numata727 さんが 2015年04月11日 に書かれた記事をお届けします

2016年04月11日 21時40分19秒 | 医科・歯科・介護
真に健康な人生

人間の本性に備わる少年のような無垢の心根「沈黙の春」を著したレイチェル・カーソンは、地球環境の汚染にいち早く警鐘を鳴らした。また、自然界に備わるワンダー(神秘や不思議)への驚きを綴った小品「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン著)では、自然への豊な感性を子どもたちが培い、終生それを失うことがなければ...
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ささいな口喧嘩

感情的になりやすい人は心が幼稚であり、修養が足りないのだ。なるほど、自分の欠点である。徹はつまらないことで彼女と口喧嘩をしてしまい、彼女の部屋から飛び出した。「どう言えば、分かってもらえるのかしら?」弾けるような笑顔が魅惑的な恭子は、険しい顔となっていた。午前12時を過ぎており終電は行ってしまった。酒屋の店頭...
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ジャーナリスト殺害 メキシコでは過去100人以上

国際ペンは、日本のジャーナリスト、後藤健二氏(42)が、「イラクとシリアのイスラム国」(ISIS)と称する反乱グループによって殺害されたことに衝撃を受けている。グループは、経験豊かな戦場ジャーナリストで作家の後藤氏を斬首するビデオを公開した。後藤氏は、ISISに捕えられていた治安コンサルタントの湯川遥菜氏の安...
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私が子ども時代に出会った本

お知らせ・活動報告 講演会「私が子ども時代に出会った本―下重暁子、森絵都、片川優子」4月25日開催 於:国立国会図書館共催:一般社団法人日本ペンクラブ、国立国会図書館国際子ども図書館日時:2015年4月25日(土)14時〜16時(予定)(13時30分開場) 講師:下重暁子氏、森絵都氏、片川優子氏(作家) 場所...
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日本医療研究開発機構

世界水準の医療を実現できるのか?日本医療研究開発機構ゼロからの新しい発想で組織を作り、患者サイドに届ける成果を最大化、最速化する。日本の医療の研究開発の進め方を変えるような難題に挑む。平成25年12月内閣官房健康・医療戦略室https://nk.jiho.jp/servlet/nk/release/pdf/1...

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期待される人ほど、その通りの成果を出せる

★人の為に生きるのが最も生きがいある人生−アイシュタイン★語学力も大切であるが、幅広い教養や論理的思考力を兼ね備えた人材を育む。★他者と協力し、団結していければ、その相乗効果は大きい。★期待される人ほど、その通りの成果を出せる。期待し、そして励ましは、一人一人に内在する限りない可能性を引き出すこである。★人生...
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寛大さや柔軟さ 健康や寿命に寄与

より主体的に人とのつながりを持っている人のほうが長生きする傾向にある。人とのつながりが大切なのは、自分が助けられる以上に、自分が誰かを助け、役立つことが愛着の安定や生きる力につながるからだ。アルツハイマー病や認知機能の低下には、孤独が深く関わっていることが多くの研究者が指摘している通り、人との関わりは私たちが...
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△▼厚生労働省▼△ ・平成28年4月8日付大臣会見概要

2016年04月11日 21時36分54秒 | 医科・歯科・介護
△▼厚生労働省▼△

新着情報配信サービス

      04月11日 10時 以降掲載

○ 大臣会見等

・平成28年4月8日付大臣会見概要
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220663

○ 報道発表

・医薬品成分を含有する健康食品の発見について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220665

・女性の活躍促進に向けた配偶者手当の在り方に関する検討会報告書を取りまとめました
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220667

・第170回労働政策審議会雇用均等分科会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220669

○ 政策分野

・看護師の特定行為研修に関する説明会
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220671

・感染症・予防接種相談窓口
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220673

・ストレスチェック等の職場におけるメンタルヘルス対策・過重労働対策等
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220675

○ 審議会等

・第129回労働政策審議会労働条件分科会
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220677

・第2回食品衛生管理の国際標準化に関する検討会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220679

・薬事・食品衛生審議会 医薬品第二部会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220681

・第4回介護のシゴト魅力向上懇談会について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220683

・柔道整復師学校養成施設カリキュラム等改善検討会(第2回) 議事録(2015年12月11日)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220685

