何が起こっても とるに足らぬものである

2016年12月23日 22時05分51秒 | 社会・文化・政治・経済
★挑戦を続ける人生は美しい。
何より、崇高な目的を目指せば、人は“永遠の青春”を生きることができる。
★才能を育むには思いやりが必要―作家・ドストエフスキー
★どんな困難に直面しても決然と立ち向かうことだ。
★あなたのなかに全世界があることを感じ、世界のなかにあなた自身がいることを知ってほしい。
★たじろぐことのない、不屈の大情熱の世界市民に。
★インドの詩人・タゴールの偉大さは、いかなる不幸にも押しつぶされない強さである。
★タゴールは肉親を亡くした、自らの悲しみや苦しみさえ、価値創造の力に変え、世界を照らす光に転じていく生命の炎が明々と燃え上がっていた。
★正義の信念に生き抜くゆえ、理不尽な攻撃の標的にもされた。
けれども、どんな悲劇が打ち続こうと、常に希望に満ちて快活だった。
★青春は皆、悩みとの戦い。
うまくいかないことも、自信をなくすこともある。
★「何が起こっても、その出来事は君の魂にとっては、とるに足らぬものである。
君より偉大なものは誰もいない」タゴール

攻めることが肝心

2016年12月23日 21時02分21秒 | 社会・文化・政治・経済
★行動から限りない楽しみが出てくる―哲人・アラン
★戦いは守りに回らず攻めることが肝心。
★どこまでも「一人」を大切に、友情と信頼の語らいを。
★皆が暮らしやすい社会を築くには、貧困に陥った後の対策はもとより、予防策を充実させていくべきだ。
★「今、働いているところを使命の場だと思って懸命に働くことだ。全ては“君次第”だよ」
先輩の励ましに「感情に身を任せていた自分が情けなくなりました」
仕事が長続きしなかった。
何かあればすぐに頭に血が上り、上司と言い争っては仕事を転々としていた。
以来、仕事の励む姿勢を見直した。
愚痴や不満は口にせず、その分、“今に見とれ!”と奮起する。
「憎しみに満ちていた“今に見とれ!”が、いつしか負けじ魂の“今に見とれ!”に代わったのです」
★役立つ実感が蘇生の力に。
中学時代は人間関係に悩みから、心を閉ざしていた。
ボランティア活動を通じて、“自分は役に立っているのだ”と前向きな気持ちになれた。

テロリスト側の“採用活動”を防ぐことだ

2016年12月23日 18時58分19秒 | 社会・文化・政治・経済
★新しいものや未知なものに出会ったときの感激―それを呼び覚ます教育が重要。
★いかなる国の人々も、慢心にも卑屈にもんならず、一個の「人間」として、堂々と誠実に交流できる「実力」と人類に貢献していく「開かれた心」を持つことだ。
そのためには、「世界を知る」ことが欠かせない。
知らないことが、偏見や先入観を生む。
★学ぶ勇気が、自分の心を世界に向かって開くことになる。
語学力も大切だ。
ともかく、日本の小さな物差しではなく、地球規模のスケールで考え、手を打っていけるリーダーが躍り出なければならない。
★「世界市民」とは、まず、「世界から学ぶ」市民である。
また、「世界に尽くす」市民である。
そして「世界のために戦う」市民である。
★世界に開かれた「使命の道」
その道を歩む人材を育成する。
★テロをはじめ暴力的過激主義の問題は国際社会において、ますます深刻化している。
まず大切なのは、その背景や要因など“見取り図”を理解することだ。
テロや暴力的過激主義がもたらす紛争によって毎年、あまたの命が犠牲になっている。
その大半はイラク、アフガニスタン、ナイジェリア、パキスタンとシリアの5か国で生じている。
こうした暴力的過激主義が広がる要因は多様だ。
★例えば、政治的目的で行使される暴力の件数も増えている。
これは既存の政治制度から疎外されている人々が引き起こしている。
また世界中で、若者を中心とする多くの人々が経済的な不平等に苦しんでいる。
適切な社会的認証を得られないケースも多い。
★宗教的信条が暴力を正当化すると指摘されているが、最大の原動力ではない。
★若い人々がテロリスト集団に加入しないように、その道を閉ざす手法である。
簡単に言えば、テロリスト側の“採用活動”を防ぐことだ。
★より高水準の教育を施すために学校を建設したり、職業訓練や雇用促進プログラムを開始したり―そうした包括的な取り組みが、平和構築へと通じていく。
暴力的過激主義や、それを取り巻く複雑な状況を広く知らしめることは今、一層重視されるべきだ。

ミシェル・モルガン 生きていたとは驚き

2016年12月23日 13時10分38秒 | 社会・文化・政治・経済
ミシェル・モルガン(Michèle Morgan, 1920年2月29日 - 2016年12月20日[1])は、フランスの女優。イル=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。
日本語では他にミッシェル・モルガン、ミシェール・モルガンとも表記されている。

