平和に生きることの必要性を喚起

2016年04月22日 22時46分48秒 | 社会・文化・政治・経済
★誰かがやると何もせず待つのは危険―アインシュタイン
★新聞は、時に偏った方向へ人々の関心が向かわないように報道する役割がある。
★人々の日常生活に、報道がどれほど大きな影響を与えるかを認識する必要がある。
★しかし、多数の報道機関は、偏った関心に応えるように物事を伝え、人々を混乱させてきた。
★新聞は、対立をつくり出したり、それを後押ししたりするのではなく、人類に対して、平和に生きることの必要性を喚起すべきである。













【本日の誕生花】 ミヤコワスレ

2016年04月22日 14時55分05秒 | 【お知らせ】
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  花を楽しもう!みん花通信
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 (2016.04.21配信)


numatatoneさん、こんにちは!
いつも「みんなの花図鑑」をご利用いただき誠にありがとうございます。


この度の震災につきましては、心からお見舞い申し上げますとともに
一日も早いご復興と、皆様のご健康を心からお祈り申し上げます。


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災害時の安否確認・連絡を取る手段のひとつとして、
「J-anpi 安否情報まとめて検索」をどうぞご利用ください。


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【本日の一枚】

本日の一枚はzepkitさんが神奈川県平塚市で撮影した「ソメイヨシノ」です。
本日の一枚は、風景を引きで撮ることにより、青空と山を遠景に、黄色い菜の花と緑の葉の生える川べりに桜色が等間隔で並び、さらにその姿が水面に映る様子をとらえ、おだやかな春の景色を見事に写し取った一枚です。


本日の一枚を見る
https://hc.minhana.net/photo_of_ today?utm_source=tsushin&utm_medium=mail&utm_campaign=mailmag

本日の一枚は、撮影スポット(※)を登録していただいた写真の中から季節感あふれる写真や花のある風景など、 そのスポットに出かけたくなるような魅力的な写真を選ばせていただいております。
(※)撮影スポットは、写真投稿ページの「撮影スポットを登録」に入力すると登録することができます。
  例:東京都小平市/東山動植物園/八坂神社 など
皆様のお気に入りの場所をぜひご紹介ください。紅葉の写真投稿もお待ちしております。


お花を楽しめるおすすめのスポットを「撮影スポット」に記入してご投稿ください。
皆様のお気に入りの場所をぜひご紹介ください♪

【本日の誕生花】

ミヤコワスレ
高貴な紫色が美しい☆承久の乱に敗れて佐渡に流された順徳天皇が、この花を見て心を慰めたことが名前の由来なのだとか!
https://minhana.net/wiki/view/2663?utm_source=tsushin&utm _medium=mail&utm_campaign=mailmag

