僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(6/12)聖書ヨブ記

2008年06月12日 20時34分17秒 | 文学/言葉/本
今日は久々に
気分がどん底です

弱音を吐いてしまいそうです。
でも弱音を吐いても
好転しない、何も変わらないんですよね。

どんな困難があってもそれに
立ち向かえる強い心を
正月に願ったのにね。
やっぱり、来たか、という感じ。

仕事を抱えての矛盾、
自己嫌悪
家庭のこと

何をとっても
ダメなものはダメです。

それでも明日を生きなくちゃ。



聖書の「ヨブ記」を知っていますか。
長い、長い物語を読んでいるような気持ちになります。
途中で投げ出したいほどに
絶望の物語。
神がヨブを試す、これでもかというほどに
彼の信仰心を試すのです。
彼の身体を傷つけ、財産も家族ももぎとり
友人やサタンを使い、問答の中で
これでも信仰心は変わらないか、と
試すのです。

私は寝る前にこのヨブ記を何日もかけて
読んだのですが
私の中で
「投げ出せ。」と呼びかけるのです、自分が自分に。
でも
きっと最後には神は
ヨブを救うだろう、という
一縷の望みを持って
読み続けました。
読み続けている間の
怒り、絶望、どうしてこんなに傷めるのかという同情
それらが寝る前に渦巻くのです。

ヨブの苦しみに比べたら
自分のそれはまだまだ
神の試しすらひっかからない。
選ばれてもいない人間です。

聖書の中からは
救いの言葉を求めるのが習いなのに
ヨブ記の意義はどこにあるのでしょうね。
最後には救われるけれど
これが途中で自分が挫折していたら
なんとも暗い気持ちでいたかもしれません。

そのヨブ記を
また読みたくなってきたのです。
どうしてでしょうね。
ヨブの揺らぎのない信仰心を
強い信念と鑑にしたいのでしょうか。

コメント (7)
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