・第170回労働政策審議会雇用均等分科会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220687

・審議会、研究会等予定
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220689

・第18回社会保障審議会介護給付費分科会介護事業経営調査委員会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220691

○ その他

・フォトレポート(平成28年度入省式の訓示のなかで『すべての人が輝く社会』の構築に全力で取組むことを強く伝える二川事務次官)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=220693













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「医療機器関連通知」が発出

2016年04月11日 21時33分22秒 | 医科・歯科・介護
┏━━━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━━━┓

「医療機器関連通知」発出のお知らせ (2016/04/11 配信)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

「医療機器関連通知」が発出されましたのでお知らせいたします。

(2016年4月8日付)
「電波環境協議会による「医療機関において安心・安全に電波を利用するための手引き」について」
http://www.pmda.go.jp/files/000211546.pdf

今般、電波環境協議会により、「医療機関において安心・安全に電波を利用するための手引き」
(以下「手引き」という。)がとりまとめられ、その周知を通知するものです。
なお、手引きは、以下の電波環境協議会ホームページから入手可能です。
http://www.emcc-info.net/info/info280404.html

医療機器関連通知は当機構ウェブサイト
http://www.pmda.go.jp/safety/info-services/devices/0001.html でご覧いただけます。




┏━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━┓

「独立行政法人医薬品医療機器総合機構法施行規則の一部を
  改正する省令の施行について」のご案内
                      (2016/04/11配信)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

日頃よりPMDAの業務にご理解、ご協力いただきありがとうございます。

医薬品副作用被害救済制度に基づく給付については、厚生労働大臣による
医学・薬学的判定に基づいて給付の支給の可否を決定します。
この決定に対して不服がある請求者は、厚生労働大臣に対して審査を
申し立てることができます。平成28年4月1日より、審査の申し立ての期間が、
支給の決定があった日の翌日から三月以内となりました(従来の二月から
延長)ので、ご案内いたします。

引き続き、医療関係者の皆様におかれましては、対象者の方の請求に際しては、
診断書等の作成についてご協力をお願いいたします。

詳細については、下記のアドレスからご覧いただけます。
○医薬品副作用被害救済制度に関する業務 
http://www.pmda.go.jp/relief-services/adr-sufferers/0001.html
○生物由来製品感染等被害救済制度に関する業務
http://www.pmda.go.jp/relief-services/infections/0001.html

また、医薬品副作用被害救済制度について特設サイトを設けておりますので、
ご案内いたします。
●医薬品副作用被害救済制度の特設サイトはこちら
→ http://www.pmda.go.jp/kenkouhigai_camp/index.html













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numata727 さんが 2015年04月10日 に書かれた記事をお届けします

2016年04月11日 21時14分57秒 | 医科・歯科・介護
仏道修行

沼田利根は大学頃、友人の座禅に疑念を抱いた。「沼田君、君は何分座禅をしたのかね?」「15分です」「15分?!そんなの座禅のうちに入らんぞ! おれは1時間座禅をした。最低1時間は座禅をしろよ」別の先輩は座禅を3時間である。さらに、先輩は滝に打たれる修行もしていた。その時間も1時間である。仏道修行はある種の快感を...
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私、大正ロマンに憧れるのよね)

有希子は「私、大正ロマンに憧れるのよね」と言った。日本酒好きの有希子は酔うとロレツが回らくなり、幼児言葉となった。「私、どうしまちょう」と目が定まりなくなり、徹に身を寄せた。「送っていくから、ゆきちゃん、ちゃんと歩くね」だが有希子は「もう、むりでちゅ」となおも身を寄せてくるのだ。突然、編集長が結核で入院して、...
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年上の有希子



白と黒赤と黒有希子の服装は常にそのツートンカラーで統一されていた。彼女の個性なのか自己主張の表れなのか?と徹は想ってみた。そして髪型は、彼女が憧れていたヘップバーンスタイルであった。「ゆきさんは、長い髪の方が似合うと思うけど」と徹は言ってみた。「音大時代は長く伸ばしていたのよ。でも、今はこれね」有希子は鏡を見...
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強まる「同調圧力」。メディアは加担していないか

