「人間生命の革命」

2016年12月12日 11時25分19秒 | 社会・文化・政治・経済
★全ての人の尊厳が輝く社会へ―平和運動の根底にある人権の心である。。
「世界人権宣言」の採択は1948年。
自由と権利を求めタグナ・カルタ(大憲章)の制定は、その700年以上前の1215年にさかのぼる。
18世紀にはアメリカの独立革命、フランス革命を経て、近代の人権宣言の基礎が成立。
★人権獲得の歴史は、これほど長いのである。
人権獲得の歴史は、幾世紀のわたる人類の悲願であり、闘争であったが、どれほどの効果があったのだろうか?
世界各地では、いまだに差別や人権侵害が後を絶たない。
いじめもセクハラ、パワハラも人権問題。
★人権侵害を起こさない「心」を育む「学校教育」が不可欠。
★1993年、国連世界人権会議がウィーンで開かれ、1995年には「人権教育のための国連10年」がスタートしたが、効果は出ているのだろうか?
★釈尊の思想の軸は、生命の尊厳。
生命の尊厳とは“生きる誇り”
釈尊の哲理、ヒューマニズムを最上の価値として人類に再認識させるための具体的活動賀』期待される。
★人間の根底の生命の変革こそが、期待されている。
全て人間の生命のあり方なのだ。
「人間生命の革命」次第なのだ。

4人の血液はB型

2016年12月12日 10時16分56秒 | 創作欄
相模大野の姉真貴から、母親信恵の大腸がんの手術が決まったと木村幸造の勤務する会社に電話があった。
「それで、B型の血液が必要なの、4月15日に小田急線の東林間の桜胃腸病院に来てほしいの。私の血液はO型で提供できないの、あんたB型でしょ、是非来て血液を提供してほいいの。2、3人の血液が必要だって・・・」
「2、3人?も」
「そうなの、誰かいる?」
「いるけど、聞いてみるよ」
「助かるわ。お願いね」姉の声は切迫しているような気配であった。
実は会社の同僚の佐々木憲子の血液がB型であった。
さらに独立して退社した大村次郎と木村に着いていった土田君江の血液もB型だった。
「同じB型なので、4人は気が合うんだな」と木村次郎はニヤリ不敵な笑みを浮かべた。
「俺と付き合う奴は皆、堕落するんだ」とうそぶいていた。
木村幸造は「堕落」と聞いて、佐々木憲子への思いが遂げられるような気持ちとなった。
疎い木村は佐々木憲子が既に大村次郎に身を許していることに気づいていなかった。
多情な大村村は妻子ある身であるのに、佐々木憲子と同棲もしていた。
木村は母親が大腸がんで手術をすることを佐々木憲子に告げ、血液の提供を依頼した。
「そうだったの、お母さん大変ね。血液ぐらいなら提供する。それから大村さんにも血液の提供頼んでみる」と言う。
「そうしてくれると、助かる。お願いする」と頭を下げた。
結局、麻雀仲間でもある3人が血液を提供することとなる。
そのことを相模原市橋本に住む姉に電話で告げると「そうなの3人も提供してくれるの。助かるわ」と姉は喜んだ。
だが、皮肉なもので病院での採血の結果、アルコールが含まれていた木村の血液は「汚れている」と不採用となり、酒を飲まない大村と佐々木、土田の血液が輸血に使用されたのだ。
「肝心な時に、ダメだったのか」と木村の気持ちは沈んだ。
だが、惚れていた佐々木憲子の血液が母親の体内に流れていることに木村は不思議な心持となっていた。
4人は病院を出ると雀荘に向かっていた。

土田君江の父親

2016年12月12日 05時05分06秒 | 創作欄
土田君江の父親の竜司は、伊豆川名の元漁師であった。
だが、伊東競輪にのめり込んで、多額な借金までするようになっていた。
その川名にゴルフに来ていた不動産屋の幸田正義が伊東競輪場までやってきたのだ。
竜司はその日も競輪に負けて意気消沈していた。
「あんた地元の人だね。いい店あるだろう。ご馳走するよ案内してくれ」特別観覧席で隣り会ったことで、幸田が竜司に声をかけてきた。
競輪場入口で待っていたタクシーに乗って2人は伊東駅前まで行く。
新鮮な刺身に幸田は喜んだ。
「東京で食う冷凍の刺身とは全く違うな。うまい。酒もうまい」
「東京へ来ることがあったら寄ってくれ、ご馳走するよ」駅まで送ると幸田が名刺を寄こした。
東京の九段下に近い、古本屋街に幸田の不動産屋があった。
幸造は半年後、借金を背負ったったまま逃げるように伊豆の家を出た。
街金融の200万円余の借金は、民宿を担保にして妻の道子が返済していたが、幸造は家へ戻らず東京中野の娘のアパートに転がり込んだ。
「そうか、家を出たのか。それでは困るだろう。うちで働かないか」
海千山千のような幸田正義は、幸造の立場に理解を示し受け入れたのだ。
「俺にも色々あったからな。ギャンブルで借金もあるよな。どん底まで行けば人間、後は這い上がるのさ」
幸造は地獄で仏に巡り合った想いがした。
昭和52年、幸造は月17万円の月収で雇われたのだ。
幸田の自動車の運転手も務めた。
1か月後、娘のアポートを出て、三鷹のアパート住まいとなった。
君江は上司のセクハラに遭って、商事会社を突然辞めたのだ。

