阪神 広島に再び2連敗

2016年08月18日 10時45分29秒 | 日記・断片
阪神の不甲斐なさにガックリ

広島と巨人に大きく負け越している阪神はB級のまま終わるだろう。
金本知憲監督の超変革が皮肉に聞こえてくる。
好調のキャッチャ原口文仁選手を先発から外すことなど、首をかしげたくなる采配。
攻撃野球でなければ勝てない。
それにしても、能見篤史投手、藤浪晋太郎投手が打たれ過ぎだ。
これでは勝てない。
投手力を含め戦力不足。
思い切りがない。
気迫がない。
迫力がない。
好球を簡単に見逃す打者が多すぎる。
それにしても、広島の新井貴浩選手の絶好調が皮肉である。
阪神に居てくれたら、と惜しむばかりの活躍!

△▼厚生労働省▼△ 08月17日 10時 以降掲載

2016年08月18日 07時22分46秒 | 医科・歯科・介護
新着情報配信サービス

     
○ 政策分野

・「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」懇談会について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224071

・ヒトパピローマウイルス感染症の予防接種後に生じた症状の診療に係る協力医療機関について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224073

○ 審議会等

・第1回平成28年度労働安全衛生法における特殊健康診断等に関する検討会
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224075

・薬事・食品衛生審議会 医療機器・再生医療等製品安全対策部会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224077

・厚生科学審議会疾病対策部会 第44回難病対策委員会 開催案内
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224079

・厚生科学審議会 疾病対策部会 指定難病検討委員会(第16回)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224081

・第96回厚生科学審議会科学技術部会
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224083

○ 採用情報

・採用情報(非常勤職員(社会・援護局)募集情報)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224085

・採用情報(非常勤職員(政策統括官付社会保障担当参事官室)募集情報)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224087

○ その他

・フォトレポート(「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」式典で献花する塩崎厚生労働大臣)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224089

・「労災ケアサポート事業民間競争入札実施要項(案)」及び「労災特別介護援護事業民間競争入札実施要項(案)」に関する意見募集について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224091

・調達情報 2017年公正採用選考カレンダー 69,311部の印刷
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224093

・平成28年8月17日付幹部名簿
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224095





△▼厚生労働省▼△

新着情報配信サービス

      08月15日 10時 以降掲載

○ 報道発表

・牛海綿状脳症(BSE)スクリーニング検査の結果について(平成28年7月分まで)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224019

・「第71回 コーデックス連絡協議会」(開催案内)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224021

・食品中の放射性物質の検査結果について(第994報)(東京電力福島原子力発電所事故関連)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224023

○ 政策分野

・ストレスチェック等の職場におけるメンタルヘルス対策・過重労働対策等
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224025

○ 審議会等

・相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム(第2回)の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224027

・平成28年度 第5回化学物質による労働者の健康障害防止措置に係る検討会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224029

・平成28年度 第4回化学物質による労働者の健康障害防止措置に係る検討会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224031

・第6回発散防止抑制措置特例実施許可に関する専門家検討会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224033

・審議会、研究会等予定
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224035

・第7回がん診療提供体制のあり方に関する検討会(議事録)(2016年7月7日)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224037

○ 統計情報

・平成28年度雇用均等基本調査のお願い
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224039

・平成28年社会福祉施設等調査及び介護サービス施設・事業所調査へのご協力をお願いします
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224041

○ その他

・調達情報 平成28年度官民等基盤強化支援業務一式
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224043

・調達情報 「平成29年医師ほか9種類国家試験受験願書等電算処理業務(約121,200件)」
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224045

・調達情報 「医薬品価格調査(経時変動調査9月分)集計・分析業務」
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224047

△▼厚生労働省▼△

新着情報配信サービス

      08月15日 10時 以降掲載

○ 報道発表

・牛海綿状脳症(BSE)スクリーニング検査の結果について(平成28年7月分まで)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224019

・「第71回 コーデックス連絡協議会」(開催案内)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224021

・食品中の放射性物質の検査結果について(第994報)(東京電力福島原子力発電所事故関連)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224023

○ 政策分野

・ストレスチェック等の職場におけるメンタルヘルス対策・過重労働対策等
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224025

○ 審議会等

・相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム(第2回)の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224027

・平成28年度 第5回化学物質による労働者の健康障害防止措置に係る検討会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224029

・平成28年度 第4回化学物質による労働者の健康障害防止措置に係る検討会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224031

・第6回発散防止抑制措置特例実施許可に関する専門家検討会の開催について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224033

・審議会、研究会等予定
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224035

・第7回がん診療提供体制のあり方に関する検討会(議事録)(2016年7月7日)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224037

○ 統計情報

・平成28年度雇用均等基本調査のお願い
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224039

・平成28年社会福祉施設等調査及び介護サービス施設・事業所調査へのご協力をお願いします
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224041

○ その他

・調達情報 平成28年度官民等基盤強化支援業務一式
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224043

・調達情報 「平成29年医師ほか9種類国家試験受験願書等電算処理業務(約121,200件)」
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224045

・調達情報 「医薬品価格調査(経時変動調査9月分)集計・分析業務」
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=224047

創作欄 美登里の青春 続編 3

2016年08月18日 07時17分51秒 | 創作欄
2012年2 月23日 (木曜日)

