歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

沼津市・高尾山古墳 230年頃築造、埋葬は20年後の250頃と判断

2014年08月29日 | Weblog
 沼津市東熊堂にある古墳時代初期の前方後方墳「高尾山古墳」(全長62mの前方後方墳)の発掘調査を進めていた同市教委は27日、古墳は230年頃に墳丘が完成し、250年頃に埋葬されたと、調査結果を発表した。
 年代を明確にするために、主体部を中心に幅1m、深さ2mの溝を計7本試掘し、追加調査を今年5月から7月まで行った。 発掘の結果、墳丘から出土した多量の土器から築造時期は230年頃、副葬品として見つかっている鉄鏃から埋葬時期は250年頃と判断した。
 主体部周辺から見つかっていた230年ごろの土器は埋葬時に混入したと結論付けた。
[参考:静岡新聞]

過去の関連ニュース・情報
高尾山古墳(旧・辻畑古墳)
2012.04.11 高尾山古墳の発掘調査を行っていた沼津市教委は調査報告書がまとまり、市議会文教消防委員会に報告した。
 同古墳は、市教委が2008年に発掘調査を開始し、09年には国内最古級の230年頃に作られた高坏が見つかり、西暦230年頃に成立したとの説と、副葬品の鉄鏃などがそこまで古くないため、同古墳が250年頃にできたと唱える専門家もいる。 報告書には、2つの年代説を併記。
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ふじみ野市・ハケ遺跡 巫女の埴輪出土

2014年08月23日 | Weblog
 ふじみ野市教育委員会は22日、同市福岡三丁目の「ハケ遺跡」から六世紀の巫女(みこ)姿の人物埴輪(高さ45cm、幅22cm、奥行き12cm)が同市で初めて出土したと発表した。
 同遺跡が前方後円墳を含む複数の古墳が密集した「群集墳」の可能性があるという。
[参考:2013.8.23東京新聞]

ふじみ野市で巫女の埴輪出土 6世紀の前方後円墳か(東京新聞) - goo ニュース
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湖西市・神座古墳群 4~6号墳の形状が似ており同族の墓か

2014年08月23日 | Weblog
 湖西市神座(かんざ)の神座古墳群で発掘調査を進めている駒沢大文学部考古学研究室は21日、発掘調査を行っている4~7号墳(6世紀後半~7世紀前半)の4基のうち近接する4~6号墳の形状が似ていることが分かったと発表した。比較的裕福な同じ一族によって連続して造られた可能性が高いという。
 4~6号墳は大きさや形がほぼ同じで、出入り口も西側にあるなど共通している。
 市民向け現地説明会が23日午前10時~正午に開かれる。
[参考:静岡新聞]

過去の関連ニュース・情報
 湖西市神座古墳群
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奈良県明日香村・都塚古墳 巨大な階段ピラミッド状の大型方墳と判明

2014年08月13日 | Weblog
 明日香村教委と関西大学は13日、明日香村にある飛鳥時代初期(6世紀後半)の都塚(みやこづか)古墳が、全体が階段ピラミッド状の東西約41m、南北約42mの大型方墳と判明したと発表した。
現場は蘇我氏の拠点地域で、古代朝廷の実力者・蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳に近いことなどから、馬子の父・稲目の墓の可能性が高いとみられるという。
 同古墳はこれまで墳形は不明で、一辺約28mの方墳などと推定されていたが、今回、全長12m以上の横穴式石室を持ち、内部に凝灰岩の刳り抜き式家形石棺(長さ約2・2m)が収められていることがわかった。
 現地説明会は16日午前10時~午後3時が開かれる。
[参考:産経新聞、共同通信、時事通信、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞]


都塚古墳はピラミッド形=大型方墳、稲目の墓との説も―奈良(時事通信) - goo ニュース


キーワード; 都塚古墳、蘇我稲目
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丹波市・山田大山古墳群5号墳 県内最古級となる6世紀初めのT字形横穴式石室を発見

