江戸時代に芝居小屋があった東京・日本橋人形町三丁目遺跡で発見された板の断片を復元、解析したところ、歌舞伎役者の大名跡の一つ「市村宇左衛門」と記されていたことが確認された。
板が発見された穴蔵跡は1842年まで市村座があった場所(葺屋町堺町、現・日本橋人形町3丁目)に隣接する茶屋跡で、18世紀前半のもので、2008年に発見された。複数に割れた板を合わせると長さ約32cm、幅約10cmの大きさとなり、箱の蓋に使われたものらしい。表に「七月十□日」「市村宇左衛門□」と墨書されているのが確認された。
七代目は1698年に死去。
八代目(1698-1762)が1737年に四代目市村竹之丞から市村宇左衛門を襲名し、1748年に「宇左衛門」から「羽左衛門」に改めた。
このとから、八代目の可能性が高いとしている。
3月8日まで、中央区立郷土天文館(中央区明石町12-1)で出土した遺物が展示される。
[参考:読売新聞、中央区HP、
江戸三座
市村座
市川宇左衛門]
板が発見された穴蔵跡は1842年まで市村座があった場所(葺屋町堺町、現・日本橋人形町3丁目)に隣接する茶屋跡で、18世紀前半のもので、2008年に発見された。複数に割れた板を合わせると長さ約32cm、幅約10cmの大きさとなり、箱の蓋に使われたものらしい。表に「七月十□日」「市村宇左衛門□」と墨書されているのが確認された。
七代目は1698年に死去。
八代目(1698-1762)が1737年に四代目市村竹之丞から市村宇左衛門を襲名し、1748年に「宇左衛門」から「羽左衛門」に改めた。
このとから、八代目の可能性が高いとしている。
3月8日まで、中央区立郷土天文館(中央区明石町12-1)で出土した遺物が展示される。
[参考:読売新聞、中央区HP、
江戸三座
市村座
市川宇左衛門]