村山がどう生きたか

2016年12月13日 23時22分18秒 | 社会・文化・政治・経済
将棋に全てをかけ、29年の人生を駆け抜けた棋士・村山聖(さとし)。
その生きざまと輝きを、圧倒的なリアリティーと美しさで描き切った映画「聖(さとし)の青春。
難病の苦しみ、師匠や家族への思い、仲間たちとの時間、そして羽生善治との死闘―。
“村山がどう生きたか”がテーマ。
村山は、余命を削ってでもあそこまで行きたかったんです。
孤独に耐え切れなかったからではないか。
最後は頭脳ではなく、精神と人間性の勝負になりますから。
映画「聖の青春」の監督森義隆さん

65歳の母親の夢

2016年12月13日 04時07分28秒 | 創作欄
65歳の母親が夢を捨て切れず、小説らしきものを書いていたことを母の死後、姉から聞く。
小説家の吉屋信子に憧れ、故郷の群馬県沼田から上京した19歳信恵は、吉屋信子の自宅まで押し掛け、弟子入りを懇願し断られたのである。
信恵には薄根村の村長をしていた父親が勧めていた縁談があった。
「農家の嫁には、絶対なるまい」家を飛び出した信恵の気持ちであった。
歌人の若山牧水に心酔していた信恵の兄幸作は25歳の年で自殺している。
異常な死であった。
姫木貞子との婚礼の披露宴の席から抜け出して自殺したのである。
多くの招待客たちは、席を外した花婿は便所に行っていると思っていた。
だが、1時間が過ぎても花婿は戻ってこなかった。
気丈な性格の祖母の照子が便所を確認したが居ない。
「おかしいね。みんさん、こんなことになって、誠に申し訳ない。披露宴はお開きにさせていただきたい」
館林の正田家から嫁いできた照子は美形で「暁のお照さん」と村人たちに慕われていたのである。
「至急、幸作を探すんだ」照子は下男、下女に命じた。
村長をしていた父親の林作は面子を潰され、鬼の形相になっていた。
「幸作の奴、こんな日まで俺に面当てをしやがって、許さん!」
農家の跡取りが、短歌に傾倒し歌会などを開いていることを父親として苦々しく思っていたのだ。
村で神童と持て囃された幸作は短歌雑誌「創作」に投稿し12歳から短歌で頭角を現していた。
沼田中学から東京の一高を目指していたが父親に強く反対され、進学を断念した。
「農家の息子に学問はいらないんだ。庄屋までしていた先祖様の田や畑を守り通すのがお前の役割だ」
性格がおとなしい母絹江に似ていて、幸作は強い自己主張ができなかったのである。