「アメリカ 異形制度空間」

2016年12月06日 23時04分47秒 | 社会・文化・政治・経済
◆アメリカほど「自由」の大義に固執する国は他にない。
「生命、自由、幸福の追求の権利」を追求する個々人によって歴史的に形成されてきたのが、「アメリカ合州国」である。
ヨーロッパのキリスト旧教世界からやってきたピューリタンたちは、教会権威の束縛とそれに強いる従属と決別して、「新大陸」で個人として信仰の「自由」を獲得した。
個人の「自由」の淵源が、広大な土地という資源にあったことは、すでにマルクスがしている。
◆20世紀初頭には、職業選択の「自由」を持つ個々の労働者の営為に支えられ、アメリカは世界一の工業国になった。
「自由」の名のもとに、市場原理の熾烈な競争に投げ込まれる個々の労働者、野民たち。
◆「自由な」競争に破れたものには、怠惰や無能という「自己責任」が待ち構えていた。
「自由」は実は、競争、利益、繁栄、経済至上主義の擬制であり、かつ制度である。
アメリカは「自由の制度空間」だが、他のどことも異なる異形である。
「アメリカ 異形制度空間」西谷修著 立教大学教授・阿部珠理評

法華経は多くの人々を蘇生させる

2016年12月06日 20時41分28秒 | 社会・文化・政治・経済
◆「元品(がんぽん)の無明」とは、生命の根源的な無知である。
全ての人に等しく仏性があることが信じられない状態である。
生命の内なる「無明」「不信」こそが、人間を不幸にする。
◆一人一人の胸中に生命尊厳の哲理を打ち立て、平和な社会の建設を担っていく。
◆法華経の偉大な力は、どこまでいっても、その法を持った人間でしか表現できない。
「あらゆる人を成仏させるのだ」というのが法華経の心である。
この世で成仏できない者はいないということを法華経は示している。
◆仏とは、サンスクリット語で「目覚めた者」を意味する。
法華経は、諦めを打ち破り、人類を目覚めさせる宣言なのである。
◆“尊極の仏の生命は、誰にでも、どんな状況であっても、どれほどの苦しみにあっても、胸中に湧現できる”
ということを強く深く確信する。
その五体で、自らの生命で、法華経を学ぶ人の中にこそ、真の法華経の精神が脈打っている。
◆法華経は多くの人々を蘇生させる。
人類が渇望してやまない諸経の王ともいうべき法華経。
◆この法華経を身で読んで、その精神を現実によみがえらせたのが日蓮大聖人である。
釈尊から日蓮大聖人へと続く法華経という系譜は、今、現代に継承され、実践されている。
◆法華経は、過去の経典ではなく、今生きている人々の心を繋いでいる。
◆生命の尊厳性と他人の心を理解することが重要であるという法華経の教え。
◆人間が人間を恐れる社会であってはならない。
みんながお互いを信頼し、愛情を持つ社会を建築していかなければならない。
◆「法華経」ほど多くの国々で信奉されている経典はほかにないであろう。
日本のみならず、ひろくアジア諸国で奉じられている。
◆「諸経の王」と称されるように、仏教において、その内容だけでなく、客観的・歴史的事実の上からも、法華経が仏教を代表する経典であることは間違いない。
すなわち、キリスト教における聖書、イスラム教におけるコーランのように八万宝蔵という膨大な経典の中で、仏教を代表する経典であると言ってよいだろう。
仏教の碩学・中村元さん

「師匠を持つ人生は重要

2016年12月06日 20時20分12秒 | 社会・文化・政治・経済
◆だれひとりとして、“使命”のない人ひない。
「あなたの力を必要としている人が、必ずどこかにいる」
◆核兵器は国際的に大きな課題。
だからこそ、若者の意識を変革することで、廃絶への確固たる道筋をつけていかなければならない。
「無関心から関心へ」
「不戦の誓いの継承」「核の廃絶は必ずできる」との意識を共有し、その実現のために「一対一の対話」お重ねていく。
◆人間関係が多様化している現代にあって、友人の概念は人それぞれかもしれない。
それでも、“本当の友達”を得ることは、誰にとっても大切なことだろう。
「友情は喜びを倍し、悲しみを半分にする」ドイツの詩人・シラー
「一生涯、付き合える友情を大切にしてほしい」
◆科学技術の善悪は、それを使う人間によって決まってしまう。
「平和について真剣に考えていかなければならに」
◆平和は足元から始まる。
「対話の重要性」を改めて認識したい。
◆哲学不在の現代にあって「師匠を持つ人生は重要」
吉田松陰が弟子に与えた影響の大きさ。
「人生の師」を得た人は幸福である。
◆「若者にとっての政治」
「若者の選挙離れ」
投票率の低迷。
若い世代にとって、決して政治は遠いものではない。
政治問題を通して「自分の将来を思索する」
「普段は話題にしづらい政治問題」
若者たちが意見を交わす中で身近な問題になっていくはず。

