「日本は理想郷」ネオ親日派は中国を変えるか
DIAMOND online 2016年4月22日
姫田小夏 [ジャーナリスト]
上海の徐匯区にある日本風居酒屋を訪れた。大漁旗が掲げられた店内には、短冊に書かれたメニューが壁一面に広がり、70年代のフォークソングが流れる。東京の下町の居酒屋をそのまま上海に持ってきたかのような空間だ。
この店の経営者は上海人で、お客さんも圧倒的に中国人が多い。かつて、上海の居酒屋といえば日本人駐在員のたまり場だったが、今では中国人プロデュースのこだわりの店で、地元の中国人が徳利を傾け居酒屋文化を楽しんでいる。
地下鉄2号線静安寺駅の百貨店では、特設コーナーを設けて“日本発のアイディア商品”が売られていた。かつて、こうした商品は上海在住の日本人が好んで消費していたが、今では地元の主婦らが手に取るようになった。
日本語学習も新たな世代を中心に熱を帯びる。筆者も「日本語、教えて」と言われることがにわかに増えた。
こんなこともあった。街中を歩いていると、たまたま中国人の女性営業社員のビラ配りに出くわした。そのうちのひとりが筆者を日本人だと見抜いた瞬間、こう奇声をあげたのである。
「わーっ、日本人なんですね~、私、日本語勉強中なんですぅ」
隣の女性社員が赤面しながらすかさず解説を加えた。
「この子は習いたての日本語をしゃべりたくてしょうがないんです。仕事中もわけのわからない日本語をひとりでつぶやいているんですから」
上海にはかつてから日本ファンも少なくなかったが、たとえ日本に関心があっても口にするのは憚られたものだった。最近は世代交代もあり、だいぶ自由な空気になったようだ。「日本が好き」「日本はいい」と、堂々と人前で言えるような雰囲気が醸成されつつある。
安徽省出身の李娜さん(仮名)は、昨年、初めて訪日旅行を計画した。だが、両親にはなかなか切り出せずにいた。勇気を出して父親に電話したのが出発の前日。日本行きを切り出すと父親は案の定、「日本に行くなどもってのほか。すぐに取り消せ!」と電話口で怒り出した。
最後は母親が仲裁に入り、その場をとりなした。翌日、彼女はなんとか上海発大阪行きの便に予定通り乗り込むことができた。「父親も自分の考えが古いことに気づいたようだ」と李 さんはいう。
訪日旅行は個人で行くのが上海スタイルだ。その個人旅行がブームになっている様子を、会社員の顧佳さん(仮名)は次のように語ってくれた。
「私のwechat(LINEのような中国のスマホアプリ)には100人ほどが登録されていますが、『モーメント』という機能を利用して、いつも誰かが日本で撮った画像を発信しているんです」
少なくとも顧さんの周りの友人は、年間通して日本を訪れているのだ。「今、××にいる」「今××を食べている」など、日本を体験する様子はスマートフォンを通してたちどころに広まる。
■「民主」に目覚めた新世代にとって日本は「理想郷」
一方で、日本に駐在する上海人の沈蓉さん(仮名)は、こうした訪日旅行者たちのコメントを見て驚く。
「10人のうち9人が、日本をベタ褒めしているんです。警察官も駅員もみんなやさしい、区役所の公務員ですら親切。日本は国民を大事にする国だと。これはむしろ、中国社会に対する怒りの裏返しであり、中国政府へのあてつけだとも言えるでしょう」
なぜ中国人はこんなことに感心するのか。
中国では「公僕」という概念は薄く、一般市民にとって公務員とはまさに腐敗・堕落の象徴だからだ。公安(日本の警察官に相当)に至っては、良心に従い公平中正に職務を遂行するどころか、因縁をつけて金をせびる醜悪な存在というイメージが強い。中国には毛沢東時代の「人民のために尽くす」というスローガンがあるが、現代の社会において形骸化したこの言葉は一種のジョークとして使われるに過ぎない。
「こうした現実の中で生きる中国人にとって、日本は理想郷のように映る一面があります」と沈さんは話す。もちろん、日本も一皮めくれば矛盾だらけで課題山積みではあるが、「市民目線での制度設計や行政サービス」については、注目に値するのだという。
他方、衣食足りて「民主」の重要性に気づいた国民は、もはや黙ってはいられない。しかし、表立って政府を批判できないのが中国である。そこで日本を徹底的に褒めちぎろうというわけだ。中国政府に向け皮肉たっぷりの民意を伝える――、これが今、中国の国民のささやかなるレジスタンスなのである。
■日本に学んだ清の留学生が革命を起こした
中国人が日本を批判することはあっても褒めることは少ない、というのが筆者のこれまでの実感である。「日本を褒める」というのはこれまでにもあるにはあったが、「やっぱり中国の方が優れている」と結論付けるのがお決まりのパターンだった。訪日観光においても「日本の観光地はスケールが小さい」「××文化は中国が起源」など、すぐに中国の優位性を主張するのが中国人観光客の癖でもあった。
中国は伝統文化における「絶対の自信」を持っている。その源流には印刷術や羅針盤、火薬の発明がある。さかのぼれば、明治時代、日本と中国は近代化において好対照を成した。明治維新において日本が必死に近代西洋文化の吸収に努めたのに対し、当時の清国は自国の文化を過信し、西洋文化には無関心だった。
実藤恵秀は著書「中国人日本留学史」の中で、中国の近代化の遅れの思想的原因はここにあると指摘する。西洋のもので優れたものがあれば(たとえば武器など)「起源は中国にある」とする「中国起源説」に置き換えることも行われた。ちなみに、中国を起源に求める発想はいまだにある。「真摯に相手を認め、そこから学ぶ」というのは得意でないようだ。
その相手が日本となれば、抵抗は増す。歴史的経緯があるためだということは言うまでもない。また、近年は日中の経済格差が縮まりバブル経済の高まりとともに「小日本(シャオリーベン)」と見下す態度が強まった。日本の製造技術が伝わり、アニメ文化が浸透しても、「日本の社会」に関心を寄せる市民はまだまだ少数に限られていた。
ところがここ数年、訪日旅行が復活し、一種のブームにもなった。昨年、中国からは500万人近い観光客が日本を訪れた。特に上海市民を中心に世代交代とマインドの切り替えが進み、虚心坦懐に「今の日本」を受け入れるようになった。そして日本を「いい」と言えるようになった。これは大きな変化である。
今からちょうど100年以上前には清国からの留学生─魯迅も含む─が日本に大挙して押し寄せた。彼らの中には祖国の革命に自らを賭した者もいる。そして時代は変わり、今は中国の民衆が訪れるようになった。その眼に映し出されたのは「民ありき」の日本社会である。果たして彼らは中国を変える原動力になれるだろうか。