はっきり言おう、書評で扱う源本を生み出す才能や努力、苦労に比べて、出来上がった本を評するエネルギーは何百分の一である。
何千分の一かも知れない。
そのことを書評する人間がどれだけ自覚しているかを、私は「創る側の人間として」本能的に嗅ぎ分けてしまう。
角旗さんの言葉を借りれば「世界のギリギリの縁を旅」しながら、本を読み続けてきた。
極限状態(探検)における身体の実感が、本を読む行為に伴って居る。
そしてそれが、書評を高慢なものから遠ざけている。作家・高樹のぶ子
ノンフィクションの成功は「予断が覆された時に生じる自分の感情のぶれをどのように描き出すかという、ただその一点にかかっている」
何千分の一かも知れない。
そのことを書評する人間がどれだけ自覚しているかを、私は「創る側の人間として」本能的に嗅ぎ分けてしまう。
角旗さんの言葉を借りれば「世界のギリギリの縁を旅」しながら、本を読み続けてきた。
極限状態(探検)における身体の実感が、本を読む行為に伴って居る。
そしてそれが、書評を高慢なものから遠ざけている。作家・高樹のぶ子
ノンフィクションの成功は「予断が覆された時に生じる自分の感情のぶれをどのように描き出すかという、ただその一点にかかっている」