「愛の終焉」 2)

2015年11月11日 19時10分39秒 | 創作欄
「愛の終焉」2)
「雪子さんが、頻りに逢いたがっています」美貴の電話の声が嘲りのように茂の耳に蘇った。
芝居じみた雪子の言動が美貴を突き動かせたようにも思われ、茂は水を突然浴びせられたような冷やかな気持ちとなった。
トイレから戻ってきた雪子は、アイシャドーを落としていた。
眼鼻立ちがはっきりしていて、クッキリとした二重瞼の雪子はアイシャドーなど必要ではなかった。
いわゆる濃い目もとに映じるのだ。
「先ほどまで、美貴と一緒だったの。しげちゃんによろしくって言ったわ。あの子、心はとてもきれいなの。しげちゃんこれからどうする?どうしたいの?今夜はしげちゃにつき合うわね」
「僕、今夜、危ないかもしれませんよ」茂は半分投げ遣りの気分で言い放った。
「どうしたのしげちゃん。私のよいお友だちでいなくなるってこと?そんなしげちゃんに会うため呼び出したわけではないのよ。分かる?」
雪子は、茂の心をはかりかねている様子で、小首を傾けると、哀しげな表情を浮かべた。
「しげちゃんまで、私の居場所をなくすの? 今、私は一番しげちゃんを必要としているのよ。」
「僕は・・・」茂は行方不明の雪子を必死で探し回ったことを言おうとした。
当時は感情が暴走しそうであった。
その時の気持ちを吐き出したら、もう引き返せなくなると、感情にブレーキがかかった。
感情を爆発させたら彼女の人格をも傷つけてしまい、茂自身の品格をも下げてしまうと思ったのだ。
茂は狂おしい気持ちで雪子を探し回ったことを言いだせなかった。
茂は自身の気持ちに正直に成り切れぬ不甲斐なさに腹を立てていた。
「恋情」は独り歩きし、膨れるばかりであったのだ。
許容範囲を超えるまで想いが募ると見える物も見えなくなった。
実際それは、駄駄っ子のような厄介な感情であった。
「しげちゃん、今夜、アパートに連れて帰れないの。美貴と一緒に住んでいることは、先日言ったでしょ。どこかのホテルに部屋を取って、今夜語り明かしましょうね」
雪子は席を立った。
その姿に人の視線が注がれた。
雪子は背筋をすっきり伸ばし、ファッションモデルのような身のこなしで、出口へ向かった。
この日はミニスカートではなく、ロングドレスであった。
雪子は拘りを持って黒地を基調とする服装を好んだ。
それは誰かの死に対して喪に服しているようであった。
そうでなければ、濃紺と赤の取り合わせの衣服を選択していた。
2人は「アマンド」の窓から見えていた青山通りの向かい側の「ホテルニュージャパン」へ向かって歩いて行く。
欧米人と思われるコールガールがロビーにたむろしていた。
評判の良くないホテルであったが、茂はタクシーでどこかへ行く気持ちになれなかった。
その日、茂が雪子とホテルへ行った最初で最後であった。
部屋はほぼ満室であり、最上階のツインルームとなる。
雪子はホテルに慣れ切っている素振りで、先に立って歩いて行く。
行方不明になる前に、雪子に嘘が多くなっていた。
茂は見えない雪子の影の部分に何とか光を当てようとした。
「しげちゃん、良いお友だちの関係でも、心は全て開けないのよ。分かる?そんな権利、しげちゃんにはないでしょ!」
1年前も雪子はお金を必要としていた。
雪子は何故、お金を必要としていたのか?
肝心な部分については、答えをはぐらかしていた。
「僕の眼にハッキリ見えるようにしてください」茂は苛立ちまぎれに懇願した。
悪夢のような1年前を反芻していた時、エレベーターが最上階に到着した。
赤坂の土地柄にしては、ビジネスホテルのような安普請のホテルの印象であった。
雪子は部屋のキーを振り回しながら先に立っと速足になった。
茂は雪子のハイヒールに眼をとめた。
それは2年前、雪子が実家の大阪へ帰る日、茂がプレゼントしたイタリア製のものであった。
雪子が銀座の靴店で自ら選んだもので、意匠として雪子が好んだプラチナ色の縁取りがあるハイヒールであった。
「僕はいったい、貴方の何なのですか?」部屋のドアにキーを差し込んでいる雪子の背中に問いかけた。
「しげちゃんどうしたの?そんな怖い顔して、おバカさんね。2人は離れようと思っても離れられないのよ」茂に微笑みかけながら、雪子がドアーを開けた。
「この微笑みに心が囚われたのだ」と茂は認めざるをえなかったのだ。
茂は部屋に入るのをためらった。
「どうしたの?しげちゃん、入って、廊下でなんか、お話できないでしょ」
雪子は優しく微笑みかけた。
まるで姉が弟に接するように茂の頭に手を置いて「おバカかさんね」と茂の眼を覗き込んだ。
茂が部屋に入ると雪子は後手でドアーをロックし「テレビでも見ようか」と無邪気な感じで言った。
茂はテレビなど見る気持ちにはなれなかった。