多くの生き方がある

2016年12月06日 19時32分08秒 | 社会・文化・政治・経済
◆「学校と私」毎日新聞)
母の出身校でもある自由学園(東京都東久留米)に中学から進みました。
学校では授業だけでなく、暮らす、食べる、着る、住むことについての学びも大切で、24時間が勉強だと教わりました。
500人分の昼食づくりを中学1年から高校3年まで6学年が交代で担当しました。
まきでご飯を炊くことから始まり、最後はフランス料理を作れるまでになりました。
砂糖と塩を間違えた料理や、黒焦のサンマが出てくることもありました。
でも同じ失敗をするかもしれないから文句も言わずにみんな食べるのです。
他にも学内の芝生の管理やカーテンの洗濯など授業以外の仕事がとにかく多かった。
体を使って学ぶ、まさに「実学」でした。
映画の上映会などで中学校や大学へよく行きます。
若いに人に話をする時、自由学園短期大学卒業後、迷いに迷って映画を作るようになったことを話ます。
受験や理科系、文系など選択肢ばかり突きつけられるとレールがあるところしか道がないと思ってしまいますよね。
今、立っているところから360度進む道はあるのに。
若くて頭が柔軟な時ほど多くの生き方があるということをいろんな大人との出会いから学んでほしいと思います。
映画監督・纐纈( はなぶさ)あやさん

明日は外来で大腸内視鏡検査

2016年12月06日 17時13分06秒 | 日記・断片
セカンドオピニオン?!
「だだっ子と違って、理屈を言う」と指摘された。
世の中には世話好きな人も居るものだ。
朝8時頃に、友人の富田さんがやってきた。
「昨日は、どうしたんですか?逃げても解決しませんよ。今日は、会社を休んだので、病院に連れて行きますよ」と言う。
忙しい身であるあるのに、仕事まで休んで何とかしようという親切心。
この友人の行為は無視できない。
東取手病院に連れていくつもりであるが、「病院を変えます」と答える。
「何で?」「ともかく、東取手病院に行くのはやめました」
「では、どこへ行くの?」
「柏の慈恵医大病院へ」
「大腸の内視鏡検診なら、どこでも同じですよ。奥さんは?」
「パートの仕事に行ってます」
「何時に帰りますか?」
「8時20分ころです」
「では、その時間に来ます」
もう逃げられないと思う。
家人は帰って来て、食事をする。
結局、慈恵医大をやめて、JAとりで総合医療センターへ行く。
何年か前に腰痛で、来たことがある。
あの時は腰が寝ても座って痛みが増すばかりで、「これは異常だ」と友人の林さんに連れてきてもらったのだ。
結局、明日、午前8時45分受付で、大腸カメラ検査となる。
非常に小さいテレビカメラを組み込んだ電子内視鏡を肛門から挿入し、テレビ画面で大腸の内部を観察する。
今日は夜7時まで夕食を済ませる。
今日の夜9時に下剤1本をコップ1杯の水で飲む。
それ以後、食事はできない。
水・お湯・お茶は飲んでもよい。
当日の朝もコップ1杯の水分は摂るようにする。
明日は中央処置室で、洗腸剤を約2時間かけて飲む。
その際に使用する「水」または「お茶」500mlを2本を持参する。

