昔昔・・・ロングロングアゴー、大学に入った頃の哲学の授業に妙に興味をもったことがあります。
カントの観念論、ハイデカーの時間と存在、キルケゴールやヴィトゲンシュタインなど、西洋の懐の深さにハマりました。
おそらくそれは、晴れて自由の身となった開放感や知への憧れといったものがあったのだと思います。
試験期間中に、日頃は読まない小説が読みたくなるのと同じ心理だと思います。
哲学、文学、芸術など「リベラルアーツ」と呼ばれる知の世界。
人文科学や教養と言われるこの「リベラルアーツ」。
語源をたどると労働しない貴族が暇つぶしに戯れた学芸とのこと。
リベラル、つまり自由な身分を持つごくわずかな貴族階層が首から上を使って日々取り組んだアーツとのことです。
日々の労働に縛られる労働者、奴隷には触れることのできない世界だったのです。
これは、古代ギリシャ、ローマ帝国の時代から脈々と流れる流れ・・・奥深い知の世界なのです。
「ビジネスアーツ」という言葉があるとすると、それは奴隷の学問、労働の学問なのかもしれません。
簿記やマネジメントなど、それは働くための学問。
リベラルアーツとは対極的な位置づけなのかもしれません。
野中一橋大学名誉教授は、フロネンシスといった古代ギリシャの良識概念を出されていますが、
かなり無理があるというか、水と油を混ぜるという感じがします。
ただ、昼は労働、夜はリベラルアーツ、あるいは平日は奴隷、休日は貴族というライフスタイルはあるかもしれません。
また、夏目漱石が「それから」の中で著した「高等遊民」というコンセプトもアリだと思います。
知的水準が高く、
少しニヒリズムの香りがし、
都市(ポリス)という大衆社会化状況の中で生きる、
デヴィッド・リースマンの言うロンリークラウド(孤独な群衆)として暮らしていくのも、
なかなか楽しいのではないかと思います。
自分自身、働くためのビジネスアーツに浸かりながらも、心はリベラルアーツに生きたいと考えています。
世界最大級のメガロポリス東京で、高等遊民として生きる・・・。
それは最高の贅沢なようにも思えます。
食べるものに困らない、住むところもある、着るものもクローゼットに入りきらないほどある、チャップリンの言うサムマネーもある・・・。
それは古代ギリシャの貴族階級よりも恵まれた状況にあると思います。
以前、日経ビジネス誌が、キャリーパミュパミュさんを「東京の体現者」と表現しました。
ドンピシャのコピーだと思います。
自分自身、このメガロポリスTOKYOで暮らす意義を「5つのA」ということで整理しています。
1.アート
2.アーキテクチャ
3.エンジェル
3.アカデミック
5.アドバタイジング
アートについては、世界でも類を見ない芸術、美術の集積地であるということ。
国立西洋美術館、新国立美術館から根津美術館、五島美術館まで・・・見るものを圧倒する美の力があります。
アーキテクチャ、建築についても、その多様性、美しさ、機能美にはすごいものがあります。
最近は、表参道や青山通りの建築物にぞっこんです。
そして、エンジェル。
街を彩る女性、そのファッションの美しさは世界最高レベルだと思います。
アカデミック
大学や情報の溢れる街。その知の力も街中に充満しています。
最後のアドバタイジング、アドエージェンシー。
この街の背後には、広告代理店の存在が欠かせないように思えます。
以前自分が勤務していたということもありますが、裏方の演出者としての企画、プロデュースも魅力的です。
個人的には、最近のテレビ、特に民放の番組の質に落胆しテレビを見ない日が続いていますが・・・。
高等遊民、メガロポリスの片隅で、リベラルアーツに戯れる・・・
お楽しみはこれからです。