ノーベル賞・大村智先生、もう一つの功績

2015年11月11日 17時28分09秒 | 医科・歯科・介護
実践!感染症講義 〈番外編〉疥癬

毎日新聞 2015年11月6日 医療プレミア/病気を知る 実践!感染症講義
●谷口 恭 / 太融寺町谷口医院院長

■知る人ぞ知る、医学、生物学界の偉人
 2015年のノーベル医学・生理学賞が北里大学特別栄誉教授の大村智先生に授与されることが決まりました。受賞決定後の国を挙げての盛り上がりとは対照的に、従来大村先生はさほどメディアに取り上げられることはありませんでした。一般の方で、大村先生のお名前と業績を知っている人は、かなりの少数派だと思います。しかし、我々医師や生物学者の間では知らない者はいないといっていい偉大な先生です。
■オンコセルカ症治療だけが功績ではない
 大村先生の業績は受賞決定後、各メディアが大きく取り上げましたから、一気に全国に知れ渡りました。どのメディアも書いている内容はほとんど同じです。静岡県伊東市のゴルフ場から採取した土に生息していた細菌(放線菌)から寄生虫の特効薬を開発され、それがいくつかの寄生虫疾患に有効で、特に熱帯地方特有のオンコセルカ症という失明につながる感染症を防いだ。大村先生が開発した薬「イベルメクチン」で助かった人は、世界で10億人にも上る−−という話です。
 世界に発信する記事であればこれでいいと思います。ですが、日本人が日本人向けに書く記事であれば、もう一つ大村先生の非常に大きな功績を伝えなくてはいけない、と私は思います。それは、「イベルメクチンのおかげで、日本では疥癬(かいせん)の治療が劇的に進展した」ということです。私が見た限り、大村先生のノーベル賞受賞決定後の一連の報道で疥癬に触れたものはほとんどありません。というわけで、イベルメクチンが疥癬という病に対してどれだけ優れた効果を発揮したか、を臨床医の目線で紹介したいと思います。
■「ダニ自体が感染源」疥癬の怖さ

(疥癬の病原体、ヒゼンダニの成虫の顕微鏡写真=筆者提供)
 疥癬は肉眼では見えない小さなダニ、ヒゼンダニが原因です。ダニが原因の感染症としては、ライム病や日本紅斑熱、あるいはここ数年で報告が増えた重症熱性血小板減少症候群(SFTS)などがよく知られています。これらはマダニが原因で、「ダニが病原体を媒介する感染症」です。一方、疥癬は根本的に異なります。それは「ダニそのものが病原体である感染症」なのです。
 前述のようにヒゼンダニは小型のダニです。同じように家屋に存在しヒトに危害を与えるダニにツメダニやシラミダニがあります。これらには刺されるとかゆみがでますが、症状としては「それで終わり」です。かゆみはかなり強くつらいですが、ステロイド外用薬を数日間使えば治る単なる「虫刺され」で、感染症ではありません。一方、疥癬はヒゼンダニ自体が人の皮膚の下に潜り、そこに卵を産み付けることで起きる病気です。卵がかえって成虫になるとまた卵を産み、人の皮膚の下で世代交代を繰り返します。つまりヒゼンダニの場合は虫刺されではなく「感染症」なのです。
■ときに集団発生 強烈なかゆみが特徴
 実際には、ヒゼンダニが皮膚の下で動き出すと強烈なかゆみが出るため、世代交代の前に感染した患者さんは医療機関を受診し、体内のダニを完全に退治することになります。しかしこれが難しいのです。正確に言えば、「大村先生が開発したイベルメクチンが登場するまでは難しかった」となります。
 疥癬は高齢者が多い病院や介護施設でしばしば集団発生します。見舞いに来た家族や医療者に感染することもあり、そういう人が自宅に帰り、さらに家族に感染させることもあります。タオルの共用などでもうつる可能性があり、性感染症の一つでもあります。国立感染症研究所のウェブサイトでは年間の患者数は8万〜15万人、「ダンスの相手やこたつで行う麻雀の仲間」でもうつる可能性があると記されています。
 疥癬が他の湿疹などと大きく異なる点は、まず夜間に激烈なかゆみが起こるということです。ほとんどの湿疹やかゆみを起こす病気は、昼よりも夜にかゆくなりますが、疥癬はその傾向が顕著なのです。これはヒゼンダニが夜間、皮膚の下で動き回るからです。
 そして「皮膚の柔らかいところ」がかゆくなります。特に多いのが指と指の間の皮膚の薄い部分で、臨床ではここにかゆみのあるブツブツがある場合は真っ先に疥癬を疑います。陰嚢(いんのう、男性)や外陰部(女性)にかゆみが生じたときも疥癬の可能性を考慮すべきでしょう。この場合は大抵、陰嚢や外陰部の一部にできた「しこり」のような部分がかゆくなります。
■難しい診断、効果の乏しい従来の治療法
 診断は、かゆい部分の皮膚をピンセットで採取し顕微鏡で確定します。成虫や卵が見つかれば診断確定です。ただし、初期ではまだ成虫も卵も数が少ないですから、なかなか見つからず、何度も検査をして初めて確定診断がつくということもあります。
 従来、日本の医療機関では、クロタミトンという塗り薬による治療が行われていました。これは商品名を「オイラックス」といいます。この薬は一応「効く」とされていますが、医師から見ると効いている実感がそれほどありません。海外のデータでは「疥癬のかゆみをとる効果はなかった」としているものもあります。
 他の治療としては、かつては硫黄の入浴剤を使う方法がありました。しかし現在、この入浴剤は販売されていません。「ムトーハップ」という商品ですが、硫化水素を使った自殺に使われた結果、製造中止になってしまいました(注1)。この入浴剤を使うと、「かゆみが改善する」という人は確かにいました。しかし劇的に治るのではなく、「まったく効果がない」という人もいました。
 ほかに海外ではγ(ガンマ)-BHCという「農薬」が使われることがあり、日本でも医療機関が輸入すれば使えないことはありません。しかし皮膚に農薬を塗布することに抵抗のある人は多く、実際にかぶれが起こることもあり、使いにくいものでした。
 何をやっても治癒が難しい疥癬は、臨床医にとって本当に難渋する感染症なのです。しかも「ノルウェー疥癬」と呼ばれる重症型になると、腎機能が低下し命にかかわることもあります。
■イベルメクチンが多くの患者を救った
 それがイベルメクチンの登場で、疥癬治療が劇的に変わりました。2002年、まず糞線虫(ふんせんちゅう、注2)の治療目的でイベルメクチンが保険適用となりました。この時は、疥癬に対して使用すると自費診療となり1錠800円近くかかりました。しかし、イベルメクチンは体重にもよりますが3〜4錠を一度飲むだけで、体内のヒゼンダニを一気に退治してくれます。数千円の出費で眠れないかゆみから解放される−−。患者さんには文字通りの福音でした。
 そして06年8月、ついに疥癬にイベルメクチンが保険診療で処方できるようになりました。これで疥癬の治療は非常に簡単になりました。我々医師もリスクを抱えてγ-BHCを使うべきか……と悩む必要もなくなったのです。
 大村先生の業績はアフリカで最も大きいのは事実です。しかし日本の大勢の患者さんも救われているということを我々は知っておくべきだと思います。
   ×   ×   ×
注1:製造中止となったムトーハップについては、その有用性を含めて、中止になった当時、筆者(谷口)がコラムを書いています。興味のある方はご覧ください。http://www.stellamate-clinic.org/blog/2013/07/2008121-581086.html
注2:糞線虫は世界的には重要な感染症で熱帯・亜熱帯地方では珍しくありません。一方、日本では九州南部から奄美、沖縄にはありますが、感染者の多くは高齢者であり増加してはいません。糞線虫の治療ももちろん重要ですが、なぜ製薬会社は初めから疥癬に対しても保険適用できるようにしてくれなかったのでしょうか……。

