鈴木恵理子は、乳がんが判明した時、カラオケスナックのオーナーの倉橋健士に告げた。
「それで、手術をして治るのかい?」
問われれば、答えようがなく沈黙した。
「俺のおふくろは、大腸がんで手術をしたのに、半年でベッドから起き上がれなくなった。進行性のがんだったんだ。それで7か月後、死んでしまった。手術をしたことが良かったのか、悪かったのか。今でも拘っているんだ」
「そうだったのね。私も死ぬかもしれないわね」気持ちが萎えた。
「ともかく、医療機関を選ぶんだね。納得できる治療を受けることだね」
恵理子は肯いた。
「店のことは心配しなくていいよ。姪の優紀子が今、失業中でね。店を任せるつもりだ」
恵理子は少し気持ちが楽になった。
「家族と来てください」と入院と手術のことで、外科の主治医に告げられたが、恵理子には家族が居なかったのである。
倉橋に相談すると、「そうかい。俺でよければ家族の代わりになろう」と言ってくれたので、恵理子は胸をなで下ろした。
入院の保証人になってもらった。
取手競輪場で知り合った大島和也は、「祈っている」と受け止めてくれた。
理恵子には「祈り」の意味を理解できなかったが、心の支えにはなった。
「恵理子さんには、まだ使命があるはず、それを果たさず死ねないですよ」と励まされたのだ。
「私の使命?」理恵子は複雑な気持ちとなった。
「そう、誰にも生きる使命があるですよ」彼は真面目な表情となった。
手術の結果、周辺のリンパ節も切除された。
点滴と飲み薬による抗がん剤治療は、医師から告げられたとおり、新たな闘争であったのだ。
食事をして直ぐに吐き気がして、吐いてしまう。
体重が7㌔も落ちた。
小太りの体形が20代のころの姿となっていた。
何をするにも億劫となる。
横になって過ごす日々となる。
「競輪をすれば、元気が出るよ。引きこもってはダメだよ」」と大島和也が携帯電話のメールで誘ってきたのだ。
血尿も出る。
血液検査の結果、肝機能も落ちていた。
主治医からホルモンのバランスが悪いとも告げられた。
そして胃も悪くなり、毛細血管から出血も判明した。
赤血球数、血液素量の値は、通常の3分の1にまで落ちていた。
そのため造血薬も飲むようになる。
幸なことに、毛細血管から出血が止まったのである。
店に出るようになったことも、生きがいとなった。
「ママが居ない店は来る気になれない」とお客から言われることも励みとなった。
飛び込みで店に来た歌手の一人がテレビにも出るようなって、「ママさんのおかげです。感謝しています。ありがとうございます」と花束を持って挨拶に来たのである。
恵理子はファンクラブに入会した。
「縁」は不思議なものである。
店にも大島が姿を見せるようになっていた。
「それで、手術をして治るのかい?」
問われれば、答えようがなく沈黙した。
「俺のおふくろは、大腸がんで手術をしたのに、半年でベッドから起き上がれなくなった。進行性のがんだったんだ。それで7か月後、死んでしまった。手術をしたことが良かったのか、悪かったのか。今でも拘っているんだ」
「そうだったのね。私も死ぬかもしれないわね」気持ちが萎えた。
「ともかく、医療機関を選ぶんだね。納得できる治療を受けることだね」
恵理子は肯いた。
「店のことは心配しなくていいよ。姪の優紀子が今、失業中でね。店を任せるつもりだ」
恵理子は少し気持ちが楽になった。
「家族と来てください」と入院と手術のことで、外科の主治医に告げられたが、恵理子には家族が居なかったのである。
倉橋に相談すると、「そうかい。俺でよければ家族の代わりになろう」と言ってくれたので、恵理子は胸をなで下ろした。
入院の保証人になってもらった。
取手競輪場で知り合った大島和也は、「祈っている」と受け止めてくれた。
理恵子には「祈り」の意味を理解できなかったが、心の支えにはなった。
「恵理子さんには、まだ使命があるはず、それを果たさず死ねないですよ」と励まされたのだ。
「私の使命?」理恵子は複雑な気持ちとなった。
「そう、誰にも生きる使命があるですよ」彼は真面目な表情となった。
手術の結果、周辺のリンパ節も切除された。
点滴と飲み薬による抗がん剤治療は、医師から告げられたとおり、新たな闘争であったのだ。
食事をして直ぐに吐き気がして、吐いてしまう。
体重が7㌔も落ちた。
小太りの体形が20代のころの姿となっていた。
何をするにも億劫となる。
横になって過ごす日々となる。
「競輪をすれば、元気が出るよ。引きこもってはダメだよ」」と大島和也が携帯電話のメールで誘ってきたのだ。
血尿も出る。
血液検査の結果、肝機能も落ちていた。
主治医からホルモンのバランスが悪いとも告げられた。
そして胃も悪くなり、毛細血管から出血も判明した。
赤血球数、血液素量の値は、通常の3分の1にまで落ちていた。
そのため造血薬も飲むようになる。
幸なことに、毛細血管から出血が止まったのである。
店に出るようになったことも、生きがいとなった。
「ママが居ない店は来る気になれない」とお客から言われることも励みとなった。
飛び込みで店に来た歌手の一人がテレビにも出るようなって、「ママさんのおかげです。感謝しています。ありがとうございます」と花束を持って挨拶に来たのである。
恵理子はファンクラブに入会した。
「縁」は不思議なものである。
店にも大島が姿を見せるようになっていた。