人の才能は、千差万別である。
運動能力であったり、学問の分野であったり、芸術の分野であったり。
美登里は、自分にはどのような能力があるのだろうかと想ってみた。
父親は地元の農業高校を出て農協の職員となった。
母親は? 美登里は母についてどういう経歴なのかほとんど知らない。
イメージとしては、厚化粧で派手な服装で、地元でも浮き上がっているような異質な雰囲気をもった女性であった。
だが、声は優しい響きで甘い感じがした。
体はやせ形の父とは対照的に豊満である。
歌が上手であり、よく歌ってくれた子守唄は今でも美登里の記憶に残っていた。
美登里は美術に興味があったが、絵が描けるわけではなかった。
美登里が勤める美術専門の古本店には、美術愛好家や美術専門家などが来店していたが、特別な出会いがあったわけではない。
美登里は午後1時に東京都美術館の前で待ち合わせをしたので、15分前に着いた。
すでに多くの人たちが来ていた。
二科会はその趣旨によると「新しい価値の創造」に向かって不断の発展を期す会である。
つまり、常に新傾向の作家を吸収し、多くの誇るべき芸術家を輩出してきたのだ。
絵画部、彫刻部、デザイン部、写真部からなる。
概要によると、「春には造形上の実験的創造にいどんで春期展を行い、秋には熟成度の高い制作発表の場とする二科展を開催しようとするものであります」とある。
美登里が、徹と行ったのは秋期展だった。
徹は美登里より、5分後にやってきた。
スニーカーを履き、上下ジーンズ姿である。
「晴れてよかったね」と徹は笑顔で言う。
美登里は徹の歯並びがいいことに気づく。
夜半から降っていた秋雨は午前10時ごろ上がり、青空が広がってきてきた。
上野公園の銀杏は、鮮やかな黄色に染まっていた。
2人は初めに徹の友人の作品が展示されている彫刻展を見た。
裸体像のなかに、バレリーナ―の彫刻がった。
「これだ」と徹は立ち止まった。
その彫刻は等身大と思われた。
つま先立ちであるから、細く長い足が強調されていた。
乳房はお椀のように丸く突き出ている。
手は大きく広げられていて躍動感を感じさせた。
「いいんじない」と徹は美登里を振り返った。
美登里は頬えみ肯いた。
2012年2 月25日 (土曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 4
徹は二科展をじっくり見たわけではない。
60点ほどの彫刻展を見てから絵画展を見た。
それからデザイン展と写真展は流すような足取りで見て回った。
東京都美術館を出ると秋の日差しはまだ高かった。
「不忍池でボートに乗ろうか?」と徹が言う。
「ボートですか?」美登里はボートに乗った経験がなかった。
東叡山寛永寺弁天堂方面へ向かう。
細い参道の両側には、露天商の店が並んでいた。
「何か食べる?」と問いかけながら徹は店を覗く。
西洋人の観光客と思われる若い男女が笑いあいながら綿菓子を食べていた。
小学生の頃、美登里は夏祭りで父と綿菓子を食べたことを思い出した。
徹は美登利を振り返り、「綿菓子も懐かしい味がしそうだね」と微笑む。
夏には大きな緑の葉の間に鮮やかなピンクの花さかせる池の蓮は枯れかけていた。
ボート場には、ローボート、サイクルボート、スワンボートがあった。
「どれに乗る?」と徹は振り返った。
一番、ボートらしいローボートを美登里は選んだ。
美登里はこの日、緑色のジーパンを履いていた。
ボートが転覆することないと思ったが、まさかの時を思ってスカートでなくてよかったとボートが池を滑り出すと思った。
徹がロールを器用に漕ぐので、大きな水しぶきは飛び散らない。
ピンク色のスワンボートとすれ違った。
高校生らしい男女が横に並んで足で笑い合いながらボートを漕いでいた。
美登里は県立の女子高校だったので、男性と交際する機会がなかった。
「楽しそうだね」徹は微笑んだ。
美登里は振り返りながら肯いた。
「タバコ吸っていいかな?」
美登里は黙って肯いた。
「実は大学の卒論は、森鴎外だったんだ。小説『雁』読んだことある?」
「ありません」
美登里は青森県人なので太宰治が好きであった。
それから同じ東北人として宮沢賢治の本も読んでいた。
高校生の時、短歌もやっていたので石川啄木にも惹かれていた。
そして、東北人として最も身近に感じたの寺山修司だった。
美登里にとって羨ましいほどの多彩な人であった。
「僕の職業は寺山修司です」
「そんなことが言えるんだ」 美登里はかっこいい男だと惚れ込んだ。
徹は暫く、思いを巡らせているように沈黙しながらタバコを吸っていた。
「小説の雁のなかに、この不忍池が出てくる。話は遠い明治の昔のことだけどね」
徹はタバコの煙を池の岸の方へ吹き出した。
タバコの煙が輪になって池に漂った。
ボートを降りると徹は、無縁坂へ美登里を案内した。
「ここが三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の岩崎邸だった。この坂の左側に、昔は小説の中に出てくるような格子戸の古風な民家が並んでいたんだ」
徹が学生時代にはそれらの家々がまだ残されていた。
高い煉瓦造りの塀を背にして、徹は手振り身振りで説明した。
-------------------------------------------------
<小説の雁の概要>
1880年(明治13年)高利貸しの妾・お玉が、医学を学ぶ大学生の岡田に慕情を抱くも、結局その想いを伝える事が出来ないまま岡田は洋行する。
女性のはかない心理描写を描いた作品である。
 「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。・・・」
 坂の南側は江戸時代四天王の一人・康政を祖とする榊原式部大輔の中屋敷であった。坂を下ると不忍の池である。
--------------------------------------------
<参考>
寺山 修司 (てらやま しゅうじ、1935年12月10日~1983年5月4日)は、日本の詩人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。
「言葉の錬金術師」の異名をとり、上記の他に歌人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、俳人、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表した。
2012年2 月27日 (月曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 5
人生の途上、何が起こるか分からない。
叔母が東京大学病院に入院した。
本人には「胃潰瘍だ」と告げていたが、スキル性胃がんであった。
胃がんの中で、特別な進み方をする悪性度の高いがんであり、余命は半年~1年と診断されていた。
叔父は美登里に涙を浮かべてそれを告げた。
医師の診断書を手にした叔父の手が小刻みに震えていた。
美登里はその診断書を叔父から手渡されたので読んだ。
美登里も思わず涙を浮かべた。
冬の陽射しは、長い影を落としていた。
徹と訪れたことがある三四郎池の木立が叔母が入院している病棟から見えた。
小太りの叔母は45歳であったが、年より若く見えた。
叔母は24歳の時に子宮筋腫となり、子どもを産めない身となっていた。
叔母は負い目から夫に、「愛人を作ってもいい」と言っていた。
叔母は薄々感じていたが、叔父には愛人が実際に居たのである。
だが、その愛人に若い男との関係ができて、現在は叔父は寂しい身となっていた。
「美登里ちゃん、あの人は何もできない人なのよ。お願い、私が退院するまで、叔父さんの面倒をみてほしいのだけれど、どうかしら」
叔母は美登里の手を握り締めた。
手には福与かな温もりがあった。
美登里は叔母に懇願されて、東京・文京区駒込の叔父の家へ行った。
八百屋お七の墓がある円乗寺の裏に叔父の家があった。
その夜、美登里は風呂に入った。
脱衣場は風呂場にはないので、廊下で着替えてた。
美登里は襖の間に人の気配を感じた。
叔父が美登里の襖の僅かな間から、美登里の裸体を覗き見ていたのだ。
美登里は多少は不愉快であったが、馬鹿な叔父の行為に一歩引いて冷笑を浮かべた。
大好きな父親によく似ていた叔父に、好感を抱いていたので気持ちは許せたのだ。
そして、美登里はその夜、夕食の時に叔父から聞かされた八百屋お七のことを思った。
お七は天和2年(1683年)の天和の大火で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする説もある)に避難した際、そこの寺小姓生田庄之助(吉三もしくは吉三郎)と恋仲となった。
翌年、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火未遂を起した罪で捕らえられ、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。
愛する男に会いたいために、放火をする16歳の女の子の浅知恵である。
だが、その激しい情念に美登里は気持ちが突き動かされた。
2012年2 月28日 (火曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 6
叔父の家は昭和10年代に建てられた古い木造屋で、東京大空襲でも運が良く焼失をまぬがれた。
叔父は働いていた古本の美術専店の主人に子ども居なかったことから、養子に迎え入れられた。
義母は52歳の時に突然、クモ膜下出血で亡くなってしまった。
主人の19歳の姪が山梨県甲府から家事手伝いにやってきた。
叔父は29歳の時に、21歳となった主人の姪と結婚した。
70歳で亡くなった義父は東京都文京区本駒込の吉祥寺に眠っている。
寺の境内には江戸時代の農政家・二宮尊徳の墓碑があった。
また、山門には漢学研究の中心であった「旃檀林」の額が掲げられている。
「旃檀林」は駒澤大学の前身のひとつで、仏教の研究と漢学の振興とそれらの人材供給を目的とした学寮だった。
毎月の9日は義父の月命日であり、叔父は墓前に花を添えていた。
だから、その春の9日は美登里にとっても忘れられない日となった。
叔父の家に家事手伝いに来てから3日目の夜中である。
体に異変を感じて目覚めたら、叔父が美登里の布団に入り込んでいたのだ。
驚愕して身を跳ねのけたが、叔父に抑え込まれた。
荒い叔父の息遣いが酒臭かった。
「叔父さん、何するの!」と美登里は叫んだ。
「美登里、男、知っているんだろう?」
叔父は唇を寄せてきた。
美登里はその唇を避けながら、「嫌、ダメ」と叫んだ。
叔父の体から突然、力が抜けた。
「お前は、処女か?!」
美登里は肯いて、声を上げて泣きだした。
「悪かった。許してくれ、俺は魔が差したんだ」
叔父は乱れた浴衣を整えると、畳の上へ両手を突き土下座をした。
叔父は何度も畳に額を擦り付けて謝罪した。
美登里は泣きながら、両手で顔を覆っていた。
豆電球の灯りさえ、美登里には明るく映じた。
美登里は人と争った経験がほとんどない。
温厚な父は子どもころ美登里に言っていた。
「美登里も怒ることはあるよね。でも、ゆっくり10数えてごらん。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、それでも怒りが収まらなければ、怒っていい。でもね、怒ると損をするよ」
美登里は眠れないまま、ゆっくり10数を数えた。
そして美登里は、叔父の行為を許すことにした。
「夢の中の出来事」のように想えばいいと自身に言い聞かせた。
----------------------------------------------
<参考>
作家・島崎藤村は、姪のこま子との近親相姦に苦しんだ。
文学史上最大の告白小説とされる「新生」。
こま子は19歳の春、産後の病で妻を失った藤村宅に移り住んで3人の子育てや家事を手伝うことになった。
だが、藤村とただならぬ関係となり妊娠。
藤村は悩み抜いた 末、翌年には逃げるように渡仏した。

