おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

人類最大の疑問

2010-01-25 | ■ 生涯学習

気のせいか お日さまの輝度も ダンダンと強くなっているのが判る?ような・・・気がしますが
実際のところは どのような光量変化曲線なのか
景色の眺め具合から色彩の変化を覚え
今の季節になると例年私には気になる疑問点なのですが
人類最大の疑問は
まず
この世の スタートは?ということでは

おそらく もの心ついたころ頃からの 永遠の不思議です
私には


想像もできないような演算スピードのコンピューターが存在
するともいうのに おそらく 永遠に解けない魑魅魍魎の棲む世界にも答えは見出せないようなものなのでしょう
(ある意味 答えが無いからこそ 生きながらえることができているのかもしれませんが)

ときに幼子に問い詰められ
仕方なく “カミサマのようなものが 宇宙を造ってくれたのかな”
すると
『その造ってくれたカミサマは どこから来てくれて 誰が
こしらえてくれたの?』
こうなると
“そうだね 一生懸命勉強して ○○チャン 答えをみつけて教えて”
そんな風に 逃げ出すしかないことになり・・・

ときには 中学生にも 高校生にも はずみで問われたり
まったく 不思議な魅力的な?謎


そんなことばかり考えていると△△さんみたいに
なってしまうよ 答えなんぞないことを何時までも考えて
いると あんなふうになるんだからね
なんぞと言われたような幼い幽かな記憶がありますが
考え続けた△△さんを尊敬せざるを得ないような 妙な気分になった思い出があったような・・・


純粋すぎて 狡さがなさすぎる人は 答えの出ないことを
どうにもこうにも納得することできず 思索続けて 狂気を避けられなかったのか・・・謎 謎 謎


この年齢になっても 不意に
“存在しないということ しかし それを意識させる場というものが そこにはあるということで・・ つまり 無というものを意識するのにも場の存在が必要で ということは・・・
思考するに必要な場の存在が どうしても必要になるような・・・ということは 無という観念は存在し得ない??”

こういったことを 未だに捨てきれない・・・


精神的にも 全ての面でも 永遠に大人になりきれない
困った自分が存在している ということだけは
理解できているのですが・・・

まったく 困ったチャンです 

特に 中学生の頃 よく思ったものです
“世の大人は ちっとも不思議だとは思わないのだろうか
酒を喰らって ノホホントと 
まともにこの疑問に答えてくれる書物はあるようで無いし
直截訊きたくとも 答えてくれそうな人は周りに居ないし
皆は 友達は 
なにより自分より多く人生を過ごし
知識教養充分なはずの大人は 不思議に思わないのか
なー 
気になって 気になって 生きながらえてなんぞ
いられないと思うんだけど・・・高等動物たる人間に
答えの出ないことなんぞあるはずないし 想像もできない
博学知識の大人だって いるはずなのに 未だ解決できず
の状態を よくも 納得できるものだ”


こういう類のことを 今日も数分 断続的に考えるほど
暇なような そうでないような
大寒過ぎの そうして 立春まぢかの 困ったチャンの一日でした

それにしても なんと幼い疑問をはぎとることが未だに
できない自分なんでしょう
これがある意味 最大の疑問




級友を想いながら

2010-01-17 | ■ 生涯学習


友 といってもあまり付き合いは無いほうでしたが
50代で自ら命を絶った級友がいました

政治的活動を通した生き方を貫き 私などとは
価値観の築き方自体が 大いに次元の違いすぎる関係でしたが 折りにふれ偲ばれます

されど我らが日々

学生運動全盛期とも言えそうな背景の時を過ごした世代
おおいに その辺の生き様を各々引きずって生きている
とも見えそうな友も なかにはいます


20代に観た映画に どうにも忘れられない
強烈なシーンの連続の映画がありました
ナチス時代のレジスタンス運動に関わるストーリー

先日 ハードボイルドの巨匠 ギャビンライアルの
影の護衛を読んでいるうち どこかで
“なんとなく 記憶のある題名だな?
もしかしたら あの映画
ナチス収容所での場面・・・機関銃を背に対面の壁まで
突っ走る場面の主人公のプライドとの葛藤シーン
たしか リノ・ヴァンチュラ  シモーヌ・シニョレ などの・・
そうだ 影の ナントカ そう      影の軍隊

約40年ぶり?に猛烈に観たくなり 某レンタルを探しまくったら ありました
記憶に違わず 名作 だと私には思え 観終えたときは
暫し 膠着状態 (このような状況は久し振り)



