ジュゼッペ・マッツィーニの言葉

2018年11月27日 18時56分26秒 | 社会・文化・政治・経済

「誓願」は人間を強くする。
諦めなければ活路は開かれる。
「目的地が遠隔であればあるほど、絶えず前進することがますます必要だ」
「人生とは‐戦いであり、進軍である」と民衆を鼓舞し続け、ついに祖国統一の道を開いた。
ジュゼッペ・マッツィーニ
(イタリア語: Giuseppe Mazzini, 1805年6月22日 - 1872年3月10日)は、イタリアのイタリア統一運動時代の政治家、革命家。カヴール、ガリバルディと並ぶ「イタリア統一の三傑」の1人。
また、急進主義者でもある。


無知の知

2018年11月27日 18時16分18秒 | 社会・文化・政治・経済

一般論

人間はほとんど無知の状態で生まれ、親による躾や学校における勉学、他者との交流などの体験と学習により次第に知識や教養を得て一人前になると考えられる。
したがって、現代社会においては無知はよくないことや未熟なことと考えられ、「無知である」という指摘は非難の意味を含む。
無知とはある意味では純粋さの象徴

また、無知であることは先入観や偏見から自由であることをも意味する。
子供は大人に比べて無知であるから、そのようなものに縛られなくてすむ。
科学の分野でも、古い学説を知っているとそれに縛られて目の前の現象をも見落とす例がある。
あまりの無知に驚くとともに、そうであるからこそ新しい挑戦ができるのだと褒めたたえている。
他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。
ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。
また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。
無知の罪
一方で、無知を罪とする見方が現代では一般的である。国際化が進んだ現代では、たとえば文化の異なる集団の間でやりとりをする場合、そのルールやマナーの違いのみならず、国内外の法律を把握しておかねば、無用な衝突を生じる場合もある。可能な限り、相手に対する知識を得るのは必要にして当然の処置である。たとえば生麦事件のようなことすら起こりかねず、その場合に「知らなかった」では通用しないことはままある。


満洲分村移民を拒否した村長

2018年11月27日 17時30分41秒 | 社会・文化・政治・経済
  • 満洲分村移民を拒否した村長 佐々木忠綱の生き方と信念 信毎選書

 佐々木忠綱の生き方と信念 信毎選書

大日方悦夫

内容詳細

戦時中、信州・下伊那の山間に押し寄せた“分村”の波。村長はなぜ、「国策」の移民を拒むことができたのか―。

信念を貫いて村民を救い、郷土の礎を築いた村長・忠綱。

史料と証言を積み重ね、人物像と行動の実態に迫る。

目次 : 第1章 忠綱の原点―教育と医療への思い/ 第2章 自由大学で学ぶ―生涯の基軸/ 第3章 満洲移民とは―推進の背景・経緯と長野県/ 第4章 忠綱が見た満洲移民/ 第5章 分村移民を拒む―2回目村政での決心/ 第6章 教育と医療への情熱/ 第7章 満洲国の崩壊と忠綱の戦後

【著者紹介】
大日方悦夫 : 1953(昭和28)年、長野県に生まれる。元長野県立高等学校長。

現在、高校・専門学校で教える傍ら、地域の近現代史研究に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 

</form>
戦前の国策だった「満州分村(集団)移民」に抵抗した長野県の小さな村の村長・佐々木忠綱氏の記録。
現地での強制収容による中国人からの農地取り上げや日本人の横暴を目にし、氏は「違和感」や「不安」を感ずる。
そこで、村での手続を意図的に遅らせる消極的抵抗を試み、結果として、多くの村民を悲劇から救う。
全体主義が蔓延する当時、相当なプレッシャーだったと思うのだが、それに抗した氏の勇気と知恵に頭が下がる。まさに「一隅を照らす」人材だったのだろう。
その記録に光をあてた著者にも敬意を表したい。

飲酒の影響によって被告は「心神耗弱状態」

2018年11月27日 15時04分12秒 | 沼田利根の言いたい放題

酒飲んで運転したので(被害者は事故死)記憶ありません。
酒飲んで人を殺しましたが記憶ありません。
状況は、同じではないか?
酒で心神喪失で交通事故でも罪が軽くなるのだろうか?
飲酒時の犯罪には処罰されないケースも?
「心神喪失」と「心神耗弱」

酒に酔った男に女性が殺害された事件で、飲酒の影響によって被告は「心神耗弱状態」 にあったと認定され、求刑25年に対して懲役14年の判決が言い渡される事件がありました。飲酒時の犯罪はどのような場合に軽くなり、どのような場合に ...