環境劣悪、倒れ込む被災者 

2016年04月22日 14時53分26秒 | 社会・文化・政治・経済
強まる疲労、せきや怒声も

共同通信社 2016年4月21日 配信

 「いつになったら元の生活に戻れるんやろう...」。投光器に照らされた仮設トイレのそばで、女性がひっそりと泣いていた。大勢の被災者が身を寄せる避難所は劣悪な生活環境が続き、繰り返す余震におびえ、蓄積した疲労で倒れ込む人の姿もあった。
 14日と16日に震度7を記録した熊本県益城町。「何も残ってなか...」。約600人が身を寄せる保健福祉センターで、無職 野間武則(のま・たけのり)さん(68)はぼうぜんと座り込んだ。直前に視界がゆがみ、床に崩れ落ちたばかり。ストレスによる血圧の上昇と診断された。
 14日の揺れで目の前に仏壇が倒れ、16日の本震では自宅が倒壊した。避難所に来てから、「日増しに気分が悪くなる。でも他に行くあてもない」。生きているだけでも幸運と自らに言い聞かせるが、今後を思うと絶望感にさいなまれる。
 約2キロ東の益城町総合体育館。炊き出しの豚汁の湯気が上る敷地内の地面は、大きく隆起していた。被災者約850人の段ボールや荷物、非常食が建物の外まではみ出し、足元に気をつけながら歩く。余震で頻繁に壁や窓が震え、悲鳴や安否を気遣う声が飛び交った。
 何人もの負傷者の姿が被害の激しさを物語る。急に体調が悪化したのか、仮設の入浴設備から両脇を抱えられながら、医療用のテントまで運ばれる女性もいた。「早くちゃんとした病院で検査を受けたい」。地震で落下してきた家具が直撃し、顔中に黒いあざが残る中神由子(なかがみ・ゆいこ)さん(71)は不安な表情を浮かべた。
 土足のまま被災者が行き来する通路の床には砂やほこりが目立ち、時折激しいせきの音も。「衛生状態が極めて悪い。ノロウイルスの流行が心配だ」。巡回していた長崎県の医師泉川卓也さん(43)が顔を曇らせた。
 駐車場にはずらりと並んだ車から低いエンジン音。エコノミークラス症候群による死亡例が判明したばかりだが、車中泊が減る気配は見られない。「窮屈でしんどいけど、室内だと周囲に迷惑をかけるから...」と妊娠9カ月の塚本真弓さん(35)。被災後、いつも不安な表情でくっついて離れなくなった息子の翔太(しょうた)君(3)のことも心配だ。
 「支援物資が届きました」。アナウンスの音が響くと、トラックの周囲に30人ほどの中高生が集まってきた。自然と手伝いたいとの声が上がったという。大きな段ボール箱を、顔を真っ赤にして運んでいた中学1年の塘田俊輝(ともだ・としき)君(12)は「力には自信がある。みんなのつらさを和らげたい」。
 消灯時間の午後10時になっても足音や物音は途切れず、注意する男性の怒声も飛ぶ。毛布の上で横になってみたが、床の硬さがそのまま伝わり、体がこわばった。夜の寒気も流れ込み、到底安眠はできそうにない。未明になっても完全な静寂は訪れなかった。
 「余震が収まらない限り何もできない」「もう限界」。話を聞いた被災者の多くは、被災の傷を負ったまま、ぎりぎりの避難生活を強いられていた。募る一方の不安やストレスに、物心両面での支援が今後は一層必要になってくると感じずにはいられなかった。














成田の新設医学部、「一般臨床医の養成はNG」

2016年04月22日 14時49分07秒 | 医科・歯科・介護
全国医学部長病院長会議、改めて政府に要望

m3.com 2016年4月21日 橋本佳子(m3.com編集長)