2016年04月11日 21時06分49秒 | 社会・文化・政治・経済
クロ現元キャスター、国谷裕子さん
あの菅官房長官インタビューを語る
―こだわってきた「問いを出し続けること―


BuzzFeed NEWS 2016年4月8日
石戸諭 BuzzFeed News Reporter

■強まる「同調圧力」。メディアは加担していないか。
NHKクローズアップ現代の元キャスターで、先月降板したばかりの国谷裕子さんが論壇誌「世界」5月号に寄稿し、23年間のキャスター生活を振り返った。
タイトルは「インタビューという仕事」。
その中で、国谷さんは少数派や異質なものを排除しようとする「同調圧力が強くなってきている気がする。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前だ、といった圧力。そのなかで、メディアまでが、その圧力に加担するようになってはいないか」と書く。
国谷さんがこだわってきたのは「言葉の持つ力」。インタビューという仕事だった。キャスターとして「最初に抱いた疑問を最後まで持ち続け、視聴者の思いを掬い取り、納得がいくように伝えるということが大事だ」という。
■問いを発する理由 フェアなインタビューとは何か。
例示されたのが、集団的自衛権の部分的行使を可能したことについて、菅義偉官房長官に問うたインタビューだ。この放送は菅長官周辺から抗議があり、降板の伏線になったのでは、という声もあがったいわくつきのインタビューだ。
時間は14分弱。大筋は、ホームページで確認できるが、カットされた部分がある。
国谷さんが番組の最後、残り30秒を切った時、「しつこく」問いを発した箇所だ。
国谷さん「しかし、そもそも解釈を変更したということに対する原則の部分での違和感や不安はどうやって払拭していくのか」
菅官房長官が答えようとした時に、番組は終わった。時間も少ないのに、なぜ問うのか。
「日本では、政治家、企業経営者など説明責任のある人たちに対してでさえ、インタビューでは、深追いはしない、相手があまり話したがらないことは、しつこく追及しないのが礼儀といった雰囲気がまだ残っている。(中略)批判的な内容を挙げてのインタビューは、その批判そのものが聞き手の自身の意見だとみなされてしまい、番組は公平性を欠いているとの指摘もたびたび受ける」。
こうした批判を受けてもなお、必要なフェアなインタビューとは何か。国谷さんはこう書く。
「聞くべきことはきちんと角度を変えて繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせる、それがフェアなインタビューではないだろうか」
■「問いを出し続けること」
だからこそ、クローズアップ現代では、NHK批判の声も避けなかった。2014年3月、国谷さんは駐日米大使、キャロライン・ケネディさんへのインタビューでこう語った。「日本とアメリカの関係は、安倍政権の一員、それにNHKの経営委員や会長の発言によって影響を受けていると言わざるを得ません」。
キャスターとは何か、国谷さんの言葉は核心へと向かう。
「(キャスターの仕事とは)問いを出し続けることであったように思う。それはインタビューの相手にだけでなく視聴者への問いかけであり、そして絶えず自らへの問いかけでもあったような気がしている」。