 


日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実

2018年11月27日 14時26分43秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
吉田 裕  (著)
 
 商品の説明

メディア掲載レビューほか

 日本軍兵士の過酷すぎる実態 語り継がれていないアジア・太平洋戦争

アジア・太平洋戦争による日本人死者は、民間人が80万人、軍人・軍属が230万人の計310万人。日露戦争の戦没者が9万人であることを踏まえると、とてつもない数字だ。

さらに驚くべきことに、その9割が戦争末期、1944年以降のわずか1年ほどのあいだに亡くなったと推算されるという。

短期間に甚大な死を引き起こす要因となった、日本軍兵士たちのおかれた苛酷な肉体的・精神的状況の実態を、豊富な資料に基づき緻密に描き出した新書が売れている。

 「被爆や空襲、沖縄戦のような体験は、いまなおよく語り継がれています。しかし戦場の話は、多くの人が従軍したにもかかわらず、あまり語り継がれていない。関連した本も最近の作品は漠然とした内容が多い。そこを具体的に、詳細に書いたことが、驚きをもって多くの読者に受け止められたのではないでしょうか」(担当編集者)

昨今、日本軍の勇猛さをとかく賞賛するような本も多いが、本書は異を唱える。

立論に説得力があるのは、情緒に流れていないからだ。

「著者は兵士の目線、地を這うような目線での具体的な体験談を紡ぎ出すと同時に、鳥瞰的に戦争を捉えることも忘れません。

他国と比べて異常に高い餓死率など客観的な数字を記することで、極端な例だけを取り上げた恣意的な内容ではないとわかり、兵士たちの『声』がより真に迫るものに感じられるんです」(担当編集者)

評者:前田 久

(週刊文春 2018年05月24日号掲載)

内容紹介

310万人に及ぶ犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。

本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高率の餓死、30万人を超えた海没死、戦場での自殺・「処置」、特攻、劣悪化していく補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏……。

勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験をせざるを得なかった現実を描く。

商品の説明をすべて表示する
 
 

ホモ・デウス 上下合本版

2018年11月27日 14時07分52秒 | 社会・文化・政治・経済
ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来
 
ユヴァル・ノア・ハラリ

Yuval Noah Harari

柴田裕之 訳

上・下巻 各1,900円(税別)

ニューヨーク・タイムズ紙、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、ワシントン・ポスト紙、ガーディアン紙ほか、各紙大絶賛!
35ヵ国以上で400万部突破の世界的ベストセラー!

第1章 人類が新たに取り組むべきこと

3000年紀(西暦2001~3000年)の夜明けに、人類は目覚め、伸びをし、目を擦る。恐ろしい悪夢の名残が依然として頭の中を漂っている。

「有刺鉄線やら巨大なキノコ雲やらが出てきたような気がするが、まあ、ただの悪い夢さ」。人類はバスルームに行き、顔を洗い、鏡で顔の皺を点検し、コーヒーを淹れ、手帳を開く。「さて、今日やるべきことは

世界的ベストセラー『サピエンス全史』では、人類が文明を築き、世界を征服した鍵は、
虚構を集団で信じるホモ・サピエンスの能力にあることを解き明かした。
新著『ホモ・デウス』では、未来においてこれらの虚構が人工知能や
遺伝子工学といったテクノロジーと合体したとき、
人類は何を求め、何のために生きるのか、そして世界に何が起きるのかを問う!

