生命力を高めるほかない

2018年02月04日 22時44分08秒 | 社会・文化・政治・経済
重圧をはねのけるためには、生命力を高めるほかない。

悩みのない人生はない。
生きるということは、「悩み」「宿命」との闘争といってもよい。
大事なことは、なにがあっても、自身の生命への確信をもち、戦い続けることだ。
そこに人は、人間としての強さと輝きと尊厳を見いだし、共感、賛同するのである。

人の境涯も悩みも異なる人々がいる。
勇気、励まし、希望、決意は連鎖していくものだ。

善意を持った人々に接触する機会を

2018年02月04日 22時25分13秒 | 社会・文化・政治・経済
「死にたい」「自殺したい」ネット上でつぶやく人は、そうするしかない状態に追い込まれています。
たとえ、つぶやきが消させたとしても、その人の「つらい気持ち」まで消すことはできません。
可能なネット対策を考えると、基本路線は「死にたい」「自殺したい」とつぶやく人たちが、悪意を持つ人々よりも、善意を持った人々に接触する機会が増えるよう、メディアの環境をデザインしていくことだと思います。
和光大学准教授・末木新さん

「親以外に話せる大人がほしい」

2018年02月04日 22時09分44秒 | 医科・歯科・介護
BONDプロジェクト

渋谷や新宿などを始めとする夜の繁華街。
そこには、自分の居場所を見つけられず、様々な生きづらさを抱えながらも、必死に生きる女の子が多くいます。

生きづらさを抱える女の子たちは、自ら主体的に夜の街に向かっている訳ではありません。
家庭や学校に「自分の居場所」を見つけることが出来ず、居場所を求めているに過ぎません

生きづらさを抱えている女の子の多くは、家庭に居場所がありません。親との関係が悪いことが多く、自分に自信を持つことが出来ずにいます。

そんな背景から「自分が生きていること」を実感するために自傷行為を行う女の子。
誰かに必要とされていることを実感するため、に、援助交際を繰り返すようになる子もいます。彼女たちは、居場所と思えるところが無く、頼れる人が身近にいないため、誰にも助けを求められません。

「人生最大の困難」を共に過ごす

そんな彼女たちの相談に乗り、居場所を作る支援をするのが、NPO法人BONDプロジェクトです。

BONDプロジェクトは、自分一人では解決することができない課題を抱えている女の子の相談に乗っています。
女の子が、一度立ち止まって考える機会を作り、違う生き方があればその生き方を一緒に考えるための活動を行っています。

彼女たちの人生において一番大変な時を支えているのが、BONDプロジェクトなのです。
SNSの意識調査
回答者100人のうち68%が、実際に「死にたい」とつぶやいたことがあると答えた。
「なぜ、女の子たちはSNSに死にたいとうぶやくと思いますか?」との質問には、「誰かに存在を分かってほしいし認めてほしいから」
「気持ちを分かち合いたい」
「日常では仮面を被ってがんばってて、周りから見たら普通の子が声にならない声を発しているだと思う」などの回答がった。
また、61%の人が、知らない相手とつながってやりとりしたことがある、と答えている。
その時の気持ちは、「危ないのは分かってたんだけど・・・それでも一人で耐えるほうがつらかったから」「心配してくれるのがうれしい」などと寄せている。
座間事件について、「私も10人目にんっていたかもしれない」
「ネットでのつながり全てを否定しないでほしい。そうするしかない背景や、そうしてでももがき苦しんで生きている人がいることをもっと知ってほしい」などと感じたという。
現状を変えていくには、「親以外に話せる大人がほしい」
「気軽に相談できる環境も作ってほしい」
「知ろうとする気持ちをもってくれたらうれしい」などと、大人への要望もあった。


自分の実感、熱意を伝える

2018年02月04日 21時40分58秒 | 社会・文化・政治・経済
人との出会いによる触発で、新しい自分を発見できるものだ。
苦手な人、無口な人との会話。
それが大きく自分を成長させてくれる存在となる。
話し下手を生かすこともできる。
コミュニケーションの基本は、<シンプル>で思いを伝えることだ。
背伸びせず、自分の実感、熱意を伝えることが、意一番大事。
アナウンサー・吉田照美さん