創作欄 美登利の青春 5

2016年08月18日 07時11分40秒 | 創作欄
2012年2 月19日 (日曜日)
創作欄 美登利の青春 5
拘置所の面会室は、3人も入れば一杯といった感じであった。
美登利が席に着いたと同時に、扉が開いて女性の係官に先導されて、峰子が姿を現わした。
ガラスの窓越しに見た峰子は、一瞬、笑顔を見せたが、直ぐに涙を浮かべた。
化粧をしていない峰子の頬は青白く、目の周囲は赤く泣き腫らしたままであった。
小さな丸い穴があいたプラスチック製の窓越しに二人は相対した。
「来てくれて、ありがとう」
美登利は黙ってうなずいた。
「来週の火曜日に、初公判があるの。来られたら来てね」
「火曜日なのね?」
「午前中なの」
面会時間は約20分。
峰子の背後に座る係官が二人の会話をメモしていた。
「私のこと、驚いたでしょ」
「驚いたわ。私、新聞読んでいないの。それにテレビもあまり見ていないし、峰子のことは手紙をもらって初めて知ったの」
「そうなの。何も私のこと知らなかったの? 誰かに聞かなかったの?」
峰子は思い出したのだろう、肩を震わせて泣いた。
頭を深く垂れたので長い髪が顔を覆った。
抑えた嗚咽がいかにも悲しい。
美登利は峰子が哀れれに思われ、咽び泣いた。
そのまま、暫く時間が経過した。
あれを言おう、これを言おうと電車の中で思っていたが、美登利の頭は真っ白になった。
特に美登利は、自分が信奉している宗教の教えを峰子に伝えようとした。
係官はペンを止めて二人の姿を冷やかに見ていた。
やがて面会終了の時間が告げられた。
「頑張ってね」
扉の向こうに峰子が姿を消す瞬間、美登利は声をかけた。
峰子はラフな水色のジャージ姿であった。
美登利が3番の面会室の外へ出るとほとんど同時に、和服姿の女性たちも5番の面会室を出てきた。
「あんた、松戸駅まで行くんだろう?」と背後から声をかけられた。
「はい、そうです」
美登利は振り向いて和服姿の女性を見つめた。
「駅まで車で送って行っておげる。遠慮はいらないよ」
強引な言い方であった。
美登利はうなずく他なかった。
「三郎、車を玄関によこしな」
「ハイ、ねいさん。直ぐに車とってきます」
三郎と呼ばれた男が駐車場へ走り出していく。
もう1人の男は、紙袋を抱え和服姿の女性の背後に立っていた。
この男も角刈り頭で三郎ほど背丈はないが、がっしりとした体形である。
「孝治 今度の公判は何時と言っていた?」
「親分の後半は、来週の火曜日、午後1時です」
「そうだったね」
和服姿の女性が玄関の外でタバコをくわえると、男が素早く脇からライタを取り出した。
間もなく、拘置所の玄関の外に黒塗りのベンツが横付けされた。
男二人が前の席に乗り、美登利は和服姿の女性の隣に座った。
「面会の相手は、誰なの?」
和服姿の女性は横目に美登利を見た。
「友だちです」
「男だね?」
「女性です」
「女? 罪は?」
前の席の男二人が背後に目を転じた。
「親子心中です。子どは亡くなり、友だちは死ねなかったのです」
「そうかい。じゃあ、殺人罪だね」
和服姿の女性は眉をひそめた。



2012年2 月19日 (日曜日)
創作欄 美登利の青春 6
「私の名前は、米谷明美。あんたと拘置所で会うなんてね」
和服姿の女性は名乗ると頬だけで笑った。
大きな瞳は人を射るようであった。
厚化粧で隠されていたが、左頬にナイフでの切り傷があった。
「お茶、ご馳走するから、私の店へ寄っていって」
松戸駅が近くなった時、米谷明美が美登利を誘った。
深く関わりたくない人たちであるから、美登利は断ろうとしたが、言い出せなかった。
松戸駅の傍のデパートの裏側の道路に面したビルの1階にその店はあった。
男二人は店の前で米谷明美たちを降ろすと走り去って行った。
後で知ったのであるが、広域暴力団S連合箱田組の男たちであり、組事務所は新松戸駅から歩いて10分ほどの商店街沿にあった。
明美の店の名前は、「パブ新宿」。
夜の営業時間は午後7時から午前2時までであった。
午前11時から午後5時まで軽食喫茶店として営業されており、女子高校生たちの溜り場となっていた。
「私ね。高校生の頃は、東京の新宿歌舞伎町で遊んでいてね。今は流れ流れて松戸。この店ご覧のとおり、女子高生が多いでしょう。私と波長は合うのね。彼女たち私に色々相談ごとするの」
女子高校生たちを見つめる明美の瞳が優しくなった。
「窓際に居るあの声が大きい子、スケ番なの。昔の私のよう」
美登利はその女子高校生を見た。
よく動く大きな目が特長で、明美のように人を射るような輝きをしていた。
20歳で子ども産んだ明美には19歳の息子がいた。
フェザー級のプロボクサーであった。
「今度の土曜日、午後7時に後楽園ホールで試合があるの。来てね」
明美はチケットをカウンターのテーブルに置いた。
美登利はコーヒーカップを置き、そのチケットを手にした。
ボクシングの試合を見たことがなかった。
「ボクシングですか? 試合見るの、怖くありませんか?」
美登利は病院の医療事務職であるが、血を見るのは苦手である。
明美は肉弾がぶつかり、激しく打ち合う迫力に血がたぎる思いがして、試合にはいつも興奮した。
美登利は断りきれず、後楽園ホール行く約束をして明美の店を出た。

