降って来るもの

写真と散文とぽえむ

誤認起床

2017-09-22 06:17:46 | 随想

                     誤認起床

 

 05:00起床。真っ暗い寝室で、何時ものように両目の光彩が暗さに慣れてゆく暫くの間を待って、枕元に手を伸ばし眼鏡(緊急時の備蓄品みたいにその在処は何時でも所定の場所に)を取り、さてさて何時の暗闇なんだ?と、古惚けて蛍光色の“ミドリ”さえ最早色褪せて定かではない目覚まし時計(その主たる役目はとっくの昔に終えている代物だが・・)に視線を送ると5時を少し回っているように見える。

 夕べ23時に敷布団に横になった。それから6時間経過なら睡眠時間としては何とか足りているのだと納得(それにしては暗さの濃度が高いが・・)して起き上がる。明日は“秋分の日”、昼夜が半々になる頃の暗さの密度はこんなものなのだと何となく言い聞かせながら、その自分の意見に合点しながら14階段を下り取り敢えず確認も兼ねて居間のライトを点ける。

 ガーン、半信半疑が氷解する。何と何とまだ午前2時半の闇だった。道理で・・の暗闇の深さだったのだ。流石にこの時間は駄目だ。あと数時間は眠らなきゃ・・矯正視力1.0の視界で確認したのは、5時ごろではなくて2時25分の事だったのだ。短針と長針の位置を勘違いしてしまった”誤認起床”と云うことになる。

 ほんとうの5時になった。カーテンに囲まれた居間の西側も南側からも、その厚手の布を擦り抜けて仄かな明るさが届く。彼岸入りから3日目、ウンウンと頷ける外の様子だ。

 午前3時に再眠を選択して(押し入れから出した敷布団と、厚めのタオルケットを被って)凡そ100分。ぐっすりと眠りをplusできた。これで何時もの手順に復帰できそうだ。

 明日は”彼岸の中日”。今朝の散歩はカメラを二台持って、その日に咲くあの不思議な花を撮りに出ようと企んでいる。天気予報は「晴れのち雨」だから午前の撮影には支障なかろうと、風景全体に明るさが行き渡るのを待って待機中のマンボだ。

昨日の夕方、夕暮れの雲に惹かれて久し振りにカメラ持参の散歩に出た。

09/21 17:23

筋雲が流れて

すっかり秋の空になった。

茜雲とピンクの飛行機雲

09/22 05:05 夜明け前の

明星がクッキリと輝く

09/22 06:17 まんぼ

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心訓抄・ⅩLⅤ

2017-09-21 21:57:35 | 心訓抄

                   XLⅤ「兄妹」

 

詩や随筆のように

文字の形容や修辞はないけれど

 tokiとして

一枚の写真が一篇の詩より

より多くを語ることだってある

 

風物の一瞬を切り取るpictureと

心象の幽かな揺らめきを捉えるpoemと

 兄妹のように瓜二つ

 

僕の組み合わせは

 混沌の滴を集める兄と

 抒情を拾う妹なのだが・・

*09/21 21:57

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心訓抄・XLⅣ

2017-09-21 16:22:21 | 心訓抄

              ⅩLⅣ「自負」

 

僕は洗い師だから

つねに繊細さが求められた

意識の全てを一点に集中する

 技術や方法や持続力が

professionalとamateurを隔てる

 

僕は望んで、それを生業にし

 何の違和感なく、退屈もせず

実に三十五年という恐ろしく長い年月の

生計の柱にしてきたのだ

 

それ故、胸張って

 平均的な人間よりは少しだけ

細やかさや気配りや一途さなどの

そういうヒトとして、必要不可欠な要素に

長けていると

 自負している

*09/21 16:22:22

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曖昧模糊に

2017-09-21 12:53:52 | 

                     曖昧模糊に

 

長々と書き綴ってゆく根気が

気薄になってきたのかも知れぬ

長さに対する耐性が

短くなってきたのかも知れぬ

 もしかしたら、そんな事情より

長く書き継いでゆくだけの

エッセンスが不足する日常を生きるようになったのか

 そうでなくして

書く事に貪婪な僕が

如何して書く事に困窮などするのかの

 説明が上手くできないのだ

 

きっと一つ一つは

使い込まれて艶光する部品で

僕は唯、それを駆使するだけで事足りていたのに

全体を機能させる情感が

心身を司る情(kokoro)が

 きっと曖昧模糊になりつつあるのだ・・

*09/21 12:53:53

 

