アメリカの大統領選
さすがに長丁場の後の
疲れ が 見え隠れしますね
マスコミにも 選挙人にも 関心をよせていた世界中の
大衆にも
それと 政治評論家さんという方たちの多くにも
“どうせ・・・それほどには・・・変わるわけが… ないんだろうなあ”
期待はしてますが どこか諦念に似たものが
こういう華やかなニュース後には 浮かんでは消え
また浮かびます
日本にしろ アメリカにしろ
結局 一定の仕組みの中の政治
なんとか資本主義だろうが
なんとか社会主義だろうが
なんとか・・・・主義だろうが
なんども なんども
だんだんと情熱がコジンマリとなり
説得のエネルギーも蓄えを少なくし
障碍に展望を狭くし
いつしか 政策がしぼんで
またしても新しい勢力を大衆は渇望するようになってゆき
というような廻り舞台を眺めさせられてきましたから
その新しい勢力の内容は最大決定要因ではなく
変わること それ自体に意義がある
という理論が巾を利かしていく
そのようにして くりかえしくりかえし
為政者のバトンタッチだけは
選挙の前後だけの熱気らしきものにからくも支えられながら
続いていく
ある国では その熱気さえも無く バトンタッチだけが
ほぼ型どおり催され
タッチの儀礼が過ぎるや否や
人々のタメイキが
晩秋の霧にまぎれて・・・・
100パーセント ノンポリに近い私でしたが
それなりの対国家感がありました
今はどうなんでしょう
若人も それなりの対国家感を持っているとは思いますが
それとも そんなことより まず 生き抜き感の醸成
でしょうか
デザインは違っても
何時の世も 若人には 特有の
“政治なんて 何ぼのもんじゃい”
という 雰囲気がありますかな?
世の
今の状況では
無理もないような気がします
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