2012年2 月21日 (火曜日)
創作欄 美登里の青春 7
松戸の裁判所での初公判の光景は、美登里にとって衝撃的であった。
傍聴人は男性が2人、女性は美登里を含めて3人、地元の千葉の新聞社など報道関係者が2人であった。
表面の扉が開き裁判長らが入廷して、全員が起立した。
そして、右側の扉が開き、手錠、腰縄の姿で刑務官に先導されて峰子がうな垂れて入廷してきた。
席に着く前に、峰子の手錠、腰縄が外された。
峰子はうつむいたままで、一度も傍聴席に目を向けることはなかった。
美登里は濃紺の地味なスーツ姿であり、化粧もしていなかった。
初めに検事が詳細に罪状を述べた。
それから国選弁護人が医師の診断書に基づき峰子の弁護をした。
峰子は犯行半年前から地元松戸市内病院の精神科に通院していた。
さらに、東京・四谷に住んでいた時には、信濃町の大学病院の精神科にも通院していた。
弁護士は、犯行時に峰子が心神喪失状態であったと主張した。
裁判官3人が顔を見合せながら言葉を交わしていた。
そして、裁判官が、「次回公判は3月24日、火曜日、午前11時、それでいいですか」と弁護人に尋ねた。
弁護人は、手帳を確認してから、「結構です」と答えた。
裁判所を出て、美登里は前回と同様に本とチョコ―レートとバナナを差し入れるために、拘置所の所定の店へ行った。
その店で美登里は、暴力団員の三郎に再会した。
「親分の裁判が、午後1時にあるんだ」と三郎が言う。
美登里は罪状は何だろうと思った。
拘置所へ行くと三郎が「ねいさん」と呼ぶも米谷明美が居た。
「2週続けて、拘置所に来るなんて、あんた、偉いね」と明美は微笑んだ。
明美はこの日のは和服姿ではなく、豊か胸が大きく開いた花柄模様のワンピース姿であり、妖艶な感じがした。
明美は39歳であり、19歳の息子が居る母親の姿とは思われない。
明美は和服姿の時は髪をアップにしていたが、この日は長く髪は下ろしていたので、若く見えた。
美登里は、後楽園スタジアムでのボクシングの試合の観戦に誘われ、チケットまでもらったのに、その試合に行かなかったことを明美に謝罪した。
「いいよ。気にしなくとも。息子は判定で試合に負けた。あの子は性格が優しいから、ボクシングに向いてないかもしれない。攻めきれなかった」
美登里は、どのように言うべき分からずうなずいた。
美登里はその日、休むわけにいかず、午後から病院の勤務に向かい、その日は午後8時まで残業をした。
2012年2 月22日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 1
「人はなぜ、狂うのか?」
美登里は考えをを巡らせたが、答えが見つかる分けではなかった。
「心も風邪をひく」そのように想ってみた。
中学生のころ、夜中にうなされて目を覚ましたら、父が枕もとに座っていたのだ。
頭に手をやると冷蔵庫で冷やした手拭いが額に乗っている。
「39度もあった熱が、37度に下がったよ」と父親が微笑んだ。
「何も覚えていない」
心がとても優しい父親は寝ずにずっと枕もとに座って、1人娘である美登里を看病していたのだ。
嬉しさが広がり、美登里は深い眠りについた。
母親は美登里が小学生の頃、美登里の担任の教師と深い関係となり、噂が広がったことから狭い土地に居られず家を出た。
妻子が居た教師は学校を辞め、千葉の勝浦の実家へ帰った。
母親は2年後、家に戻ってきたが再び姿を消すように居なくなる。
美登里は子ども心に、母親が何か精神を病んでいるようにも見えた。
母親は化粧も濃く相変わらず派手な姿であったが、深く憎んでいたその姿が美登里にはとても哀れに想われたのだ。
美登里は性格が父親似で穏やかであり、ほとんど人と喧嘩をした記憶がない。
高校卒業後の進路をどうするか?
地元で働くか都会へ出るか迷っていたが、会社勤めに何か抵抗があった。
組織に馴染めないと思われたのであるが、結局、美登里は高校を卒業すると、東京へ出ることにした。
父親の弟が、東京の神保町で美術専門の古本屋を営んでいたので、美術に興味があった美登里は叔父の勧めるままに、その店で働くことにした。
19歳の時、美登里は区役所で働いていた徹と出会ったのである。
九段会館の屋上のビアホールで夏だけアルバイトをしていた。
徹は客として区役所の同僚ち3人とビールを飲みに来ていた。
ある夜、美登里は帰りの電車の中で偶然、徹と隣合わせに座っていたのだ。
美登里の視線を感じた徹が、本から目を美登里に転じた。
「ああ、偶然だね。君は九段会館で働いていたよね?」
「ハイ」
美登里は相手の爽やかな笑顔に戸惑い、恥じらいで頬を赤らめた。
それまで男性と交際した経験がなかったのだ。
「ここで、偶然会ったのも何かの縁。今度の日曜日、上野の二科展へ行かない? 僕の友だちが作品を出展しているのだ」
「二科展ですか?」
想わぬ誘いであった。
「行こうよ。今度の日曜日午後1時、東京都美術館の入り口で待ち合わせよう。待っているからね」
下北沢駅で電車が停車したので徹は立ちあがった。
人波に押し流されるように徹は降りて行く。
2012年2 月22日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 2
宗教とは、何であるのか?
美登里は、ある日突然、同じアパートに住むその人の訪問を受けた。
何時もその人は爽やかな親しみを込めた笑顔で、元気な張りのある明るい声で挨拶をしていた。
美登里はどのような人なのか、と気にもしていた。
「私は、佐々木敏子です。よろしお願いします」と丁寧に頭を下げるので、美登里も挨拶を返した。
その人とは、毎日のように顔を合わせていたが、訪問を受けるとは思っていなかったので、戸惑いを隠せなかった。
「お部屋にあがらせていただいて、いいかしら?」
その申し出に、嫌とも言えない雰囲気であった。
部屋は幸い片付いていた。
「部屋を綺麗にしているのね」相手は部屋を見回して、笑顔を見せた。
美登里はお茶でも出そうかと台所へ向かおうとしたが、その気配を感じて相手は、「突然で、迷惑でしょ。構わないでください」と制するように言う。
美登里は1枚しかない座布団を出した。
相手はその座布団に座りながら、「お仕事は、どうですか?」と聞く。
「まあまあです」としか答えようがなかった。
「あなたは、幸せですか?」真顔で聞かれたので戸惑いを覚えた。
沈黙するしかない。
美登里は、自分が幸せかどうかを真剣に考えてたことがなかった。
「幸せとは、何だろう?」沈黙しながら、美登里は頭を巡らせた。
気押されるような沈黙の時間が流れた。
相手は美登里をじっと見つめていたのだ。
「私たちと一緒に、美登里さん幸せになりませんか?」
佐々木敏子は結論を言えば、宗教の勧誘のために訪問してきたのだ。
「明日の日曜日、どうでしょうか? 時間があればお誘いします。私たちの集まりに出ませんか?」
美登里は、徹から「二科展へ行かないか」と誘われていた。
「明日は、用事があります」と断った。
「残念ね。それではまた、お誘いするわ。是非、集まりに来てくださいね」
その時の敏子はあっさりした性格のように想われた。
そして、小冊子を2冊置いて行く。
小冊子を開くと聖書の言葉が随所に記されていた。