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心訓抄・ⅩLⅢ

2017-09-21 12:36:35 | 心訓抄

                  XLⅢ「戦闘」

 

何にしても

其処にどんな理由が介在したとしても

止まらない此の現世を

首尾よく生き延びるには

 ただ、戦いがあるのみなのだと

何時でも心身は挙って

そういう戦闘状態に直面していると

屹然と

 覚悟を決めねばならぬ

 

そうでなければ

たった千八百秒の労働さえ

 手の負えない使役になる

*09/21 12:36:36

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心訓抄・XLⅡ

2017-09-21 03:57:23 | 心訓抄

                   XLⅡ「遭遇」

 

想像力と柔軟性を致命的に欠如した

monoやヒトやkisetuに

出合ってしまったりすると

それは

永遠に疲労度を上下する感覚の

虚しさで

開いた口が塞がらなくて

とうとう裂けてしまうまで

つまりは

培ってきた総ての忍耐力が

見事に擦り切れてしまうまで続いて

ボクは流石にヘトヘトになり

暫くは

立ち直れない気さえ起るのだ

そうして無意味な対立は

そんな風に悲観的な遭遇は

日常的にやって来る

 幸不幸が表裏一体のように

 運不運が螺旋で続くように

 

生きるとは、だから

日々の退廃と歓喜の鬩ぎあいに身を焦がして

気付かないうちに

疲弊してゆくことかも知れぬのだ

*09/2103:57

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不確かな確かを

2017-09-20 14:14:17 | 

                   不確かな確かを

 

夜の間に

僕はたくさんの詩を書いた

推敲し、吟味し、選択し

テーブルと椅子の間で

原稿用紙の枡目を

確かに

飽かず埋めていった

物音一つ無い

純粋な空間で

そこには確かに

詩人になった僕が居たが・・

言葉やフレーズや並びを

bokuの脳裏に刷り込んで

万が一、yume?の事態に備えたが

ほんとうに目覚めたとき

その現実は

総て不確かになった

 砂上の書斎のように

事実は跡形もなく消え去り

無の亡羊だけが拡がった

僕等は何時でも

不確かな確かを生きる

 yumeとututuの

脆弱と鋼のような・・

 それ故、僕に

言葉という武器がある

地に伏す迄、それで、三世を亘ってゆくのだ!!

*09/20 14:14:14

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心訓抄

2017-09-20 05:52:50 | 心訓抄

                  心訓抄・ⅩL「抵抗」

 

グラビティに抗って

起き上がろうとする

 ジャンヌダルクのように

生まれついた僕等は

それが宿命のように、抵抗詩人なのだ

 否応なく、誰も

それ故

直立する二本の足を天与された

 

決して

その神髄を忘れてはならぬ

何時でも

決起する精神を

意識の中に持たねばならぬ

 懐刀のように、手ぐすね引いて

                   心訓抄・ⅩLⅠ「祝福」

 

産んでもらった月日の誕生日は

百人に百あるけれど

 生まれ変わりたいと

 新しい自分を生きたいと

 違うイノチを刻みたいと

 昨日を消し去りたいと

其々の胸に芽生える誕生日は

幾千を越えるかもしれない

 そうして

その操作方法を手に入れた人種は

きっと

自らと他人から与えられる祝福も

 一つや二つは多くなるに違いない

*09/20 05:52:50 万甫

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心訓抄

2017-09-19 22:46:54 | 心訓抄

            心訓抄・ⅩⅩⅩⅨ「背反」

 

手品師が、秘かに隠し持つ

絡繰り箱のように

好悪善悪尊卑聖淫・・

 兎に角

想像はつかないけれど

背反のパンドラを開けようとしている

 強かな覚悟もなしに

僕は暗黒へ飛び込もうとしている

光と熱に挑みかかろうとする

 イノチ知らずのヨ・ダ・カのように

物理的に

もはや、起きてはいられないのだ

背反の風景は恐ろしいのだが

 救われる望みも八百万在る

*09/19 22:46

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心訓抄

2017-09-19 06:35:35 | 心訓抄

              心訓抄・ⅩⅩⅩⅧ「理由」

 

udaudaと気が乗らない時は

 

どんなご馳走にも

食指が動かない

満腹のように

 

自分では自慢の

原稿を抱えていても

その気にならないのだ

 

理由もなく、そんな風に

山が一つ壊れた歯車のように

思いのままに回ってゆかない

朝の始まりもある

09/19 06:35

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