地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

ウォーキング

2011年05月24日 | 健康

 

開始するには決断が、継続するには強固な意志と努力が必要、しか止めるのは

 久しぶりに今日は晴れた。我が「高血圧管理手帳」を開くと、ナント、もう一週間もウォーキングをしていない。毎晩の日課としているストレッチもほぼ同様だ。

 血圧を朝晩測るのは、時に忘れることがあるものの、それだけは頑張っている。因みに、「高血圧管理手帳」には、朝と夜の血圧、そしてウォーキングとストレットをしたら○(まる)をつける。お通じがあった場合も同様だ。加えて、起きてすぐの体重を記録している。こうしたことを、我が日課と課している。体重の増減には、一喜一憂している。

 しかし、これらの継続はとても難しい。何かを始めるのには決断をしさえすればいい。ただ、それを継続するとなると、大変強固な意志と努力を必要とする。何故なら、中断するのはとても簡単だからだ。

 私のウォーキングは、気がつけば一週間という感じて、そんなにサボっているという感じはなかった。超ハードな日々を過ごしているとは言え、情けない話だ。

 ところで、今日は午前は稚媛の里に行き、午後はお世話になった方の「感謝の会」を開催するための打ち合わせの会に参加したりした。暇だったら歩き、忙しかったら歩かないということを改めなければと、今日は深く反省した。

 「一週間に最低5日は歩く」ことを続けたと考えているのだが。ホント継続することは、私のような自堕落な人間には難しい。トホホ、だ。

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花をつけた

2011年05月24日 | 野菜づくり

 

我が野菜畑のトマトなども生長し、もう花をつけてくれていて楽しみだ

 久しぶりの晴れ間が広がった今日は、夕食前の少しの時間だが、野菜畑の作業もした。

 我が野菜畑では、トマト、スイカ、キューリ、茄子など花をつけてくれている。「実はなっても、すぐに落ちることが少なくない」とも聞く。美味しく食べられることを願いながら、野菜づくりをご縁があって始めたのだから、これからも頑張ろうと思う。

 さて今日はまた、トマトなどの手を大きいものにした。スイカやカボチャの芽止めもした。また、ピーマンなども新たに植えた。金瓜の苗の生長が悪いのが気になっている。

 それにしても、野菜畑の草は、先の雨でずいぶんと成長している。明後日からの三日連続の雨でさらに伸びるし、たくさん生えてくるだろう。「あかれんがクラブ」のNさんが言われていたが、「これからの畑仕事の大半は草抜き」との言葉を思い出した。

 わずかな畑での作業だが、ずいぶんと蚊に食われた。これから、まだまだ蚊が発生してくる。蚊との闘いも、なかなかに大変だ。お野菜は、簡単には育てられないことを実感する日々だ。

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書額

2011年05月24日 | 身辺雑記

 

「たのたの庵」には、「福岡事件」の古川泰龍さんの書額がかけられていた

 このところというか、「たのたの庵」に行く日にはよく雨が降る。昨日もそうだった。「雨の日はポイントが二倍」だからではない。

 さて、その「たのたの庵」に行って驚いた。ナント、土曜日に参加した「福岡事件再審請求50年 キャンペーン『私はわらじがぬがけない』 ~えん罪のない社会を目指して~」の全国キャラバンで教えられた古川泰龍さんの書額が、掲げられていたからだ。

 教誨師の古川泰龍さんは、今から50年前の1961年の春、「福岡事件」の冤罪で苦しむ2人の死刑囚の再審請求を開始した方だ。そして網代笠、手甲、脚半にわらじ履きで、全国各地を托鉢して無実を訴えて回った方だ。

 その古川泰龍さんの書額と、「たのたの庵」で出会うとは思いもしなかった。聞けば、死刑囚の写真展を開催した関係の方とのご縁でチラシを置き、古川泰龍さんの息子さんの龍樹さんが来店され、その「書額」を買い求められたとのことだ。

 「たのたの庵」さんは、実にたくさんの方とのご縁を拡げられている。庵主さんのお人柄によるものだろう。その庵主さんに、お預けしていた「映画『無言館』&窪島誠一郎館主の講演会」のチケット10枚分を、今日入金していただいた。まだ完売されていないのではと思い、少しだけ心苦しかった。が、お気持ちということでありがたくいただいた。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 また、庵主さんから、いただいいたという「福岡事件に関するDVD」をお貸しいただいた。帰宅して、ゆっくりと見ることができるのを嬉しく思う。

 外は激しい雨が降っていたが、美味しくランチを楽しませていただき、かつ庵主さんの優しいお人柄に接して心が温かくなった。

 

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キスの日

2011年05月24日 | ひとりごと

  

昨日は「キスの日」だった、キスと聞くだけで心がときめく私は若い!?