クロ現元キャスター、国谷裕子さん
あの菅官房長官インタビューを語る
―こだわってきた「問いを出し続けること―


BuzzFeed NEWS 2016年4月8日
石戸諭 BuzzFeed News Reporter

■強まる「同調圧力」。メディアは加担していないか。
NHKクローズアップ現代の元キャスターで、先月降板したばかりの国谷裕子さんが論壇誌「世界」5月号に寄稿し、23年間のキャスター生活を振り返った。
タイトルは「インタビューという仕事」。
その中で、国谷さんは少数派や異質なものを排除しようとする「同調圧力が強くなってきている気がする。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前だ、といった圧力。そのなかで、メディアまでが、その圧力に加担するようになってはいないか」と書く。
国谷さんがこだわってきたのは「言葉の持つ力」。インタビューという仕事だった。キャスターとして「最初に抱いた疑問を最後まで持ち続け、視聴者の思いを掬い取り、納得がいくように伝えるということが大事だ」という。
■問いを発する理由 フェアなインタビューとは何か。
例示されたのが、集団的自衛権の部分的行使を可能したことについて、菅義偉官房長官に問うたインタビューだ。この放送は菅長官周辺から抗議があり、降板の伏線になったのでは、という声もあがったいわくつきのインタビューだ。
時間は14分弱。大筋は、ホームページで確認できるが、カットされた部分がある。
国谷さんが番組の最後、残り30秒を切った時、「しつこく」問いを発した箇所だ。
国谷さん「しかし、そもそも解釈を変更したということに対する原則の部分での違和感や不安はどうやって払拭していくのか」
菅官房長官が答えようとした時に、番組は終わった。時間も少ないのに、なぜ問うのか。
「日本では、政治家、企業経営者など説明責任のある人たちに対してでさえ、インタビューでは、深追いはしない、相手があまり話したがらないことは、しつこく追及しないのが礼儀といった雰囲気がまだ残っている。(中略)批判的な内容を挙げてのインタビューは、その批判そのものが聞き手の自身の意見だとみなされてしまい、番組は公平性を欠いているとの指摘もたびたび受ける」。
こうした批判を受けてもなお、必要なフェアなインタビューとは何か。国谷さんはこう書く。
「聞くべきことはきちんと角度を変えて繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせる、それがフェアなインタビューではないだろうか」
■「問いを出し続けること」
だからこそ、クローズアップ現代では、NHK批判の声も避けなかった。2014年3月、国谷さんは駐日米大使、キャロライン・ケネディさんへのインタビューでこう語った。「日本とアメリカの関係は、安倍政権の一員、それにNHKの経営委員や会長の発言によって影響を受けていると言わざるを得ません」。
キャスターとは何か、国谷さんの言葉は核心へと向かう。
「(キャスターの仕事とは)問いを出し続けることであったように思う。それはインタビューの相手にだけでなく視聴者への問いかけであり、そして絶えず自らへの問いかけでもあったような気がしている」。















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五色の虹

2016年04月11日 06時00分10秒 | 社会・文化・政治・経済
1938年、日本の関東軍が主導した傀儡国家・満州国(現在の中国東北部)で、国家指導者を養成するための最高学府「建国大学」が創設。
日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から、えりすぐりの学生が集まった。
しかし、第2次世界大戦の敗戦とともに開学後わずか8年で閉学に。
戦後70年を経た昨年、足掛け4年、5か国にわたる朝日新聞の取材で同大学出身者たちの軌跡を追ったドキュメンタリーが第13回開高健ノンフィクション賞に選ばれ、「五色の虹」(集英社)として上梓。
満州国の実態は、日本人による他民族支配だった。
「建国大学」も、日本の軍国主義が産んだ未完成の教育機関であったと言わざるを得ない。
敗戦後、大学は必然的に崩壊し、出身者の多くは辛い経験を味わった。
しかし、この大学は、日本が初めて独自に創設した「国際大学」であったことも事実。
大学は「五族協和」の“成果”を国際社会にアピールする「実験場」であり、「広告塔」の役割を担っていた。
キャンパス内では「言論の自由」が保障されていた。
戦時下の日本国内における言論統制を思えば、これは驚くべきことだった。
大学は全寮制で、寝食を共にする学生たちが毎晩のように「座談会」を開いていた。
現在の日本人と比べても、彼らは、はるかに国際的だった。
国際社会で生き残るには異民族との交流が不可欠である、と。
その意味で、建国大学出身者たちは、極めて現実的な思考の持ち主だったと思われる。
卒業生の一人は「衝突を恐れるな」「知ることは傷つくことだ。傷つくことは知ることだ」と語った。
傷つくことを恐れない勇気。
意見の違いを認めつつ相手を受け入れる度量。
そうした人間としての器の大きさは、彼らの“特長”であるように感じた。
戦後70年にわたって途絶えることがなかった同窓生たちの交流は特筆に値する。
彼らの友情は、国交が断絶している国同士でも継続。
特殊なルートで連絡先をたどり、物心ともに支え合いあった。
なぜなら、多感な青年期の大部分を共有し合った絆があったからだ。
若者同士が対等な立場で生活を送れば民族の間の優劣の差などないことは簡単に見抜いてしまう。
建国大学同窓生の国境を超える交流は、国際教育の在り方を考える上で示唆を含んでいる。
著者の三浦英之さんは、1974年、神奈川県生まれ、京都大学大学院修了後、朝日新聞社に入社。
東京社会部、新潟総局、東日本大震災直後の南三陸駐在を経て現在、アフリカ特派員(南アフリカ・ヨハネスブルク支局長)。