主に1930年代後半から1960年代後半まで活躍した。


生年月日

1920年2月29日

没年月日

高校生のころは、映画評論家志望であり、多くの映画を観てきたし、毎月、映画雑誌を買っていた。
古本屋でも多くの映画雑誌を購入していた。
この個性的な女優は一番強くここを惹き付けたもだ。
2016年12月20日(満96歳没)

出生地

ヌイイ=シュル=セーヌ

15歳で女優になる決心をして、パリへ行く。
映画のエキストラをしながら、演劇学校で演技を学び、当時の著名なフランスの俳優レーミュ主演の映画“Gribouille”(1937年)でメジャー・デビューをする。

そして、ジャン・ギャバンと共に2つの映画『霧の波止場』(1938年)と『曳き舟』(1941年)に主演し、スターの座に上った。

第二次世界大戦中には渡米し、アメリカ人俳優ウィリアム・マーシャルと結婚、一男を産むが、離婚する。

1946年の映画『田園交響楽』では第1回カンヌ国際映画祭 女優賞を受賞した。

他の主な出演作は、イタリア映画『ファビオラ』(1948年)、ジェラール・フィリップと共演した2作『狂熱の孤独』(1953年)と『夜の騎士道』(1955年)、『マリー・アントワネット』(1956年)等がある。

1970年代以降はほとんど映画出演はなく、時折テレビと劇場に出演しつつ、趣味の絵画と詩作に耽って平穏な生活を送った。

1969年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章を、1992年にはセザール賞の名誉賞を、1996年にはヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を授与された。

1977年に自伝を出版した。

【本日の誕生花】 ポインセチア

2016年12月23日 12時49分28秒 | 医科・歯科・介護
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  花を楽しもう!みん花通信
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       (2016.12.22配信)


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【本日の一枚】

本日の一枚はMinamさんが横浜市西区で撮影した「ヤマブキ」です。
日本や中国に分布する「ヤマブキ」は春ごろ開花します。本日の一枚は、抑えた色調の緑を背景に、日に透けて葉脈までもよくわかる葉の様子をうつしとり、全体的に黄味がかった色合の、落ち着いた雰囲気の一枚になっています。


本日の一枚を見る
https://hc.minhana.net/photo_of_ today?utm_source=tsushin&utm_medium=mail&utm_campaign=mailmag

本日の一枚は、撮影スポット(※)を登録していただいた写真の中から季節感あふれる写真や花のある風景など、 そのスポットに出かけたくなるような魅力的な写真を選ばせていただいております。
(※)撮影スポットは、写真投稿ページの「撮影スポットを登録」に入力すると登録することができます。
  例:東京都小平市/東山動植物園/八坂神社 など
皆様のお気に入りの場所をぜひご紹介ください。紅葉の写真投稿もお待ちしております。


お花を楽しめるおすすめのスポットを「撮影スポット」に記入してご投稿ください。
皆様のお気に入りの場所をぜひご紹介ください♪

【本日の誕生花】

ポインセチア
キレイなクリスマスカラーでおなじみ!じつはピンクや白などもあるんですよ☆花言葉は「祝福する」です。
https://minhana.net/wiki/view/2495?utm_source=tsushin&utm _medium=mail&utm_campaign=mailmag

年内、病院に居てどうなるのか?

2016年12月23日 12時45分53秒 | 日記・断片
12月22日から入院していることが友人たちに伝わっていた。
今回も逆らって、入院しなかった。
22日から年内、病院に居てどうなるのか?
年内に手術をするわけではない。
病院では輸血もできるだろうし、上行結腸が詰まらないように病院食も出されるだろう。
だが、自宅でお粥を食べるのと、病院食にどれほどの差があるのか?
病院に居れば酒も飲めないので、健康にいいかも知れない。
だが、年内、病院にいることなど、堪え難いのだ。
精神的に自宅の方がいいはず。
こんな身勝手な患者なのだ。

ところで、21日、YouTubeの削除依頼がメールで来た。
その動画は以下。

さて以前ご出席いただきました
21世紀医療課題委員会ですが、
山本さんが録音・録画、YouTubeに
アップされたものに関しまして
その時の参加者より削除依頼がきております。

