2018年11月10日 取手競輪 水戸黄門賞

2018年11月09日 20時36分05秒 | 未来予測研究会の掲示板

12レース







選手名
府県/年齢/期別


ギヤ
倍数
直近4ヶ月の成績
競走得点SB1
2
3


2連
対率
3連
対率
  10 1 1 武田 豊樹
茨 城/44/88
SS 3.92 113.40 0 0 0 1 2 2 3 2 2 11 16.6 27.7 38.8
    12 2 2 椎木尾 拓哉
和歌山/33/93
S1 3.92 112.68 0 0 0 1 9 1 5 6 3 11 20.0 44.0 56.0
  10 3 3 山崎 芳仁
福 島/39/88
S1 3.92 112.34 1 1 0 7 6 0 10 3 1 12 38.4 50.0 53.8
×   9 4 4 山中 秀将
千 葉/32/95
S1 3.92 111.25 0 6 0 9 0 0 7 2 4 7 35.0 45.0 65.0
  8 5 吉澤 純平
茨 城/33/101
S1 3.92 111.70 0 7 1 4 1 0 4 2 2 12 20.0 30.0 40.0
    16 5 6 林 巨人
愛 知/35/91
S1 3.93 107.17 0 0 0 0 5 2 3 4 3 19 10.3 24.1 34.4
  11 7 和田 健太郎
千 葉/37/87
S1 3.93 113.55 0 0 0 2 5 1 3 5 1 10 15.7 42.1 47.3
    13 6 8 佐藤 博紀
岩 手/33/96
S1 3.92 107.23 4 6 1 8 0 0 5 4 0 12 23.8 42.8 42.8
  12 9 稲垣 裕之
京 都/41/86
S1 3.92 112.10 0 1 0 1 2 6 2 7 0 11 10.0 45.0 45.0
【誘導員】河野 通孝 S1

医師の人間性教育

2018年11月09日 18時27分23秒 | 医科・歯科・介護

人間性の確立、自主独立の精神

鴨下重彦
(東京大学名誉教授・賛育会病院院長・南原繁研究会代表)
No.856(平成18年1月)号

南原繁先生は医学教育に関して、たった1回だけ講演をされたことがありました。

それは昭和25年(1950年)7月、アメリカから医学教育の専門家を迎えて日米医学者協議会が東大で開かれた時の挨拶であります。これを読んで先生が見事に核心を突いておられる、と思いますのは、医者の教育にとっていちばん大事なことは、人間教育である。

いわゆるリベラルアーツの教育であるから、そういうことについても、よく日本の医学教育を見て頂きたい。

医学は高いヒューマニズムの精神の上に哲学や宗教と固く手を握って進まねばならない、ということを言っておられるのです。

最近医療事故等が多く報道され、医師・患者関係もおかしくなって医療不信が強まっておりますが、医師の人間性教育、そういった方面に今後はもっと力を入れる必要があると思います。

さいごに
 もう一度、先生の生涯あるいは教育に対する考え方を振り返ってみましょう。

先生が最も大切に考えられたことは、人間性の確立、自主独立の精神、そして正義に基づく平和、特に国際平和ということです。

先生が戦われた相手は、戦前はファシズムであり、戦後は米ソ二大大国の対立、核戦争でありました。 
 21世紀に私どもが戦わねばならない敵というのは、それとはまた別の次元で大変難しい手強い相手であります。

地球環境問題、人口・食糧問題、あるいは貧困、経済格差、テロ、エイズその他の感染症等々、多種多様な重い課題ばかりであります。私どもだけでなく、後に続く次の世代がそれらを担って、解決してくれなければならない。

そういう状況下で南原先生が残された精神、思想、あるいは特にその生き様が今こそ問われているのではないでしょうか。

それを是非若い人たちに受け継いでいってもらわなければならないのではないかと、そんなことを毎日考えております。
 何かまとまりのないお話となり、もっといろんなことがあるだろうと、ご忠告を受けそうでございます。

間違っていればご訂正頂くことにいたしまして、これで終わらせて頂きます。
 ご清聴、ありがとうございました。

(東京大学名誉教授・賛育会病院院長・南原繁研究会代表・東大・医博・医・昭34)
(本稿は平成17年6月10日夕食会における講演の要旨であります)
 