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以下は人様のブログからの引用である。
多くのことを教えられた。
『五色の虹』の筆者三浦英之は朝日新聞記者。2010年から翌年にかけて「建国大学」に関する取材にとりくみ、一部は夕刊紙に連載されたとのことである。
 2011年の東日本大震災の取材、その後の米国留学などの間に原稿をまとめ、建国大学同窓会の人々の協力による裏づけを得たのち、出版を決意したという。

インタビューに応じてくれた人々が高齢であることからの「曖昧さ」、あるいはその人が暮らす国の政治状況に対する配慮から、一時は本にすることを断念しようとも考えたとのことだが、かえって建国大学卒業生の人々から背中を押してもらったという。開高健ノンフィクション賞に応募し、受賞したことで書籍化への道が開けたという。
 出版は昨年の12月。
私は東京新聞の書評で知り、5日に外出した際にジュンク堂で購入した。
上記のことから、いつかもっと詳しいことを知りたいと思っていたのだった。
 本を買って帰ると、まずパラパラと拾い読みをしてみる。
そうして読む順番を決める。今すぐに必要な情報が得られそうか、少し腰を落ち着けて読んだ方がよさそうか、などのあたりを付けるのである。
 読み出したら止まらなくなる本というものがある。
他に読みかけの本もあったのだが、こちらを優先させることにした。7日には読み終わった。力作だと思った。よくぞ書いたと思った。



 「建国大学」は満州国の崩壊とともに歴史の闇へと姿を消した。開校して8年弱という歴史の乏しさもあり、大学の資料はほとんど残っていないという。というより、敗戦と同時に焼却されてしまった資料も多いことだろう。
 戦後に卒業生たちがたどった運命もまちまちである。「建国大学」の卒業生・在学生であったことを伏せなければ生き延びられなかった時代を過ごした人も多いようだ。だが、卒業生同士の連帯感は強く、お互いに連絡を取り合いながら名簿などは整理されてきたらしい。「満州建国大学卒業生たちの戦後」というサブタイトルのとおり、各国に散らばった卒業生を訪ね歩いてのインタビューを骨格にしている。卒業生の人々にしてみれば、「今、話しておかなければ」という気持ちがあったのではないか? その語り口をみると「これが最後になるかも知れない」という心情がひしひしと伝わって来る。



 三浦が書く通り、建国大学は「日本の帝国主義が生み出した未熟で未完成な教育機関」であったことは間違いないだろう。当初に掲げた「五族協和」の理念も開校数年後には神道や天皇崇拝の強制がはじまり、植民地下における支配と被支配という、そもそもの矛盾を覆い隠せるものであり得るはずもなかった。
 それでも、学費・学寮生活費は免除、他に官費で月5円を支給、言論の自由は完全に保障されるというばかりでなく、むしろ学生たちのみによる宿舎ごとの討論会が奨励される、図書館ではマルクス主義の文献や孫文の著作も自由に閲覧できるという、きわめて実験的な教育方針には興味をそそられる。貧家に育ったために進学を断念せざるを得なかった秀才たちが、その建学精神に呼応して(そうでなくともそれぞれの志を抱いて)きそって受験したため、「建国大学」は超難関校となったというのはあながち嘘ではないだろう。「建国大学」一期生は全部で150人、うち日本人65人、中国人59人、朝鮮人11人、ロシア人5人、台湾人3人であるという。受験生は約1万人であったとのことだ。(ついでにここで書いておくと、入学後は宿舎内も同一の民族ばかりにならないようにし、床をとる順番も互い違いになるよう規則が定められていたという。)