谷口 恭 (太融寺町谷口医院 院長)
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。

怖い「寝酒」

2015年11月11日 17時19分51秒 | 医科・歯科・介護
入眠効果は一時的で、うつのリスクも
男性の2人に1人が習慣化。酒量が増えたら要注意!

2015/10/28 
日経Gooday 2015年10月28日 左党の一分

葉石かおり=エッセイスト・酒ジャーナリスト
今夜はすぐに眠りたい、ぐっすり寝たい…というときに、「寝酒」をあおる人は多いに違いない。たしかに、酔いの助けを借りて寝ると、深く眠ったような感覚もなくはない。でも、ちょっと待った! 入眠の手助けにアルコールを常用していると、やがて睡眠トラブルを起こす原因にもなりかねないという。睡眠とアルコールの関係について取材を進めると、実は怖~い話が待っていた…。
 不安やイライラを感じて眠れない、あるいは気が高ぶってどうしても眠気がやってこない―。そんな時の「助っ人」として、酒を手に取ってしまうことはないだろうか? 
 アルコールの力によって、徐々に瞼(まぶた)が重くなり、すーっと眠りにつくことができる。確かに、筆者もその効果は実感する。
 しかし、朝までグッスリ眠れるかといえば、必ずしもそうではない。数時間後に目が覚めてしまい、その後は目が冴えてしまいまったく眠れない…ということもある。こうした経験は、左党はもとより、一般の人でも少なからず一度はあるはずだろう。
 「寝酒」の力を借れば、「眠りが深くなる」「ぐっすり眠れる」と考えている人は多いようだが、実際はどうなのだろうか。睡眠とアルコールとの関係に詳しく、アルコール由来の不眠治療などにも実績がある「新橋スリープ・メンタルクリニック」(東京都港区)の佐藤幹院長に、その真相についてうかがった。
▼佐藤 幹さん/新橋スリープ・メンタルクリニック院長
医学博士。1997年東京慈恵会医科大学卒業、同大学精神医学講座入局後、2003年~10年まで同大学付属病院本院精神科外来勤務。睡眠障害を中心に、精神科領域全般における診療を行なう。睡眠学を専門とし、睡眠時無呼吸症候群、ナルコレプシー、時差ぼけ、不眠症などの研究を行う。特に不眠症に関しては認知行動療法を取り入れた治療法を研究。2010年、不眠症治療の研究にて学位(博士号)取得、同年「新橋スリープ・メンタルクリニック」を開設。

■アルコールは寝入りばなの睡眠を深くする
 「睡眠の仕組みは、そもそも性質の異なる浅い眠り『レム睡眠』、深い眠り『ノンレム睡眠』の2つで構成されています(下図参照)。睡眠の深さは、脳波の活動性によってステージを4つに分けていますが、特にアルコールを飲んでから寝ると、入眠までの時間が短縮され、ステージ3、さらに4といった深い眠りの『徐波睡眠(じょはすいみん)』が増加することがわかっています。この睡眠は深くて長くなるほど、体の細胞を修復するために必要な『成長ホルモン』の分泌を増やします」(佐藤院長)
睡眠は「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」の2つで構成されている(図)

