第49回の取手「市展」

2018年11月04日 21時40分52秒 | 日記・断片

とりで産業まつり2日目に行った後は、第49回の取手「市展」へ行く。
10月26日~11月5日
とりでアートギャラリー<きらら>
第1部 日本画・洋画・彫刻
受付にまさかの知人が居る。
「絵を描くのですか」と思わず聞く。
「恥をかくだけで、絵は女房が描いてます」と笑う。
知人の奥さんの洋画は平成28年に奨励賞になったそうだ。
友人、知人は作品を出していない。
あるいは、この市展とは無縁なのかと思う。




旧取手本陣で水戸藩主直筆の掛け軸などを公開

2018年11月04日 20時29分30秒 | 社会・文化・政治・経済

長禅寺三世堂の特別公開の見学が終わって、係の男性にお礼を言う。
すると、「旧取手本陣の特別公開もどうぞ」と案内の説明がある。
当方は、何度もその場所を訪れているが、旧取手本陣で水戸藩主直筆の掛け軸のことを知らなかった。
とりで産業まつりの2日目も気になっていたが、時間もあるので行ってみた。

 

 

 

 

 


長禅寺三世堂の内部特別公開

2018年11月04日 18時59分38秒 | 社会・文化・政治・経済

県指定文化財の長禅寺三世堂の内部特別公開を行います。

下の写真が、三世堂の外観です。
長禅寺三世堂の外観

日時

平成30年11月2日(金曜日)から11月4日(日曜日)まで
午前10時から午後4時まで(入堂は午後3時30分まで)
無料です。

所在地

長禅寺三世堂
取手市取手2-9-1
下の地図をご参照ください。
境内には見学者用の駐車場はありませんので、公共交通機関をご利用ください。

アクセス

JRおよび関東鉄道取手駅東口から徒歩約5分

長禅寺三世堂の説明

三世堂は3階建てで、堂内には上り専用と下り専用の階段があり、順路に沿って進めば人の流れが交差しない「さざえ堂」になっています。
1階には坂東三十三か所、2階には秩父三十四か所、3階には西国三十三か所の各観音札所のご本尊の写しが安置されています。
下の写真は、三世堂の1階です。
三世堂の堂内1階
右側から順番に、坂東三十三観音札所のご本尊の写しが置かれています。
下の写真は、三世堂の2階です。
三世堂2階
正面右側の階段は、3階から2階に下りる下り専用の階段です。
通路は手すりで仕切られ、右側が2階から1階に下りる人の通路、左側が2階をお参りする人の通路になっています。
下の写真は、三世堂の3階です。
三世堂3階

右側にある上り専用の階段で2階から3階に上がってきた参拝者は、須弥壇(しゅみだん)の内側をお参りして、左端まで来ると次に須弥壇の後ろ側に回って、再び右側に出ます。
下の写真は、3階正面からの眺めです。
三世堂3階からの眺め
不思議な堂内空間を、この機会にぜひ体験してみてください。

 

水戸藩主直筆の掛け軸の特別公開

2018年11月04日 18時58分02秒 | 社会・文化・政治・経済

本陣のご子孫宅に伝わる水戸藩主直筆の掛け軸3点を、特別公開します。

この機会にお見逃しなく、ご鑑賞ください。

会場

旧取手宿本陣染野家住宅
取手市取手2-16-41
無料駐車場はありますが、台数に限りがあるのでなるべく公共交通機関をご利用ください。
JRおよび関東鉄道取手駅東口から徒歩約8分です。

日時

平成30年11月2日(金曜日)から4日(日曜日)まで
午前10時から午後4時まで(旧取手宿本陣への入場は午後3時30分まで)
無料です。

公開する掛け軸

徳川斉脩(なりのぶ)の書画(しょが)

第8代藩主徳川斉脩は33歳で亡くなり、生涯一度も水戸には足を踏み入れませんでしたが、本陣のご子孫宅には斉脩の筆になる春蘭(しゅんらん)の画(え)が伝わっています。
画は、風雅(ふうが)を友とした文人藩主らしい繊細な趣(おもむき)を伝えています。
下の写真が、春蘭の画です。
春蘭の画(染野修氏所蔵)

