広島県呉市の山の中腹にある「歴史の見える丘 」。
海軍都市、軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、明治以降の呉市の歴史が一望できる場所として、1982(昭和57)年に完成しました。
造船所というのは、よくよく見ると面白いです。
プラモデルを組み立てるような工程が、目で見て分かります。
この丘からは、旧呉海軍鎮守府庁舎(現:海上自衛隊呉地方総監部庁舎)や戦艦大和を建造したドックの上屋を眺めることができます。
現在、ドックは埋め立てられ、上屋(骨組みは当時のまま)だけが残っています。
現在は、ジャパンマリンユナイテッド社で現役船渠として使われています。
現在は、ジャパンマリンユナイテッド社で現役船渠として使われています。
こちらが、旧呉海軍鎮守府庁舎。
現在は、海上自衛隊呉地方総監部庁舎となっています。
威厳ある赤レンガが、「坂の上の雲」を目指した明治時代を感じさせます。
ドームが再建されたのは最近のことだそうです。
噫(ああ)戦艦大和塔
戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠を望むこの地に、1969(昭和44)年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して呉大和会により建てられました。
大和の艦橋をかたどった塔。
大和は、3000人以上の若者とともに、沖縄特攻に出撃。
片道分の燃料を積んで、米軍の制空権の中、護衛機も伴わず、沖縄に向けて出港。
沖縄の浜に乗り上げて、砲台として最後の決戦・・・という作戦だったようです。
が、大和は米軍の航空兵力により撃沈。
乗組員の多くが東シナ海に沈んでいきました・・・嗚呼。
世界最強、最大46センチ主砲徹甲弾(てっこうだん)も展示されています。
戦争と平和をオーバーラップさせる丘。
戦争は、二度と起こしてはなりません。
しかし、昨今の東アジア情勢、国内政治を見ると、かなりキナ臭いところも・・・。
もう若者たちを殺してはいけないと強く感じた、歴史の見える丘でした。