入眠した後、ステージ3、4まで到達する深い眠りは「徐波睡眠」と呼ばれる(上図のピンクの部分)。徐波睡眠は、体の回復にかかわる「成長ホルモン」の分泌を促し、細胞の修復、脳の休息といった役割を果たす。
 酒を飲んで眠ると、たしかに寝入りばながよく、また深く眠れたような気がするのは、徐波睡眠のおかげであるわけだ。実際、日本人を対象にした研究(Sleep Med,;2007,Nov,(8),723-32)によれば、「週1回以上の寝酒を習慣にしている人」は、男性48.3%とおよそ2人に1人にあたる(女性は女性18.3%)。
 すると、「寝酒は睡眠の質を上げてくれる!」と、左党は都合の良いように解釈したくなるが、そうは問屋が卸さない。
■寝酒に頼った誘眠作用は3~7日でなくなる!?
 「入眠後に訪れる徐波睡眠だけを見れば、寝酒は睡眠の質を高めそうに思えます。ですが、アルコールによってもたらされる反跳性作用(はんちょうせいさよう)によって、深い眠り(ノンレム睡眠)から切り替わった後の浅い眠り(レム睡眠)が長く続くために、中途覚醒を招きやすくします。つまりアルコールは、睡眠全体を見ると質を低下させてしまうのです」(佐藤院長)
 では、睡眠の質を下げる「反跳性作用」は、アルコールの何が引き起こしているのだろうか。 
寝酒は入眠を促進し「徐波睡眠」を増やす(図)

アルコールの作用で、入眠が早くなり、ステージ3、4まで到達する時間も早くなるために、「徐波睡眠」が増えると考えられている。しかし、その反跳性によってレム睡眠が長くなり、これが中途覚醒の要因になるとされる(グラフは取材を基に編集部で作成したイメージ)。
 「それはアルコールを肝臓で分解する際に生じるアセトアルデヒドにあります。この物質は血液を通して脳内で増えることによって交感神経を優位にするために、睡眠時における正常な脳の休息を阻害します。これが中途覚醒の要因になります」(佐藤院長)
 続けて、佐藤院長はこう指摘する。「寝酒を習慣にしても、だんだん寝つきが悪くなったり、中途覚醒が増えたりすると、お酒の力にさらに頼ろうとする人がいますが、これはかえって逆効果。アルコールに依存した誘眠作用は3~7日もすると効きが悪くなってくるために、無意識に量を増やしてしまう原因にもなる。睡眠の質をますます低下させるうえに、アルコール依存症といったリスクを上げる危険性があります」。
 例えば、最初のうちは350mLのビール1本の寝酒で済んでいたが、500mL、1L… とだんだんと酒量が増えていたり、アルコール度数の強い酒に頼り出したりしたら要注意というわけだ。
 「そもそもアルコールは、脳内に存在する抑制性の神経伝達物質であるGABAの中にある『GABAA受容体』と結びつくことで、リラックスや幸福感をもたらします。同時に、興奮性神経伝達であるグルタミン酸系を抑制(特にNMDA受容体の抑制)することで、入眠が促進されて、深い睡眠に早くたどりつけます。半面、GABAA受容体は“依存”も高めるために酒量を増やすと考えられています。先に申し上げた、アルコールによる入眠作用が3~7日で効かなくなってくることが加わると、最初に350mLで“効いた”ものが500mL必要になり、500mLが1Lに…となる。寝酒に頼らずに寝る習慣を取り戻すことが大切なのです」
■寝酒の習慣が睡眠障害の原因に、うつのリスクも!
 佐藤院長によれば、アルコールに頼り続けて、睡眠の質が低下した状態が慢性化してくると、やがて『過覚醒』と呼ばれる心身が一定の緊張状態を続ける生体防御反応を起こすようになるという。「身近な例で言うと、徹夜明けで心身は疲れて眠いのに、ベッドに入っても頭が冴えて眠れない状態です。こうなると、睡眠のリズムが狂うだけではなく、交感神経が活発に動く状態が続くことで、わずかなことでイラついたり、キレたり、ひどい時はうつ病に至ることもある」(佐藤院長)。
 ここまで聞いてくると、寝酒による身体への影響は、我々が想像していた以上に大きい。では寝酒を止めたら、すぐに上質な眠りを得ることができるのだろうか?
 「これまでの治療経験から言えば、一度、過覚醒の状態まで乱れてしまうと、アルコールを止めたとしても、半年前後は正しい睡眠リズムに戻りにくいと感じています」(佐藤院長)
■寝酒に頼る前に「睡眠衛生」のチェックを
 寝酒を止めてもなお、しつこくつきまとう睡眠障害のリスク。「家に酒を置かないこと」が、寝酒を止める一番の近道だが、左党にとってそれはあまりにも厳しすぎる選択。ストレスなく、すぐに実践できる改善策はないものだろうか?
 「もちろん眠るための手段に酒を用いるのはお薦めしませんが、『食事を楽しむため』『リラックスするため』の飲酒は、適量を守りさえすれば、むしろ睡眠に悪影響を及ぼしにくいと考えています。万が一、飲み過ぎてしまったら、血中アルコール濃度を下げるため、寝るまでに水を飲んで『ウォッシュアウト』を行うといいでしょう。そうしたことを踏まえた上で、まずは寝酒を止め、眠るために必要な『睡眠衛生』を守れば睡眠の質は徐々に向上すると思われます」(佐藤院長)
■佐藤院長による「睡眠衛生」チェックリスト
・入浴(またはシャワー)は就寝2時間前に済ませる
・湯船の温度は40度前後のぬるめに設定する
・寝る1時間前にはスマホやパソコンを使用しない
・深夜に、コンビニなどの明るい場所に行かない
・平日も休日も、朝は同じ時間に起床する。
 実際に患者をカウンセリングする際にも使用される『睡眠衛生』のチェック項目を見る限り、「入浴するタ時間」「湯船の温度」「目から入る光のコントロール」「起床時間」…と、どれも小学生でもできそうな生活習慣の最低限の見直しばかり。そう難しいことはなさそうだ。
■どうしても寝酒が止められなければ…
 それでも「どうしても寝酒が止められない」という人は、ズバリ“奥の手”を使うしかない。
 「様々な研究報告でも知られていることですが、睡眠の質が低下すると高血圧、糖尿病、メタボリックシンドロームといった生活習慣病のリスクを上げます。またアルコールが持つ『筋弛緩作用』によって喉の筋肉が緩むために、気道が狭まり、『睡眠時無呼吸症候群(SAS)』や、いびきの悪化といった原因にもなります。こうしたリスクを知ってもなお、寝酒を止められない人は、思い切って睡眠外来などで相談し、医師が処方する睡眠導入剤を飲むことをお薦めします。日本人はとかく睡眠導入剤を怖がる傾向がありますが、医師として薬学的見地から言えば、ヒトの体を数時間でベロベロにさせるアルコールのほうがよっぽど怖い(笑)。今は常習性のない睡眠薬も開発されているので、検討する余地は十分にあると思います」(佐藤院長)
 寝酒を使って「良く眠れた」と思っても、翌日の仕事で効率が上がらなかったり、仕事中に睡魔が襲ってくるようであれば、それは睡眠の質が十分ではなかったと自覚すること。快適で上質な睡眠を得るためにも、酒は“手段”にせず、“楽しむこと”に徹するのが正解のようだ。