 昨日は終日強い雨があり、寒いとすら感じた一日だった。そんな昨日は「キスの日」だったそうだ。私はそんな日があることを、全く知らなかった。

 さてその「キスの日」の由来は、1946(昭和21)年に日本で初めてキスシーンが登場する映画が公開された、その5月23日と決められたそうだ。

 その映画は大坂史朗と幾野道子が主演した「はたちの青春」だそうだ。私は残念ながら、まだ見たこともない。それにしても、ただ、キスシーンといっても、その映画では「わずかに唇を合わせるだけ」と言う話も聞く。

 「キス」と言う言葉に敏感に反応し、いささかのときめきすら感じる。私もまだ若い、決して老いてはいない。

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電光掲示板

2011年05月23日 | 健康

  

今日は岡大へ定期診察に、診察室には「電光掲示板」が設置されていた

 昨日は午前中の一時期だけだったが、今日は朝から雨が、しかも強く降り続いている。明後日の水曜日を除いて、雨の予報となっている。なんだか、もう梅雨入りしたみたいだし、今日は少しだけひんやりもした。体調管理が大変だ。

 そんな今日は、岡山大学病院の定期診察日だ。2~3ヵ月に一回、原発性アルドステロン症などの関係で、血液検査を含めて診察がある。

 血液検査の採血開始は午前8時だが、コンピューターによる再診の受け付け開始は7時30分からだ。私の主治医の予約は、一番早い8時30分にしていただいているので、採血の結果が出るまでに約1時間を必要とするので、できるだけ早い時間に採血をと、朝は7時には家を出た。

 岡大での診察は毎回血液検査があるので、一週間位前から緊張する。母が糖尿病を患っていて、診察日の前になると甘いものなどを「診察があるから」と我慢していたのを思い出したりもする。

 そして、私はと言えば、今回は「山場、土壇場、そして修羅場」へ突入しているので、ウォーキングやストレッチをサボったままで、診察日を迎えざるを得ず、いささか心配しながら今日の日を迎えた。

 さて、今日病院へ到着したのは7時半前。まずは採血場所へ行き、順番を確保した。7番目だった。それから再診受付へ行き、受け付け器に診察券を通すと、ナント「保険証が変わっているので、保険証確認窓口へ」という非情な文字がアップされてきた。

 案内の方に相談するも、当然だがどうにもならない。「保険証確認窓口」がオープンするのは、8時30分の直前だ。受け付けを終えてペーパーが打ち出されなければ、次のステップへ進めない。採血していただけない。やむなく、せっかくゲットしていた7番の順番は放棄した。

 その代わりではないが、「保険証確認」のための5番の番号札を案内の方からいただいた。受け付け開始まで時間はあるので、「野坂昭如と私 介護の二千日」と副題のついた『リハビリダンディ』を片手に、スターバックスへ行った。いつもなら、コーヒーと合わせてシナモンロールをオーダーするのだが、採血前なので我慢した。採血と食事は何の関係もないが、食事をした直後だと数値が悪くなる気がして、毎回食事は採決後としている。

 待つことしばし、やっと保険証の確認を終えて、採血所へ急ぐと71番の番号となっていた。その時間の採血は37番目の人が呼ばれていて、待ち時間は22分と表示されていた。呼ばれたのは8時50分、待ち時間はほぼ正確だった。

 そして、その後やっとシナモンロールにありついた。スタバは、その日の内であれば、コーヒーの二杯目は100円になるのが嬉しい。のんびりと時間を過ごして、診察室へ行った。

 診察室に到着して驚いた。ナント、主治医の先生のお部屋の前には、電子表示がされており、次の診察の方として3つの番号が表示されていた。以前は、名前が呼ばれて診察室に入っていたが、「電光掲示板」は個人情報保護の関係もあっての設置であろうか。

