福島市は21日、福島市平石地区にある西久保遺跡の発掘調査で、奈良末期から平安初期にかけて東北地方の防備を担った「鎮兵」と記した木簡(長さ29.6cm、幅2.5cm、厚さ1.1cm)が8月に出土したと発表した。
赤外線分析の結果、「出羽国牒下野国司 鎮兵□□□之状□□□」(牒とは差し出すの意味)の18文字が記されていた。鎮兵の二文字が完全な形で残る史料が見つかったのは全国初という。
鎮兵は平安時代に編纂された「続日本紀」に記述があり、蝦夷(えみし)の反乱を受けて陸奥国や出羽国を防備するために関東周辺から派遣された兵士。「鎮兵」は810大同五年五月~881元慶五年に5回ほど記されている。
近くに古代の官道東山道の推定箇所があり、出土した建物跡の配置などを踏まえると、役所機能のある場所だったと考えられるとした。
出土した木簡は朝廷と蝦夷の対立が激化した776~806年ごろ、出羽国から下野国(現在の栃木県)の国司に宛てたものみられる。
見学会が23日、遺跡内で開かれた。
[参考:福島民友、福島民報、時事通信]
赤外線分析の結果、「出羽国牒下野国司 鎮兵□□□之状□□□」(牒とは差し出すの意味)の18文字が記されていた。鎮兵の二文字が完全な形で残る史料が見つかったのは全国初という。
鎮兵は平安時代に編纂された「続日本紀」に記述があり、蝦夷(えみし)の反乱を受けて陸奥国や出羽国を防備するために関東周辺から派遣された兵士。「鎮兵」は810大同五年五月~881元慶五年に5回ほど記されている。
近くに古代の官道東山道の推定箇所があり、出土した建物跡の配置などを踏まえると、役所機能のある場所だったと考えられるとした。
出土した木簡は朝廷と蝦夷の対立が激化した776~806年ごろ、出羽国から下野国(現在の栃木県)の国司に宛てたものみられる。
見学会が23日、遺跡内で開かれた。
[参考:福島民友、福島民報、時事通信]
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