 「建国大学」の発案者は石原莞爾であるとのことだが、その石原はそのあり方について①建国精神、民族協和を中心とすること、②日本の既成の大学の真似をしないこと、の他に、③各民族の学生が共に学び、食事をし、各民族語でケンカができるようにすること、④学生は満州国内だけでなく、広く中国本土、インド、東南アジアからも募集すること、⑤思想を学び、批判し、克服すべき研究素材として、各地の先覚者、民族革命家を招聘すること、といった意見を述べたという。
 これらがその通りに実現されたわけではないが、⑤にしたがって先述のトロツキー招聘も構想されたし、実際に1919年に朝鮮で起こった「三・一独立運動」で「独立宣言書」を起草した崔南善が教授として採用された。その崔南善にひかれて「建国大学」に二期生として入学した姜英勲氏は後に韓国首相となり、南北初の首相会談を実現させた人物である。
 「建国大学」に通っていた非日系の学生の多くは、戦後「日本帝国主義への協力者」とみなされ、自国の政府・民間から厳しい糾弾や弾圧を受けた。
 ただ韓国のみが母国にもどった彼らを「スーパーエリート」として国家の中枢に組み込もうとした。それは語学力や国際感覚に優れていただけでなく、当時国家が最も欲していた軍事の知識を習得していたからだ、というのには考えさせられてしまうが、韓国が置かれた歴史的地位を思えば納得せざるを得ないのかも知れない。
 姜英勲氏は陸軍中将として士官学校校長にまで昇り詰めたが、その姜氏をもってして、朴正煕のクーデターを批判したために4ヶ月の投獄ののち、アメリカへの亡命同然の生活を送らざるを得ないほど、卒業生たちの人生は順調ではなかった。姜氏が首相として招聘されるのは士官学校時代の教え子である盧泰愚が大統領に就任したときである。



 大連で取材にのぞんだ一期生の楊増志氏は、在学中に反満抗日運動のリーダーとして地下活動中に検挙されたという人物であるが、中国当局からマークされていたらしく、インタビュー中に長春包囲戦に話題が及んだとき、突然取材が中止された。長春で取材の約束をとりつけていた七期生の谷学謙氏は幾多の変転の上、中国教育界の重鎮の地位を占めるにいたった人物であり、中国での取材ビザの申請にも尽力があったということだが、どのような力が働いたのか、直前になってキャンセルされた。
 三期生のモンゴル人学生であったダシニャム氏は満州国軍司令官であったウルジン将軍の息子である。そのウルジン将軍の名誉回復がなされたのは1992年になってのことだという。今はカザフスタンのアルマトイで暮らすスミルノフ氏もロシア革命から逃れてきた白系ロシア人の末裔として、他の人々とはまた違った苦難の人生を歩んできた人物である。



 こうして内容を紹介していると、とりとめもなくなってしまう。日本人卒業生については端折ってしまったが、収録されている在学中の日誌を読むと、政府が掲げる建学の理想と現実との矛盾に直面せざるを得なかった日本人学生の心の葛藤を知ることが出来る。また、卒業生のつながりが国境を越えたものであることも知ることが出来る。
 最後に台北に住む一期生の李水清氏のことを紹介して終わりにしよう。頭脳の明晰さから「台湾の怪物」と呼ばれたとのことだ。その李氏が三浦から楊増志氏のことを伝え聞いたとき、大声で笑い出し、次のように語ったというのである。

 「いや、なに、君はまったく心配しなくていいんだよ」(彼は)「格好いいところを見せたかったんだよ」「君だけにじゃない。君の背後にいるたくさんの同期生たちににね。俺は共産党政府なんぞには屈していないぞ、楊増志、未だ反骨精神ここにありってね。」「逮捕されては釈放され、釈放されてはまた逮捕される。その連続こそが彼の人生そのものだったんだ。でも誰も--少なくとも元建国大生は--彼を絶対に軽蔑しない。彼は凄い男なんだよ。」



 「建国大学」は日本の傀儡国家であった満州国の支配のために作られた国策大学であり、「当初の崇高な理念は物理的な閉学を待たずにすでに崩壊して」いたことには、いささかの留保を加える必要もないことは明らかだろう。しかし、そこで青春を過ごした者同士に生まれた絆と信頼が、地理的な壁、時間的な壁を越えて強固に結ばれていたことも信じていいように思ったのである。