土田君江が退社

2016年12月12日 04時01分06秒 | 創作欄
大村次郎が独立するこことなり、土田君江は退社し、大村に従った。
「辞めないでほしい」と木村幸造は懇願するように言った。
「木村さんは好きだけれど、専務の水沢さんが嫌いなの。着いてはいけない」
土田の気持ちはすでに固まっていた。
土田は父親の知人であった水沢治の関係で1年前に入社し、経理の仕事をしていた。
不動産屋に勤めていた土田の父親が「うちの娘、失業中なんだ。どこか働く場所ないかね」と相談したのだ。
「うちで、よければ娘さん寄こしなさい」と水沢が応じたのだ。
父親に連れられて、九段下ビル2階にやってきた土田君江は父親にぴったり身を寄せるようにソファーに並んで座っていた。
如何にも仲良し父娘という様子であった。
2人の娘がいる水沢はその姿を見て好感を抱いたのである。
同時に一人の女として土田に心動かされてもいた。
土田は入社してから度々、水沢に食事を誘われた。
その誘い方は何時も決まっていた。
「先に、あがります」と皆に声をかけてから専務は会社を出ていくのであるが、そっとメモを土田の机に置くのである。
専務は近くのホテルのラウンジで土田を待っているのである。
誘いを無碍にできないので、10分後、土田はホテルへ向かった。
水沢の行為は土田から大村に伝わっていた。
「俺、独立するけど、着いてこないか」と大村が誘った。
「私、父の関係で、水沢さんに義理があるの」水沢は一度は断った。
「義理か、俺も義理には弱い質だ」と大沢は諦めかけたが、水沢の態度が段々露骨になってきたのだ。
「新宿のホテルに部屋をとってあるんだけれど」と水沢は食事の後に誘ってきた。
「今日は、弟が伊豆から出てくるの」と土田は断った。
実際に、高校生の弟が「進路のことで相談がある」と電話をかけてきたのだ。

大きな貸し

2016年12月12日 03時10分06秒 | 創作欄
木村幸造は相変わらず外泊を繰り返していた。
九段したビル2階の会社のソファーで寝たり、近くの古い旅館に潜り込むのである。
午前2時過ぎ、「お願いします」と木造の扉を開けて玄関で声をかけるが誰も出てこない。
和歌山久が大胆にも空き部屋を探し当てる。
「無賃宿泊するか」とニヤリと笑う。
2人は畳にごろ寝をした。
木村が1週間前に、同僚の佐々木憲子と泊まった旅館である。
4人で麻雀をした日であった。
大村次郎は四谷のアパートに帰るので土田君江と地下鉄の九段駅へ向かった。
土田は妹と中野アパートに住んでいたので帰る方向が一緒である。
佐々木の自宅は横浜であるので水道橋へ向かう。
「若葉旅館」のネオンが前方に見えたので「今日は外泊しようか」と木村は佐々木に誘いをかけた。
男性的な佐々木に木村は女の魅力を感じていない。
同僚としての親しみだけであった。
実は惚れっぽい木村は土田に恋心を抱いていたのである。
だからこの時、土田とともに歩いていたら「外泊しょうか」などとはとても言えない。
「木村さん、今日の私、汚いよ」と佐々木が思わぬ事を言う。
どのような意味であったのだろうか。
その夜、2人は布団を並べて寝たが何事もなかったのである。
午前8時に目覚め2人は水道橋の喫茶店でモーニングコーヒーを飲み、トーストとゆで卵を食べた。
「木村さんよく寝ていたわよ」佐々木はタバコを吸いながら笑顔を見せた。
「佐々木さん、寝られた?」
「夜中に2度目覚めたけど、寝られた。木村さん私に大きな貸しを作ったのよ」
「貸し?」
「そう、大きな貸しをね」佐々木は意味ありげに笑みを浮かべた。
佐々木は自宅が横浜であったが、大村次郎と同棲状態にあり、土日だけ横浜へ帰っていた。
妻子のいる大村も土日だけ奥多摩の自宅へ戻っていたのだ。
2人は前の会社の同僚同士であり、同棲生活は4年に及んでいた。
そんな事実を木村は想像すらしていなかった。