僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(8/2)井上靖 氷壁

2009年08月02日 23時32分34秒 | 文学/言葉/本
「あなたは『詩集 北国』を知っていますか。」

当時T大に通っていた学生が16歳の私に聞いた。

「いいえ、知りません。」
と答え、それが誰の作品か、どんなものかを知らない自分を恥じた。
背伸びしようというわけじゃないが
それを知っているのが当たり前のように言われた。
別な人には
「島尾敏雄を知っているか。」と聞かれ
知らなかった19歳の私は「文学部のくせに。」と言われ軽蔑された。

知らないことが罪悪のように感じて、それからすぐに本屋に行き
それらを探し求めて読んだ自分だった。


井上靖の読書は
「詩集 北国」に始まる。
散文詩である。

そして高校3年
万葉集に興味を持ち、「額田女王(額田王のこと)」で彼の小説に触れていき
次々と彼の歴史物を漁っていく。
「楊貴妃伝」
「蒼き狼」
「天平の甍」など。

大学時代は専ら
彼の作品は短編、中間小説ばかり読んでいた。
読み通していたから好きだったのだろう。
そして
読まなかったものがある。
彼の作品で有名なものはほとんど読んだつもりだが
読んでいなかったもの。
それが
「氷壁」である。

先日
山岳小説を読み始めよう、と書いた。
この間の北海道の山岳事故に衝撃を受けて
いろいろ調べていたのだが

この時代、この時期(夏)にどうしてあのように
たくさんの人が亡くなっていったのか

山を登らない私にはわからなかったから調べた。
記録文が一番、それを探るに適切だと思うが
文学ではどうなのか

そして
新田次郎の作品を読んだ。
彼の作品は読んだことがない。
山岳小説を読むには、まず登山用語を理解しなくては、と思っていた。
登山に興味がないから、それらを知るのも面倒がっていた。
彼のは短編集から読み始める。
長編はまだまだ。
そのあと
ようやく
井上靖の「氷壁」を読み始める。
古い文庫本である。
書棚を久しぶりに探すとあった。
黄ばんでいる。
現在出版されている表紙とおそらく同じだが
表題と作家名が横書き、縦書きで区別される。

主人公の魚津の友人があっけなく
山で滑落死する。
ナイロンザイルが突然切れるのである。
丈夫で切れるはずのないザイルがなぜ切れたのか
推理小説ではないが
それを巡って話が展開する。
魚津が客観的な語り部であることを望んでいたが
彼はその事件の当事者になってしまう。
いっしょに登っていた生き証人でもあり、
世間から「魚津がザイルを切ったのではないか」という
嫌疑を掛けられる。
彼は
自分の嫌疑を晴らすというよりも
彼自身がなぜ目の前で突然ザイルが切れ、友人が死んだのか
一番知りたく、
ある所に実験を(間接的に)依頼する。
実験の結果、ザイルは切れなかった。
この
実験の結果と、山において実際に切れたという事実の
矛盾が更に彼を貶めていく。
新聞も大々的に、実験結果を報告する。
再度実験をしてほしいとお願いするが
それは果たせない。
最終的には別な所に依頼して、切れる結果が出てくるが
そのときには既に遅し、
魚津は、友人の死んだ数ヵ月後に
彼自身も山で遭難死するのである。
こういう結末があるとは知らなかった。
そして
この結末にがっかりしてしまう。

この小説には女性が2人登場する。
1人は、友人が思いを強く寄せる人妻である。
この女性が読者にあまり共感されない描き方は
井上靖にはよくあること。
もう1人は、友人の妹であり人妻とは対照的な描き方をされている。
これもよくあること。
確か「霧の道」という小説でも2人の女性を描いていた。

この人妻が随所に出てきて
友人を翻弄し
なんと魚津まで翻弄されていく。
魚津は結局自分の思いを封印して、友人の妹との結婚を約束するが
遭難のときの描き方が非常にいただけない。
落石の危険があり、ここを引き返せばまだ生きる余地がありそうなのだが
引き返すイコール人妻への思慕に引き返す、という考え方に陥るのである。
これまで
ほとんど冷静に慎重に堅固に行動してきた彼に
なぜ遭難しかかっているときに、このような考え方が出てくるのか。

この人妻が2人の男を翻弄するほどに
読者から見て魅力的だったか、ということには異論を唱える。
最初から最後まで、なるほど、と思う気持ちにならなかった。
魚津の死後に心でつぶやく人妻の
「私は魚津を愛していたし、魚津も私を愛していた。最後に見せ合った
きらきらした美しいもの・・・」のきらきらとしたものを
感じ取れなかった私である。

小説として、魚津は死ぬべきでなかったな、と思いつつ
本を閉じた。
死ぬ必然性はなかった。
自殺でもないし、友人の死があるだけに、自分自身遭難には慎重に
なっているはずが、どうしてあの女のことが出てくるのか
井上先生、果たして最後はあれでよかったのでしょうか。


私の薦める井上作品の1つに
「四角な船」がある。
文庫本にもなっているようで、手に入りやすい。
学生時代、一晩で読み、「感無量」の言葉を本に残している。
その「四角な船」と関連して
彼の散文詩に「ノアの方舟」を彷彿させるものがある。
それをいつか紹介したい。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (8/1)カエル健在。 | トップ | (8/3)八月の濡れた砂/石川セリ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文学/言葉/本」カテゴリの最新記事