三浦英之『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』集英社(2015.12)

※一度アップした後も書き足りない気持ちでいっぱいだ。
それは一人一人の人生についての紹介はこんなものではとうてい足りないという思いに近い。
「建国大学」はいうなれば負の遺産である。
そうであるから、忘れたふりをしたり、否認したりもしたくなるだろう。
しかし、そこにも否認し得ない人間の営みがあり、喜び悲しみの人生があった。
そして、白系ロシア人スミルノフをして「古い友人がはるばる遠くの国から私を訪ねてきてくれた。
…神よ、あなたは私に最高の人生を与えてくれた」といわしめている。それもこれも、今、書きとめておかなければ、いずれは消えてしまう。
若きジャーナリストである三浦英之が一冊の書物としてこれらの一人一人の人生を書き残してくれたことに心から敬意を表したい。









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「人生ボックス」

2016年04月11日 03時08分04秒 | 創作欄
小峰徹は、極平凡な人間である。
だが、努力もしないで、高望をしてきた。
世の中、甘くはないし、「美味しい話」などがあるはずがない。
徹が人生に躓いたのは、母の遺産の500万円が転がり込んできたことである。
500万円は中小企業に勤務する安月給のサラリーマンにとっては、大金とも言えた。
その500万円を元手に何かできないかと考えていた。
徹が居酒屋で出会った女が「スナックの経営をしたい」と言っていた。
女は北松戸駅の西口の線路沿いで競輪の新聞を売っていた。
その女が取手駅前の居酒屋で競輪ファンの一人に酒を奢られていたのだ。
「何時までも、競輪の新聞なんか売ってられないよ。私もう40になったのよ」女は日本酒のコップ酒を飲んでいた。
「そうだよな。新聞売りではたいした金にならないような」60代と思われる男はチャップリンのような口ヒゲであった。
男は大きな眼で女の太ももに視線を注いだ。
女は気付いて露わな太ももを隠すように黒いミニスカートの裾を指で引いた。
短いスカートの女の肉感的な太ももに徹も好色な眼を向けていたのだ。
「俺も来年は定年だ。退職金が出たら金を出してやろう。スナックでもやればいい」男は女の太ももに手を添えた。
「ホント!嬉しいよ。いいのね。本気にして」女は身をくねるようにして男に身を寄せたのだ。
40代の徹は500万円を何とは増やして、その男に対抗した気持ちになってきた。
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詩から決別

2016年04月11日 01時11分44秒 | 創作欄
「君が、歯科界・歯科業界で力あるジャーナリストを目指すなら、バックボーンを持ちなよ」
巣鴨の寿司店「蛇の目」で美味しい寿司をご馳走になった時、歯科企業の中で傑出している人物と目されていた村上富治が小峰徹に言った。
その一言が深く心に残った。
ある意味で胸に刺さった刃のようなものであった。
学生時代の彼は、作家の夏目漱石を崇拝し、モラルバックボーンを志向していた。
だが4年間、恋慕っていた女性から「辛辣なことを言うようだけど、あなたは堕落しているようなのね。あなたの詩を読んだ私の姉が言うの。姉は私より詩が分かっているので、姉の指摘を信じるわ」とぐさりと言われてしまった。
彼女の父親の葬儀の時に、彼女以上に美しい彼女の姉が焼香者たちに丁寧に頭を下げていた姿が浮かんできた。
和装の喪服姿のその人は怜悧な目線を真直ぐに徹にも向けた。
太田幸恵は常に寡黙で伏し目がちの人であったが、彼女の姉は凛として気丈夫に応対していた。
母を8歳で亡くした3人姉妹の長女の姿に改めて彼は瞠目した。
<詩が不本意にも、あらぬ誤解を生んでしまった>
詩に託した[心の表現・恋心の表出]
何と理不尽なのか!
徹は詩から決別するとともに、漱石からドストエフスキーへ傾倒していったのだ。
桜の季節は、徹にとって苦い思い出にもつながっていた。

 









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