内側から見る 創価学会と公明党

2018年02月05日 23時06分55秒 | 社会・文化・政治・経済
浅山太一 著
政権を支える公明党 = 創価学会。
この宗教組織はなぜかくも熱心に政治に取り組むのか。
その「信仰の論理」を明らかにする画期的な著作” 上智大学教授・東京大学名誉教授(宗教学)島薗進氏推薦!
社会学の新鋭にして創価学会員の著者が、緻密な資料分析をもとに解き明かす!
出版社からのコメント. 創価学会をめぐる議論は内と外に引きさかれている。
このことをとくに問題と思わない人々も多数いるかと思う。
創価学会が公明党の最大の支援団体であることは誰でも知っているが、では何のために支援しているのか、学会の外の人はもちろん、学会員もどれだけ意識しているだろうか?
戦後の学会の発展、公明党創設時の意図、政権与党となった現在までを辿り、「御本尊を広めるための政治進出」から「選挙を応援することが信仰の証」に至る変貌のプロセスを分析する本書は、内部だけで完結しがちな公明党=創価学会と、外部から 罵倒するだけの社会とをつなぐ回路を構築する試みでもある。
- 宗教団体「創価学会」の会員家庭に生まれ育った。
家族はクリスマスを祝わなかった。幼稚園の友達が「本当はサンタなんておらん」と言っても「サンタ」が何か分からなかった。 創価学会は日蓮の教えに基づく仏教系の団体だ。
一九九九年以降、民主党政権時代を除いて自民党と手を組み、政権の一翼を担う公明党の支持母体でもある。 東京・八王子の創価大に通っていたとき、イラク戦争が勃発。
公明党は米国の開戦の判断を容認し、与党として自衛隊のイラク派遣などを進めた。

社会で役立つディズニーの教え

2018年02月05日 10時34分57秒 | 医科・歯科・介護
<あなたの役割は何ですか?>
ディズニーの究極の質問だ。
<私は何のためにここにいるのか>という自覚を持っていることだ。
「私だったら、こうされたら嬉しいな」と考え、「じゃあこうしましょう」と実行してみることができる。
その精神が、もっとも大きなディズニーの考え方だ。
最前線の人間が一番、現場のことを知っている。
例えば、<My happiest birthday>というシールがある。
「私の一番幸せな誕生日」と書いてあるシール。
誕生日に行くとそこに名前を書いて体に貼ってくれるというサービス。
そのシールを付けて歩いていると、気が付いたスタッフから「おめでとうございます!」と声をかけられる。
そのうち知らないお客さんからも言われたりする。
それは普通の日常生活では起きないことだ。
だけど、ディズニーランドでは起きる。
それが<非日常>というものだ。
ディズニーランドへ行くとなぜか幸せな気持ちになるのは、ミッキーのおかげでもアトラクションのおかげでもなくて、そういう<非日常>に出会うことだ。
ディズニーが他の企業と違うところは、現場改善のために課題や対策が現場で働いている人間から上がってくることだ。
自分は何ができるだろうか、と現場で考える。
どうやって人を動かすか。
お客さんはどこを見てくれていのか、そして自分はどこを見て仕事をしているのか、そういうことを常に考えていなけれいけない。
ボランティアとは、「今、自分ができること」である。
今できることを今目の前の人にすることだ。
目の前にあることを一つひとつ一生懸命きちんとやる。
その積み重ねが大きな仕事につながっていく。
そして大きな達成感につながっていく。
「三つの約束」がある。
ゴミを拾う、写真を撮ってあげる、案内をしてあげるの三つだ。
「あるがとう」お言われると、人はどんな気持ちになるのか。
「ありがとう」という言葉は自己有用感につながる。
つまり、誰かの役に立ったと感じる幸せな気持ちになることだ。
また、自分から「ありがとう」ということだ。
若者がどうのこのと言う前に、先輩、上司がしっかりしなければならない。
新人社員研修も大切であるが、トップや部課長クラスが変わることだ。

林さんが母親のことを語った

2018年02月05日 08時27分16秒 | 日記・断片
「おふくろが喉のがんになった時は、 子どもが7人もいて、姉たちが上にいて、自分はまん中で中学1年で、下に妹と弟がいました。子育てもまだ大変な時期だったと思いますね」
林さんが初めて母親のことを語った。
「喉のがんなの?」
「そうです。喉のがんでした。取手の病院でがん明らかになって、それで霞ケ浦の東京医科歯科大学病院に入院して手術を受けたのですが、子どもを残して死ねないと頑張りました」
「何か、宗教をやっていますか?」と医師に問われたので、「仏法の信仰をして、毎日祈ってます」と告げたら、「病室ではほかの患者さんもおられるので、祈れいないでしょ。遠慮なく私の部屋を利用してください。病室の上の階の部屋で個室です。看護婦(当時)が出入りしますが気にすることはありません」と言われたそうです。
「あなたの気持ちの強さは、どこから湧いてくるのかと注目していました」と医師は気持ちを吐露したそうだ。
「お母さんはがんで亡くなったのですか?」
「がんの手術を受けてから30年、認知症が少し進んできて、肺炎で亡くなりました」
「がんではなく、肺炎」
「そうです。肺炎でした」
「よく、小堀(おおほり)の会合にも来ていましたよ」と赤峯さんの奥さんが故人を偲ぶ。

2月4日(日)のつぶやき

2018年02月05日 03時32分00秒 | 医科・歯科・介護