2車単で勝負

2016年06月07日 19時44分30秒 | 未来予測研究会の掲示板
競輪仲間の机龍太郎が「武蔵さん、競輪が今までのようにワクワクしなくなった」と言っていた。
龍之介は、早々と1レースから競輪場へ来ても車券を買わない。
迷っているわけではない。
勝負する気が起きないので、車券を買わず見ているのだ。
宮元武蔵は、食堂で昼飯を食べながら日本酒を2合飲み、それから競輪場へ足を踏み入れる。
彼が30年前から馴染みにしている食堂は、競輪場の裏門の近くにあったが、現在がその場所には3階建ての家が建っている。
競輪場の裏門の脇に並んで6軒あった食堂、居酒屋は2軒のみとなった。
裏門の道の坂下にはさらに3軒の居酒屋があったのだ。
そこにも東門があったが、現在は閉鎖されている。
昭和40年代、1万人を超える入場者があった競輪場は、現在、2000人を下回った。
完全に競輪は斜陽である。
武蔵は龍之介に習ったわけではないが、レースを見て車券を買わなかった。
不思議に、はやる気持ちを抑えた結果になった。
そして、12レースで勝負に出た。
一番人気は7-1で130円。
無論、武蔵は無視。
7-3、7-9、7-5の3連単で勝負。
1番の横山尚則(茨城100期)-7番小暮安由(群馬92期)のラインが如何に人気になろうと、7-1では決まらないと武蔵は読んだ。
7-9を厚めに、7-3、7-5で武蔵は勝負した。
7-1ラインの対抗は9-3ライン。
9番は服部克久(熊本90期)、3番池田憲昭(香川90期)
武蔵の狙いどおりに、本命の7-1の車券ではなく、7-3で決まる。
武蔵は7-3の2車単の1650円に1万円を投じていた。
3連単を避けて、2車単で勝負したのだ。

numata727 さんが 2015年06月07日 に書かれた記事をお届けします

2016年06月07日 18時35分33秒 | 医科・歯科・介護
ミスター競輪こと中野浩一さんの存在
利根輪太郎が競輪好きになったのは、ミスター競輪こと中野浩一さんの存在を知ったことが契機となった。彼は子どもの頃、父親の職業を競輪選手とは公にできなかったのだ。それほど、父親の職を卑下していたのだ。正確に記せば周囲・世間の空気から卑下せざるを得ない時代の流れになっていた。当時の美濃部都知事が後楽園競輪を廃止した...
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全てが文字化け

2016年06月07日 18時29分26秒 | 創作欄
★平木奈緒里は被爆広島をテーマに短編小説を書いた。
それを校正しようとしたら、全てが文字化けしていた。
何が原因したのか?
「仕方ない」と諦め、もう一度、書き直しをしようとして2年が経過した。
★昨日も、同じことが起こってので唖然とした。
★深夜に目覚めて、新聞を読む。
その新聞に刺激されて、心情を綴る。
だが、その文章もまた文字化けしていた。
★悪夢を見た想いがしてきた。