 ともあれ、10時には名前が呼ばれて、診察をしていただいた。心配していたカリウムやγーGTPの数値が下がっていて、一安心だった。喜んだのもつかの間、いつもいらっしゃる憧れの女医さんがいなかった。異動があったようだ。少しだけ、寂しかった。

 こうして岡大での診察を終えた後は、今度は我がホームドクターの「わかくさ診療所」での診察だ。岡大では原発性アルドステロン症などを見ていただき、高血圧その他の管理は「わかくさ」にお願いしている。それにしても、病院のハシゴとは…。

 ところで、その「わかくさ診療所」で3月25日に出産し孵化させたウーパールーパーは、とても大きくなっている。約一ヶ月後の4月30日に出産した我が家のウーパーとは比較にならない。ていねいにエサやりをされているのが分かる。行くたびに大きくなっている。

 子ども達は日々成長し、様々な力を新たに獲得していくが、私たち高齢者は日々できることが減っていっている。少しだけ切なくはあるが、それは自然なことだ

 

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禁酒会館中庭

2011年05月23日 | 音楽・コンサート

 

禁酒会館中庭で開催された「フォークジャンボリー」で、素敵な歌声を楽しんだ

 我が暮らしが山場、土壇場、そして修羅場ともなって三週目に突入した昨日は、深夜から雨の予報だった。が、いつものように午前5時頃に目が醒めると、まだ雨は降っておらず、少しだけ黒い雲はあるものの雨は降る雰囲気はなかった。我が心は動揺した。

 その前日に、「翌日は深夜から雨」の天気予報を信じて、畑に肥料をまいたので、雨が降っていなかったので、「え、どうしたの」という感じだ。

 その一方では、ずいぶんと以前から友人と沢田の柿のオーナー木の摘蕾作業をすることとして、柿山での集合時間は7時30分としていた。雨が降らない場合には、7時には家を出なければならない。決断が迫られた。

 加えて昨日は、私が尊敬する友人が主宰する「おかやまフォークジャンボリー2011 希望」が、禁酒会館中庭で開催されることとなっており、雨の場合には屋内での開催となるが、それにはさすがに狭すぎるのではといらぬ心配もした。

 結論的には、雨が降るだろうと7時前に友人に電話して摘蕾作業の中止を伝えた。すると、8時過ぎには激しい雨が降り出した。しかしその雨も10時頃にはやんだ。

 そして私は、11時開演の「フォークジャンボリー」に最初から参加した。笠木透と雑歌塾や尾崎ユニット、さらにはこれまた親しくさせていただいている黒瀬尚彦&スプリングカムカムなどの素敵な歌声を楽しませてもらった。

 その「フォークジャンボリー」は「3・11 東日本大震災&東電原発事故」を受けて、「希望」と名付けて開催されている。主催者の尾崎さんはこのことについて、「おかやまのミュージシャンはみんな社会性があり、今日の事態に敏感に反応して、様々に活動を展開されている」と語られたのが心に残っている。

 また、笠木透さんは「3・11以降、これまでの生き方を根本から変えることが迫られている」と語られ、続けて「日常の当たり前の生活が如何に素晴らしいかを確認し合いたい」とも語られた。「大量生産、大量消費、そして大量廃棄」の社会システムの根本的な転換、そした私たちの暮らし方の大転換が必要となっていると改めて思ったりもした。

 途中で中座して、14時30分開演の「岡山交響楽団第51回定期演奏会」で、滅多に聴くことのできないヒンデミット/交響曲「画家マティス」を楽しみにしていたが、我が心と体が少しだけバッテリー切れの感じとなり、残念ながら諦めた。指揮者の杉本さん、そして我が友人の出演者のみなさん、ゴメンなさ。申し訳ないです。

 ともあれ、今日からも日曜日まで一日2~3ラウンドの予定が入っており、いささかバテ気味、ダウン寸前となっている。あまり無理せずいきたいのだが、課題山積の日々だ。無事に今週を乗り切れますようにと、今は願うばかりだ。

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通常総会

2011年05月22日 | 身辺雑記

 