中央処置室でこれらの説明を受けた。
消化器内科医師は比較的若かった。
東取手病院での血液検査、CT検査、胃の内視鏡検査などについて伝えた。

外来診療料は73点、下剤は10点。
会計で80円を払う。
「ええ!80円」その安さに驚く。
1割の自己負担がありがたい!
友人の武田さん、富田さんからこれまで、大腸カメラ検査について聞いていたが、自分がそんな検査を受けるとは思わなかった。
帰りに自宅近くで3人でうどんを食べる。
その力うどんの中に、ころもで揚げた餅が3個入っていた。
てんぷら・あげものは食べてはいけないと中央処置室でいわれたのだが・・・
日本そばもだめ、繊維のある野菜もダメ、とうもろこし、豆類、こんにゃく、もやし、えのき、切り干し大根、ジャム、イチゴ、ごぼう、キウイなどもダメ。
食べてよいもの
素うど、お粥、豆腐、やまいも、じゃがいも(皮は食べない)、プリン、食パン、バナナ、りんご(皮は食べない)
透明のキャンディーなど。
これらを中央処置室で説明された。

「入院はやめた」

2016年12月06日 16時26分23秒 | 日記・断片
「一筋縄ではいかない男」と自認しているが、「だだっ子」と同じだと指摘されてしまった。
昨日は、東取手病院の入院検査を拒絶し、遊びに行く。
当然、家人は騒ぎ出す。
「頑固だから」とか「身勝手」と突き離せばいいが、東取手病院へ連絡をしたり、地元の地区の人たちに連絡し、相談する。
「今、どこにいるの?」とまず携帯電話にメールがきたので、「入院はやめた」と返事をした。
次に電話が来たが無視をする。
すると「夫が家出をして、連絡が取れない」と騒ぎ出す。
連絡をもらった人も、携帯電話をかけてくる。
常磐線の電車内なので、携帯電話に出ない。
相手は当方の位置情報を探っているので、追跡されまいと電源を切る。
そして、やってきたのは上野界隈、そして何時ものとおり新橋へ。
目まいがしたので、「貧血だろう」と強壮ドリンクを2本飲む。
さらに、栄養機能食品。
持続型ビタミンB1高配合。
ビタミンB12は、赤血球の形成を助ける栄養素。
葉酸も赤血球の形成を助ける栄養素。
などを気休めに飲む。
さらに赤ワインも飲む。
ムダの抵抗か?
「ヘム鉄」を新橋の駅ビルの薬局で買う。
生ビールとニラレバー、日本酒を飲む。
午後11時ころ帰宅した。
夜道でもワインを飲みながら帰る。

メンタル面の強さ

2016年12月06日 15時59分44秒 | 社会・文化・政治・経済
チャンスをものにできる俊敏さ
プロスポーツの大きな分岐点でもある。

非凡に発想し、大胆に勝負する!
ファンとしても勝敗は分けるのは、メンタル面の強さと想われる。
例えば、大穴車券は100円よりなるべくなら200円を押さえるべきだ。
弱気や迷いが1日に1回あるかないかの絶好の勝負チャンスを逃す。

「戦う心」

2016年12月06日 07時58分58秒 | 社会・文化・政治・経済
◆「この病は仏の計らいであろうか? その理由は浄名経・涅槃経には病ある人は仏になると書かれている」
◆法華経には、「願兼於業」(願いが業を兼ねる)の法理が説かれている。
菩薩は人々を救うことを誓い、その誓いを果たすために、自ら願って悪世に生まれてくる。
あえて願って苦しみの姿で生まれ、その苦しみと戦い、打つ勝つ姿を見せて、人々に仏法の力を教えるのである。
◆自分の苦しみを『業』ととらえるだけでは、後ろ向きになる。
それを、あえて「使命のために引き受けた悩みなのだ」「これを信心で克服することを自分で誓願したのだ」と、とらえるのである。
「願兼於業」は、この「一念の転換」を教えている。
つまり宿命を使命にかえる。
悩みや困難がある分だけ自分が成長でき、境涯を広げられるのだ。
◆仏法では病気を忌むべきものではなく、仏の境涯を開く人間革命の契機と捉える。
ゆえに、病気に立ち向かう心こそ重要となる。
「病」「老い」「死」も人生の一つ相である。
病気になるから人生の敗北があるわけではない。
むしろ、病に負けない心を持ち、病魔と戦い続ける人は、自身の境涯を広げ、充実の人生を送っていける。
「戦う心」を持ち、前進を続ける人は「人生の勝利者」である。