「乳酸菌」の摂取が冠動脈疾患に効果

2015年11月11日 17時14分56秒 | 医科・歯科・介護
6週間で血管内皮機能が改善

日経メディカル 2015年11月9日 配信
米国心臓協会学術集会:AHA2015 日経メディカル取材班

 近年、動脈硬化の進展に腸内微生物叢が重要な影響を及ぼしているとの報告が見られるが、乳酸菌などのプロバイオティクスの摂取によって、冠動脈疾患患者の血管内皮機能にどのような影響があるかについては明らかになっていない。そこで、冠動脈疾患患者に1日1回乳酸菌飲料を摂取してもらったところ、わずか6週間で血管内皮機能が改善し、炎症性サイトカインが減少することが示された。米国心臓協会学術集会(AHA2015、11月7~11日、オーランド開催)で、Medical College of WisconsinのMobin Malik氏らが発表した。

 対象は、冠動脈疾患の罹患歴のある21人の男性(平均年齢64歳)。1日1回6週間に渡り、Lactobacillus plantarum 299v(200億CFU/mL)入りの乳酸菌飲料90mLを摂取した。

 摂取1週間後と6週間後に、FMD検査(血流依存性血管拡張反応)を実施したところ、%FMDは有意に増加した(摂取前:3.55±1.96、摂取後4.73±2.33、P<0.001)。ただし、6週間の摂取を完了し、摂取を止めて30日経過すると、%FMDは4.05±1.94 に減少していた。

 また炎症性サイトカインの変化では、IL-8は摂取前に比べ摂取後に24%減少し(17±2pg/mLから13±1pg/mL、P<0.010)、IL-12も20%減少した(56±7pg/mLから45±6pg/mL、P<0.012)。

 Malik氏は、「コレステロールが高値でない心血管疾患も存在することから、動脈硬化の進展にはコレステロール以外に腸内微生物叢などの関与の可能性が指摘されており、そのメカニズムの解明が急務となっている。小規模の研究ではあるが本研究によって、手軽に摂取できる乳酸菌により血管内皮機能が改善し、炎症が低下することが示された。さらに今後の大規模な研究が期待される」とコメントした。