德川斉昭(なりあき)の書歌(しょか)

天保(てんぽう)4年(1833)4月、水戸から江戸に戻る第9代藩主徳川斉昭は取手の本陣で休息し、壁紙に使っていた滝の画に和歌を書き込みました。和歌には斉昭の花押(かおう)が据えられ、文字は輪郭を描くような珍しい書き方で書かれています。
壁紙は後にはがされて、掛け軸に仕立てられました。
下の写真となります。
徳川斉昭の書歌(染野修氏所蔵)

天保11年1月、江戸から水戸に向かう斉昭は、利根川を渡る船の中で和歌2首を詠みました。その日は取手の本陣に泊まり、翌朝上段の間(じょうだんのま)の袋戸(ふくろど)に和歌2首を書いた紙を貼り付けて出立しました。
この紙も、後に掛け軸に仕立てられました。
下の写真になります。
徳川斉昭の書歌(その2)(染野修氏所蔵)

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本陣ガイドツアーの開催

旧取手宿本陣染野家住宅の内部は通常は自由見学ですが、ガイドツアーでは埋蔵文化財センター職員が見どころや歴史を説明しながら案内します。
県指定文化財・市指定史跡の旧取手宿本陣は、水戸街道に残る3棟の本陣建築の中では建築年代は最古で、規模は最大です。また唯一建物内や敷地が公開されています。
水戸街道の宿場から発展した取手を象徴する文化財である旧取手宿本陣を、本陣ガイドツアーに参加してご見学ください。
下の写真は、本陣主屋正面です。式台(しきだい)玄関の上の、堂々たる茅葺きの入母屋(いりもや)屋根が目に入ります。
本陣正面

下の写真の一番奥の部屋が、上段の間(じょうだんのま)です。
上段の間は床が約20センチメートル高くなっていて、水戸藩主など重要な人物が宿泊や休憩に利用しました。
三の間から上段の間をのぞむ
一番手前の部屋が三の間(さんのま)、次が二の間(にのま)です。
三の間と二の間を仕切る障子の上は、菱格子(ひしごうし)の透かし欄間(すかしらんま)となっています。
これは武家の住宅である書院造りの様式で、この部屋は武士が利用したことを伝えています。

日時

平成30年11月2日(金曜日)から4日(日曜日)まで
午前11時からと午後2時からの2回


徳川斉昭の歌碑 慶喜と「取手宿」

2018年11月04日 18時10分06秒 | 社会・文化・政治・経済

我が子慶喜の将来を思う、父斉昭の気持が伝わる

天保八年、江戸に誕生した慶喜は、父斎昭が夢見たとおり十五代将軍職に登りつめたのですが、慶應三年十月十三日、大政奉還という時代の大きな流れ・勢いには杭し難く、職を降りました。
このとき、慶喜は三十二歳でした。

取手市の史料によりますと、慶喜は五回「取手宿」を通行しております。

一回目は、天保九年四月父斎昭の養育方針で小石川の江戸屋敷を出て水戸へ下るとき。二回目は、天保十四年四月江戸へ上るとき。三回目は、五月江戸から水戸へ帰るとき。四回目は、弘化四年八月一橋家相続内命のため出府のとき。五回目は、慶応四年四月江戸城明け渡し・謹慎生活のため水戸へ下るとき、です。

しかし郷土史研究家の中には、“明治二十六年慶喜が母登美宮吉子を亡くしたとき水戸の菩提寺瑞龍山へ埋葬のため帰省したときの行き帰りを含めてもいいのではないか”と指摘する人もいます。

父徳川斉昭が利根川を渡る際に読んだ和歌が、染野家に伝わっています。

さして行く
棹のとりての
わたしふね 思ふ
方二ハ とくつきに
        けり
生末に さをもとり
ての わたし船 わた
れる世をハ あたに
くらすな

この二首のうち一首目を斉昭はたいへん気に入っていたようで、石碑に刻み染野家に贈っています。その歌碑は右の写真で、現在も本陣西側の裏山に残っています。父が息子の出世を思う気持ちをこめて読んだこの歌を、十五代将軍となった慶喜はどのように思ったことでありましょうか。

 


