河北新報 2016年3月30日
東北に4月、新しい医学部が誕生する。山村や漁村へ。東日本大震災の被災地へ。遠くない将来、若き医師たちが、地域医療再生の使命を胸に赴く日のために。東北薬科大から衣替えする新生「東北医科薬科大」。その挑戦を追う。
■東北医科薬科大の挑戦 1期生の使命
<葛藤抱え5年>
新医学部の1期生は100人。そのうちの一人、福島県いわき市の鈴木法彦さん(20)=磐城高卒=に、入試の面接が強い印象を残した。
面接官は、東北の医療過疎地に赴任する意思を繰り返し繰り返し尋ねた。口先だけか、本心なのか、見抜こうとしている。選ぶ側も必死なのだ。そう感じた。
中学校の卒業式当日、震災が起きた。医者になって復興に貢献したい。だが両親に負担を強いることはできない。葛藤を抱えて勉強する日々が5年続いた。
政府は2013年12月、震災からの東北復興を目的に37年ぶりとなる医学部新設を決定。破格の修学資金制度が、鈴木さんら震災世代の若者たちを医学の門へと導いた。
<校風をつくる>
「校風は1期生がつくった」。全国の私立医大・医学部には、こんな言い習わしが数多く残されている。
山形県米沢市の開業医、大辻圭一さん(64)は1973年に開学した獨協医大(栃木県壬生町)の1期生だ。卒業時の医師国家試験に向かって「どこにも手本がないから勉強は全て手探り。1期生が始めた自主勉強会は、大学の伝統として今も続いている」と話す。
東北医科薬科大でも形作られるであろう校風を、大学側の準備から推し量ることができる。
1年生が履修する「大学基礎論」は、東北の地理や歴史を幅広く学ぶ異色の講義だ。東北6県で広域展開する診療実習は、交通費や宿泊費を大学が全額負担する。医学教育推進センターの大野勲教授(61)は「医師として東北で暮らしていくのだという自覚を持たせたい」と強調する。
<「預かりもの」>
学生には1人1台ずつノートパソコンを貸与し、学生個々と教員の双方向性を確保する。1学年当たり4人の担任教員を配し、生活上の悩みまできめ細かくケアする。
一見、過保護にも思える配慮は、医学教育が「未来への巨額先行投資」だからだ。
日本医師会によると、入学から卒業するまでに掛かる教育経費は医学生1人当たり1億円。東北医科薬科大の場合、これを自治体出資の修学資金などで賄う。
「修学資金を貸与される学生は全員、自治体からの預かりものも同然。総合診療医として地域にお返ししなければならない」と大野教授は言う。
大いなる使命を与えられた1期生たち。入学までつかの間の春休み、鈴木さんは、医学用語の英単語やドイツ語の基礎を独学で学び始めた。
[修学資金制度]35人には宮城県が拠出する90億円などを原資に各3000万円、20人には大学が1500万円を貸与する。1500万円貸与の学生は、自治体独自の修学資金制度を併用できる。いずれも卒業後、東北各地の医療機関に6~12年勤務すれば返済は不要となる。
<医学部誕生>
教員医師 二足のわらじ
河北新報 2016年3月31日
■東北医科薬科大の挑戦 空白の10年
<崩壊へ懸念も>
四面楚歌(そか)の船出だった。
「銀座で美容外科を開業すると言い出されたら誰も止められない」「卒業生の受け皿になる病院は多くない。修学資金制度は必ず行き詰まる」
東北医科薬科大は運営協議会の席上、医学部設置の根拠そのものに厳しい意見が浴びせられた。
医師不足を嘆く患者団体までもが「一人前の医者になるまで10年かかる。その間は医学部を作った効果がない。現場の医師が教員になって吸い上げられ、むしろ地域医療が崩壊する」と懸念を表明した。
1期生が地域に赴くまでの10年を埋める―。これもまた新医学部の使命となる。臨床経験を持つ教員医師がその任に当たる。
<被災地に献身>
解剖医が1県1人という状態も珍しくない東北だが、法医学教室の教授には、高木徹也杏林大准教授(48)が同僚の杏林大助教と共に着任する。
5000体超の遺体解剖を手掛けてきたエキスパートは「死因の究明を通じて健康維持に生かすのが役割」と自任。宮城県沿岸部で検視に当たった東日本大震災から5年を経て、再び被災地に献身する。
