能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

広島・平和公園をテクテク散歩・・・台風一過、お日さまが戻ってきました プロスポーツも再開です

2024年09月01日 | まち歩き

今日は防災の日。

10号は温帯低気圧変わったそうですが、いまだ東進、北進を続けています。

大雨、強風のリスクがあります。

関東、東北地方にお住まいの方、お気をつけくださいね。

今回の迷走台風は、去年の沖縄の台風と同じパターン。

亜熱帯の台風の動きだそうです。

国を挙げて、SDGs、GXにも取り組んでいますが、地球温暖化は避けられないのでしょうね。

広島・平和公園をテクテク散歩。

広島の街は台風一過、お日さまが戻ってきました

蒸し暑さが戻ってきました。

インパウンドのツーリストも帰ってきました。

プロ野球もJリーグも昨日から再開しました。

カープは地元マツダスタジアムでヤクルト戦で勝利し、首位。

サンフレッチェ広島も地元エディオンピースウイング広島でFC東京戦に勝利、ナント暫定1位です。

今年5月にはプロバスケ・B1リーグで広島ドラゴンフライズが琉球ゴールデンキングスを破り逆転優勝しました。

もしかしたら、史上初の広島プロスポーツ勢の三冠王が達成されるかもしれません。

がんばれ!カープ

がんばれ!サンフレッチェ


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佐久間艇長の遺書・・・絶望的な状況におかれた集団を、最後の最後まで規律と使命を守らせた佐久間艇長のリーダーシップと武士道

2024年09月01日 | マネジメント

壁にぶち当たった時や悩んだ時に開く一冊の本があります。

わずか92ページの薄い書籍ですが、いつも心を打たれ、勇気を与えていただけます。

佐久間艇長の遺書

TBSブリタニカ編集部編  TBSブリタニカ刊

 

明治時代、日本帝国海軍に佐久間勉という海軍大尉がいたことをご存じでしょうか? 

佐久間 勉(さくま つとむ) 潜水艇艇長・海軍大尉

帝国海軍の若きエリートです。

 

佐久間大尉は、福井県出身。
明治34年、当時、全国の秀才が目指す最難関校である海軍兵学校を卒業。

巡洋艦吾妻乗組員、巡洋艦笠置で日露戦争、日本海海戦に出陣。
水雷母艦韓崎を経て第一潜水艇隊艇長、第四潜水艇長、第一艦隊参謀、駆逐艦春風初代艦長、巡洋艦対馬分隊長。

そして、当時の最新テクノロジーである第六潜水艇の艇長に着任した、いわば帝国海軍のスーパーエリートです。

が、その佐久間艇長は、悲運に遭遇します。

明治43年4月15日、佐久間大尉率いる第六潜水艇は、ガソリン潜航実験、シュノーケル試験を行うため、山口県岩国港を出港、訓練開始後45分立ったころ、浸水により海底に着底。

長時間がたっても浮上しないため、呉海軍鎮守府に連絡が入り、引き上げ作業が行われました。

当時の技術では、潜水艦の事故の救助は難しく、絶望的な状況。

 

海外の同様な潜水艦事故では、脱出しようとする乗組員が我先にハッチに殺到し、殺し合いが始まることがほとんどだったようです。

たとえハッチを空けたところで、海水が流れ込み、全員死に至ります。

帝国海軍も引き上げに際し、艇内で乗組員が醜態をさらしていることを心配していたようです。

 

沈没した第六潜水艇を引き上げてみたところ、乗組員14名は全員死亡。

佐久間艇長・・・享年30。

 

しかしながら、乗組員は全員自分の「持ち場」を離れておらず、航海士や機関士など最後の最後まで復旧のための作業を続けていた様子が飛び込んできたのです。

艇内は、最後の最後まで平穏が保たれていたようです。

佐久間艇長は、死の直前まで手帳に遺書を書留めます。

1ページに3行、計39枚渡って綴られています。

謹んで陛下(明治天皇)に申す
我 部下の遺族をして窮するもの無からしめ給はんことを
我 念頭に懸るもの之れあるのみ

 

死の直前、明治天皇に対して最新の潜水艦の損失と天皇からあずかった部下の死を謝罪し、この事故が日本の潜水艦の技術の発展の妨げにならないことを願い、それを記述したのです。

そして、部下の家族が生活に困窮しないよう最後の希望を書きます。
確実な死を直前にした、39ページにわたるメモ・・・。

この遺書に対して夏目漱石は「文芸とヒロイック」という随筆を執筆、新聞報道で国民が知ることになります。

アメリカ合衆国の国会議事堂の大広間には10個のガラス書庫があり、その1番目がワシントンの独立宣言からはじまり、第4戸棚には佐久間艇長の遺言が原文のままコピーされ英訳とともに丁重に陳列されているそうです。

また、七つの海を支配した大英帝国海軍でも海軍軍人のお手本として教育されているそうです。

 

生還の望みが失われた中で、彼らは何を考え、何を話していたのでしょうか。

わたくし自身、いつも、想像を巡らせています・・・。

おそらく、佐久間艇長は、部下に語りかけたのだと思います。

「家族のことは、オレにまかせろ。心配するな。」

「最後の最後まで、復旧の努力をしよう。」

「帝国海軍の軍人として、誇りをもって任務を遂行しよう。」

「武士道を完遂しよう。」・・・。

 

それとも、佐久間艇長は、何も口にせず、背中で部下に語りかけたのではないか・・・。

「率先垂範」という言葉がありますが、もともとは「指揮官先頭、率先垂範」というそうです。

享年30歳・・・。
すごい軍人です。

自分であれば、死を直前に取り乱すか、訳の分からないことを口走ると思います。

 

小学生の頃、海上自衛隊のOBの方から、ディンギー・ヨットの操船を教えていただいたことがありました。
明るく、やさしく、でも厳しい・・・教官。
ただ、危険につながることをすると、ゲンコツが飛んできます。


彼が、いつも言っていたのは、次のフレーズ・・・。
シーマンシップ(海の男の精神)を説明したものです。

スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ、船乗り

 

海上自衛隊、帝国海軍は、7つの海を制した大英帝国海軍がお手本です。
ヨットの師匠は、「シーマンシップを身につけろ!それが武士道につながる!」が口癖。

その頃は、よく分からなかったのですが、今でも覚えているということは、よほどインパクトがあるコトバだったのだと思います。
それから長い年月が経っていますが、
今でも、
スマート(クレバー)であること、
目先を利かせること、
几帳面であること、
負けじ魂を持つこと・・・
いつも心の片隅にあることは、本当に、誇らしくもあります。

 

絶望的な状況におかれた集団を、最後の最後まで規律と使命を守らせた佐久間艇長のリーダーシップと武士道。
それは、リーダーの条件、指導者の真髄を昇華したものではないでしょうか?

佐久間艇長と乗組員13名に改めて哀悼の意を捧げます。


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