私には「これがある」
あなたは、それを確信をこめて言えるだろうか?
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ガンに病み心重なむ八重桜
取手競輪場の外の駐車場の八重桜も例年とおり豊かな花房を風に揺らしていた。
車から降りた鈴木恵理子は嵐のような風にネット帽を両手で押さえたようにした。
競輪場の入場口の左側に2軒の食堂が並んでいた。
入場する前に恵理子はその店の一つの「さかえや」でラーメンを食べた。
なじみの客たちが、中央のテーブルで酒を飲んでいた。
ビールや焼酎、日本酒を飲みながら食事をする競輪ファンの交流の場であり、常連客たちは互いに車券を誰たに依頼して買いに行ってもらっていた。
壁のテレビをほとんで見ないで、客たちはお喋りをつづけていた。
恵理子は窓側のテーブル席に座って、ラーメンを食べた。
この店に女性客が一人で来ることは希であるが、男性たちは恵理子にほとんど視線を向けていなかった。
男たちの好奇の視線を受けないことが、恵理子にとっては気持ちを楽にさせた。
抗ガン剤の影響で、恵理子の髪は少しであるが抜けてきた。
口内炎で恵理子は固い食べ物が噛みにくくなっていた。
毎日、ヨーグルトや乳酸飲料、皮のついた林檎を一口サイズに切って食べていた。
少しでも免疫力が高まればと、食にも配慮する日々であった。
滅入る気持ちを癒すのは、恵理子にとって競輪場へ足を向けることであった。
競輪は趣味であると同時に、自身の「運試し」ともいえた。
非日常的な世界でもあり、「戦いの場」の一つとも思われた。
その日、恵理子は、出目に拘った。
7レースが9-3、8レースが7-3であった。
9レースは5-3ではないか?と閃いたのだ。
「ヒラメキは大切だ」と誰かが言っていたのを思い出したのである。
出目は連動することもあるようだ。
根拠があるわけではない。
いわゆる「死に目」もある。
例えば、7番選手が本命でも、その日に1度も7番選手が車券に絡まないと、7番は買うべきではない。
スポーツ新聞の予想欄では、3番選手は無印の評価あった。
恵理子は3番を買うことに当然、躊躇した。
だが、「何かに賭ける」ことが、ギャンブルである。
恵理子は5-3を3000円。
2-3を1000円、7-3を1000円買う。
結果は5-3となる。
7830円の配当であった。
「私に運がまだあるのね」恵理子は、柏の職場であるカラオケスナック「希望」へ吐き気を感じながら向かっていた。
あなたは、それを確信をこめて言えるだろうか?
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ガンに病み心重なむ八重桜
取手競輪場の外の駐車場の八重桜も例年とおり豊かな花房を風に揺らしていた。
車から降りた鈴木恵理子は嵐のような風にネット帽を両手で押さえたようにした。
競輪場の入場口の左側に2軒の食堂が並んでいた。
入場する前に恵理子はその店の一つの「さかえや」でラーメンを食べた。
なじみの客たちが、中央のテーブルで酒を飲んでいた。
ビールや焼酎、日本酒を飲みながら食事をする競輪ファンの交流の場であり、常連客たちは互いに車券を誰たに依頼して買いに行ってもらっていた。
壁のテレビをほとんで見ないで、客たちはお喋りをつづけていた。
恵理子は窓側のテーブル席に座って、ラーメンを食べた。
この店に女性客が一人で来ることは希であるが、男性たちは恵理子にほとんど視線を向けていなかった。
男たちの好奇の視線を受けないことが、恵理子にとっては気持ちを楽にさせた。
抗ガン剤の影響で、恵理子の髪は少しであるが抜けてきた。
口内炎で恵理子は固い食べ物が噛みにくくなっていた。
毎日、ヨーグルトや乳酸飲料、皮のついた林檎を一口サイズに切って食べていた。
少しでも免疫力が高まればと、食にも配慮する日々であった。
滅入る気持ちを癒すのは、恵理子にとって競輪場へ足を向けることであった。
競輪は趣味であると同時に、自身の「運試し」ともいえた。
非日常的な世界でもあり、「戦いの場」の一つとも思われた。
その日、恵理子は、出目に拘った。
7レースが9-3、8レースが7-3であった。
9レースは5-3ではないか?と閃いたのだ。
「ヒラメキは大切だ」と誰かが言っていたのを思い出したのである。
出目は連動することもあるようだ。
根拠があるわけではない。
いわゆる「死に目」もある。
例えば、7番選手が本命でも、その日に1度も7番選手が車券に絡まないと、7番は買うべきではない。
スポーツ新聞の予想欄では、3番選手は無印の評価あった。
恵理子は3番を買うことに当然、躊躇した。
だが、「何かに賭ける」ことが、ギャンブルである。
恵理子は5-3を3000円。
2-3を1000円、7-3を1000円買う。
結果は5-3となる。
7830円の配当であった。
「私に運がまだあるのね」恵理子は、柏の職場であるカラオケスナック「希望」へ吐き気を感じながら向かっていた。