<できない>と言う人

2018年02月04日 21時18分15秒 | 社会・文化・政治・経済
<できない>と言う人から何も生まれない―ルーズベル大統領夫人

アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt, 1884年10月11日 - 1962年11月7日)は、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。
リベラル派として高名であった。
あくまでもリベラル派(自由主義者)なのであって、左翼運動や共産主義運動に対しては批判的であり、明確に一線を画していた。
イギリス留学後、ニューヨークで、貧しい移民の子どものための学校で働き、人生で初めて貧困の現状を目にし、大きな衝撃を受ける。
このときの体験が、彼女が生涯人権のために働いた原動力であったともいえる。
エレノアはルーズベルトが第二次世界大戦中に推し進めた日系アメリカ人強制収容に反対している。
さらに、この間に多くの友人を得たことが夫の死後「第二の人生」を開く大きな財産となった。
日本国内での米軍兵のための慰安所に反対した人でもある。

特殊慰安施設協会は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた慰安所である。
連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために設置された。
日本政府は最大で5万5000人の売春婦を募集し、短期間の間設置した。
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アメリカ軍が日本に進駐したとき、最初の1か月、それも神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生した。
7年の占領期間中には2536件の殺人と3万件の強姦事件を起こした。
「米国軍人による沖縄女性への広範な強姦」は長く無視されてきたが、研究機関の調査結果、推定値として最大1万人の沖縄県の女性が強姦された可能性があるとしている。

2月4日は「世界対がんデー」

2018年02月04日 21時02分36秒 | 医科・歯科・介護
日本人が生涯に、がんに罹患する確立は男性が62%、女性が46%。
ほぼ2人に1人がなんらかのがんを発症する結果が示されている。
生存率は62・1%
分子標的薬、免疫療法、新たな薬剤や治療法、重粒子・陽子線療法、さらにウイルス療法も。
本日がん体験者の体験だを聞く機会を得た。

体験の重みこそ人の心に希望を灯す
「強い生命力を湧き立たせ、病魔に負けず、朗らかに進んで」いきたい。

スキルス性胃がん(ステージ3C)を越え

2018年02月04日 20時50分19秒 | 医科・歯科・介護
<あと一歩>の執念が宿命を開く
ご婦人の体験談
父親が肺がんで他界。
8年後母親ステージ4の大腸がんに。
そして自分もスキルス性胃がんになる。
リンパ節にも13個の腫瘍。
胃と脾臓を全て摘出、膵臓の3分の2を切除。
5年前に寛解を告げられた。
現在、美容師として活躍している。
「あと一歩、もう一歩という執念や強さ。紙一重の差かもしれませんが、強気が弱気を上回った時に、悔いのない一日が送れるのだと思います」
宿命を使命に変えた生き方で、地域活動に励んでいるご婦人であった。

悪性のリンパ腫からの生還

2018年02月04日 20時23分47秒 | 社会・文化・政治・経済
悪性のリンパ腫からの生還

今日は、青年たちを対象にした
「体験談」を聞くことができた。
午後1時30分~取手文化会館

若いご夫婦のリレー体験談。
さらに、余命3か月からの生還 悪性リンパ腫ステージ4の父親の体験を息子さんが語る。
自分を辛い状態なのに、同じ病棟に入院しているがん患者たちへの励まし。
普通の人にはできないことだ。
「みんなをはげましてくれありがとう」と医師からも感謝されたそうだ。
「医師」にもできない言動であったのだ。
絶望の淵、死の恐怖下にある人たちにとって<希望の存在>となっていた。
「なぜ、そんなに気丈で明るいのか」
それが境涯の問題であろう・・・
以下の体験と青年の体験談は重なった。
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<参考>

余命3か月からの生還 悪性リンパ腫ステージ4での抗がん剤に耐え女優復帰2017年11月10日20時36分 スポーツ報知
大谷直子 女優の大谷直子(67)がTBS系「爆報!THE フライデー」(金曜・後7時)に出演し、07年秋に悪性リンパ腫のため入院、抗がん剤治療を受けていたことを明かした。

 大谷が57歳だった10年前の秋だった。
大好きだったビールの味が突然まずく感じるようになった。「それはおかしい」と思っていると、肩こりや首筋を中心にしこりを感じるようになったという。

 そして、スーパーからの帰り道で背中にこれまで感じたことのない激痛でうずくまった。背骨の圧迫骨折だった。

 病院で精密検査を受けると、悪性リンパ腫と判明し、即入院。「ステージ4」の状態で余命3か月と宣告されたという。大谷はわずかの望みを、発売された新薬を含む3種類の抗がん剤治療に懸けた。

 43キロだった体重は33キロに。
「がりがり。情けない。みすぼらしいし、人間の最後のような状態」になったという。
さらに3人の子どもたちには「もうお見舞いに来なくていいから」と告げた。
離婚して子どもに辛い思いをさせたこともあり「自分のことは自分でやる。(子どもには)彼らの生活や人生があるから、親としてはそっちに重きを置いてほしい」との思いだった。