南原繁と現代 今問われているもの

2018年11月09日 18時16分58秒 | 社会・文化・政治・経済
 
鴨下重彦
(東京大学名誉教授・賛育会病院院長・南原繁研究会代表)
No.856(平成18年1月)号

はじめに
 鴨下でございます。この度は、伝統ある学士会の夕食会の講演をさせて頂くことになりまして、大変光栄に存じております。 
 夕食会や午餐会での講演は、学者や研究者の方が、ご自分の専門の領域について解説なさる、あるいはそれ以外の方でも、自分のお仕事に関係のある話題について、ご紹介されるのが普通だろうと思うのですが、今回は全く私の仕事とは関係のないことなのです。
 実は本日の講演会の案内が出ましてから、「あなたと南原さんはどういう関係なの」という質問を随分受けました。 
 特にご参加頂いている方々の名簿を拝見しますと、法学部の方が大変大勢いらっしゃいます。

たぶん多少ご説明申し上げないと納得頂けないかと思いまして、初めに少し、説明をさせて頂きたいと思います。
 私が南原繁という名前を知りましたのは、今から半世紀以上も前、もう55年前になります。

新制高等学校の1年生の時に、国語の教科書に『人間革命』の一部が、テキストとして使われていました。

その時に国語の先生が「この南原繁という先生は大変偉い人です。

文部大臣より偉いんですよ」と、こう言われたのです。当時私は文部大臣がどのくらい偉いのかわかりませんでしたが、ともかく大変偉い人として、その名前を心に刻みました。
 昭和30年(1955年)に東京大学の医学部に入学しましたが、もう南原先生はお辞めになっていて、当時の総長は次の矢内原忠雄先生でございました。いろいろ紆余曲折を経て、私は学生時代に矢内原先生がやっていらした日曜日の聖書講義の集会に出るようになりました。

医学部の講義は結構さぼりましたが、毎日曜、聖書講義は一度も休むことなく出席いたしました。

そして当時から南原先生、矢内原先生の著書、演述集を愛読いたしましたことが、現在も私自身の糧になっていると思っております。
 この南原、矢内原、戦後の2人の東大総長は、言ってみれば「余の尊敬する人物」でありまして、いつかその評伝を書いてみたいと思っておりました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、内部の不祥事で倒産してしまった日本学会事務センターが、『スキエンチア』という月刊の小冊子を出しておりました。

たまたま、最終号に何か書けといわれて、かねてからの思いでありました2人の先生について、「私の見た南原、矢内原時代」という、短いスケッチのようなエッセイを書きました。
 これが大変大きな反響を呼び、いろいろな方から「あなたの意見に賛成する。今の時代にこの2人の精神は非常に大事だ」というような手紙やメールを頂きました。日本学術会議会長の黒川清先生からは、「久しぶりに感激するものを読んだので、これを学術会議の全会員に配ったらどうだ」と言われたのですが、さすがにそこまで恥ずかしいことはできません。ですが関係の人には別冊を作ってお配りはいたしました。
 そういうことがご縁で、南原先生の研究家や先生の思想に共鳴する方々が集まり、勉強会を始めることになりました。先生の著作をまずは読もうということで、毎月集まって読書会をやっております。

それが「南原研究会」でございまして、まだ生まれて1年。老若寄り集まって、熱心に著作集を読んでおります。 たまたま昨年(平成16年)は南原先生がお亡くなりになってから30年に当たり、大きな節目ということで、11月20日にこの学士会館で「南原繁没後30周年記念シンポジウム」を行い、大勢の方にご参加頂きました。

その記録も本として出版いたしましたので、おそらくそのようなことが團藤先生や大内先生のお耳に達して、今日の講演をさせて頂くことになったのかと思います。


第15代東大総長 南原繁「人間革命」を提唱

2018年11月09日 18時09分41秒 | 社会・文化・政治・経済

第15代総長 南原繁
真理の探究に生涯を捧げる
 南原繁は、戦後間もなく本学第15代総長になった。
同学在任中は法学部の教授を務め、政治哲学の分野において歴史的な学問業績を残した。また、理念だけでなく現実をしっかりと見定め、政治・教育の分野において的確な意見を語り、政策を実行してきた現実主義者でもあった。

一高で新渡戸稲造と出会う

 1907年7月、17歳の南原は第一高等学校に入学した。
一高入学により南原はそれまでの生き方を根底から揺るがされるほどの文化的衝撃を受けるようになる。
それは西洋文明との出会いであった。