 全国医学部長病院長会議は4月21日の定例記者会見で、国際医療福祉大学が千葉県成田市で2017年4月の開学を目指す医学部新設について、「国際的な医療人材の育成」という目的に合致するか否かを審査し、その目的に反して卒業生が一般の臨床医として勤務することがないよう、法的措置を講じることを求める要望書を、近く関係省庁などに提出することを明らかにした。
 会見した全国医学部長病院長会議顧問の小川彰氏(岩手医科大学理事長・学長)は、「国が言っていることと、成田市と国際医療福祉大学が言っていることに、大きな齟齬がある。国際的な医療人を養成することでなければ、医学部を作る意味はない」と憤りをあらわにした。「現場では、国が決めた方針に従わないで進められているのは明らか。国が当たり前の指導性を発揮できるかにかかっている」(小川氏)。
 国際医療福祉大学はこの3月末までに、文部科学省に対し、入学定員140人の医学部新設を申請している(文科省のホームページを参照)。今夏ころまでに、同省大学設置・学校法人審査会は審査を終える予定であるため、要望書では「解決されない多くの問題を内在していることを念頭に、納得する結論を出すよう求める」としている。
■参院議員の国会での質問相次ぐ
 国際医療福祉大学の医学部新設は、国家戦略特区の「東京圏」として指定された千葉県成田市で、特例として認められる(『成田の医学部新設、正式決定目前』などを参照)。
 小川氏が「大きな齟齬」と指摘した根拠は、昨今の国会での政府答弁だ。参議院議員の相原久美子氏、水野賢一氏は、今国会に提出した質問主意書で、桜井充氏は参議院予算委員会で、それぞれ国家戦略特区における医学部や附属病院の新設などについて質した。
 「国と、成田市と国際医療福祉大学は、全く正反対のことを言っているのに、それを政府は『同じ考えである』と平気で言っている」(小川氏)
 特に小川氏が問題視するのは、新設医学部がどんな人材を養成するかという点だ。「世界最高水準の国際医療拠点を作るという、国家戦略特区の趣旨を踏まえた、国際的な医療人材の育成」「一般の臨床医の養成・確保を主たる目的とする既存の医学部とは次元の異なる、際立った特徴を有する医学部とする」などが政府方針。
 これに対し、2013年9月の国家戦略特区ワーキンググループのヒアリングにおいて、成田市と国際医療福祉大学は、(1)入学定員140人のうち、20人は海外からの留学生、(2)120人は国内の医師不足の解消を図るため、地域医療の担い手として教育――と説明。水野議員は、「140人中、20人では、世界最高水準の国際医療拠点のための医療人材育成とは言えないとの指摘もある」とし、入学定員を100%国際的な医療人材の枠とし、卒業後は一定期間の海外赴任を義務付けることを医学部新設の認可要件とすべきという考え方などについて、質問した。政府は、「政府方針に掲げる医学部新設の目的について、政府と成田市との間で認識は一致していると考えている」と一貫して答弁している。
 桜井議員も同様な視点から、「特区における医学部新設に関する方針から見れば、一般の医療者の育成はできないことになっている」「地域医療に携わることはしないということでいいか」などと質問。これに対し、政府は「一般的な、ということではない。国際的な医療人材の育成のための医学部という位置付けと承知している」「一般的な診療に従事することを主目的としているものではない。ただ、目的に反して、一般の臨床医として勤務することになった場合は、医師需給を踏まえた全体の医学部定員の中で調整を行う」などと答弁。
■附属病院の開設、病床規制の特例で認可
 そのほか、水野議員は、「世界最高水準の国際医療拠点」としての数値目標を持っているのかについても質問。政府は「数値目標は持っていない」などと回答しているため、小川氏は「国際医療拠点であるかどうかの評価基準はなく、今後も検証する体制や手順がない」と問題視した。
 水野議員は、医療法上の病床規制を撤廃して、国際医療福祉大学が附属病院を開設し、その結果、地域医療に混乱を来すことを懸念。国は、国際医療福祉大学の附属病院が開設許可申請されれば、「(2次医療圏の)当該基準病床数の算定の特例適用が必要になる。特例適用が適切に行われるよう厚労省としては対応していく」と答えている。
 相原議員は、質問主意書で、(1)国家戦略特区での成田市分科会の出席者の大半が、国、成田市、国際医療福祉大学の関係者である、(2)関係団体から出ている反対声明に対し、納得できる説明をする必要がある――などを指摘。これらに対しても、政府は正対した回答がなされていないと、小川氏は問題視した。




















医学部定員、最低でも「9262人」、2019年度まで

2016年04月22日 14時44分54秒 | 医科・歯科・介護
厚労省医療従事者の需給に関する検討会

m3.com 2016年4月20日 橋本佳子(m3.com編集長)