死ぬのは「がん」に限る

2016年08月18日 07時05分10秒 | 創作欄
2012年2 月12日 (日曜日)
創作欄 鼻血が止まらず救急車で搬送された徹
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」
死ぬのは「がん」に限る。
ただし、治療はせずに。
著者の中村仁二さんは医師だ。
医師が医療を否定する。
それは、どのようなことなのか?
徹は新聞広告を見て、本屋へ向かった。
1昨年のことであるが、真夏にボランティアである施設へ行き、庭の草むしりをした。
炎天下、1時間ほど雑草と格闘した。
流れる汗とともに、鼻水も垂れてきたと思って、ハンカチで鼻を拭ったら、紺色のハンカチが黒く変色した。
それは鼻水ではなく、血であった。
その日の前日も、夜中に目覚めたら枕に髪が絡み着いた感じがした。
部屋の蛍光灯をつけて確認したら、枕に血溜まりができていて髪の毛に固まった血がベッタリと付着していた。
1週間ほど鼻血が出ていて、深酒をした日にはドクドクと鼻血は喉に流れ込む。
吐き出しても口に鼻血はたちまち溢れてきた。
「これでは出血多量で死ぬな」と徹は慌てた。
徹は妻子と離婚して5年余、一人身である。
救急車を呼ぼうかと思ったが、午前3時である。
マンションの住民たちに迷惑になると思い、我慢した。
死の恐怖を感じながら、何とか鼻血を止めようとした。
初めはティッシュペーパで対応したが、見る見る血で染まってきて、それではらちがあかない。
そこで脱脂綿を鼻奥に詰め込んだ。
しばらくして、鼻血は止まった。
徹の母親は56歳の時、早朝に鼻血が止まらなく、救急車を呼んだ。
国立相模原病院に搬送されたが、血圧が200以上あった。
徹は自分の現在の状況と重ねて、20代の頃を思い浮かべた。
結局、母親は生涯、血圧降下剤を飲み続ける。
母子は遺伝子的に同じ宿命を辿ると徹は思い込んでいた。
宿命は変えられない。
だが、意志で運命は変えられる。
徹はそのように考えた。
炎天下の草むしりのあと、昼食を食べに松戸駅前のラーメン店へ行く。
「ビールでも飲むか」とボランティア仲間の渥美さんが言う。
徹は日本酒にした。
3本目を飲みだしたら、また、鼻血が出てきた。
口と鼻を押さえながら、慌てふためいてトイレに駆け込む。
鼻血でたちまち便器は染まっていく。
「これは、尋常ではない」と覚悟を決めた。
結局、乗りたくはない救急車を呼んでもらった。
5分もかかわず、救急車のサイレンが聞こえてきた。
近くに病院もあり、7分くらいで病院に搬送されたが、血圧を測定したら210もあった。
救急車で血圧を測定した時は180であった。
注射をして様子をみることになる。
10分後に血圧を測定したら、まだ、200を超えていた。
「まだ、ダメね」と看護師は首をひねる。
そこで、胸に貼り薬を試した。
「動き回らず、寝ているのよ」と看護師にたしなめられた。
徹は携帯電話を持たないので、心配しているボランティア仲間の渥美さんに待合室の公衆電話で、様子を伝えたのだ。
「あんたは、鉄の肝臓を持っている男だ。鼻血くらいでは死なないよ」とボランティア仲間の渥美さんは笑った。
徹の血圧は、胸に貼り薬のおかげで、140にまでいっきょに低下していた。
「月曜日、来て下さい。鼻の粘膜の切れやすい箇所をレーザーで焼きますから、耳鼻咽喉科へ必ず来て下さい」と看護師が言う。
徹はあれから1年6か月余経過したが、その病院へ2度と行っていない。
血圧降下剤も飲んでいない。
鼻の粘膜は、レーザーで焼かなくともその後、破れていない。
2012年2 月13日 (月曜日)
創作欄 鼻息だけは強かった専門紙の同僚の真田
「心の中に何か抑圧があるのでしょ。でもそれが、どんな形で作品に表われるのか自分ではわからない」
田中慎弥さんが読売新聞の「顔」の取材で述べていた。
芥川賞受賞作が20万部に達し反響を呼んでいる。
徹は記事を読んで、昔の専門誌時代の同僚の真田次郎を思い出した。
真田は小説を書いていた。
だが、作品をどこにも発表していないと思われた。
「この程度の作品で芥川賞なんか、来年はわしが賞を取ったる」
真田は鼻息だけは強い。
「谷崎の文体、三島の文体、志賀の文体、川端の文体どれでも書ける。今週の病院長インタビューは、三島の文体でいくか」
文学好きの事務の渋谷峰子はペンを止めて、真田に微笑みながら視線を送った。
徹は峰子が真田に恋心を抱いていることを感じた。
現代流に言うと真田はイケメンで、知的な風貌をしていた。
そして、声は良く響くバスバリトンで、声優にもなれるだろうと思われた。
特に電話の声には圧倒された。
徹は学生時代を含め、真田のような美声に出会ったことがない。
声優の若山弦蔵の声にそっくりなのだ。
真田は憎らしいほど女性にもてる男で、夕方になると女性から会社に電話がかかってきた。
「真田、たくさんの女と付き合って、名前を間違えることないいんか?」と編集長の大木信二がやっかみ半分「で言う。
「ありませんね」真田は白い歯を見せながら、朗らかに笑った。
「お前さんは、その笑顔で女をたらしておるんだな。俺に1人女を回さんか」
冗談ではなく、大木の本気の気持ちである。
真田は大木を侮蔑していた。
「大木さんは新宿2丁目あたりで、夜の女を相手に性の処理をしておる。不潔なやっちゃ。金で女を買う奴はゲスやな。徹は性はどうしておるんや」
露骨に聞いてきた。
真田はそれから3年間、どこの文学賞も取らなかった。
そして、反動のように女性関係をますます広げていった。
------------------------------------------
<参考>
若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )は、日本の男性声優、俳優、 ナレーター、ディスクジョッキー。
フリー。 ... 1973年より1995年までTBSラジオ『若山弦 蔵の東京ダイヤル954』(当初は『おつかれさま5時です』)のパーソナリティーを務めた。