南原はしばらくの間、儒教によって育まれた人生観と新たに出会った西洋文化との二つの世界の中で悩みながら過ごすことになる。やがて南原は新渡戸稲造、内村鑑三との出会いにより、それまでの儒教的人生観から、キリスト教に回心していくのである。
 新渡戸稲造は南原が一高に入学した時の校長であった。
新渡戸の教育理念は、西欧的な教養によって裏付けられたものであった。

その二つの柱は、内省による人間形成を求めるヒューマニズムの精神と、世界平和のための国際協調を訴えるインターナショナリズムである。
 新渡戸のこうした教育理念はあきらかに反時代的であり、その反時代性ゆえに、一高生に大きな感化と影響を与えたのである。
南原もその影響を深刻に受け止めた。家を再興し、「天下国家」に奉仕し、国益を広めることを信条としていた南原にとって、内面世界の重要性を訴える新渡戸の教えは、それまでの生き方の問い直しをせまるだけの重い意味を持っていた。
それからは新たな自己確立を果たすための読書と内省の生活が始まった。

南原の内面には、真の自己を見い出したいと願う切実な欲求があった。
内村を通じてクリスチャンに

 自己確立のために、諸宗教の門を叩くなど精神の遍歴を経た南原は、やがて「生涯の師」に出会うことになる。それはクリスチャンで無教会主義の創始者である内村鑑三であった。深い悩みの中にあった南原は、内村との出会いによってキリスト教に新たな人生の光を見い出したのである。それは南原にとっての「第二の生誕」であった。
 しかし南原はクリスチャンになったことによってそれまで身につけていた全ての価値観を失ったわけではない。例えば、南原が儒教によって与えられた「人間の共同体的結合に、高い価値を付与する共同体的価値観」は生き続けた。
それは、後にキリスト教的神性と国民共同体とを結び付けようとする哲学的立場として復活することになる。南原が内村との出会いによって清算したのは、世俗的な立身を目指す功利主義的な生き方であった。
筧哲学からプラトンに共鳴

 南原が入学した当時の法科大学では、実証的・法解釈的な学風が強かった。その中で南原が哲学に関心を持つ大きなきっかけになったのが、「仏教哲理」「西洋哲理」などの著作で知られ、唯一の哲学的講義をしていた筧克彦である。南原は大学四年間にわたって筧から仏教哲学に由来する普遍我や事物の根本関係を説いた国法学、西洋哲学を内容とする法理学を教わり、大きな影響を受けている。
筧により南原は哲学への興味、関心が育まれたのである。そして目指すべき哲学の方向性の手掛かりを筧から与えられたのである。
 南原は筧の講義によって、プラトンに深く共鳴した。
南原の奥深くには小学校時代に身につけ、キリスト教信仰によってゆるぎないものとなった超越的な存在への確信があった。
そうした南原が、経験主義的、実証主義的なアリストテレスに不満を感じて現象界を超えるイデアの世界の実在を解いたプラトンに共感を覚えたのは自然なことであった。こうして南原は筧により哲学への方向を意識するようになる。
そして、哲学への意識をさらに「政治」についての哲学に向けるようになる。そのきっかけは学問の恩師小野塚喜平次との出会いであった。
政治哲学者になることを決意

 そして、小野塚から受けた三つ目の影響は、南原にとって逆説的で決定的なことであった。小野塚の講義を通して「科学としての政治学」を学ぶ中で、政治学に「哲学的な考え方を取りいれてゆく領域があるのではないか」と感じさせられていたことである。南原は、小野塚の経験主義的な政治学に触れることにより、逆に筧から与えられた経験を超越する哲学への関心をより深めたのである。
 南原は小野塚との出会いを通して、自らの道は政治に関する哲学的研究であることを予感する。
一高に入学して以来ずっと精神の遍歴を重ねてきた南原は、そこに自身の個性に見合う「生涯を通して成し遂げるべき業」を見出していった。
 それは自らが「何であらねばならないか」を問い続けた末に「何を為すか」への手掛かりを得たという意味で、新渡戸の教えに対する南原の答えとなった。
「新日本文化の創造」を演説