 ———————————–

 【一部を公開中!】

第1章 人類が新たに取り組むべきこと

 3000年紀(西暦2001〜3000年)の夜明けに、人類は目覚め、伸びをし、目を擦る。恐ろしい悪夢の名残が依然として頭の中を漂っている。

「有刺鉄線やら巨大なキノコ雲やらが出てきたような気がするが、まあ、ただの悪い夢さ」。

人類はバスルームに行き、顔を洗い、鏡で顔の皺を点検し、コーヒーを淹れ、手帳を開く。

「さて、今日やるべきことは」

 その答えは、何千年にもわたって不変だった。20世紀の中国でも、中世のインドでも、古代のエジプトでも、人々は同じ3つの問題で頭がいっぱいだった。

すなわち、飢饉と疫病と戦争で、これらがつねに、取り組むべきことのリストの上位を占めていた。

人間は幾世代ともなく、ありとあらゆる神や天使や聖人に祈り、無数の道具や組織や社会制度を考案してきた。

それにもかかわらず、飢餓や感染症や暴力のせいで厖大な数の人が命を落とし続けた。

そこで多くの思想家や預言者は、飢饉と疫病と戦争は神による宇宙の構想(訳註 本書で言う「宇宙の構想」とは、全能の神あるいは自然の永遠の摂理が用意したとされる、全宇宙のための広大無辺で、人間の力の及ばない筋書きを意味する)にとって不可欠の要素である、あるいは、人間の性質と不可分のものである、したがって、この世の終わりまで私たちがそれらから解放されることはないだろう、と結論した。

 ところが、3000年紀の夜明けに人類が目覚めてみると、驚くべき状況になっていた。ほとんどの人はこんなことはめったに考えないだろうが、この数十年というもの、私たちは飢饉と疫病と戦争を首尾良く抑え込んできた。

もちろんこの3つの問題は、すっかり解決されたわけではないものの、理解も制御も不可能な自然の脅威ではなくなり、対処可能な課題に変わった。

私たちはもう、これら3つから救ってくれるように、神や聖人に祈る必要はなくなった。

飢饉や疫病や戦争を防ぐためにはどうするべきかを、私たちは十分承知しており、たいていうまく防ぐことができる。

 たしかに派手なしくじりも相変わらず見られるが、そうした失敗に直面したとき、私たちはもう、肩をすくめて、「まあ、そういうものだ、しょせん、この世は不完全だから」、あるいは「何事も、神の思し召しどおりになる」などと言ったりはしない。飢饉や疫病や戦争が手に負えなくなった場合は、誰かがヘマをやらかしたに違いないと感じ、調査委員会を設置して、次回はもっとしっかり対処することを誓う。そして、現にそれが功を奏する。実際、そうした災難はますます珍しくなってきている。今日、食べ物が足りなくて死ぬ人の数を、食べ過ぎで死ぬ人の数が史上初めて上回っている。感染症の死者数よりも、老衰による死者数のほうが多い。兵士やテロリストや犯罪者に殺害される人を全部合わせても、自ら命を絶つ人が数で凌ぐ。21世紀初期の今、平均的な人間は、旱魃やエボラ出血熱やアルカイダによる攻撃よりも、マクドナルドでの過食がもとで死ぬ可能性のほうがはるかに高い。

 

 

したがって、大統領やCEO(最高経営責任者)や将軍たちは依然として、経済危機や軍事衝突への対応に日々追われているとはいえ、歴史の壮大なスケールで考えれば、人類は目を上げ、いよいよ新たな地平を見遣ることができる。

もし私たちが、飢饉と疫病と戦争を本当に抑え込みつつあるのなら、何がそれらに替わって、人類が取り組むべきことのリストの上位を占めることになるのか?

 火事のない世界の消防士さながら、21世紀の人類は、前代未聞の問いを自らに向ける必要に迫られている。

すなわち、私たちはどのように身を処すればいいのか、だ。

健全で繁栄する平和な世界では、私たちは何に注意と創意工夫を傾けることになるのか? 

バイオテクノロジーと情報テクノロジーがどれほど巨大な力を私たちに与えてくれているかを考えると、この疑問はなおさら切迫したものとなる。

私たちは、それほどの力をどう使えばいいのか?