https://youtu.be/MOm9uvzRoO8
https://youtu.be/SsCufD4SFKo

お手数ですが早急に
削除していただけますと幸いです。

よろしくお願い致します。


だが、数年前のもので、バスワードが一致しないので、入力できない。
記憶が定かでない。
こまったものだ。

酒豪だった三船敏郎 酒を口にしなくなった

2016年12月23日 09時21分04秒 | 社会・文化・政治・経済
自分の妻を認識できなかった

ディリースポーツに掲載されている「三船敏郎 蘇る伝説」

独り暮らしになってから、酒豪だった三船敏郎が、酒を口にしなくなった。
日中は長男・史郎の部屋で過ごし、夜は自分の部屋に戻って寝るという生活が続いた。
「父には元々、不整脈があって、他にも大動脈瘤の持病がったので、病院に経過を診てもらってました」
本人は「自分は年中(身体に)爆弾を抱えているんだ」と言っていた。
そうして平成5年、三船は2人の人物と再会した。
映画監督の本多猪四郎が逝去。
その葬儀に出席したとき、黒澤明監督と再会したのだ。
三船の体調がよくない、と人づてに聞いていた黒澤は「大丈夫か」と声を掛けた。
三船は「ええ、大丈夫です」と答え、胸を張ってみせた。
黒澤も三船もこれが最後になるとは想像せず、簡単な挨拶だけで別れた。
次に再開した相手を三船は、誰なのかを認識できなかった。
相手は、昭和47年に成城の家を出て、実家に戻り、三船とは21年間別居していた幸子夫人だった。
幸子は、史郎の家族が三船の世話をしていることを聞き、「私も手伝ってあげる」と訪ねてきた。
三船この時73歳。
幸子は65歳になっていた。
三船は幸子のことを自分の妻だった女性と分からず、「おばさん」と呼んでいた。
幸子は、夫の世話を続け、最終的には自分が看取りたいと希望していたが、膵臓がんで67歳で逝去、その切ない願いは叶わなかった。
一方、三船は夫人との再会から別れまでの2年間に海外と国内の2本の映画に出演し、俳優として最後の気迫を見せた。
取材・文松田美智子さん

病院内で知人と出会う

2016年12月23日 08時29分56秒 | 日記・断片
★本当の知は実践をともなわなければならない。
★胸の奥から湧き出た言葉は、流麗な修辞など使わなくても、心から心へ伝わる。
胸を打ちたいなら、まず自分が心の底から感動し、心から決意することである。

★病院の待合室は人で溢れていた。
深刻な症状を抱えた人も少なくないかもしれない、と思ってみた。
眉間に皺を寄せ、如何にも不快な表情をしている人もいた。
小柄でだいぶ太っているその高齢者の横顔は知人の坂田時子さんに似ていた。
若いころは水道のメーターをチェックしに我が家にも回って来た。
地元の組織に顔を出さなくなり、疎遠になっていた。
あれから20年くらいの歳月が流れていた。
息子さんが行方不明になっているが、その要因は明らかではない。
1時間余、新聞を読んで待っていたが、多くの人は4人がけの長椅子に座りじっと待っているのである。
予約患者と新患がそれぞれ呼ばれて内科診療室へ入るが、それが分からずに内科の窓口に聞きに行く人が絶えない。
新患は電光掲示板に番号が掲示される。
予約患者は放送で番号が呼ばれる。
その番号は担当医師ごとに振り分けられている。
電光掲示板に担当医師名が掲示されているが、その日は掲示されていない。
どうしてだろうと思っていたら、放送で担当医師名と番号が告げられた。
「浅井医師の予約番号、3番、17番、22番、25番の方、内科診療室の前でお待ち下さい」
担当医師ごとに診療室の前の椅子で患者待っている。
「坂田さん、内科診療室にお入り下さい」と看護師が呼ぶが、姿見えない。
しばらくして姿を見せたので、「坂田さん、先ほど呼ばれましたよ」と坂田さんに伝えたえた。
「あら」と当方の顔を見て驚いた表情をした。
「耳が遠い旦那が違うと言うので、やっぱり呼ばれたのね」と弁解していた。
旦那さんもやってきて、一緒に内科診療室に案内された。
同行する家族がいるということは、それなりの症状なのだと思われた。
家人は20分ほど前に病院へやってきた。
「歩くの早くなったんだね」と言う。
自宅から25分ほどで病院に到着していた。
その家人がまた逃亡すると思ったのか「何処へ行くの?!」と追って来て言う。
自宅から5分ほどの酒店の裏の道まで来ていた。
パートで使用している白い靴を履いて追ってきたのだ。
「病院へ行くよ」
「病院なら方向が違うじゃないの!」
「こっちが近道だ」
「違う、井野団地の外を回って私は行くよ」
「同じだよ」と歩き出す。
バイクと徒歩は違うのだ。
井野団地の庭側を抜けて行くのが最短距離なのだ。
先日は、肝臓を悪くしている知人の近藤さんに家人は待合室で出会っている。
「近藤さんの旦那さん痩せた」と言っていた。
同じ雇用促進住宅に住んでいて息子同士が仲良しであった。
近藤さんの奥さんは以前から取手競輪場で働いている。
ちなみに内科診療室に比べると外科診療室の待合室が待つ人がまばらであった。
向かいに脳外科があった。