■規制色強い医師偏在対策も検討、「中間まとめ」に向け議論
 厚生労働省の第2回「医療従事者の需給に関する検討会」(座長:森田朗・国立人口問題研究所長)と第5回「医師需給分科会」(座長:片峰茂・長崎大学学長)は、4月20日の合同会議で、医学部定員について2019年度までは現行の9262人という水準を維持することをおおむね了承した(資料は、厚労省のホームページ)。
 2008年度および2009年度から開始し、2017年度で期限が切れる臨時定員増は、当面継続する一方、2017年度から3年間の追加増員は、本当に必要かどうかを慎重に精査して対応する方針。2020年度以降については、医師需給推計や医師偏在対策の効果を見極めながら検討する。
 20日の会議では、「中間取りまとめ」に向け、医学部定員問題のほか、医師偏在解消策についても議論。今後、検討すべき課題として、「臨床研修制度において、募集定員の配分等に対する都道府県の権限を一層強化」「臨床研修が出身大学の地域で行われることを促す仕組み」「専攻医の募集定員は、診療領域ごとに、地域の人口、症例数等に応じた地域ごとの枠を設定」「将来的に、十分ある診療科の診療所の開設は、保険医の配置・定数の設定、自由開業・自由標榜の見直し」「フリーランス医師や多額の紹介料・給料を要する者への対応」など、規制的な対策が並んだ。
 厚労省医政局長の神田裕二氏は、これらは厚労省の提案ではなく、医師需給分科会での議論、関係団体の要望、「保健医療2035」などを踏まえて列挙したものであり、「制度化に当たって、この場で全て決まるものではないが、全般的なメニューについて、必要かどうかという方向性はこの場で議論してもらう」と説明、ただし、制度化に当たっては別途議論が必要だとし、例えば保険医の配置や定数などは健康保険法の問題であり、正式な審議の場は、社会保障審議会医療保険部会、場合によっては中医協などでの議論もあり得るとした。同局地域医療計画課長の迫井正深氏も、「この場で決めたからと言って、制度化するかは別の問題」と補足した。
■成田市での医学部新設は含まず
 医学部定員は、2007年度までは7625人だったが、2008年度以降、段階的に増員が図られてきた。2016年度の医学部定員9262人は、「恒久定員(8269人)」と「臨時定員(993人)」に大別でき、「臨時定員」はさらに、(1)新医師確保総合対策(2008年度から2017年度までの間、医師不足が特に深刻と認められる10県で、各県で最大10人増員)、(2)緊急医師確保対策(2009年度から2017年度までの間、各都府県で最大5人、北海道は最大15人増員)、(3)経済財政改革の基本方針2009と新成長戦略(2010年)(2010年度から2019年度まで、都道府県ごとに毎年原則10人までの増員など)――に分けることができる。
 (1)と(2)については、特に医師不足が深刻な地域や診療科を想定した対策であり、2008年度の入学生はこの3月で臨床研修を終えたばかりで十分な効果検証ができないことから、厚労省は「当面延長」と提案。これに対し、(3)については、2017年度から2019年度の3年間についても、「追加増員」の要望があった場合にはその要否を慎重に精査すべきとしている。
 基本的には、これらの方針は支持された。ただし、医学部定員は、医師需給バランス、医師の業務の他職種への移譲、労働時間の軽減なども踏まえて検討すべきとの意見のほか、医師偏在対策を先に講じるべきとの意見が出た。医師の需給バランスについては、「医師需給分科会」の第4回会議で、上位、中位、下位の3パターンの推計が出されている(『医師需給、「2024年に約30万人で均衡」との推計も』を参照)。
 日本医師会副会長の今村聡氏は、(1)国家戦略特区で検討が進む、千葉県成田市での国際医療福祉大学による新設医学部の定員、(2)恒久定員の扱い――について質問。厚労省と文科省は、(1)については推計には含まれておらず、(2)恒久定員については、「全体の需給を踏まえての検討は、可能性としてはあり得る」――とそれぞれ回答した。
 日本医師会副会長の松原謙二氏は、医師は、医師以外でも可能な仕事にかなりの勤務時間が割かれているとし、この現状を改善するほか、医師の偏在対策が先決だとした。「できることから速やかにやるべき」と求め、偏在対策としてある程度の規制は必要だとし、「10年、20年先に国家財政に負担をかけることはやめるべき」と述べた。慶應義塾大学商学部教授の権丈善一氏も、「今回の試算は、医師の充足率は全国ほぼ一律としている」と指摘、医師の偏在問題を同時に解決しないと、医師不足が顕著な地域の状況は改善されないとした。
 森田座長は、「医師の養成には約10年かかり、40年くらいは仕事をする。一方、日本の人口は2008年をピークに減少しており、全く違った現象が起きている。これらを折り込んで考えなければいけない」と前置きした上で、医師需給バランスをめぐってはさまざまな意見が出ていることを踏まえ、公共政策的な視点からは、下位推計を採用した場合のリスクと、高位推計採用のリスクのどちらが大きいかを見て判断するやり方もあるとした。
■医師の偏在解消、アメか?ムチか?
 医師偏在対策のうち、前述の規制的な対策を講じるべきか否かについては、やや意見が分かれた。
 全日本病院協会副会長の神野正博氏は、医師の養成数を増やさないことには偏在は解消しないと前置きし、「そろそろ何らかの規制による偏在解消が必要な時期に来ている。地域と診療科の両方の規制を同時に考えて行くことが必要」と述べた。東京大学政策ビジョン研究センター特任教授の尾形裕也氏は、診療所開設について、「保険医の配置・定数の設定や、自由開業・自由標榜を見直す」とある点について、診療所に限らず、広く地域の医師配置の在り方を検討すべきと提案。読売新聞東京本社編集局社会保障部次長の本田麻由美氏も、「これまでになかった踏み込んだ提言がなされており、これらを具体化できる提案ができればと思う」と述べた。
 これに対し、規制的な対策に異議を唱えたのが、東京大学大学院医学系研究科附属医学教育国際研究センター教授の北村聖氏。「地域で働くことが楽しいというポジティブな仕掛けが必要。規制をかけることについては、慎重にやってもらい。“ムチ”よりも、“アメ”の仕掛けが必要。『地域で働かないと、幸せにはならない』といった仕掛けはやめてもらいたい」と釘を刺した。
■地域医療支援センターは「芸者のいない置屋」?
 そのほか、医師偏在対策の検討項目の中で議論になったのは、(1)地域医療支援センターの機能強化、(2)フリーランス医師への対応、(3)専門医制度についての対応――だ。
 全国医学部長病院長会議会長の荒川哲男氏は、同会議が提案している通り、医師は出身大学の地域でできるだけ就労できるよう、各大学に「医師キャリア支援センター」を設置し、地域医療支援センターと連携していくことを提案(『医師のキャリア形成、大学が生涯にわたり支援』を参照)。同時に、地域医療支援センターについては、あまり機能していない現状を踏まえ、「いったいどんな機能を強化するのか。ここに託す機能を明確にする必要がある」と指摘した。
 全国自治体病院協議会会長の邊見公雄氏や奈良県知事の荒井正吾氏、岩手医科大学学長の小川彰氏からも、地域医療支援センターが機能していない現状を問題視する声が上がった。「芸者のいない置屋」と称したのが、荒井氏。小川氏も同様に、「配置できる医師がいなければ、センターの機能を強化できない」と述べた。
■フリーランス医師、風当たり強く
 邊見氏は、フリーランス医師にも厳しい目を向けた。麻酔科医、放射線科医、病理医という、「主治医にはならない」分野の医師について、診療報酬上の評価を上げるよう求めてきたものの、「麻酔科医のフリーランスは、少し悪乗りしている」と戒めた。荒川氏は、フリーランス医師を差配する業者を厚労省に登録する仕組みを提案。
 専門医制度について言及したのは、聖路加国際病院院長の福井次矢氏。「専攻医の募集定員枠の設定を入れたことは、高く評価」と述べた上で、全国レベルでの調整が必要だとし、将来的は初期臨床研修と同様に、マッチング的な仕組みも検討すべきとした。
 そのほか日本医師会常任理事の釜萢敏氏からは、「医師や医師の診療行為情報のデータベース化」の重要性を強調する意見も出た。「データが必ずしも十分に整っている現状ではない」とし、出身大学に「医師キャリア支援センター」を設置し、連携も図りつつ、データベース化を進めることを求めた。






