この疑問に答える前に、もう少し飢饉と疫病と戦争について語っておく必要がある。

私たちがそれらを抑え込みつつあると言うと、とんでもないとか、はなはだ考えが甘いとか、ひょっとしたら、無神経だとか思う人も多いだろう。

毎日二ドルにも満たないお金で食いつないでいる何十億もの人々はどうなのか? 

アフリカで今もとどまるところを知らないエイズ危機は? 

シリアとイラクで猛威を振るっている戦争は? 

これらの懸念に応えるために、まず21世紀初頭の世界をもっと綿密に眺め、その上で、今後数十年間に人類が取り組むべき事柄を考えてみることにする。

 *****

著者写真

ユヴァル・ノア・ハラリYuval Noah Harari

1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。

 

 

間宮林蔵の偉業後世

2018年11月27日 14時04分13秒 | 社会・文化・政治・経済

語り継ぐ8代目 間宮正孝さん

つくばみらい市の間宮正孝さん(49)は、間宮海峡を発見したことで知られる江戸時代の探検家で測量士、間宮林蔵の生家を継ぐ8代目。

子供のころは林蔵の偉業を聞いてもぴんとこなかったが、大人になって測量の知識を得ると改めて尊敬の念がわいた。

間宮海峡発見200年という節目の今年、林蔵の業績や人となりを再認識しようという機運が高まり、まちおこしの起爆剤になればと、地域とともに汗を流す。


林蔵の像を見上げ偉業を懐かしむ

間宮林蔵は1780年(安永9)、上平柳村(つくばみらい市上平柳)の農家に生まれた。名は倫宗(ともむね)、号は蕪嵩(ぶすう)といい、林蔵は通称。

武士の血筋を引くが、生家は米やたるを作ってほそぼそと暮らしていた。

子宝に恵まれなかった両親がやっと授かった一人っ子で、大切に育てられ幼いころから神童と呼ばれた。

長じて生家近くを流れる小貝川の堰き止め工事の有効なアドバイスが幕府役人の目に留まり、江戸での修業を経て時に危険も伴う日本各地の仕事に奔走した。

19歳で蝦夷地(北海道)に渡り21歳の時に測量士の伊能忠敬と師弟関係を結び、東蝦夷地や南千島などの測量を行った。

その後、択捉島や樺太の測量にも携わり、1809年(文化6)、樺太と大陸間に海峡があり樺太が島であることを確認。

ドイツの博物学者、シーボルトが翻訳した日本辺境略図で世界に初めて「間宮海峡」と紹介され、世界地図に名前が残る唯一の日本人として今に伝えられる。

生涯独身を貫き家庭も実子もなかった林蔵は、故郷で暮らす両親の老後と田畑の管理などを憂慮。自分に代わる後継ぎとして、両親に分家から養子を迎えてもらった。

「両親としては、親元を離れて要職に就いている一人息子に継いでもらいたいというのが本音」と話す正孝さんは、その分家筋の養子・正平(鉄三郎)の子孫にあたり、7代目の父、雅章さん亡き後間宮家を継いでいる。

子供のころは特に「林蔵の子孫」という意識もなく、1955年(昭和30)に県指定文化財史跡に指定され71年に移築・復元された茅葺きの生家に住んでいたころは、林蔵研究家や外国人、テレビ制作スタッフなど多数の来客に父が熱心に対応していた姿を覚えている。その様子は楽しそうだったが、自身の興味を引かれることはなく、山形の大学では経済を学び、卒業後は大阪の精密機器メーカーに就職。そこで約7年間測量機を販売する営業を担当した。もともと人と話すのが好きで、物づくりや機械も好き。客との信頼関係を築くため測量機の構造を熟知し、不具合を見極め修理もできるようになるとふと林蔵のことが頭をかすめた。測量士の林蔵にとって測量機はなくてはならない道具。くしくも測量機を扱う仕事に就き、その機械を知ることが林蔵について学ぶきっかけになったことに、不思議なえにしを感じた。