徹は全く新聞を読んでいない

2016年08月18日 07時02分42秒 | 創作欄
2012年1 月26日 (木曜日)
創作欄 徹は全く新聞を読んでいない
東京の銀座で働きたいと面接に行ったが、どの企業からも相手にされなかった。
「君には社会的な常識がほとんどないね」
相手は呆れ顔でまじまじと徹の顔を見詰めた。
「新聞を読んでいるんですか? これは常識ですよ」
面接で言われて、屈辱を味わったが、相手の指摘も確かだった。
徹は全く新聞を読んでいない。
読むのは小説と詩だけである。
「新聞を読むなど時間の無駄意外ない」
それが本音であり、思い込みだった。
徹の自宅ではずっと毎日新聞を購読していた。
阪神ファンの父親は、読売新聞を嫌っていたのだ。
結局、徹は銀座を諦め、新宿の企業を就職活動のために歩いた。
だが、新宿でも職が得られなかった。
最後に面接した企業は出版社であった。
「本の企画を2つ考えなさい」と面接の人から言われた。
1つは「女をダマス本」
2つ目は「思春期の少女のヌード集」
徹の企画した提案とその意図に、相手は侮蔑する目を徹に向けた。
「2月になって、まだ、職が決まらないで、どうするの!」
母親が徹を責める。
「お前には、欠陥があるんだね。どこの会社からも相手にされないんだから」
母親は夫の不甲斐なさと重ねて徹に嫌味をぶつけた。
徹の父親は勤めていた大手企業の子社が業績不振に陥り45歳でリストラされた。
「あんたは、会社にとって必要でない人間だったね。情けないよ。そんな人だったんだね」
心が優しい夫は、うな垂れてただ沈黙して聞いていた。
「私に言われ、悔しくないの! 悔しかったらね! いい職を見つけてきな!」
ヒステリックに声を荒げた。
13歳の徹は、母親に憎しみを抱き始めていた。
毎日、母親が父親に嫌みをぶつけ責め立てるのは、まさに悪夢のような日々であった。
あれから10年が経過し、徹が就職活動に足踏みをしていた。
2012年1 月28日 (土曜日)
創作欄 「15歳の神話」
ロミオとジュリエットではないが、相思相愛の男女関係はある意味で、運命的な出会いであるかもしれない。
それは相性の問題でもある。
高校生の徹と大学生の浩が空き地でキャッチボールを始めると中学生の少女が赤ちゃんを抱いて路地裏から現れた。
少女はポニテールの髪型をしていた。
いわゆる美少女の類型の整って顔立ちである。
徹は小学生の頃、東京・大田区の田園調布で育ったが、大邸宅に住む少女、少年たちには気品が備わっていた。
そして少女や少年たちの美しい母親たちは、揃って着物姿で授業参観に来てきた。
徹は美しい母親たちの容姿に子どもながら強く心を惹かれて、同級生たちを羨んだ。
徹は中学生の少女を初めて見た時、小学生の頃の記憶が鮮明なまでに蘇った。
少女は徹と浩のキャッチボールが始まると待っていたように、赤ちゃんを抱いて現れた。
「あの子は徹に気があるんじゃないか」
浩は銭湯の湯船に浸かりながら言った。
手拭を頭に乗せている浩は、俳優の石原裕次郎に容貌が似ていた。
「浩さんは女の子にもてるでしょうね?」徹は聞いた。
「まあな、でもな、あの子は徹に気があるな」
浩は頭に乗せた手拭を湯船に沈めて、顔を拭った。
「そうだろうか?!」徹は半信半疑であった。
「あの子に聞いてみるか?」と浩は八重歯を見せてニヤリと笑った。
「よして下さいよ」徹は慌てた。
少女の一家は半年前に徹の自宅の裏に引っ越してきた。
少女の父親は顎鬚をはやし、精悍そうな大きな目をしていた。
昭和30年代の東京・世田谷の用賀町には畑があり、雑木林もある新興住宅であった。
「おばさん、裏の一家はどんな人たちなの」下宿人である浩が徹の母親に聞いた。
「ここだけの話だけど、訳ありだね」
「訳あり?」浩の大きな目が見開かれた。
徹の母親は声を落として事情を説明した。
「旦那と奥さんは、年が離れているだろう。再婚らしいんだ。中学生の娘さんと小学生の娘さんが先妻の子、赤ちゃんは奥さんの子なの」
「なるほど」浩はうなずきながらタバコを口にくわえた。
少女の40代の父親と20代と思われる継母は手をつないで、二子多摩川の河原を散歩していた。
徹と浩は多摩川で魚釣りをしていて、二人の姿を見かけたのだ。
それから半年が過ぎて、画家である少女の父親が、娘をモデルに描いた絵が評判となった。少女の裸体の油絵であり、「15歳の神話」と題されていた。
2012年2 月 1日 (水曜日)
創作欄 詩は音読するもの
「創作品は、しばしば作家より雄弁に作家自身のことを語っている」
大学のサークルである近代文学研究会での大田三郎の指摘に、みんなが肯いた。
だが、徹は実証主義文学論には違和感を持った。
先日、開かれた国文学研究会で、岩城助教授が金田一京助に向かって「石川啄木と芸者の小奴は肉体化があったと思いますか?」と尋ねたのだ。
「あったとも、なかったとも言えません」
金田一京助は常識的に答えたが、岩城助教授は食い下がるように言い放った。
「先生は、本当のことをご存じなのではありませんか?」
「金田一さんに対して、非礼だな」と大田三郎は呟いた。
「先ほど、お答えした以上のことは言えません」金田一は困惑していた。
「ここは実証主義文学研究会の場ですから、肝心なことを明らかにしたいのです」
岩城助教授は太った腹を突き出しように言った。
会場の人たちは固唾を飲んで、金田一の言葉を待った。
徹は大田三郎の肩に指を突いて、「出よう! 馬鹿馬鹿しい」と席を立った。
「聞きたいが、出るか」 三郎も続いて席を立った。
三郎はロシアの作家・ドストエーフスキイに傾倒していた。
特に「罪と罰」は小学生のころから読んでいたというから早熟なのだ。
一方、徹は高校生になって高校の国語教師の影響で詩を読み始めていたが、小説は数えるほどしか読んでいなかった。
高田守先生は授業でしばしば、詩を読んで聞かせた。
徹はその詩の内容より、高田先生の声に感動した。
徹は自分も詩を書き、高田先生に音読してもらいたいと思うようになったのだ。
同じ詩でも高田先生以外の人が読んでは感動しないのだ。
ラジオ世代の中で育った徹は、多くの声優たちの語りの素晴らしさに想像を膨らませてきた。
三好達治、中原中也、宮沢賢治、石川啄木などの詩を知る。
そして益々、詩は文字で読むより、「聞きたい」と徹は思った。
-------------------------------

<参考>
野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日~1945年(昭和20年)1月27日)は、日本の詩人、童謡・民謡作詞家。
本名は野口英吉。
茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000286/files/4076_13919.html

「日本医学協会は存在することに意義がある」

2016年08月18日 06時59分46秒 | 創作欄
2012年1 月12日 (木曜日)
創作欄 2人とも、30代なのにがんで逝く
「日本医学協会は存在することに意義がある」
日本医学協会の立場について、吉田富三会長が述べた後、同協会の副会長で武蔵野日赤
病院院長の神崎三益さんは、「私が吉田先生の過去の足跡に大きな傷を付けてしまったのです」と謝罪した。
話は徹が医療界に入る以前のことであった。
女医の京子は、徹に身を寄せながら、「吉田先生に何があったの?」と声を落として聞く。
「よく解りません」と徹は、京子の顔を見ないで檀上に目を注いでいた。
徹は後で、日本私立病院協会の近藤六郎会長に経緯を聞いてみた。
医療界のドンであった日本医師会の武見太郎会長に対して、当時の日医常任理事で中央社会保険医療協議会の委員であった神崎さんは、盾を突いたのだ。
昭和39年(1964) 日本医師会会長選挙に 「医師の本来あるべき姿、理想を示す」 として 出馬した。
昭和36年9月に日本医師会 の一斉スト宣言があった。
そして日赤を中心とした病院ストなどがあり、医療界そのものが大きく 揺れ動いていた。
吉田富三さんを担ぎ出したのは神崎さんであった。
日本医師会会長選挙は、下馬評どおり武見太郎さんが再選されるだろうと誰しも思っていた。
だが、予想をはるかに覆して吉田さんは大差で敗れた。
選挙の結果は武見太郎157票,吉田富三21 票という圧倒的大差で武見太郎が日本医師会長に再選されたのだ。
「徹ちゃん、吉田富三さんは、私が思っていた人と違っていたの」
京子はお茶の水の駅に近い音楽喫茶の席に座った時に、唐突な感じで言った。
それは、どのようなことであったのか?
徹は確かめることをしなかった。
徹が崇拝している吉田富三さんが、他人の目にどのように映ろうが関係のないことと思われたからだ。
「これから、どうするの?」
京子は煙草のピースをバックから取り出しながら徹を見詰めた。
徹はその時、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けていた。
聞いていると、ヴァイオリンの音色は眠り誘われような心地よい響きであった。
実は金曜日に中央社会保険医療協議会の徹夜審議が行われた。
「日曜日に夜勤なんて、因果な仕事ね」
京子は眉をひそめた。
結局、その日は銀座で食事をして、虎ノ門病院へ向かう京子と銀座線の中で別れた。
当時、徹は酒を控えていた。
「酒を飲んでいる徹ちゃんには、会いたくないの」
「なぜ?」
「何だか図太い感じがして、普段の徹ちゃんの感じでないから」
徹は言われると苦笑するほかなかった。
結局、新宿で降りて歌声喫茶 「山小屋」へ顔を出した。
大学時代の後輩の大崎みどりが働いていた。
徹はみどりと半年であったが、吉祥寺の神田川に面していたアパートで同棲していた。
後年、「神田川」の曲が流れると徹はみどりのことを思い出した。
そして、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲を聞くと女医の京子を思い出した。
2人とも、30代なのにがんで逝く。
京子は肺がん1人娘を遺して、みどりは乳がん男の子を遺して。