桜を植える会

2018年11月04日 17時21分59秒 | 日記・断片

支部の会合の後、小堀(おおほり)地区の会合に参加した。
2度目でり、前回は寺川さんと参加した。
参加者が少ないので、せめて井田さんには出てほしいと迎えに行く。
「ダメなものだめ。無理だね」と頑なだ。
赤峰さんと倉田さんで説得した。

当方も盆栽と菊の花を見ながら、話題を変えながら誘ったのだが・・・。

「忙しい」と以前は言っていたが、現在は植木屋の仕事から離職したはず。
地区の会合まで約20分あるので、古利根を見に行く。
桜を植える会の会長である倉田さん植えた桜が数本あった。
釣り人が3人いた。
戻る時に、我孫子から釣りに来た親子連れに合い、「何が釣れるの」と倉田さんが聞く。
下水がかなりの量で音をたて流れ込んでいた。
古利根は汚染される一方だ。
なお、地区の会合は、地元のメンバーの参加は4人であった。
前回の方がおおかっただろうか。
参加者の一人の山田さんが群馬県館林の出身で、館林のことが話題となる。

 


筋萎縮性側索硬化症の治験に参加

2018年11月04日 17時04分09秒 | 日記・断片

午前8時30分林さんと待ち合わせをして、小堀(おおほり)の赤峰宅へ。
他の会合もあり、支部会に参加したのは9名。
鹿島建設の元副社長(故人)のことが話題となる。
どこかで、読んだか聞いたことのある逸話であった。
米川さんが元部下として、話を補足した。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)になった神田さんの長文のメールに驚愕する。
口に棒を咥えて、スマホに入力するのである。
なお、
神田さんは、筋萎縮性側索硬化症の治験に参加しているそうだ。
不治の進行性病にたいする挑戦である。
ALSは脳や脊髄の命令を筋肉に伝える役割をしている運動ニューロンが障害され信号が筋肉に伝わらなくなる病気。
高用量メコバラミンは神経変性に対する保護作用によりALS治療において有用な治療法の一つとなる可能性が非臨床および臨床研究
筋萎縮性側索硬化症(ALS)を対象とした肝細胞増殖因子(HGF)の第Ⅱ相試験(医師主導治験)を開始. 東北大学大学院医学系研究科神経内科学分野の青木正志教授( 東北大学病院神経内科 科長)
筋萎縮性側索硬化症の異常凝集体を除去する治療抗体の開発に成功 -ALSの根治治療への道を開く

会合後に何時ものお茶会に


「ヒヤリハット会」

2018年11月04日 07時19分56秒 | 日記・断片

午後7時から支部の「ヒヤリハット会」の会合へ行く。
八重洲地区の4人が自動車に同乗して会館へ。
その間、昼間に行った「とりで産業まつり」のことを話すが、誰も行っていない。
小学生のお子さんが車に同乗していたので、イベントの内容について話すが「そうですか」と言うばかりで、「行ってみようか」という反応がない。
北海道から移住してきて数年、まだ取手市内で行われる行事にほとんど参加していないようだ。
ご主人がゴルフ場の支配人をしており、土曜・日曜日は休みではない。
必然的に土日に行われる取手市内のイベントへは行く機会がないようだ。
ご主人の休みは、土日以外でしかも不定期。
ヒヤリハットの会場へ行くと折りたたみ椅子が円形に並べられていた。
まず、ビデオでヒヤリハットの事例を観る。
その後、自らのヒヤリハットの体験を語る。
交通事故や階段、凍った道、歩行、自転車、自動車などでの事例を各自が語る。
参加者のは20人余、東地区、梅の台、八重洲、小堀、台宿の各地区の人たち。
男性は5人、残りはご婦人方。
午後8時10分ころ終了。
帰宅後、プロ野球を観戦、広島は敗れた。
1引き分け後、1勝、3敗の広島は、力が出せなかった。
ソフトバンクが強かったということであろうか?
広島らしい打撃が爆発することはなかった。
セリーグのリーグ戦では逆転の試合を続けてきた広島であったが・・・
人気のセリーグ、実力のパリーグの噂のままに。


11月3日(土)のつぶやき

2018年11月04日 03時14分36秒 | 医科・歯科・介護