一仕事して
只今 事務所内休息
レノンの Stand by me
Just like starting over
ハリソンの My sweet lord
While my guitar gently weeps
など ビートルズものを COFFEE片手に ジックリ聴いた
ほぼ 10年ほど前のポールの東京公演に行った時を思い出し
ながら今回の精力的公演?の報を聞くたび 行かなかったことを悔やんだ
後の祭り
前回のドーム公演 それは あまり 僕の思い出に残ってない
少年時代からの 憬れ続けたミュージシャンと 同じ時 同じシーンを 数時間とはいえほぼ40年後に過ごせるとの 現実感のないほどの心の高揚
でも
・・・なぜか 帰途の列車での心はシックリとは まとまらなかった
(今思えば ポールのせいではなく 企画構成自体のいじくり過ぎ 音楽中心というシンプルさ?が なぜか 僕には伝わってこなかった・・・ 僕は 音楽 を聴きたくて 行ったのに・・ ファッションを感じたくて行ったのでは 決してないのに・・)
≪・・・やはり ビートルズは 4人の音だ・・≫
というのが たしか 家に戻って奥さんに伝えた 言葉だった
今頃になっても いわゆる 音楽通の中で 『 ビートルズの柱にいたのは ジョンに間違いない 』
というような評価をする方もいる
16歳のバンド少年は 昭和40年頃 Beatlsの赤いLP盤を聴きながら “ なんといっても ポールの存在が この4人運命共同体を支えている ”
と 確信していた
バンドの柱は つまるところ 音楽的センスの在り様の強度で決まる と思う
レノンは 基本的に アート 人間
根っからの音楽狂と言えるのは ポール
バンドの柱は その音楽こそを支えるもののはずだ
人間模様の舵取り役より 音楽の操舵手が バンドの芯の 真のリーダーだ と僕は今も思う
小野ヨーコさんの登場する下地ができあがる前あたりから 僕の心の中の Beatls は あきらかに 形を変えていた
でも 今でも あの音 モチロン 大好き
間違いなく 僕の人生に多大なる どころでない影響をくれたし
母をも ある意味泣かせたときの遠い原因 だったかも
でも あの音に助けられた面を否定できない
あの音楽に痺れることができていたから
あの多感な時期でも それからの時も 人生からそれほどは痛めつけられないで済んだのかもしれない・・
レノン・ポール・ハリソン・リンゴー
どうもアリガトウ
サンキュウ ベリー ベリー マッチ
あの頃 あの音に狂っていて 学校にまともに教科書さえ持っていかなかったことが その後の 学習意欲みたいなものを 逆に引っ張った? のかもしれない
なんとなく そんなふうに 思える
“このまま ろくに 勉強もしないで 人生を終わってしまったら
チョッピリどころか あまりにも どことなく自分というものらしくなさすぎる?? かな・・・?”というような感じ
もっとも 本来 遊び人間だから どうとも言えないところもあるが・・・
さて さて
あれ お昼タイムが過ぎちゃった
まあ いいか COFFEE淹れなおして もう二仕事 しようっと
本日は オジイサンの 音楽談義になってしまいました
ゴメンナサイ