シリーズ: 改革進む医学教育

2015年11月11日 17時11分40秒 | 医科・歯科・介護
医師4年目、高齢化率50%の地区で診療所長
鹿児島大地域枠1期生、今年度からへき地医療で活躍


2015年11月10日 (火)配信高橋直純(m3.com編集部) 医療維新/改革進む医学教育
 この夏、鹿児島大医学部の2人の学生が実習で訪れた鹿児島県肝付町。その中でも岸良地区は人口743人、高齢化率も50%(2014年4月現在)を超え、鹿児島市内から、車で2時間半かかる。文字通りへき地だ。同地内の唯一の医療機関、岸良診療所では週2回の午前中のみ診療が行われている。今年4月からは、2006年に鹿児島大学医学部の地域枠の第1期生として入学し、医師になって4年目の新村尚子氏が診療所長を務めている(『地域枠の学生、へき地の公立病院で実習◆鹿児島大Vol.1』を参照)。
 看護師3人とともに新村氏が診療所に到着するのは午前8時ごろ。診療開始は午前9時だが、ほぼ全員の患者が高齢者ということもあり、午前6時ごろから並び始める人も多い。診療所で20人前後の患者を診察した後、午後はそのまま同地区で訪問診療を行う。新村氏は「診療所を頼ってくれる人を全部、診なくてはいけない。大きな病気の前兆を見逃さないように心掛けている」と話す。
 見学を引率していた同大離島へき地医療人育成センターの大脇哲洋教授は「先輩が現場でどのように活躍しているかを見て、何を学ぶべきかを見つけてほしい」と話す。見学している2人の学生に対しては、待合室から幾つもの激励の声が掛けられた。
■地域枠1期生として入学
 地域枠で入学し、地域医療を志した理由を、新村氏は「鹿児島市内でずっと育って他の地域を知らなかったが、必要としてくれるところで働きたいと思っていた」と話す。
 2006年の入学当時の地域枠の義務年限は5年間(現在は9年間)。そのうち2年間の初期研修は、鹿児島大学医学部附属病院か鹿児島県立病院のどちらかで行うことが義務付けられている。新村氏は、鹿児島大で2年間の初期研修を行った。

 初期研修を終えた2014年度の1年間はそのまま大学に残り、心臓血管内科に入局。今年4月に地域枠で入学した学生の義務として、肝付町立病院(40床)に着任、同時に岸良診療所長に就任した。新村氏を含む2006年に採用された地域枠の学生2人が、県の派遣で地域の医療機関での勤務を始めたのは今年度が初めてとなる。
 肝付町立病院では、生活習慣病や腰痛などのコモン・ディディーズが中心。大学病院で学びにくいとされるが、新村氏は初期研修の中で地域医療を見据えたプログラムを組んでおり、奄美大島にある県立大島病院で半年間を過ごし、整形外科や小児科、救急科について学んできたという。
 肝付町立病院の常勤医師は井畔能文病院長と新村氏の2人。困った時は院長や他の病院の医師に相談することも多いが、「大学病院ほど周りの医師に頼れるわけではないので、自分でしっかり勉強しなくてはいけない」と話す。
■研修の中で「専門を極めたいという思い」
 新村氏は、病院横の医師官舎に住みながら診療に当たっている。「道で声をかけてくれることも多く、担当する住民の近くで診ることはやりがいになる」と新村氏。当直は週1~2回。休日には鹿児島市内に戻ることもあるという。
 地域で働くことには、最先端の医学から離れたり、専門医取得に必要な症例を確保することが難しくなったりするという面もある。新村氏は循環器内科を専門にしたいと考えており、その志望を汲む形で、週2回は半日、近隣で二次救急医療を提供している鹿屋医療センターで、心臓カテーテルについて学ぶ時間が設けられている。肝付町立病院では外科手術も行っており(2014年は計81件)、手術になれば新村氏も立ち会う。病院長は心臓血管外科を専門としており、新村氏の同病院への配属は教育的な配慮もあるという。
 地域で働くということもあり、学生時代は総合診療医が必要と考えていたが、研修の中で、「義務年限後を見据えて医師としての今後を考えると、何かしら専門を極めたいという思いが出てきた。循環器については最先端のことを学んで自分でできるようになりたい」。ただ、ストレートに専門に進まないからこそ、学べることも多いとして、「まずは一般内科的なものを学べて良かったと思う」とも話す。
■医師派遣が途絶え、医師不足が続く
 肝付町立病院は長年、鹿児島大学から交代で医師が派遣されていたが、2009年2月末で常勤内科医が異動転出した後は後任が補充されていない。大学からの週2回の内科医派遣、週1回の外科医派遣と近隣クリニックの当直応援などで、日常診療、救急医療の体制を維持している。医師不足は病院経営にも直結しており、2013年度純損失は2354万円。
 2010年には井畔氏が着任したことで常勤医師3人態勢になったが、2014年1月に1人が退職し、12月に副院長が死亡退職したことから常勤医師が1人という体制が続いていた。町立病院庶務係長の榮倉元志氏は「鹿児島大を中心に医局派遣依頼を続け、県外の関係機関等にも足を運んでいる。民間コンサルティング会社にも登録しているが応募がなく、非常に厳しい状況が続いている」と話す。そのような状況の中、2015年から新村氏が県から派遣されるようになった。榮倉氏は「本当にありがたい。来年度以降も引き続き派遣のローテーションに加えてほしい」と願う。

■井畔氏に地域医療の現状と課題を尋ねた。

――どのような人がへき地医療にふさわしいのでしょうか。
 ずっとここにいて地域に貢献したいという人がふさわしい。一度は専門を極めた、50歳過ぎでも良いのでは。

――では、若い先生がへき地で働く意義は何でしょうか。
 何もかも診ることができる。ここで色々学べれば良いと思う。現在の初期研修の2年間はお客さんでなかなか鍛えられない。大学に人が残らなくなったので、なるべく良いところを見せようとする。僕らが外科に入ったころは、3カ月後には麻酔をかけるなど、すごく鍛えられた。

――大学からの医師派遣が途絶えて久しいです。
 一番理想的なのは、この病院が大学の医局派遣のローテーションに入ること。ただ、内科も外科も人数的に難しい。ナンバー制から臓器別の医局制になって、各診療科にローテーションするほど人がいない。一外科だったら「行って来い」と言えても、呼吸器外科だと症例数が集まらない小さい病院には派遣できない。