日比谷公園での 友の焼身自殺
レジスタンス映画
“ハイル ヒットラー” という 忌まわしい 超世俗的
超虚無な権威形容
意味も無い 総立ち喝采
今もあちらこちらで続く 言論統制的な蠢き

そんなことが頭を駆け巡っていたとき 実り少なき
会合だったりすると
どちらかというと公的性質の強い ある程度の成果をもとめられてもよいはずのものなのに あの時間の意味は・・・
と落ち込み・・・
仮に 2時間の会合に 参加者が100人とすると
実に延べ200時間を講演者は捕獲していることになるのです

事の終了後 無性に 虚無感が走ったりする
ことが ときにはあります

まあ いわば 自己都合の不快感のようなものかも・・
あい変わらず 青臭さがこびりついている人間です
私という人間は



私にしても 進歩少なき人種の一人ですが
それにしても 世俗的権威主義のなんと多い世なんでしょう
あいも変わらず
戦後何十年経っても・・・


なにが嫌って 自分の心の色を 勝手に他に塗られること
尊敬もしてないことを尊敬しているように振舞わされること
思ってもいないことを 思っているように強制されること
思うことぐらいは 完全自由でいたい
拍手などしたくないのに 拍手などさせられるのは
マッピラごめん


スタンディングオーベーションは
自然発生的なものであればこそ 価値があるのです

本来は めったにお目にかかれないもの だと思うのです
多分

もうすこし重い行動を と思うときに あまりにも軽い行動を
見せられると 意気消沈してしまうこと多し です
そんな場面が続くもので・・・つい 愚痴もでてしまいました



サリゲナクも しかし まぎれもなき本物

ある 名も無きの方が言っておられた 
至極の言葉です わたしにとっては


結局何が言いたいの と 友に又追及されそうなので
言います

本物は 概して ひっそりとさりげなく
大仰では けっしてないなー

と 言いたかったのでした
今の世 ケッコウ周りで大仰が目立ちすぎますので

勝手にボヤキさせていただきました
ゴメンナサイ
(謝るのなら 書くな という声も聞こえますが
書いてしまいました)

                   
                    



内心

2009-10-18 | ■ 生涯学習

人は 思うことは 完全な自由
内心にあるうちは どのような規格はずれなことを抱えようと
一切自由 
無政府主義を信奉しようと
婚姻制度を否定しようと
狂気から逃避するため自己を神格化しようと
だれしもが崇拝する思想家を再吟味しようと
一切自由

そうなのです 誰も 内心は覗けないし
内心の様子に 干渉することは不当なのです
内心が内心にとどまるうちは 完全自由
内心を どのような配色でまとめようとも 各々の選択次第
その色にくるまれながら なんとか生きながらえているのが
人類だ とも言えそう 

過去の 狂気の密室のようないくつかの歴史の舞台でも
幾多の命は
こうした内心だけにあった完全自由にすがりながら
生きながらえ得た とも言えるのでしょう
漆黒の闇の中世の一時期も
ナチスの時代も
ポルポトの時代も
今もどこかにある 強制収容所といわれる幾重の狂気に
ガンジガラメの密室内でさえ
人は 自らの内心の色で自己の心を暖めながら生き延びて
いた あるいは いるのかも・・・・



同年代で生を繋いできた方の最終ページが 自決という形
で示されたりすると 
内心を覗けないということの不都合さが どうにもやれきれ
なく思えるときがあります
一片でもいいから 内心を超えられなかったのか と
周りの だれかにでも 内心の色の変わり具合を 
ほのめかすことのできる出会いは皆無だったのかと