失敗を繰り返す人

2016年12月06日 06時57分46秒 | 社会・文化・政治・経済
◆「待っていても何もはじまりません。自分から進んで声を掛け、地域活動に顔を出していくしかありません」
つながりも友情「自分」から始まる。
だから。自分から声を掛ける。
つながりを持つ続ける時間と努力を惜しまないことだ。
◆我々の実践の全てが活き、無駄はない。
◆中学生の15人に1人、いじめを容認。
悪を見て許す風潮こそ悪の根源。
◆失敗を繰り返す人は、自分本位の狭い見方になっている場合が多い。
私が一番強調しているのは、「素直さ」です。
先輩や上司のささいな一言も、長年の経験に裏打ちされた言葉であることが多い。
それを素直に受け入れれば、成長のチャンスになります。
目の前の仕事に対するネガティブな気持ちを、会社のせいにしてしまっているこよも多いものです。
まずは、今いる自分の会社で自分のやりたいことができないかを考えてみましょう。
その上で、転職の気持ちが固まれば、自分が何をしたいのか、何ができるのか、どういう役割をその職場で果たせるのかの3点を軸に、職種や転職先を探ししていくましょう。
転職コンサルタント・森本千賀子さん

「最後は必ず勝つ」との確信

2016年12月06日 06時42分38秒 | 未来予測研究会の掲示板
チャップリン・こと沼尻巌は不思議な感じのする男である。
住まいは川口であるが、取手競輪場までやって来る。
自宅から大宮競輪場が近いが、新橋の場外車券場で顔を出し、後半の9レースか10レースころ姿を見せる。
レースが終わると取手駅東口のビル2階のレストランへ寄るのを何度か利根輪太郎は見かけた。
輪太郎と宮元武蔵はそのビルの1階の中華店で酒を飲んで、競輪談義をする。
「チャップリンは松戸競輪場へは行かないそうです」
「そうか」武蔵はチャップリンに興味を示さない。
「昔の奴らと、顔を合せたくないんでね」チャップリンが大宮競輪場や松戸競輪場へ顔を出さない理由である。
先日の後半3レースは堅く収まった。
「死んでも、本命は買わないので、やられた」と輪太郎が愚痴をこぼした。
「死んだつもりで、買うレースだったな。いくら堅くても買わないとゼロになる。死んだつもりで買わなければな」チャップリンは3連単670円の配当を5万円買っていた。
「勝負レースを確実にゲットするんだよ」武蔵の持論であり、チャップリンも同じ立場である。
「ヘソ曲がりなんで、穴を狙った」利根輪太郎はその日、1か月分の給与に相当する金を投じて失い意気消沈した。
「あのレースが勝負だった」と悔いた。
競輪場の外の食堂へビールを飲みに行き、その勝負車券を取り損ねていたのだ。
車券を買ってから飲み行けば良かったのだが、「まだ、狙いのレースはある」と食堂へ行ったのだ。
そして、食堂のテレビで予想が的中したレースを観て悔やんでいた。
1日、1回あるかないかのレースであったのだ。
本命は9-3のラインであったが、7-2の穴となる。
その前のレースは本命の7-3で決まった。
輪太郎は本命を買わないので金を失った。
7-3の下がり目の7-2で勝負と思い付いたのだ。
だが、9-3のオッズが170円なので、このレースは堅いと思い込んだ。
そして、ビールを飲んで、レースをテレビ観戦することにした。
よくあることだが、新人の6番選手が2周も逃げる展開となる。
6-5-7のラインが先行し、車間を開けて1-2-4が中段、そして9-3-8の本命は後方に置かれたのだ。
4コーナーで猛然と9-3-8ラインが追い込んできたが、2番選手が9番選手をブロック。
外に大きく張られて9番選手は失速。
結局、7-2-6で決着した。
7-2は2万6400円の配当。
7-2-6は42万3800円の配当となる。
大きな魚を輪太郎は逃したのである。
2周も逃げて3着に粘った新人は地元取手の選手であった。
輪太郎は歯軋りをして競輪場へ戻って行く。
車券を買ってからビールを飲みに行くべきだっと悔しがった。
こうなると、輪太郎は下降線を辿るばかりである。
車券師・東剛志の勝負強さを継承したいと決意していたのだが、「まだまだ」と輪太郎は思うばかりであった。
「人生は強気でいけ」である。
「最後は必ず勝つ」との確信で、前を向いて、強気でいくのだ。