を要約すると、
矢塚古墳では前方部の北西隅の地山が見つかり、全長93mと判明。「纒向型」だったことが裏付けられた。
後円部の直径が約65mと、全体(約93m)の約3分の2を占め、ずんぐりとした形
しかし、前方部は他の2基より極端に短く、古墳の誕生直後は設計プランが統一されていなかったことをうかがわせる。3基が3世紀半ばから後半に相次いで築造されていたことも改めて確認した。
矢塚古墳の範囲確認を目的とした、纒向遺跡第154次(矢塚古墳第3次)調査である。
今回の調査は、
①前方部周辺で、その北・西側に4か所トレンチを設定
②後円部南側の周濠を確認するため1か所トレンチを設定
③後円部南側の周濠を確認のための調査
結果(成果)は、
前方部北西隅となる墳丘と前方部前面の墳丘盛土を確認した。
現存する前方部の長さは約28mとなり、古墳の全長は約93m以上となる事がわかった。
前方部北側裾から、前方部の幅が今残っている水田の畦から推定される位置より約3.5m北に広がる事がわかった。
前方部北側で周濠を確認。ただし、その外側は今回の調査範囲の中では検出できなかったため、周濠の平面形は依然として不明
遺物は、周濠から若干の古式土師器が出土。昨年と同様に庄内形甕はあるものの布留形甕が見られないため、今のところ時期については第1次調査で周濠から出土した土器群の庄内3式期より新しくはならない。
今回の調査の成果から、推定される矢塚古墳の全長と前方部前面側から検出した周濠外側の地山の位置、削平を受けている可能性があるものの、確認した前方部墳丘との距離から前方部墳丘の本来の長さを考えると、最も古いタイプの前方後円墳である纒向型前方後円墳の規格である、全長・後円部径・前方部長が3対2対1の比率を持つ可能性が高い事が確認された。
という内容である。
[備考]
今年3月6日に、「矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳」の発掘調査結果が各報道より発信された。その中身を要約すると、
矢塚古墳では前方部の北西隅の地山が見つかり、全長93mと判明。「纒向型」だったことが裏付けられた。
後円部の直径が約65mと、全体(約93m)の約3分の2を占め、ずんぐりとした形
しかし、前方部は他の2基より極端に短く、古墳の誕生直後は設計プランが統一されていなかったことをうかがわせる。3基が3世紀半ばから後半に相次いで築造されていたことも改めて確認した。