 頭を丸刈りにして臨んだ抗がん剤治療は3か月を過ぎて効果が出て、自宅療養が可能な状態にまで回復。その後、女優業にも復帰した。

 大谷は「欲については全て捨てていた。素直に抗がん剤が効いてくれた」と闘病を語っていた。

自分の境涯

2018年02月04日 20時02分26秒 | 社会・文化・政治・経済
自分の境涯 が変われば、物事の感じ方、捉え方も変わっていくものだ。
まさに、そのとりである。

境涯とは、命そのものの状態を示すものです。
我々は、生きている中で色々な状況や環境に遭遇し、又縁するさまざまな物事を見聞き、体感することで、多かれ少なかれその影響を心(命)に受けながら生きています。心がダイレクトに感応することにより、その時の命の状態(境涯)によって、自身の心から生じてくる反応(想い・言動等)は様様です。
全ては、自分自身の心の状態に依って、受ける事柄は同じであっても、心の反応の仕方は様々だということになります。
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例えば、怒りの感情は人間を衝動的に突き動かす。

「自分はまだまだ」と思うことも少なくない。



兄弟姉妹の濃密な愛憎

2018年02月04日 05時48分10秒 | 沼田利根の言いたい放題
毎日新聞に掲載されている「名作の現場」第35回は、中上健次の「枯木灘」
46歳(1946~92)で病気で亡くなった。
今回の案内人は作家の島田雅彦さん(1961生まれ)

小説の舞台は和歌山県。
中上は新宮市の被差別に生まれた。
自身が背負ってきた血族への愛憎を小説に昇華した。
主人公秋幸は私生児として生まれ自らの血に葛藤しつつ肉体労働に打ち込み、悲劇へと至る。
土地と血への愛や痛みを深くえぐる。
戦前の日本社会では「家」や「世間」が基本になっていた。
成人男子は「家」を代表し、世間の荒波に向かっていたが、戦後は核家族化と福祉の充実により、社会の過保護状態がすすみ、成人男子が女性化、幼児化しつつある。
人間が小型化し、世界の大人としての成熟の機会を失った。
日本の父権の権威は敗戦によって、地に落ち、アメリカという新たな超自我が現れ、日本の父はそれに追従する社会になった。
そのために、もはやオイディプス的な「父殺し」のテーマ設定は成り立たなくなった。
しかし、紀州出身の中上は例外だった。
26歳の主人公秋幸は複雑な家族関係に苦しんでいる。
同じ家に義父、実母と暮らしているが、父が同じ腹違いのきょうだいが四人、母が同じ種違いきょうだいが四人いる。
今の父親は母親の三人目の男であり、秋幸自身は二番目の男の種である。
秋幸の実父は刑務所帰りで、<蠅の王>とか<ケダモノ>と呼ばれ、悪い噂が絶えない。
母は夫の狼藉に耐えかね、秋幸一人を連れ今の男の元へ逃れる。
種違いの兄は母親を恨み、自殺した。
秋幸には別の腹違いの弟がおり、敵意を感じている。
秋幸は、酒浸りだった種違いの兄からは「ブチ殺したる」と言われ続けてきた。
秋幸は弟が死ぬか、兄が死ぬかといった瀬戸際で26年間生きて来たと思っている。
両親の乱婚によって引き起こされた兄弟姉妹の濃密な愛憎が逆巻く中で、秋幸は実父に会いに行く。
秋幸は腹違いの妹と交わるという禁忌を実父に突き付けることで象徴的な父殺しを実行しようとするが、父に一笑に付される。
父をなじ秋幸に殴りかかってきた弟を殴り殺してしまう。
兄弟同士の殺し合いは避けられない運命であったのか、自分が抜けだす術はなかったのか、秋幸には一体、どのような不可抗力が作用していたのか?
この問題は次作「地の果て 至上の時」に受け継がれる。
酒場(バー)で誰にも絡んだという中上。
「相手が誰であろうと戦いを挑み、自らの存在と凄さの証を立て続けるのが中上流儀だった。後輩の私に対してさえ全力でつぶしにかかってきた。後にも先にもあんな脅威を感じたことはない」と島田さんは記している。
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中上健次は気になる存在であったので、新聞の引用が長くなった。
引用の過程で、友人たちや同輩たちのことが思い出された。
「専門紙記者列伝」を書こうとしていた20代のころのことだ。
彼らは「業界紙」と呼ばれることは屈辱と思い、気位もあった。
朝日、読売、毎日、日経などのエリート記者ではない。
だが、「負けていられない」と闘争心もあった。
また、中上健次のように、絡みつく男も多かったのだ。
記者から抜くだそうと小説を書いている男もいた。
中には小さな文学賞を取った友人もいた。
沼田利根