震災からの復興支援を目的に設立される医学部の教員は「教育」と「現場」、二足のわらじを履く。
東北大病院高度救命救急センターの遠藤智之医師(42)は、救急・災害医療学教室の准教授になる。東北大でも学生を指導する傍ら、石巻市の石巻赤十字病院で月2回、診療に当たってきた。
新医学部の付属病院(仙台市宮城野区福室)はことし10月、救命救急センターを開設する予定だ。仙台東部道路の仙台港インターチェンジにも近く、広く沿岸部から急患を受け入れる。
<争奪戦始まる>
地域病院への医師派遣を調整するため、大学に4月、地域医療総合支援センターが設置される。これを見越し、水面下では早くも医師争奪戦が始まっている。
宮城県南三陸町の津波被災者986人がいまも身を寄せる登米市が、内科医の派遣を要請。付属病院も非常勤ながら週2回の派遣を請け負った。
「できるだけ早期に地域の信頼に応える態勢を築きたい」と語る近藤丘(たかし)病院長だが、一方で「付属病院の診療科を維持しながら、全ての医師派遣要請に応じるのは不可能」と弱音が漏れる。
新医学部は、船出の後も難しいかじ取りを強いられることになりそうだ。
[教員医師]4月時点で教員は115人で、うち100人(基礎15人、臨床85人)が医師。臨床の教員医師の採用元は東北薬科大からの内部登用51人、東北大11人、その他の宮城県内の医療機関5人、東北5県4人、東北以外11人。
◇ ◇ ◇
東北に4月、新しい医学部が誕生する。山村や漁村へ。東日本大震災の被災地へ。遠くない将来、若き医師たちが、地域医療再生の使命を胸に赴く日のために。東北薬科大から衣替えする新生「東北医科薬科大」。その挑戦を追う。
<医学部誕生>
人事権握る既設が壁に
河北新報 2016年4月1日
■東北医科薬科大の挑戦 地域定着
「自治医大の取り組みを踏まえ、それを乗り越えるよう期待したい」
新医学部の設置主体に東北医科薬科大を選出する際、文部科学省はこう助言した。「東北の自治医大たれ」とのメッセージだ。
自治医大(栃木県下野市)は1972年、医療過疎の解消を目指す都道府県の共同出資で設立された。学費は無料。代わりに卒業後は、出身地の診療所などに最低9年間の勤務が義務付けられる。
<寮で気概養う>
「医師になって古里に恩返しする共通目標の下、学生の一体感は強かった」。自治医大OBで東北大卒後研修センターの菅野武助教(36)は学生時代をこう振り返る。
制度化された地方誘導とともに自治医大が重視するのが、6年間寝食を共にする全寮制だ。寮生活で学生たちは「建学の精神」をたたき込まれ、総合診療医として無医村などに赴く気概を養う。
<理念共有 困難>
自治医大を巣立った医師は3900人超。それでも東北の医師不足は改善されなかった。人口10万当たりの医師数は2014年末現在、全国平均の244・9人に対して東北は215・6人にとどまる。
こうした現状に新医学部は、自治医大を模した修学資金制度や勤務年限の義務化で対処する。だが…。
「使命感を抱く奨学生と一般学生が半々。難しいかじ取りになるだろう」と先行きを危ぶむ声が早くも上がっている。地域定着の難しさを知る自治医大の岡崎仁昭教授(57)=仙台市出身=だ。
自治医大卒の医師ですら、義務年限を終えた後の地元定着率は70%以下(表)。1学年に修学資金貸与学生55人、一般学生45人が混在する新医学部では、なおさら理念の共有が難しいとみる。
<肩代わり狙う>
新医学部の拠点となる宮城県はともかく、東北5県では既設の医大・医学部が基幹病院を筆頭に地域の隅々まで人事権を握る。ここに新参医学部の出身者がどう入り込むのかも大きな課題だ。
自治医大の場合、地域医療振興協会(東京)を組織し、公設病院の運営を請け負うことで閉鎖的な医療界に牙城を築いてきた。東北では青森県東通村の東通地域医療センター、宮城県大和町の公立黒川病院、福島県磐梯町の保健医療福祉センターなど六つの拠点を有する。
新医学部は地域に浸透する戦略をどう描くのか。東北医科薬科大の高柳元明理事長(67)は、既設の医大・医学部を「基礎研究を重視するあまり、過疎地の医療機関に医師を送り出せていない」と批評する。