2012年1 月12日 (木曜日)
創作欄  「小説・日本歯科医師会」を構想
徹はある時期、機会があれば「小説・日本歯科医師会」を書こうとしていた。
そのために、歯科界の専門紙・誌の先輩記者と交流を図ってきた。
つまり、小説を書くためのネタ探し、取材目的であった。
元同僚の大森卓が、「小説・日本医師会」を書いたことが刺激となっていた。
大森卓は「医療新聞」の元編集長であった。
医療新聞は徹が勤めていた「病院新聞」のライバル新聞であったが、期待に反して呆気なく倒産した。
倒産の原因は、大森卓からおおよそ聞いていた。
その経緯を踏まえ、医療界、厚生行政、そして歯科界の問題などの推移が、「小説・日本歯科医師会」のドラマに繋がると思われていたのだが・・・
2012年1 月21日 (土曜日)
創作欄 29歳の徹は酒場へ足を向ける
韓国料理の店で酒を飲む。
徹は、いつものとおり招待された。
若い人たちの中で、話を聞きながら雰囲気を楽しむ。
そして昔の職場を思い出した。
あの頃は何かと酒の席が多かった。
月に2、3回は社員全員で酒を飲んでいた。
段々と記憶が遠くなるが、鮮明に覚えていることもある。
それは、ほんの同僚の一言であったりする。
思えば些細なことであるが、棘のように胸に刺さっていたことも。
東京・神田の駅界隈で、酒を飲んでいたのは10年間くらいで、その後は、水道橋が多くなる。
何故、神田から離れたのか、と記憶を辿ってみた。
「昨夜、友だちとあの店に行ったら、1万円だったの」
同僚の峰子さんが怪訝な顔で言う。
「1万円ですか? 私のボトルを飲んだのでしょ?」
「そうなの」
徹は直観した。
「2度と来ないでね」と言う意思表示をママの綾さんがしたのだと。
徹は峰子さんをその晩、寿司屋に誘った。
「あのママさん、徹さんに惚れているのね」
「そうかな?」
「女の直観よ」
徹は6月になれば30歳になろうとしていた。
「29歳にもなって、結婚をしていないのは、お前だけだよ!」
母親から言われていた。
確かに、近所に住んでいる中学の同級生で未婚なのは、徹だけであった。
徹は8度も見合いをしていたが、結婚には至らない。
「会社には相手は居ないのかい」と母親が言うが、同僚の彼女たちには既に交際相手がいた。
先輩で社内結婚をした人たちが3組。
徹が良いなと思った新入社員の女性も、既に結婚相手が決まっていたり、同僚の誰かが逸早く手を出したりしていた。
徹は面白くない気分を抱いて酒場へ足を向ける。
2012年1 月22日 (日曜日)
創作欄 緘黙症の天使が行進の先頭に居た
我々は、知っていることより、知らないことの方が多い。
緘黙症(かんもくしょう)については、作家の一色真理(まこと)さんが記していたので知った。
思えば、彼女は「話さない」のではなく、何らかの心理的理由から「話せない」病気の緘黙症であったのかもしれない。
美登里さんは、話せなくとも字が書けたので成績は優秀であった。
だが、ある時突然、しゃべったので、みんなが唖然とした。
「トルストイは、大衆、大衆と繰り返し記しているけど、自分も大衆でしょ」
「美登里さんが、口を開いた」と敏子さんが目を見開いたが、徹は美登里さんがトルストイを批判したことにむしろ驚いた。
徹は、「この人は思い描いていた人ではないのでは?」と美登里さんの伏目がちの横顔を注視した。
心優しく、何時も静かに微笑んでいる美登里さんの別の面を知らされた思いがした。
彼女は周囲への違和感から、自ら言葉を発することを止めていたのかもしれない。
彼女は母親を小学生6年生の時に亡くしていた。
そして、中学2年生の時には父親を亡くしていた。
徹は高校の入学式の日、一際美顔の美登里さんに心惹かれた。
「世の中には、こんなに綺麗な人がいるのか!」
美登里さんの祖父は画家で、祖母はフランス人であった。
美登里さんは美しい祖母似であったのだ。
昭和30年代、まだ珍しかったバトンガールの先頭に立って銀座を行進する美登里さんは、天使の化身のようにも映じた。

ルノアールの「カーンダンベルス嬢の肖像」を見ると徹は、フランスに行ってしまった美登里さんはのことを想った。
翌年、東京オリンピックが開かれ、東京・代々木の体操競技の会場で美登里さんを見かけたと友達が言っていたが、その日徹は風邪で寝込んでいた。

