午前10時30分、同じ八重洲地区に住んでいた神田さんの見舞いに初めて行く。
敢闘会のメンバーの佐々田さんの車で、埼玉県の吉川市笹塚まで、川村さん、大森さんと4人で待ち合わせをして向かう。
神田さんが中学生の頃から知っている。
当時は当方も台宿の雇用促進住宅に住んでいて、彼の実家が雇用促進住宅の50㍍裏にあった。
彼のお母さんは当時、取手商工会に勤めていた。
お母さんは、絵が趣味であり東京・銀座の画廊で個展を開いたり、取手・白山の画廊などで個展を開いてきた。
結婚した神田さんは、現在当方が住んでいる東6丁目に3階建ての家を建てた。
奥さんは航空機の元客室乗務員であった。
努力家である彼は、結婚してから地域でも目覚ましく活躍していた。
ところが社会的にも活躍が期待されていた彼は、10年前に筋萎縮性側索硬化症を発症する。
「会うたびに、お母さんは信ちゃんがかわいそうだ、かわいそうだ」と言っていた。
そして、彼のお姉は弟のことを思って、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授に対して、弟のことを思って に手紙を書いた。
「iPS細胞で将来、筋萎縮性側索硬化症が治る日が来るでしょうか?」と。
彼の面会を前から望んでいたので、今日はよい機会を得たと思った。
だが、実際に彼の姿を見ると、励ましの言葉を失った。
もう声が出ないのである。
でも笑顔であった。
「久しぶり。信ちゃん、覚えているよね」と話しかけたら笑って微かに肯いたように見えた。
彼の手を握る。
笑うとお腹が動いたので腹筋はまだ機能していると思われた。
川村さんは、中国の教え子たちの話と、教え子たちが寄こしたメールのスマホを見せていた。
3月に教え子たちに会いに上海へ行くと伝えていた。
また、大森さんは自分が第一線から退いて気楽になったことや、彼の知人や友人のこを冗談混じるに話して神田さんを笑わせていた。
顔色がよく、健常者のように見えたが、身動きできず横に寝たままテレビで五輪のスノーボードのレースを見ていたが、われわれ4人の会話にも耳を傾けている様子であった。
30分くらい見舞まった。
部屋の壁には、家族で行ったエジプト旅行の写真や娘さん、母親の写真、自身が写した富士山の思い出の写真など20枚ほど貼ってあった。
ちなみに、知人の一人が午前中に面会に来ていた。
持参した缶コーヒーの30本入り箱や彼が好きな甘い物食などを施設の人に託した。
施設を出て10分か15分後、彼から携帯メールが送られてきた。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
棒を口に挟み残された口の筋力の機能でメール送信するのだ。
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筋萎縮性側索硬化症とは. 筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。
しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。
その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。
その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。