東北に4月、新しい医学部が誕生する。山村や漁村へ。東日本大震災の被災地へ。遠くない将来、若き医師たちが、地域医療再生の使命を胸に赴く日のために。東北薬科大から衣替えする新生「東北医科薬科大」。その挑戦を追う。
■東北医科薬科大の挑戦 1期生の使命
<葛藤抱え5年>
新医学部の1期生は100人。そのうちの一人、福島県いわき市の鈴木法彦さん(20)=磐城高卒=に、入試の面接が強い印象を残した。
面接官は、東北の医療過疎地に赴任する意思を繰り返し繰り返し尋ねた。口先だけか、本心なのか、見抜こうとしている。選ぶ側も必死なのだ。そう感じた。
中学校の卒業式当日、震災が起きた。医者になって復興に貢献したい。だが両親に負担を強いることはできない。葛藤を抱えて勉強する日々が5年続いた。
政府は2013年12月、震災からの東北復興を目的に37年ぶりとなる医学部新設を決定。破格の修学資金制度が、鈴木さんら震災世代の若者たちを医学の門へと導いた。
<校風をつくる>
「校風は1期生がつくった」。全国の私立医大・医学部には、こんな言い習わしが数多く残されている。
山形県米沢市の開業医、大辻圭一さん(64)は1973年に開学した獨協医大(栃木県壬生町)の1期生だ。卒業時の医師国家試験に向かって「どこにも手本がないから勉強は全て手探り。1期生が始めた自主勉強会は、大学の伝統として今も続いている」と話す。
東北医科薬科大でも形作られるであろう校風を、大学側の準備から推し量ることができる。
1年生が履修する「大学基礎論」は、東北の地理や歴史を幅広く学ぶ異色の講義だ。東北6県で広域展開する診療実習は、交通費や宿泊費を大学が全額負担する。医学教育推進センターの大野勲教授(61)は「医師として東北で暮らしていくのだという自覚を持たせたい」と強調する。
<「預かりもの」>
学生には1人1台ずつノートパソコンを貸与し、学生個々と教員の双方向性を確保する。1学年当たり4人の担任教員を配し、生活上の悩みまできめ細かくケアする。
一見、過保護にも思える配慮は、医学教育が「未来への巨額先行投資」だからだ。
日本医師会によると、入学から卒業するまでに掛かる教育経費は医学生1人当たり1億円。東北医科薬科大の場合、これを自治体出資の修学資金などで賄う。
「修学資金を貸与される学生は全員、自治体からの預かりものも同然。総合診療医として地域にお返ししなければならない」と大野教授は言う。
大いなる使命を与えられた1期生たち。入学までつかの間の春休み、鈴木さんは、医学用語の英単語やドイツ語の基礎を独学で学び始めた。
[修学資金制度]35人には宮城県が拠出する90億円などを原資に各3000万円、20人には大学が1500万円を貸与する。1500万円貸与の学生は、自治体独自の修学資金制度を併用できる。いずれも卒業後、東北各地の医療機関に6~12年勤務すれば返済は不要となる。
<医学部誕生>
教員医師 二足のわらじ
河北新報 2016年3月31日
■東北医科薬科大の挑戦 空白の10年
<崩壊へ懸念も>
四面楚歌(そか)の船出だった。
「銀座で美容外科を開業すると言い出されたら誰も止められない」「卒業生の受け皿になる病院は多くない。修学資金制度は必ず行き詰まる」
東北医科薬科大は運営協議会の席上、医学部設置の根拠そのものに厳しい意見が浴びせられた。
医師不足を嘆く患者団体までもが「一人前の医者になるまで10年かかる。その間は医学部を作った効果がない。現場の医師が教員になって吸い上げられ、むしろ地域医療が崩壊する」と懸念を表明した。
1期生が地域に赴くまでの10年を埋める―。これもまた新医学部の使命となる。臨床経験を持つ教員医師がその任に当たる。
<被災地に献身>
解剖医が1県1人という状態も珍しくない東北だが、法医学教室の教授には、高木徹也杏林大准教授(48)が同僚の杏林大助教と共に着任する。
5000体超の遺体解剖を手掛けてきたエキスパートは「死因の究明を通じて健康維持に生かすのが役割」と自任。宮城県沿岸部で検視に当たった東日本大震災から5年を経て、再び被災地に献身する。