 戦争とファシズムが吹き荒れた時代の中、反時代的である自らの立場をジャーナリズムに発表することなく、「洞窟の哲人」として学問に打ち込んだ南原は、第二次世界大戦終了直前に法学部長となり、大戦終了後の1945年12月に東大総長となった。
 南原は、戦後の日本が自主自律的な変革を必要としていると一貫して訴え続ける。1946年2月11日の紀元節にあたって新たな国家の再建を呼びかけた「新日本文化の創造」と題する総長演説を行なった。この演説で南原は、日本に欠けているものは「人間意識」であり、「人間性理想」であったと表明。よってその実現を目指す主体的な人間革命による新たな国民精神の創造こそが世界的な普遍性に立つ、新日本文化の創造、道義国家日本の建設の道であること、それが日本が世界と自らとに犯した過去へのつぐないを果たし、「民族の復活と新生」につながる方向であると熱っぽく語った。
 この「新日本文化の創造」演説が示すように、南原は戦後改革が目指すべき「真の革命」の方向を、「道義国家日本の建設」との結合に見出していた。それを支えていたのは、真・善・美・正義からなる文化諸価値が「相関関係」をもつとする南原の価値哲学であった。この哲学に立つ限り、南原にとって「真の革命」は政治的価値としての正義の実現を目指す「政治革命」と、「真理や人格価値」の確立を目指す「人間革命」との一致によってのみ成就し得るものだからである。
真理の探究に生涯を捧げる

 南原は政治哲学者として理想と現実の中で絶えず現実を克服して理想に近づく努力をしてきた人であるといえよう。
 それが顕著に表れたのが、1949年、冷戦状態を超えて全面講和と永世中立を主張することで独立を図ろうとする南原と、冷戦状態を受け入れて米国を中心とする西側自由主義諸国との片面講話を選択して日本の独立を進めた吉田茂との対立に現れている。
吉田からは、現実を直視せずに空論をもてあそぶ「曲学阿世の徒」と批判された。
南原の取った立場は、現実は克服すべきものとする政治哲学者としてのゆるぎなき信念から来るものであったと推察できるのである。
 南原は、東大総長を離任する際に、「真理は最後の勝利者である」とのメッセージを残している。政治哲学者として真理を探究し、ひたむきに人間としての理想を追い続けた南原の人生から、私たちは、学問に対する姿勢や学生として今何を為すべきかなど学ぶことがたくさんあることを知るだろう。
人間革命による新たな国民精神の創造こそが、道義国家日本の建設の道であると説いたのは、南原茂東京大学第十五代総長であった。
南原繁著『人間革命』東京大学新聞社1948年3月刊。
南原にとって「真の革命」は政治的価値としての正義の実現を目指す「政治革命」と、「真理や人格価値」の確立を目指す「人間革命」との一致によってのみ成就し得るものだからである。
(中略)
南原は、東大総長を離任する際に、「真理は最後の勝利者である」とのメッセージを残している。


自分自身が大切だと思える気持

2018年11月09日 16時19分54秒 | 医科・歯科・介護

言葉の先取りをせず、伝える力を育むことを意識して、お子さんと会話をしましょう!
◇ 「ご飯・・・」、「じゃあ、食事の準備をしようね」とお子さんが最後まで話す前に、言葉の先取りをする
ことはありませんか?お子さん自身の考えや気持ちを言葉として伝えられるように、「どうしたいの?」、
「なぜ?」等と問いかけ、「最後まで言葉で伝えること」を【目標】にしましょう。

その際、考えや気持ち
を伝え終わるまで、ちょっと待ってあげることが大切です。
◇ お子さんの目を見ながら、「うなずく」、「相づちを打つ」等の反応をしてあげると、自分が大切にされ
ていると感じ、安心して会話を続けよう、伝えようという気持ちになります。