――へき地医療になかなか医師が集まらない原因は何でしょう。
 結局、医者が寄り付かないのは、子供たちへの教育の問題。ここも高校がない。僕は子供が卒業したので妻と二人だけど、若い先生だと悩むだろう。

地域包括、看取り件数・医師数がハードル

2015年11月11日 17時05分35秒 | 医科・歯科・介護
「連携機能を重視すべき」の声も/中医協総会

m3.com 2015年11月10日 (火) 配信 成相通子(m3.com編集部)

 11月6日に開かれた中央社会保険医療協議会総会(会長:田辺国昭・東京大学大学院法学政治学研究科教授)で、2014年度診療報酬改定の結果検証に係る特別調査の7項目のうち、「主治医機能の評価の新設や紹介率・逆紹介率の低い大病院における処方量等の適正化による影響を含む外来医療の機能分化・連携の実施状況調査」の速報値が発表された(資料は、厚労省のホームページ)。
 2014年度の診療報酬改定では、外来の機能分化の推進のために、(1)中小病院や診療所で主治医機能の評価として「地域包括診療料」「地域包括診療加算」の新設、(2)大病院に紹介なしに受診した場合の初診料、外来診療料の新設、(3)対象病院への30日以上の投薬に関する処方料の減額――が行われた。調査はこれらの改定結果の影響を把握することが目的。
 調査結果では、地域包括診療料の届出予定がある、もしくは届出を検討している病院は約25%、地域包括診療料もしくは加算の届出予定・検討中の診療所は約11%で、大半は「届出の予定はない」と回答。「慢性疾患の指導に係る適切な研修を修了する」「院外処方の場合の24時間対応の薬局との連携」「看取り件数」「常勤の医師が3名以上配置」などの要件がハードルになっていることが明らかになり、医科の委員から要件の見直しを求める声が相次いだ。
 日本医師会常任理事の松本純一氏は、地域包括診療加算について、「常勤医師3人以上という条件は、診療所の医師では重要とは思わない。外形的な要件は一つの診療所の規模よりも地域の連携を重視すべきではないか。また、医師と患者の信頼関係、絆と言うのは、さまざまな対応の仕方があるので、24時間対応もさまざまな方法がある」と主張。
 日本医師会副会長の松原謙二氏も「連携をどのようにするかが課題。1人の医師が診療所には多いが、365日24時間を1人で戦うのは無理。1人が24時間対応するのは大変。仲間でチームを組んできちんとやれば、真夜中でも対応できる仕組みができる。連携を取りながらできるような点数配分が必要だ」と述べ、常勤医師3人の在籍や24時間対応の算定要件を見直すよう求めた。
 日本病院会常任理事の万代恭嗣氏は、地域包括診療料の未届出病院では「施設基準の要件が満たせない」との理由が一番大きいと指摘。「地域包括ケア病棟の届出に二次救急の指定である必要は必ずしもないのではないか」と述べ、見直しが必要だとした。
 このほか、大病院に紹介なしに受診した場合の初診料、外来診療料の新設の影響に関しては、紹介なし受診の初診料について、ほぼ全ての特定機能病医、500床以上の地域医療支援病院が導入していると回答。その他の大病院でも80%を超えた。徴収しないケースに関しては、「救急搬送者」「公費負担医療制度の受給対象者」「健康診断で外来受診を薦められた患者」「他の診療科を受診中の患者」などがあった。
 万代氏は、「健康診断で受診されるのと病気で受診されるのは意識が違うので、(健康診断で薦められたのに初診料を取ると)受診抑制につながるのではないか。予防医療の流れを阻害しないためにも、病気を見つけるための受診は初診料、再診料は取らないようにすべきだ」と主張した。
 調査は2015年7月~9月に実施。1011施設が回答した。
 地域包括診療料は、診療所または許可病床が200床未満の病院が対象。高血圧、糖尿病、脂質異常症、認知症の4疾患のうち2つ以上を有する患者に対し、慢性疾患の指導に係る研修を修了した担当医を指定。24時間の対応や、服薬管理、在宅医療の提供を行っていること以外に、診療所は3人以上の常勤医師が在籍する在宅療養支援診療所であること、病院は2次救急指定病院または救急告示病院で、地域包括ケア入院料等を算定する在宅療養支援病院であることなどが求められる。地域包括診療加算は、診療所が対象で、算定要件が上記よりも緩やかな設定だ。
(詳細は厚労省資料:https://kouseikyoku.mhlw.go.jp/tohoku/shido_kansa/shidoubumonn/documents/h26-012.pdf)。

「愛の終焉」 1)