自殺者の増加は 驚くばかり
異常なことなのに そうしたことにも慣れてしまうという 
人間の異常なまでの順応性?にも 
それこそ 異常を感じます




紙一重の生
とにかく生きて などと 本当は軽々しくは言えない
だろう

やはり こう言える 
いや 言わねばならない

どう考えても 生 は神聖なものなのではないのか


理由付けは 実は私には説明できそうもない
でも コレだけは言える

人間 生きている というそれだけのことでも 尊敬させていただくに
値することではないのか


私の持論です
自己の人生上の経験から 自然に思い至った言葉です





特にこの数年 どうにも理解できない自決を聞かされつづけ
このような記事になりました
もっとも 理解ができる自決というのは稀有のことでしょうが

それにしても ほんものの明るさは
この世のどこに 閉じ込められているのでしょう

子供たちの瞳の笑み
これこそ 絶対に守るべきもの


“自殺って どういうことなの・・・”
こんな疑問 子たちには モチロン不必要
絶対に その意味なんぞ 詮索して欲しくない

私に 三人の オセロとチェスと将棋の相手がいます

中学生一人 小学生二人

世界中の子達にも 自殺という言葉の意味なんぞ
辞書でひいてほしくありません

問われたくもありません


どうしても知りたいなら
ずっと ずっと ずっと ずっと あとで
ボンヤリとぐらいわかってくれれば いい
いっそ わかってほしくない



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ストーブの傍で

2009-04-26 | ■ 生涯学習

遠い昔 

今此処で 熱いコーヒーを頂けて

3時間ほどの時間を好きなように使っていいよと言われ

学習に疲れた脳を

木枠の窓からの大平原の雪景色を眺めることで

冷ませるような生活を5日間持てたのなら

そのまま世を去ってもいい

なんぞと かじかんだ手に 郵便物を握りながら空想し

鉛色の宙を仰ぎ バイクのハンドルをなんとか握りしめる

そんな現実? か 夢か判別できぬような・・・

若き日のシーンがあったような・・・

ライバルたちは 超一流大学の法学部を終え
 
東京の

受験専門塾でも何年もかかっている

自分は 受験資格さえまだない状況で
 
雪の裏街の

トタン張りの飲み屋街に今日もダイレクトメールを配る


焦燥感と 若い絶望感の冬の日々


約5年間ほど 郵便配達を北国でしていました

貯金課から 無理を言って? 配置転換してもらったのです

何故逆の異動なの? 多くの友の疑問に答える面倒さに

悩んだものでした

外勤を何年か務めた後 試験を受け貯金や保険の内勤へ

というコースが常套だったので
 
変人扱い?もされ・・・

外勤のほうが 勉強時間を少しでも多くとれる

そう考えたのでした
 
それだけの理由 他意は無いのに
 
上司らへの説明に多くの時間をとられましたっけ

確かに尋常ではない要望

その説明に苦労もしました

なにが不足で 自ら困難な?方向へ進まねばならないのだ

外勤から内勤への希望者の数の多いこと

理解しているだろう
 
あなたみたいに その逆コースを望む者などに

会ったことはない

二度と戻れないし

完全に出世は無しかもな

という雰囲気


たしかに もっともな話ではあったかも・・・

若き日の思い出


赤い自転車と

郵便配達さんのバイクの音を聞くと

ときどき 頭をよぎる遠い風景です

少年の
 
うらやましいほどの若さの配達さんもいて
 
つい あの頃の自分(27歳頃の転身でしたが)を重ね

雨の日 強風の日 タイヘンだなーと・・・

雪の日 北国のテカテカの凍結路へ夕方出陣の

速達配達

70CCのバイクで よくもまあ 事故も無くすごせたものだと

二度ばかり この世からオサラバか という場面も

たしかにありました

スリップで 完全に車体が進行方向に対し90度回転し

対向車線に

あの瞬間 向かいからの車が数秒早かったら
  
子供たち 妻にも

そして 多くの支えてくれていた人たちとも二度と

会えなかった

人生 ある意味 首の皮半枚の紙一重

だからこそ ありがたい 愛おしい



今 外は 季節はずれかのような冷たい雨模様

事務所の小窓から
 
この地の雨空を眺めながら

素敵な暖色の炎のストーブの傍で
 
湯気たつコーヒーを片手に 本を眺めながら

泣きたいほどのシアワセを感じながら
 
このブログを書いています


(また 同じような記事になってしまいました
冷たい雨の日になると いつも決まって 同じ情景が
頭に浮かんでしまうのです

北国の氷雨のなか 両側に泥で汚れた雪が積まれた
街裏路をたどる赤いバイクと 
黒く濡れ光る か細い車輪と びしょぬれの軍手で握る
冷たいハンドル・・・頭の中には いつも 前の晩読んだ
気になる法律用語が出たり隠れたりしてのさばっていて・・・・

脳の芯がいつだってボンヤリと疲れを訴えていた)


あの時も人生
 
今も人生

それに 明日になれば会える 明日の人生 

 
ほんとうなら まぎれもない宝たる若さ

それを感じる余韻を与えることさえ許さぬような
 
辛さ多き今の世

でも 景気の良否だけが時代を評価する規範ではないはず

どうか どうか 簡単にあきらめることだけはせぬよう

祈るばかりです

今 ドンナ場面であろうと

明日の場面は だれにも 未だ わかりません

明日はドンナ舞台が待っているのか

ドンナ役がもらえるのか

それをたしかめる

ある意味
ちょっとした
 
いや 

大きな 楽しみ

   
 


