滋賀県文化財保護協会が27日、高島市安曇川町三尾里の上御殿遺跡で、古墳時代後期(6世紀中頃)の円墳(直径12・8m)がみつかったと発表した。 同遺跡および隣接する天神畑遺跡から古墳が確認されるのは今回が初めて。
日本海側の古墳に共通する特徴を持ち、この地域の中小の首長層が日本海側と交流していたことがうかがえるとしている。
円墳の中央付近にある墓穴(長さ4・7m、幅1・9~1・7m、深さ22cm)からは木棺の跡がみつかった。 木棺そのものは腐って無くなっていたが、「木棺直葬」の形跡が確認された。木棺は長さ3・2m、幅75cmだったとされ、底はなく、木の板を側面と蓋に使用し、頭部と足部の端の部分は石を混ぜ込んだ白色の粘土で固めていた。木棺跡の土は、全体的に赤くなっていたことから、木の板の内側は、赤色顔料が塗られていたとみられる。
木棺の端を白色の粘土で固める特徴は、京都府北部や兵庫県北部など日本海側の地域にある古墳の棺でもみられるという。
副葬品としてガラス玉が出土。周囲の溝跡から見つかった須恵器の杯のふたから古墳の年代が特定された。
上御殿遺跡は、北陸と近畿を結ぶ古代の幹線道路沿いで琵琶湖からも近く、陸と湖上の交通の要所だった。 近くの鴨稲荷山(かもいなりやま)古墳(全長45mの前方後円墳)の石室でも、日本海側の地域に多い形の冠や太刀が副葬品としてみつかっていることなどから、一帯の地域が日本海側の地域と密接な関係を持っていたことがさらに裏付けられた。
現地説明会は3月2日(日)午後1時半から開かれる。
[参考:朝日新聞、産経新聞]
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