思い起こせば、もう四半世紀、ホンダのクルマに乗っています。
シビック、CR-X、そしてSM-X。
いい年でしてレンジ色のSM-Xなんてというやっかみの乗り越え、ドライビングを楽しんでいます(笑)。
しかも14年間、車検を通しながら・・・。
(逆に言うと、今「Hっぽい」クルマが出ていないという本田技研に対するレジスタンス活動でもあります)
その途中、職場の上司の転勤に伴ってBMWをいただけるという機会もありましたが、これをお断りし、また、父親が高齢のため運転免許を返上する際に乗っていた、これまたBMWを引き継がなかったということがあります。
BMWを2台、廃車にしたオトコです。
ゴメンナサイ。
これは、以前勤務していた広告代理店時代に本田技研工業を担当していたことがあると思います。
ホンダの社員さんからは、いわゆるホンダ語での会話が行われます。
「A00(エーゼロゼロ)」
「マスト・ウォント」
「現場・現物・現実」
「ワイガヤ」
「人に迷惑をかけるな」
・・・
本田宗一郎さんや藤沢武夫さんの伝説、当時日本開催が始まったF1グランプリ・・・。
青山一丁目のホンダ本社、鈴鹿サーキットなどなど、モータースポーツまで本田技研工業とともに過ごした20歳後半、かなりの影響を受けたのです。
今回、ホンダから届いたダイレクトメールは、2013年夏号ホンダマガジン。
「なぜ、HONDAは50年を超え、クルマを創り売っているのだろう」という特集。
ホンダ四輪販売50周年を記念したものです。
この小冊子に本田宗一郎さんの語録が掲載されています。
「時代が変わっても、人と人がじかに会う、手を握る行為は変わらないだろう」
これが、「なぜ、HONDAは50年を超え、クルマを創り売っているのだろう」というQに対するアンサーです。
そして、最後にコピーライターがまとめます。
「ホンダの真ん中は人。人を応援するのが、ホンダです」
う~ん、70点ぐらいでしょうか?
それよりも、16ページから17ページに掲載されている「Honda50」という文書は、なかなかのものです。
以下、紹介させていただきます。
「人は名前に希望を込める。
本田宗一郎が自分の会社につけた名前は、本田技研工業。
技術研究所、つまりHondaはもともとクルマの会社ですらなかった。
正確に言えば、いまだってそうだ。
可能ならHondaはなんでも作ってみたい。バイクから、発電機、クルマ、ジェット機、ロボット。Hondaにとって未来はつねに自由だ。私たちの技術でどこまでできるか試したい。人間の幸福のために何ができるのか知りたい。それが開発の原動力。
今年ホンダ初の四輪車誕生から50年。
いまクルマに何ができるか。もういちど、私たちは問い直します。議論するより手を動かそう。つぎつぎとカタチにしよう。技術の会社は、技術で答えをだすものだ。
答えを出す。」
最後の「答えを出す。」の部分は、フォントが大きくなっています。
コピーライティングの技術からすれば、最後の「。」にも意味があります。
強い意思、やりきる決断といったものが表出されています。
また、
「未来はつねに自由だ。私たちの技術でどこまでできるか試したい。」
「議論するより手を動かそう。つぎつぎとカタチにしよう。」
「技術の会社は、技術で答えをだすものだ。」というフレーズも圧巻です。
昔、「Hっぽい」「ホンダらしさ」という言葉があったのですが、今でも使われているのでしょうか?
若々しさ、チャレンジ、コンサバティブではない、かっこよさ・・・そんなニュアンスです。
ホンダの次の50年に期待しています。