2015年11月11日 13時08分49秒 | 創作欄
雪子の大きな変わりようは、茂に衝撃をもたらした。
上昇志向の強かった雪子は、求める力が瞳に満ち溢れていた。
だが、眼前の雪子の目は空虚であり、以前のような爽やかな輝きを失っていた。
「しげちゃん元気なの?」微笑み掛けてきやが眼は笑っていず、どこか表情も引きつっているように映じた。
そして、彼女がうつむいて沈黙すると、底意地悪い女でもあるように、剣呑さが表情に宿った。
その時、雪子が1人であったらその変化にそれほど拘らなかったかもしれない。
どうしても、雪子の隣に座っていた彼女の友達の美貴と比べてしまった。
それは残酷とも言える対比となった。
美貴は売り出し中の新人タレントのように輝いており、雪子は老醜をさらしている昔のアイドルを見ているような感じさえした。
茂は死ぬほどの一途さで、雪子の面影を胸中で焦がし続けてきた。
それは茂にとっての「恋情」であった。
それが皮肉にも音を立てて崩れつつあった。
雪子は1年ほど行方不明になっていた。
だが、1週間前、雪子からの呼び出しが思わぬ形であったのだ。
「私は雪子さんの友人で沢田美貴と申します。時間がありません。用件だけ伝えます。雪子さんが、頻りに逢いたがっています。連絡先をお知らせします」
茂は手帳をもどかしく取りだした。
沢田美貴と名乗る相手の切迫したような電話の声に、茂はただならぬ気配を感じた。
雪子は電話に出ず、伝言が残されていた。
「しげちゃん?しげちゃんなのね!逢いたいな。金曜日午後10時30分に、アマンドで待っているわ。来てね。待っているわ。雪子」
茂は2人が出逢った思い出の赤坂の喫茶店「アマンド」へ向かった。
青山通りは深夜であったが渋滞していた。
茂はタクシーのきき過ぎる暖房で頭がのぼせ気味で、苛立ちさえ覚えていた。
雪子は何時ものとおり、入口を背にして座っていた。
白髪の外人の男が雪子に声を掛けていた。
彼女がコールガールと思い込んでいるらしい、その態度は女を値踏みしているようであった。
男は行こうと身振り手振りで促している。
「この次ぎにしてください」雪子はタバコの煙を吐き出すようにしていた。
男はブーイングをし、両手を大きく広げた。
男は高級そうなグレーのスーツ姿で、お金持ちの老紳士と思われた。
口ヒゲは整えられており顔立ちに品格が漂っていた。
背後から「雪子さん」と茂は声を掛けた。
「ああ、しげちゃん来てくれたのね」
雪子は眼の前に立った茂を、気怠そうに見上げた。
ほとんどとって付けたように微笑みんだが、それも直ぐに消え、眉をひそめた。
雪子は茂が座るやいなや、「しげちゃん、お金貸してほしいの」と用件を切り出した。
1年ほど行方不明になっていた雪子は、姿を消す前には「しげちゃんと同棲するから、部屋を探して置いてね」と言っていた。
茂は雪子のために中野中央に部屋を用意していたが、それが全く無駄になってしまっていた。
茂は雪子のために常に金も用意していた。
雪子は茂にとって大切な人出であったのである。
茂は茶色のスーツから白封筒に入った金を取り出しテーブルに置いた。
「しげちゃん借りるわね、おりがとう。オオキニ!」大阪育ちの雪子はほとんど関西弁を使ったことがなかった。
雪子の実家に泊った時、茂は雪子の関西弁に新鮮なものを感じた。
だが、「オオキニ」は人のこころをはぐらかせるような嫌な響きがあった。
雪子小さなハンドバックにその白封筒をおさめた。
彼女はトイレに立った。
そして、直ぐに戻ってきた。
「私ハンドバックの中は絶対に見てはダメよ!」と厳しい口調で言う。
茂の眼を上から覗き見て、再びトイレへ向かった。

皇帝ダリアも咲いていた

2015年11月11日 10時42分17秒 | 日記・断片
ブログは始めて今日で115日目。
今朝の取手は、やっと青空が見えた。
雨は日曜日に降り、月曜日は曇り。
そして、昨日は午前4時50分ころから雨が振り出したので、家へ戻ってから雨合羽を来て再び歩いた。
今日は、午前5時過ぎに厚い雲間に星がわずかに見えた。
東3丁目の大川さんの弟さんが仕事前、玄関に立っていた。
彼は旦那さんと思っていたが、旦那さんは亡くなっているので、弟さんだろう。
「早いな」と声をかけられる。
猫に紐をつけて散歩している。
また、額田さんは出勤する前で玄関に出て、ポストから新聞を取るところだった。
「相変わらず早いですね」と声をこちらからかけた。
6時30分、花の写真を撮るため、吉田地区まで歩く。
11月11日なのに、まだ朝顔が咲いていた。


皇帝ダリアも咲いていた。
中学生たちが田圃の畦道を歩いていた。
1中と東中が合併して、1中になる。
校舎は東中を使用。
1中は公園になるようだ。
また、井野小学校の跡地は、井野保育所と吉田保育所が合併。
耐震建築でないので取り壊される。
子どもが減り、3つの小学校が1校に統合となる。
当方の息子たちは団塊の世代の団塊ジュニア、独身で孫など期待できない。











「人間の犠牲」の上に利益を生み出す企業増加

2015年11月11日 06時16分19秒 | 社会・文化・政治・経済
★全賃金労働者のうちフリーターや契約社員など非正規
労働者が占める割合が4割に達し、25年前の2割から倍増。
★若い人の非正規労働が増え、奨学金の返済も苦しいそうだ。
★子どもが欲しくない若者が増加している。
「経済的に子育てをするのが大変」との声がある。
児童手当や医療費の助成など、充実した子育て支援が重要。
★バイトの労働条件で、学生の6割がトラブルを経験。
学業に支障を来たす「ブラックバイト」が社会問題化。
企業の人間化が不可欠。
「人間の犠牲」の上に利益を生み出す企業増加。