当地にも ようやく 春 到来 という感でしょうか
寒暖の差が激しく 風雨も例年よりも激しいような
なんとも 異常気象を思わせるこの頃でした
さて 私がマンション管理士という国家資格に興味をもったのは区分所有法等 その独特の適用法制にありました
“・・・とにかく マンション管理組合という組織があることとしてしまう・・・” というような手法に まず 眼がいったのでした
さまざまな形の人の集まりのなかの 合意決定の過程のあり方に興味があります
そういったことからの動機付けでの受験でした
マンションに住み始めた途端 自動的に 強制的に マンション住人として その マンション管理組合という組織の一員になるのです
好むと 好まざるとにかかわらず ということです
どうして そのようにしているかという理由については おおよそ
想像できるでしょう
そう “・・ 私は そんな決め事に従うつもりなどない
私は 私のやり方で このマンションでの生活を全うさせていただく 私の趣味に沿わない組織になんぞ入るつもりはない
組織外の人間なのだから その組織が決めた決め事に従う必要などないのは当然だ ・・” という人たちの集まりでは マンションを終の棲家として選択するなどというのは 冒険そのもの おおきな賭けになってしまうこと 明白? とも言えそうですから
皆で協力しあって マンション管理の執行体制を決めていかなければなりません
すくなくとも その組織の網の内の一員である立場だけには付いてもらわないとならないわけです
上に記したことと直接の関連があるわけではないのですが
以前から とても とても 不思議に思っていたことがあります
≪・・明治憲法においても立法・司法・行政の区別はあった。
・・・議会は天皇の立法権行使に協賛し、裁判所は天皇の名において司法権を行った。
行政権にいたっては、天皇が直接行う建前であり、国務各大臣による輔弼は予定されていたものの、国務大臣が内閣という合議体を形成するものとはされていなかった。
内閣は憲法上の機関ではなかったのである。
内閣は存在したし、実際政治において、重要な役割を果たしさえした。にもかかわらず、それは、
法律上の機関でさえなかった。
内閣官制(勅令)により定められていたにすぎなく、一言で言えば、いわゆる重臣たちの合議(天皇への推挙)だけともいえる裏付けで一国の舵を取る首相ができあがっていた。≫
極端に言えばだが 元老院メンバー・枢密院メンバー それらの流れの
しかもそのなかの天皇の諮問にこたえるべき立場のうち
発言力の強い ごく一部の者の頭の中で 為政者のトップが決められていたともいえる
一応 国としての近代化を経てはいたといえる 1945年8月14日においてもそのような仕組みの国だったという
事実
この文章を記している いまも 不思議なこととしか私にはとらえられません
一部の者の意に沿わないもの(荒い表現になりますが 気に入られない者は 候補にもならなかったわけでしょう)は 行政のトップに登場しようがなかった とも言えるのですから
そういった世に 多くの人が 命運を定められていた
とも言えそうな・・・なんとも やりきれないような・・・
さて 明日から二日ほどは 外出多し
実務が重なり 少々首が凝って?
温泉の力を借りたいものだなー と思っている
只今 春分の日 午前9時49分 であります
お墓参りは 先日 郷里へ行ってまいりました
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