「岡山子どもセンター通常総会」が開かれ、新たな飛躍を誓って心を一つにした

 昨・6月21日は、「NPO法人岡山子どもセンター 第11年度(2011年度)通常総会」が、県立図書館で開催され、私も監事の役をいただいているので、参加させていただいた。

 昨日の総会では、会場に昨年度の鑑賞事業の作品のチラシも張り出される中で、2010年度の活動がパワーポイントを使って、とてもていねいに報告された。その他決算・予算、そして今年度の活動方針や例会について、女性が中心の「子どもセンター」であり、ホント、実に詳しく提案がされる。

 それに対して、各地域子ども劇場から選出された「正会員」(採決権を持つ)から、たくさんの意見や質問が出され、みんなで考え提案が更に深められていく。心地よいほどだ。

 これで三年目となる総会参加だが、決して楽ではない財政運営を心配して、今年初めて会員拡大などの組織問題に言及した発言があった。そうした意識が、今年度の会員拡大につながると確信する。


 そして、役員である理事さんやフロアーから、10年の歴史を経て今「NおかやまPOアワード2011」で大賞を受賞した活動の拡がりに確信を持って、新たな飛躍を開始しようとの発言が相次ぎ、参加者一堂が心を一つに誓い合った。

 そして今年度は、「センター」活動のベースとなる各地域の子ども劇場の活動をより活発にし、プレーパークやキッズフェスティバル、そして公民館と共催しながら展開している「夏休みフリー塾」などの子ども達の豊かな育ちを支えるための事業をより積極的に展開していく方針が確立された。

 そして、それらのつながりを入会へとお誘いしていき、鑑賞事業をより多くの会員で楽しもうと、意識一致がなされた。

 私が監事のお役をいただいているから言うのではないが、現在の子ども達の育ち等を考える時、「岡山市子どもセンター」の存在意義の大きさを痛感する。是非とも子どもセンターに入会し、素晴らしい舞台を観劇するとともに、素敵な諸活動にもご参加をと、心からお訴えする。

 それにしても、総会会場にはお花も飾られ、心地よい雰囲気が醸し出されていた。こうした設営も大切と、教えられたりもした。学ばせていただいた一日だった。

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福岡事件

2011年05月22日 | 身辺雑記

 

「キャンペーン『私はわらじがぬがけない』」に参加して、福岡事件を学んだ

 「冤罪」と聞くだけで、私の琴線が鳴る。「『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則は再審にも適用される」との画期的な最高裁解釈を出した「白鳥事件(被告は村上国治氏)」を始め、多くの冤罪事件の本が我が書斎に並んでいる。松川、免田、八海、財田川、梅田、下山等々だ。

 しかし、恥ずかしいことに昨日参加させてもらった「福岡事件」については、正直あまり知らなかった。小説や映画になった「復讐するは我にあり」で、扱われた5人を殺害した西口彰事件に関連して、記憶にある程度だった。

 「福岡事件」については、パンフレットから引用させてただく。「1947年(昭和22年)5月20日に、大戦直後の混乱期に起こった。中国人と日本人の2人の商人が殺害された。警察はこれを計画的な強盗殺人事件として捜査を開始。現金8万円を持ち去った西武雄さんを主犯、2人を撃った石井健治郎さんを実行犯として逮捕(さらに5名も逮捕)。2人は翌年に戦後初の「死刑判決」を受け、西さんは1975年突然死刑執行がされ、一方同じ日に石井さんは恩赦で釈放されている」というものだ。

 死刑の執行が迫る中で、教誨師として彼らと出会った古川泰龍さんが、今から50年前の1961年の春、再審請求を開始。網代笠、手甲、脚半にわらじ履きで、全国各地を托鉢して無実を訴えて回った。泰龍さん死去後は、息子の古川龍樹さん(生命山シュバイツアー寺代表)が引き継いで、多くの支援者・学生さんたちの支援も得て「福岡事件の真相と冤罪のない社会を目指して」頑張っておられる。

 昨日は、「福岡事件再審請求50年 キャンペーン『私はわらじがぬがけない』 ~えん罪のない社会を目指して~」の全国キャラバンとして、岡山カトリック教会(岡山市天神町)で「会」が開催された。会場には、「福岡事件」に関する様々なパネルを含めて展示がされてあった。そして、「福岡事件」に関するDVD上映&古川龍樹さんの講演があった。