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相談

2009-04-09 | ■ 生涯学習

団塊の世代の人間です
というわけで 旧友達との最近の話題は
今後の身の振り方

嘱託等で数年を過ごした者も いよいよリタイアに直面
のケースが多く
それなりの 各々の 不安?があるそうな・・・

やりたいことがあるような ないような
旅行も 1.2年は楽しく続けられそうだが それだけでは
どうにも時間が余りすぎるとか
いくら読書が趣味とはいえ 年がら年中 家にこもっている
いるわけにもいかないだろうし とか

リタイアの時期にも差があり その筋の先輩格に問うても
その先輩も悩んでいたりで

リタイア後の約20年間? たしかに 大問題 かな


幸いといえるのかどうか 私などは まだまだ まだまだ
24時間自分だけのフリータイムという身分にはほど遠く

『徳(トク) はいいよなー
まだまだ現役 一生現役というわけだ
自営自由業 うらやましいかぎり 
会社に気を遣う40年間を終えたら 今度は 奥さんやら
家族に気を遣うような そんな具合のフリータイム?
こんなもんなのかな』
とは ある友の言葉

“いいじゃないの 自分で舵取りできるフリータイム満載船
うらやましく思っているのは こっちのほう”
と 私の反論

というわけで 2009年の弥生のある午後の 
おじさん同士の ありふれた
ワンシーンでした

零細自由業者もたいへん
フリータイム享有者も たいへん

でも 桜を眺められる シアワセ者

                    

         



予測可能の範囲

2009-04-02 | ■ 生涯学習

経済学の勉強を特別にしたことがなくとも
経済の仕組みの原理みたいなところは おおよそ
大体の人間は掴んでいる 
と 私などは考えている

マスクス経済学 ケインズ経済学 アダムスミス論の再登場
なーんていう 超専門のところを一気に割愛して言わせて
いただくと
要は 資本注入による 経済活動で産まれる?何らかの
付加価値で見つかった余剰を 蓄えたり 使ったり(双方 
広い意味で)
つまり そんなことが 原論部といえば原論 基底といえば
基底の経済論のスタート

で 資本注入もままならない
  経済活動も 起こらない 続かない
  付加価値も見つけ得ない
  余剰は産まれようもない
  蓄えられない
  使えない
経済評論家さんたちの観点の違いも
この悪循環のスタートを何処に据えて論述を展開している
のか というようなところに?あるだけの話

素人の私の感覚から言うと
最大の原因は 
先が見えないから 
         資本(広くエネルギー)を動かし難い 


恐ろしくて 動けないのです
価格競争の超過激さ
諸費削減の限界の無さ
業界・政界の指導力の無さ
価値基準の定まらない 混沌としすぎる世界観
予測可能の範囲を超えすぎた世

どうすればいいのか
自己主張を40%くらい 引っ込めて
まず 皆で(世界規模で言うと とにかく全世界の共同の
意見構築が可能なシステムをできるだけ早く作る
もしくは作るべく動き出す
既存のものではない 新システム
政治世界では とても無理なら 経済世界ででも まず
第一歩 とにかく実質的に機能するシステムを想起し)動く

またもや 保護主義の台頭の恐怖の影が
世を覆い尽くそうとまでしている
歴史が100年以上も 逆走しようとしているような・・・


先進国 リードする国 後進国 ニューリーダー国
なんぞと 色分けして 世界基準の合意など
夢のまた夢 なんぞと 最初からギブアップしている場合では
もはやありません
地球がなくなります 自然も 経済機構も 軍事バランスも

いまや 部分的合意の時代ではない
合意の枠外の国家が 反発・無視の政策に走るのは
世の道理


そう いまや 世界連邦国の出現(唐突は承知のうえ)
夢物語への第一歩の踏み出し
(笑われそうですが・・・自分でもアトムの読みすぎかなとも)
まったく 飛躍しすぎかなとも思える発想ですが
究極的には コレしかない 
ということだけは言えると思うのですが
皆さんは いかがお考えですか


歴史という概念が誕生してから
この星には ほんとうの進歩があったのでしょうか
人類同士の殺戮(表現が先鋭すぎるとは思いますが)の
連続
現代を眺めても この視点からの採点は ゼロ点
あいかわらず 戦い 戦い の連続
それも 真の大義(公共の福祉 つまり多数者の
実質的利益)に沿う歴史は 過去の何時の世に
あったのでしょうか

本日のブログは
まさしく 夢物語の夢になってしまいました
が 生きている間
見つづけるであろう 夢です

真の 紛争解決手段構築への歩み

それにしても 人間とは?

