<できない>と言う人から何も生まれない―ルーズベル大統領夫人
アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt, 1884年10月11日 - 1962年11月7日)は、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。
リベラル派として高名であった。
あくまでもリベラル派(自由主義者)なのであって、左翼運動や共産主義運動に対しては批判的であり、明確に一線を画していた。
イギリス留学後、ニューヨークで、貧しい移民の子どものための学校で働き、人生で初めて貧困の現状を目にし、大きな衝撃を受ける。
このときの体験が、彼女が生涯人権のために働いた原動力であったともいえる。
エレノアはルーズベルトが第二次世界大戦中に推し進めた日系アメリカ人強制収容に反対している。
さらに、この間に多くの友人を得たことが夫の死後「第二の人生」を開く大きな財産となった。
日本国内での米軍兵のための慰安所に反対した人でもある。
特殊慰安施設協会は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた慰安所である。
連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために設置された。
日本政府は最大で5万5000人の売春婦を募集し、短期間の間設置した。
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アメリカ軍が日本に進駐したとき、最初の1か月、それも神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生した。
7年の占領期間中には2536件の殺人と3万件の強姦事件を起こした。
「米国軍人による沖縄女性への広範な強姦」は長く無視されてきたが、研究機関の調査結果、推定値として最大1万人の沖縄県の女性が強姦された可能性があるとしている。