2014年08月08日 | Weblog
 兵庫県教委が7日、丹波市春日町山田の山田大山古墳群で5号墳を新たに発見し、県内最古級となる6世紀初め(古墳時代後期)の横穴式石室が見つかったと発表した。 渡来系の人が造ったとされる「T字形」としては県内5例目で、最も古いという。
 横穴式石室の県内導入期(6世紀前半)に、明確なT字形が見つかったのは初めてという。
 事前調査で1~4号墳が確認され、谷筋最奥部の2号墳を発掘調査したところ、7世紀前半に造られ、後半に追葬されたとみられる石室を確認した。 同古墳の北側に隣接した5号墳を新たに確認した。墳丘は直径約8m、周濠を含めると同約11mと規模は小さい。 埋葬施設は、平面形がややいびつなT字形をした横穴式石室(横2・8m、縦1・25~1・35m、高さ1・2m)で、羨道は横0・6m、縦1mだった。石室からは須恵器7点などが出土し6世紀初めの築造とみられ、県内最古級とわかった。
 現地説明会が10日午前10時~11時半に開かれる。
[参考:神戸新聞、産経新聞]
コメント (3)
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大阪府島本町・西浦門前遺跡 水無瀬離宮跡出土か

2014年08月08日 | Weblog

 大阪府島本町教委が6日、後鳥羽上皇(1180~1239)が造営した「水無瀬(みなせ)離宮」の一部とみられる宮殿跡が見つかったと発表した。
 同町桜井3丁目の駐車場跡約1530㎡を発掘。多数の建物の柱跡、柱を支える礎石の塊、池の跡や1m大の庭石のほか、溝の跡には、鎌倉期に京都の瓦工房で製造された「軒平瓦」「軒丸瓦」などの瓦や陶磁器が大量に見つかり、庭園つきの宮殿だった可能性が高い。
 後鳥羽上皇に仕えた歌人・藤原定家(1162〜1241)の日記「明月記」などの文献によると、上皇は1199年、水無瀬川と淀川の合流地付近に離宮(下御所)を造成。1216年に洪水で壊れたが、翌17年に新離宮(上御所)を山上に再建し、川をせき止めて水を引き入れた庭園が造られたという。
 2009年に同町広瀬1丁目で見つかった遺構は約600m東の標高14mにあり、下御所の一部か上御所の一部か分かっていない。今回の遺構は、さらに高い標高25mの山の斜面にあり、町教委は上御所の一部と推測する。ただ、これまでの上御所推定地から南西に約600m離れており、本邸ではなく別邸だった可能性が高いという。
 現地説明会が9日午前10時から開かれる。
[参考:朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.1.22 広瀬遺跡 水無瀬離宮の遺構か、大規模な礎石建物跡が出土
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大津市・穴太遺跡・南滋賀遺跡 6世紀後半の古墳や建物跡などが出土

2014年08月04日 | Weblog
 大津市教委が30日、「穴太遺跡」(同市穴太1丁目)と「南滋賀遺跡」(同市南志賀3丁目)から、渡来系氏族が築いたとみられる古墳時代後期(6世紀後半)の古墳や建物跡などが相次いでみつかったと発表した。
穴太遺跡からは横穴式石室(内部の最大幅が2・4m、奥行き3・6m)が見つかった。 残った石積みの形状から、天井部が丸みを帯びたドーム状だったとみられ、大陸の影響がうかがえる。副葬品として土師器の甕1点、須恵器の高杯などが出土した。直径十数mの円墳とみられるという。
 石室の隣では、古墳時代前期のものとみられる竪穴遺構が確認された。壺、甕などの遺物が出土し、付近に集落があったことを示している。
 大津市西部の山手には南北6kmにわたって渡来系氏族の古墳群が密集し、約1千基の古墳があるとされる。今回見つかった石室は標高100m前後の場所にあり、最も低地に当たる。

 南滋賀遺跡からは9m四方の規模だったとみられる大壁建物2棟の跡が出土した。。大壁建物は、溝に柱を立て横に木を組んで、厚い土壁で塗り固めた建物で、渡来系氏族の建築技法とされる。付近からは、大陸の影響をうかがわせる土器も出土。渡来系氏族が住んでいたことを裏付けている。
 現地説明会は8月2日に行われた。
[参考:京都新聞、毎日新聞、朝日新聞、産経新聞、中日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 穴太遺跡
 南滋賀遺跡

渡来系の集落跡確認 大津の2遺跡、発掘調査で(京都新聞) - goo ニュース
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