ん十年も生きてきたおじさんですが
いまだに こんな風に 悩んでいます
                
                   



法律学

2008-02-18 | ■ 生涯学習

私は 法学の授業というものを 受けたことがありません

受験塾だとか 予備校だとか 模擬試験会 とかにも無縁です

いわゆる 独学 です  完全な

でも ほんの一時 通信制の 答案添削をしてくれるところに参加したことがありました

30年以上も前のことなのに とても印象に残っている

思い出があります




[以下の文章が正しいかどうか 

    地方裁判所の裁判官の任期を 法律を改正して
    5年にすることも 今会期中にできそうだ という
    総理大臣の発言が 圧倒的に支持され
    すぐにも 現場に影響を与えそうだ

    今の与党勢力をもってしては その意向だけで
    直ぐにも 改正 施行の運びとなる
  ]

そんなような問題文でした
これが正しければ
誤りなら      ×


いまは 直ぐに 誤りのある(法律的にです)ことが理解できますが

そのとき(25歳で 法律の本を読み始めたばかりのときでした)は

“ 正式に国会の法律制定手続きですすめることが
              なにか問題でもあるのだろうか? ”


と 法律概念があやふやでしたから 何が論点なのか 不思議でたまりませんでした

自分の判断では が正解


しかし 手元に戻った答案用紙は  不正解の判定
×印を付けるべき問題で  同様の問題を ことごとく誤解しているのですから  成績はサンザン・・・・

何でだろう どこが法的に誤りなのだろう ナンデカナー
で数日・・・そのときは まわりにそれを聞ける友もなし
後で解説を見て 唖然

なんのことはない  いわゆる狭義の法律
                   広義の法律との
違いを はっきりと理解できていなかったことが最大の過ちだっただけ ? のことでした

A 狭義の法律⇔国会で成立する法規
B 広義の法律⇔規則・条例・法律・憲法など広く 
           人間界の決め事


簡単に言いましたが AとBの違いで 憲法学の問題では
この使い分けは 当然の約束みたいなものなのでした

学問の世界では 言葉は とても微妙なものなのだと
あらためて意識させられた瞬間でした 

憲法 第80条  下級裁判所の裁判官は・・・任期を10年 とし・・・

私のミスは 大きく 2点あります

①この問題文中の【法律】を 広義の意味で捉えていたこと
②この場合の任期は 憲法事項だということの 具体的感覚 がボンヤリ  していたこと

つまり この場合の任期は 憲法事項で 最終的には 国民の意思
解決されることで(国民投票)  国会だけでは最終決議にはならないのです 

法律
改正ではなく 憲法の改正でなければならないのです


つまらないことかもしれませんが その当時の私には そんなことも
ある意味 大きな喜びでした 
好きな学問ができるからこその 笑い話のような・・・

こんなことが 心に残ることなのかと いぶかる方もおられるかもしれませんが
 
私にとっては

懐かしい 大事な 思い出なのです

大げさに言えば 学問の厳しさを ほんのチョッピリ 思い知らされたというような・・・

この添削問題は その頃の職場であった 東室蘭郵便局の
前で 仕事帰り まっさきに開封したのでした

勉強がしたくて したくて・・・・時間が欲しくて 欲しくて

いかに 学校時代勉強しなかったかがわかるというものです
そのことの 反動もあったような気がします

学校は 法学とは縁もゆかりもない 工業系でした

いろいろと 事情というものがありまして・・・




    



人生の時間

2008-01-28 | ■ 生涯学習

80×365×24=700,800
この数式は 何を表していると思います? そう 人生のおおよその時間数です。

80年生きて、1年が365日、1日が24時間。


えっ そんなもの と言ってしまいそうな数字ですが あなたはどう感じます。

この700800を3600倍すると人生の秒数です。

 

ごめんなさい   忙しいはずなのに こんなことを考える暇がありました。


ふと思ったのです。
小学校のときも 中学校のときも 教室の窓をぼんやり眺めながら こんなことを

思った記憶があるな・・・と。

 


冬の一日 長いような とても短いような・・・・。