震災からの復興支援を目的に設立される医学部の教員は「教育」と「現場」、二足のわらじを履く。
東北大病院高度救命救急センターの遠藤智之医師(42)は、救急・災害医療学教室の准教授になる。東北大でも学生を指導する傍ら、石巻市の石巻赤十字病院で月2回、診療に当たってきた。
新医学部の付属病院(仙台市宮城野区福室)はことし10月、救命救急センターを開設する予定だ。仙台東部道路の仙台港インターチェンジにも近く、広く沿岸部から急患を受け入れる。
<争奪戦始まる>
地域病院への医師派遣を調整するため、大学に4月、地域医療総合支援センターが設置される。これを見越し、水面下では早くも医師争奪戦が始まっている。
宮城県南三陸町の津波被災者986人がいまも身を寄せる登米市が、内科医の派遣を要請。付属病院も非常勤ながら週2回の派遣を請け負った。
「できるだけ早期に地域の信頼に応える態勢を築きたい」と語る近藤丘(たかし)病院長だが、一方で「付属病院の診療科を維持しながら、全ての医師派遣要請に応じるのは不可能」と弱音が漏れる。
新医学部は、船出の後も難しいかじ取りを強いられることになりそうだ。
[教員医師]4月時点で教員は115人で、うち100人(基礎15人、臨床85人)が医師。臨床の教員医師の採用元は東北薬科大からの内部登用51人、東北大11人、その他の宮城県内の医療機関5人、東北5県4人、東北以外11人。
◇ ◇ ◇
東北に4月、新しい医学部が誕生する。山村や漁村へ。東日本大震災の被災地へ。遠くない将来、若き医師たちが、地域医療再生の使命を胸に赴く日のために。東北薬科大から衣替えする新生「東北医科薬科大」。その挑戦を追う。
<医学部誕生>
人事権握る既設が壁に
河北新報 2016年4月1日
■東北医科薬科大の挑戦 地域定着
「自治医大の取り組みを踏まえ、それを乗り越えるよう期待したい」
新医学部の設置主体に東北医科薬科大を選出する際、文部科学省はこう助言した。「東北の自治医大たれ」とのメッセージだ。
自治医大(栃木県下野市)は1972年、医療過疎の解消を目指す都道府県の共同出資で設立された。学費は無料。代わりに卒業後は、出身地の診療所などに最低9年間の勤務が義務付けられる。
<寮で気概養う>
「医師になって古里に恩返しする共通目標の下、学生の一体感は強かった」。自治医大OBで東北大卒後研修センターの菅野武助教(36)は学生時代をこう振り返る。
制度化された地方誘導とともに自治医大が重視するのが、6年間寝食を共にする全寮制だ。寮生活で学生たちは「建学の精神」をたたき込まれ、総合診療医として無医村などに赴く気概を養う。
<理念共有 困難>
自治医大を巣立った医師は3900人超。それでも東北の医師不足は改善されなかった。人口10万当たりの医師数は2014年末現在、全国平均の244・9人に対して東北は215・6人にとどまる。
こうした現状に新医学部は、自治医大を模した修学資金制度や勤務年限の義務化で対処する。だが…。
「使命感を抱く奨学生と一般学生が半々。難しいかじ取りになるだろう」と先行きを危ぶむ声が早くも上がっている。地域定着の難しさを知る自治医大の岡崎仁昭教授(57)=仙台市出身=だ。
自治医大卒の医師ですら、義務年限を終えた後の地元定着率は70%以下(表)。1学年に修学資金貸与学生55人、一般学生45人が混在する新医学部では、なおさら理念の共有が難しいとみる。
<肩代わり狙う>
新医学部の拠点となる宮城県はともかく、東北5県では既設の医大・医学部が基幹病院を筆頭に地域の隅々まで人事権を握る。ここに新参医学部の出身者がどう入り込むのかも大きな課題だ。
自治医大の場合、地域医療振興協会(東京)を組織し、公設病院の運営を請け負うことで閉鎖的な医療界に牙城を築いてきた。東北では青森県東通村の東通地域医療センター、宮城県大和町の公立黒川病院、福島県磐梯町の保健医療福祉センターなど六つの拠点を有する。
新医学部は地域に浸透する戦略をどう描くのか。東北医科薬科大の高柳元明理事長(67)は、既設の医大・医学部を「基礎研究を重視するあまり、過疎地の医療機関に医師を送り出せていない」と批評する。