 こうした展示やDVDを見、古川さんのお話しを聞いて、それまで詳しく知らなかったことを恥じるとともに、ここにも冤罪があったと怒りが湧いた。そして、生涯をかけて我がこととして活動を続けた古川泰龍さんとそのご家族(龍樹さんを始め、全員が支援されている)に感銘を受けた。

 書きたいことは山ほどあるが、古川泰龍さんが詠われた「私はわらじがぬがれない わらじをはいて十年 無実の死刑囚を救うため」の一節を紹介させていただく。ここに、全てが書かれている。

 わたしは ひとり ひとり 街を 村を 訴え 叫び 歩きつづけた
 一億もの人間がいるのだ 無実の死刑囚を孤立させてはならない
 二十年か三十年先 いつかみんなが知って救い出してくれる
 私はそれを信じて 今日も明日も 歩く あるく 生涯 歩く
 たったひとりのいのちすら守れない世の中を 私は信じることができない
 無実で死刑にならない世の中を 私は信じたい 証明したい
 でなければ、私は救われない 生きられない 私はわらじがぬがれない

 このキャンペーンは、今日も岡山大学文法経19番講義室で、13時30分から開催される。昨日の内容に加えて、小畑隆資岡大名誉教授の講演もある。是非とも参加して、自分の問題として考えてくれたら嬉しい。

 

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城下公会堂

2011年05月22日 | 食べ物

 

一度味わいたいと考えていた「城下公会堂のカレー」を食べた、美味しかった

 「公会堂」と言えば、地域の寄り合い所。私の住む地域にも「公会堂」があったが、今は公民館の分館となっている。また、薬師寺主計が設計し昭和初期に建設された「岡山市公会堂」という建物があった。演劇公演なども開催されていた。それ故、「公会堂」という言葉には、懐かしい響きがある。は設計者・薬師寺主計(倉敷の大原美術館の設計者として有名)により昭和3年に造られている。

 その公会堂の名を取り入れた「城下公会堂」がオープンしていて、カレーが売り物となっていた。お店には以前ジャズの演奏会で入ったことはあるが、一度そのカレーを食べたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。

 しかし、昨日はやっと食べることができた。昨日のオススメは、「ベーコンとキノコのカレー」であり、それを楽しませてもらった。

 汗をかきながらカレーを食べ、食後のコーヒーを飲みながら、城下を走る電車などの風景を見ながら、少しだけノスタルジックな気分になった。

 

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お通夜

2011年05月21日 | 松たか子

 

昨日の「児玉清さん通夜に約900人の弔問客」の中に、松たか子の姿を見た

 今日は終日蒸し暑い一日だった。朝一番は「NPO法人岡山市子どもセンター」通常総会へ出席。ランチは城下公会堂のカレー。そして午後は「福岡事件最新運動50年 キャンペーン『私はわらじがぬがれない』」に参加。帰宅して、明日の雨に備えてお野菜へ追肥をやる。終日、忙しく動き回った。こうした報告は、明日以降に。

 ところで、今月16日に胃がんのため亡くなった俳優・児玉清さんの通夜が昨・20日、東京・文京区の護国寺桂昌殿でしめやかに営まれ、約900人が弔問に訪れている。

 そのお通夜については、昨晩のテレビニュースや今朝の新聞で一斉に報道されている。その昨晩のニュースや今朝の新聞にも、松たか子の弔問の姿が報じられている。名優・児玉清さんの通夜という悲しい場であるのが少しだけ辛いが、それでも松たか子の映像や写真を見ることができたのは嬉しい。

 松たか子ファンクラブ「clubM」の今月の「from matsu 松たか子からのメッセージ」には、「私の日々を頑張っていく。そうです‥‥曲作りです。」とある。つまり表舞台への登場は、当分の間はないということになる。次回の舞台や映画への出演は、まだ発表されない。少しだけ切ない。

 切ないと言えば、松たか子が恐らくワンシーンであろうが出演している映画「大鹿村騒動記」(7月16日公開予定)について、東宝シネマズ岡南やシネマ・クレールの「公開予定」にも、まだ掲載がない。岡山での上映を楽しみにしているのだが。

 ま、撮り貯めたり購入している松たか子のDVDなどを見ながら、その寂しさを紛らわせていこうと思う日々だ。

 

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