競輪仲間の机龍太郎が「武蔵さん、競輪が今までのようにワクワクしなくなった」と言っていた。
龍之介は、早々と1レースから競輪場へ来ても車券を買わない。
迷っているわけではない。
勝負する気が起きないので、車券を買わず見ているのだ。
宮元武蔵は、食堂で昼飯を食べながら日本酒を2合飲み、それから競輪場へ足を踏み入れる。
彼が30年前から馴染みにしている食堂は、競輪場の裏門の近くにあったが、現在がその場所には3階建ての家が建っている。
競輪場の裏門の脇に並んで6軒あった食堂、居酒屋は2軒のみとなった。
裏門の道の坂下にはさらに3軒の居酒屋があったのだ。
そこにも東門があったが、現在は閉鎖されている。
昭和40年代、1万人を超える入場者があった競輪場は、現在、2000人を下回った。
完全に競輪は斜陽である。
武蔵は龍之介に習ったわけではないが、レースを見て車券を買わなかった。
不思議に、はやる気持ちを抑えた結果になった。
そして、12レースで勝負に出た。
一番人気は7-1で130円。
無論、武蔵は無視。
7-3、7-9、7-5の3連単で勝負。
1番の横山尚則(茨城100期)-7番小暮安由(群馬92期)のラインが如何に人気になろうと、7-1では決まらないと武蔵は読んだ。
7-9を厚めに、7-3、7-5で武蔵は勝負した。
7-1ラインの対抗は9-3ライン。
9番は服部克久(熊本90期)、3番池田憲昭(香川90期)
武蔵の狙いどおりに、本命の7-1の車券ではなく、7-3で決まる。
武蔵は7-3の2車単の1650円に1万円を投じていた。
3連単を避けて、2車単で勝負したのだ。
龍之介は、早々と1レースから競輪場へ来ても車券を買わない。
迷っているわけではない。
勝負する気が起きないので、車券を買わず見ているのだ。
宮元武蔵は、食堂で昼飯を食べながら日本酒を2合飲み、それから競輪場へ足を踏み入れる。
彼が30年前から馴染みにしている食堂は、競輪場の裏門の近くにあったが、現在がその場所には3階建ての家が建っている。
競輪場の裏門の脇に並んで6軒あった食堂、居酒屋は2軒のみとなった。
裏門の道の坂下にはさらに3軒の居酒屋があったのだ。
そこにも東門があったが、現在は閉鎖されている。
昭和40年代、1万人を超える入場者があった競輪場は、現在、2000人を下回った。
完全に競輪は斜陽である。
武蔵は龍之介に習ったわけではないが、レースを見て車券を買わなかった。
不思議に、はやる気持ちを抑えた結果になった。
そして、12レースで勝負に出た。
一番人気は7-1で130円。
無論、武蔵は無視。
7-3、7-9、7-5の3連単で勝負。
1番の横山尚則(茨城100期)-7番小暮安由(群馬92期)のラインが如何に人気になろうと、7-1では決まらないと武蔵は読んだ。
7-9を厚めに、7-3、7-5で武蔵は勝負した。
7-1ラインの対抗は9-3ライン。
9番は服部克久(熊本90期)、3番池田憲昭(香川90期)
武蔵の狙いどおりに、本命の7-1の車券ではなく、7-3で決まる。
武蔵は7-3の2車単の1650円に1万円を投じていた。
3連単を避けて、2車単で勝負したのだ。