「声美人」

2016年08月18日 06時54分52秒 | 創作欄
2011年12 月30日 (金曜日)
創作コーナー:全然、大丈夫な人なの
人を好きになる感情は、何であるのか?
徹は、新松戸駅前の居酒屋で考えてみた。
60歳を超えた男の朝のときめくこころが、尋常でない。
その女性は、天王台駅から乗った。
取手駅の一つ先だ。
10人の女性がいたとしたら、その人は6番目か7番目かの容姿であろうか。
徹は面食いであるが、これまで愛した女性はそれほど美しくはない。
面食いであるのに、女性の声に惹かれる質でもあった。
「声美人」
そのような表現を徹は、高校生の頃、詩で表現した。
アナウンサーの北玲子さんに惚れ込んいた。
ハスキーな声であるが甘い。
人の心を包み込むような響きだ。
東京上野の美術館で、マドンナの絵画を見た時、この人が声を発したら北玲子さんのような語りかけをするだろうかと想って絵の前に佇んだ。
人の出会いは不思議なもので、60代の徹が再就職した職場に、天王台駅から乗る女性が働いていた。
「どこかで、会っていますよね」
挨拶をした時、女性から問われた。
「そうです。私は取手に住んでいますから、電車内で貴方を見かけたことがあります」
「ああ、電車で見かけました。何時も大きなリックを背負っていますよね」
徹は苦笑した。
ノートパソコン、新聞、書物、ノート、カメラ、ラジオ、録音機などでリックは膨らんでいた。
徹が新しく勤めた職場は、20名余の規模であり、社長が50歳で40歳代が2人、30歳代3人、あとは20歳代の若い人たちだった。
駅から徒歩7、8分、徹は職場に溶け込もうと社へ向かう社員たちに声をかけた。
「どこから通っているのですか?」
「出身は何処ですか?」
ところが、ある社員には3度も聞いてしまった。
「岩手と言いましたよ!」
相手は当然、むっとして言い返した。
迂闊であり詫びたが、相手は常にイヤホーンで音楽などを聞いているので、その後は声をかけずにいた。
ところで、徹が惚れ込んだ女性は「声美人」であった。
何時か食事か、酒の席に誘いたいと思っていた。
その日、電車内で声をかけた。
その人は何時も本を読んでいるので、徹は車内では声をかけずにいたが、降りた新松戸の駅で肩を並べたので聞いた。
「正月は、何処かへ行ったのですか?」
「秋田の実家へ帰りました。大沼さんは、どうされたのですか?」
問いかけに徹は、「この声だ」と胸が高鳴った。
乗り換えた車内では取り留めのない話をした。
そして突然、思い出したので言った。
「○○さんに3度も、出身は何処ですか?と聞いてしまったのです」
その人は声を立て笑った。
「3度も? でも○○さん、全然、大丈夫な人なの。気にすることはないですよ」
徹は、大丈夫な人と言う表現に何か救われた気持ちになった。
ある意味で、この人の人柄の良さを感じた。
徹は惚れ直したのだ。
だが突然、別れは訪れた。
その人が退社したのである。
ある意味で徹の心は、平静を取り戻した。
淡白な60代の心のときめきは、引き潮のようなものであった。
2011年12 月31日 (土曜日)
冤罪の構図 1)
何故、冤罪が起こるのか?
夏目徹は考え続けた。
眠れない夜であった。
書棚から判例集を出して読んでいた。
時計を見ると、午前2時を回っていた。
終電車は既に終わっていた。
結局、待ち人は外泊をしたのだった。
徹は居たたまれない想いに駆られ、絨毯の上に仰向けになる。
そして、昼間、澤田奈那子と新宿駅で別れたことを思い浮かべる。
奈那子は、新宿駅の西口に何時ものように30分余送れてやってきた。
遅れて来たのに、小走りになるでもなくユッタリした足取りで改札口を通過する。
イライラして、不機嫌な顔をしている徹の姿を雑踏の中で目ざとく見つけると、こぼれるような笑顔になった。
徹はその笑顔に魅せられて、何時も怒る気になれない。
徹の前に立つと奈那子は、西洋の劇の中に出てくる少女が演技をするように足を一歩前に出して、腰を屈めて挨拶をした。
奈那子が両手でミススカートを持ち上げたので、太股が露となった。
徹は周囲の視線を感じた。
奈那子がそのような仕草をする時は、何かがある兆候でもあった。
「徹ちゃん、悪いわね。私、用事が出来ました。なるべく早く帰るので、私のマンションで待っていてね」
黒皮の真四角な小さなハンドバックからマンションの鍵を出した。
キーホルダーは、徹が東京タワーで買ったものだ。
徹は言いたいことが喉に詰まった。
奈那子は右手をひらひらさせ身を翻すようにして、足早に去って行く。
奈那子から何度か約束を裏切られてきた。
「もう、いい、お別れだ」徹は投げやりな気分となった。
だが、1日、1回は奈那子から電話がかかってきた。
「今、何をしているの?」
「これから、学校へいくところ」
「今日、会えるでしょ?」
「ハイ」
居間で母親が聞き耳を立てていた。
電話は玄関の靴箱の上に乗っていた。
脇には花瓶があって、母親は活けた百合の花が香っていた。
「徹ちゃん、誰かが側に居るのね?」
「まあ・・・」
「渋谷に来て、午後6時に、来られるわね。ハチ公の前にいるわ」電話をそれで切れた。
結局、その日も30分余、遅れて奈那子はハチ公の銅像の前に現れた。
奈那子は渋谷の道玄坂にある法律事務所でバイトをしていた。
司法試験に2度落ちて、3度目挑戦するところであった。
徹の父は大学病院の心臓外科医であった。
父の医療訴訟を請け負ったのが、渋谷・道玄坂の法律事務所であった。
父の東京地裁での裁判を傍聴した時に、徹は奈那子と出会った。
徹は裁判所へ足を踏み入れたのは初めてでる。
建物に威圧され、胸をドギマギさせ途方に暮れた少年のように戸惑っていた。
徹の脇を通り過ぎた若い女性が振り向いた。
その場の雰囲気を和ませるような女性の爽やかな笑顔であった。
「学生さんね? 傍聴なのね?」
「ハイ」徹は助け船を得たような気持ちとなった。
「今日は、医療訴訟の裁判があるの、傍聴するなら一緒に行きましょ」
「医療裁判?!」徹は腰が引けた。
身内の裁判を赤の他人に傍聴されたくない、と思ったのだ。

(米山次郎)
2012年1 月 6日 (金曜日)
創作 「信仰心が少しもないんだね」
新年会のあと友だちの高浜君たちと、長禅寺へ詣でた。
信仰心が互いにあるわけではない。
「今年こそは、何か良いことがあるように、祈ろう」
大竹さんが茨城県指定文化財の三世堂へ向かった。
「祈っても無駄だ」
冷ややかに言うと高浜君は、左へ向かう。
徹も祈ることもないので、高浜君の後に続いた。
高浜君は本殿をチラリと見ただけで、池の前で足をとめると鯉を目で追っていた。
「福島県南相馬の実家へは15年ほど帰っていないけど、亡くなったじじいが、鯉をかっていたんだ」と言う。
思えば、徹も群馬県吾妻の実家へ10年以上帰省していない。
「正月くらい、帰ってこい」と父親から電話があったのが12月30日だった。
30日の夜半から31日朝まで大竹さんたちに誘われ徹は、駅前の雀荘で徹夜麻雀をした。
長男が10月に生まれ、妻は埼玉県深谷の実家へ帰省していた。
徹は妻から「深谷で正月を迎えない?」と誘われたが、「行くのが面倒だな」と断り自宅で正月をのんびり過ごすことにした。
「二人とも、信仰心が少しもないんだね。徹君は赤ちゃんができたんだからね、無事に育つことを祈るべきだよ」
大竹さんの柔和な目が厳しくなっていた。
徹は気まずい思いで池の鯉に目を転じた。
2012年1 月 9日 (月曜日)
創作 「赤い靴をはいた少女」
「酒でも、飲もうか?」
徹は振り返って淑江に声をかけた。
コンサートの余韻が残っていて、会場を出てくる人たちの顔はいずれも上気しているように見えた。
「横浜に来たのだから、中華料理ね」
淑江は県民ホールの階段を下りながら徹に同意を求めた。
「そうだね」と言ったものの、徹は野毛山の居酒屋を頭に浮かべていた。
中華料理は好きな方であるが、2人でのフルコースは量的に重い感じがしていた。
できれば、4、5人で店に来て、色々な料理を注文してテーブルを回しながら味わうのが中華料理の醍醐味と思っていた。
創業40周年記念 1人前コース1860円。
ある店の看板を目にして徹は足をとめた。
「安いな。この店はどうかな?」
背後を振り返った。
淑江は微笑みを浮かべて頷いた。
水色の小旗を掲げた中年の女性に引率されて、20人ほどの観光客と思われる人たちが道の向かい側の大きな中華料理店に入るところであった。
「何処の国の人たちかしら?」
淑江は笑顔で肩車に乗った金髪の幼女を見つめた。
幼女は赤靴をブラブラさせながら、首を曲げて淑江へ笑顔を投げかけた。
「可愛い!」
子ども好きな淑江は歓喜したように言った。
「可愛い子だね」と応じて、徹は「赤い靴をはいた女の子」のメロディーを思い浮かべた。
そのメロディーは淡い哀愁を伴って、徹の胸に秘められていた。
1人っ子として育った徹は初めて幼稚園で、イジメを経験した。
徹の母親は高校の教師で昼間家に居ない。
祖母、祖父とも孫に甘いので、徹がねだれば何でも買ってもらえた。
温室育ちのような徹は、幼稚園で我がまま通じないことを知った。
そして意地悪も経験した。
同じ年であったが、徹より大きな体を少女はしていて、徹がイジメにあうと「いじわるはダメ」とかばってくれた。
奈菜子は何時も赤い靴を履いていた。
2人の兄と弟の間に育った奈菜子は確りした性格だった。
「徹ちゃんは女の子みたい」
徹は奈菜子から言われても悪い気持にならなかった。
女の子みたいだから、女の子には仲良くしてもらえると徹は思ったのだ。
思えばあれは、徹にとって初恋のようなものであっただろうか?