特に仕事の一環で同行した国土地理院の測量作業は、不屈の精神と忍耐力、自分の足を頼りに偉業を成し遂げた林蔵を改めて思い知るよい体験になった。


一般公開されている生家をバックに笑顔の正孝さん

そんな仕事に区切りをつけて故郷つくばみらいにUターンしたのは30歳の時。市商工会で約14年働き、今は介護サービスの仕事で奮闘の日々。

仕事のかたわら93年市内にオープンした間宮林蔵記念館で解説員をすることもあり、96年には自身のホームページ「間宮林蔵の世界へようこそ」を開設し、林蔵の研究者・技術者魂や人となりを広く紹介している。

林蔵没後150周年の94年に双子が生まれ、それぞれ林蔵の本名を一字ずつ授けて倫考、宗考と名付けた。

歴史をつないでくれればとの期待もあるが、「あまり荷が重くならないようにしています。自分もそうだったように自然体でいてくれればうれしい」と優しく見守り地域の子供たちにも林蔵の業績を広く知ってほしいと願う。

間宮海峡発見から200年。

その偉業を後世に伝えるイベントが、開かれたつくばみらい市で開かれる。


間宮 林蔵

2018年11月27日 13時54分43秒 | 医科・歯科・介護

取手からつくば市へ向かう道に、間宮林蔵生家の標識

間宮 林蔵(まみや りんぞう、安永9年(1780年) - 天保15年2月26日1844年4月13日))は、江戸時代後期の徳川将軍家御庭番探検家。名は倫宗(ともむね)。元武家の帰農した農民出身であり、幕府で御庭番をつとめた役人であった。生年は安永4年(1775年)とも[1]

樺太(サハリン)が島である事を確認し間宮海峡を発見した事で知られる。近藤重蔵平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。

 常陸国筑波郡上平柳村(後の茨城県つくばみらい市)の小貝川のほとりに、農民の子として生まれる。戦国時代後北条氏に仕えた宇多源氏佐々木氏分流間宮氏の篠箇城主の間宮康俊の子孫で間宮清右衛門系統の末裔である。

 当時幕府利根川東遷事業を行っており、林蔵の生まれた近くで関東三大堰のひとつ、岡堰)の普請を行っていた。この作業に加わった林蔵は幕臣村上島之丞地理や算術の才能を見込まれ、後に幕府の下役人となった。寛政11年(1799年)、国後場所(当時の範囲は国後島択捉島得撫島)に派遣され同地に来ていた伊能忠敬測量技術を学び享和3年(1803年)、西蝦夷地(日本海岸およびオホーツク海岸)を測量し、ウルップ島までの地図を作製した。

間宮林蔵は樺太が島であることを確認した人物として認められ、シーボルトは後に作成した日本地図で樺太・大陸間の海峡最狭部を「マミアノセト」と命名した。海峡自体は「タタール海峡」と記載している。



つくば霞ヶ浦りんりんロードとは

2018年11月27日 13時45分27秒 | 社会・文化・政治・経済

全長約180kmのサイクリングコース

つくば霞ヶ浦りんりんロードは、都心から約1時間で行くことのできる茨城県南部のサイクリングコースで、水郷筑波国定公園に指定されている霞ヶ浦などの水郷地域や筑波山地域などの豊かな自然や風景、鹿島神宮に代表される歴史的・文化的資産など多様な地域資源を有しています。

本コースは、旧筑波鉄道の廃線敷を周回する湖岸道路を合わせた全長約180kmのサイクリングコースであり、そのうち、県道桜川潮来自転車道線(約81km)部分は、都道府県が管理する自転車歩行者専用道路としては日本一の長さになります。
今後は、霞ヶ浦(西浦)周辺だけではなく、北浦周辺の環境整備も進め、将来的なコース延伸を目指していきます。

大井川知事が滋賀県知事とつくば霞ヶ浦りんりんロードをサイクリング!

2018.10.16

大井川知事は10月15日(月)、第17回世界湖沼会議に出席するために来県した三日月大造滋賀県知事と霞ヶ浦湖畔で一緒にサイクリングを行いました!

凡例





11月26日(月)のつぶやき

2018年11月27日 03時15分46秒 | 医科・歯科・介護