今こそが漱石が読まれるべき時代です

2016年04月22日 10時49分10秒 | 社会・文化・政治・経済
★東日本大震災を経験して以来、自身の中で、「忘れない」という言葉の意味が変わった。
単に過去のこととして、記憶にとどめておくことだけでない。
過去の“あの時”に抱いた思いや経験を忘れないことが、未来を目指して進む道しるべになると知った。
★自然の猛威を前にした時、一人の人間の力は限りなく小さく感じる。
だが人間には、危機の時に寄り添う心、逆境にも耐えて立ち上がる反発力がある。
★今年、没後100年を迎える夏目漱石。
激動の時代と社会を見つめながら「今こそが漱石が読まれるべき時代です」政治学者・県立劇場の理事長兼館長に就任する東大名誉教授の姜尚中(カン・サンジュン)さん
「漱石作品の特徴は、自分ではなく他人を変えようとする行為が引き起こす悲劇です。
今の自分を是として、相手をコントロールしようとするで、多くの人が傷ついていく。
これでもかと彼が描き続けたのは、あくまでも友人や家族といった、人間関係のリアルで冷たいゲームです」
★社会が乱れる時には、最初に人間の思想・宗教の乱れが起きる。
人格を織りなす基となる思想・宗教の乱れには、必然的に人間の心と行動の乱れを引き起こし、やがては多くの人々の乱れ。社会の混乱へとつながっていく。
ゆえに、いつの時代にあっても、未来を開く卓越した思想・哲学が求められる。

何かで自分を変えたい

2016年04月22日 04時40分08秒 | 創作欄
東日本大震災の衝撃が、額田治郎の生き方を変えた。
前日まで、額田は陸前高田に滞在していたのだ。
陸前高田
昭和30年(1955年)1月1日 - 高田町・気仙町・広田町・小友村・竹駒村・矢作村・横田村・米崎村が合併し、陸前高田市となる。

東日本大震災

2011年(平成23年)3月11日、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生した。
隣接する市町村の震度は、大船渡市・一関市・宮城県気仙沼市が震度6弱、住田町は5強であった。
同市の震度は欠測だったが、市の発表による災害状況では6弱とされている。
この地震が引き起こした大津波によって市役所庁舎を含む市中心部が壊滅し、市の全世帯のうち7割以上が被害を受けた。
また、市域にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の5駅のうち4駅(大船渡線の竹駒駅・陸前高田駅・脇ノ沢駅・小友駅)は、周辺地域の多くの駅同様、駅舎などが流失し、線路も大きな被害を受けた。
4月9日:この時点で判明していた陸前高田市における死者は1,211人、行方不明者1,183人、避難者16,579人。
4月14日:GPS(全地球測位システム)を用いた国土地理院の調査の結果、岩手県・宮城県・福島県の広範な沿岸地域において、この地殻変動による著しい地盤沈下があったことが明らかとなった。
特に岩手・宮城両県境付近の変動量は大きく、最大は牡鹿半島の-120 cm, 陸前高田市は小友町西の坊が-84 cmで市街地中最大、同じく米崎町高畑は-58 cm, 同じく気仙町双六は-53 cm, 他では宮城県石巻市が-78 cm, 気仙沼市が-76 cm, 岩手県大船渡市が-73 cmであった。
岩手県総合防災室によると、2012年8月11日現在で陸前高田市における死者は1,555人・行方不明者は223人で、行方不明者のうち陸前高田市が死亡届を受理した件数は205人である。
陸前高田の木造駅舎は東日本大震災の大津波で流失。
太平洋に面した三陸海岸の南寄りに位置する。
三陸海岸南部はリアス式海岸が続き、西の唐桑半島と東の広田半島に挟まれた広田湾の北奥に市中心部のある平野が広がる。
小さな平野ではあるが、山が海に迫る地形が続く三陸海岸では最大級のものである。
広田湾奥には気仙川が流れこんでおり、その運ぶ土砂で形成された砂州には高田松原と呼ばれる松原が東西に続く。
高田松原の北に古川沼があり、その先の山麓に中心市街地があり、その北には氷上山がそびえる。
広田半島には椿島などの景勝がある。
額田は仙台には毎年仕事で行っていた。
その日、想い立って仙台から陸前高田まで足を延ばしてみた。
高田松原を一度、見ておきたいと思ったのだ。
旅行らしい旅行をほとんどしない仕事人間の額田であったが、地方出張のついでに訪れた場所は少なくない。
そのような場所が記憶に留まり、額田の心を満たしていた。
1日違いで彼は難を逃れたのであり、改めて自分は生かされたのだと思った。
額田はそれまで午前6時の始発バスで、取手駅から東京・神保町まで通勤していたが、4時に起きて家を5時に出て徒歩で約25分、取手駅まで向かう生活習慣に変えたのである。
何かで自分を変えたいという気持ちが、額田を突き動かしたのだ。
彼は55歳を過ぎており髪の毛のだいぶ抜けてきた。
縁がなく独身身であり生活習慣を変えるのも気ままであった。
住む家は中古の2階建の1軒屋であり、庭は何時も殺風景である。
そろそろ定年後の生活についても考える身ともなっていた。
彼の身を案じる妹が、時々電話をかけてくる。
そして聖書の小冊子を毎月、送ってくるのである。