お子さんが自分の考えや気持
ちをしっかり伝えることができたら「よく分かった」、「上手に話せたね」等とがんばりを認めてあげましょう。
◇ 大人の感覚で当たり前のことと考えず、「大きな声で返事ができる」、「自分で起きる」、「靴をそろえ
る」等の【目標】を親子で話し合って決め、日常の小さな挑戦を見逃さず、積極的にほめましょう。
◇ 「すごいね」、「うれしかった」、「助かった」等、ほめ言葉をたくさん持ちましょう。
◇ 「〇〇先生(近所の△△さん)が、がんばってるって言ってたよ」等、第三者のほめ言葉を伝えることも
効果的です。
◇ 子どもは、これまでにやったことのないことはできません。「カーテンを開ける」、
「靴をそろえる」、「テーブルを拭く」等、簡単なお手伝いから始め、要領やコツ
を大人が教えながら、徐々に【少し難しい役割】に挑戦させましょう。
◇ 子どもに「できた」、「最後までやれた」等の成功体験を経験させることが大切
です。多少時間がかかっても大人が我慢し、安全に配慮しながら、子どもに任せ、
自主的な姿が見られたら、「ありがとう」、「助かった」と感謝の気持ちを伝えま
しょう。
◇ 家庭のルール(テレビやゲームの時間、帰宅時間等)を親子で話し合って決め、
お子さんに任せてみましょう。ルールを守れたら、その都度、がんばりを認め、ほ
めましょう。
◇ 社会のルールを守ろうとする気持ちは、自然に身に付くものではありません。子
どもは、大人の何気ない行動や言葉に大きく影響されます。子どもが将来にわたっ
て社会のルールを守れるようになるためには、大人が、子どもに良い手本を示すこ
とが大切です。
◇ 深夜の買い物や外食等、大人の都合に、お子さんを付き合わせないようにし、親子で話し合って、「就寝
時間」、「起床時間」、「朝食時間」等を決め、取り組みましょう。時間が守れたら、その都度、ほめまし
ょう。
◇ 野外での遊びや運動を積極的にさせることや寝る前の1時間は、テレビやゲームを控えさせ、読書や読み
聞かせ等をして心を落ち着かせるようにすると早寝につながります。
家庭のルールを話し合って決めましょう!
※ 自尊感情とは・・・自分に自信を持ち、自分自身が大切だと思える気持ちのこと。
いろいろな能力を伸ばす「種(たね)」だと言われています。
お子さんの良さ、がんばりに気づき、たくさんほめましょう!
毎日できるお手伝いをさせて、成功体験を経験させ


どんな時、どんなことをほめればいいの? 

2018年11月09日 16時12分55秒 | 社会・文化・政治・経済

 ささいなことでも積極的に子どもを ほめて育てることは大切です。

しかし、特に「困難な場面を乗り越え た時」や「自分で決めた目標を達成した 時」に、がんばった姿やがんばった過程 (プロセス)をほめられると子どもは、 嬉しさから「よし、次もがんばろう」、 「別のことにも挑戦しよう」という気持 ちが高まります。

家庭生活の様々な場面で、鍛えて、ほめることを意識し、実践すれば、次の「その①」から「その⑤」の ような意識や能力を高めたり、伸ばしたりすることができます!!

お子さんの学習に意識してかかわり、家庭学習の習慣化に挑戦させましょう!

◇ 「勉強しなさい!」と注意するだけでは、学ぶ意欲は高まりません。

親子で話し 合って、宿題や読書等に取り組む時間等の

【目標】を決め、チャレンジさせること が大切です。

自ら学習する姿が見られ始めたら、その都度、がんばりをほめましょ う。

◇ 学校の宿題やプリント等については、必ず確認し、時には親子一緒に学習に取り 組んだり、学校での様子や学習状況について、お子さんと会話したりしましょう。


鍛えるって、どうするの?

2018年11月09日 16時11分28秒 | 社会・文化・政治・経済

「鍛える」とは、子どもに【自ら考え て課題を決めさせ、困難を乗り越えるこ と】を経験させるという意味です。

日常生活のいろいろな場面で、「ちょ っと難しいかな?」、「できるかな?」 と思えるような【目標】を、大人が勝手 に決めずに子どもと考えて設定し、それ に挑戦させてみることです。

鍛錬や精神修養的なことを意味してい るものではありません。


「鍛ほめ福岡メソッド」実践

2018年11月09日 15時55分49秒 | 社会・文化・政治・経済

 

「鍛えてほめて」 伸ばそう子どもの可能性

本県では、昨年10月に国際的な視野を持って、地域で活躍する若者(ふくおか未来人材)の育成を目指す「ふくおか未来人材育成ビジョン」を策定し、これを踏まえ県教育委員会では、学校教育において重点的に取り組む施策等を示す「福岡県学校教育振興プラン」を策定しました。

プランでは、「鍛ほめ福岡メソッド」という独自の指導方法を提唱しています。鍛えて、ほめて、子どもの可能性を伸ばすことをコンセプトとしたこの指導方法は、子どもに努力することの大切さを学ばせ、真の達成感を味わわせ、チャレンジ意欲等を引き出す上で極めて有効なものであることから、教育にかかわる全ての指導者等が共有する福岡県独自の指導方法として位置付けたものです。
この鍛えて、ほめる指導は、学校の中だけでなく、家庭や地域を含めあらゆる教育活動の中で繰り返し実践していくことが大切ではないかと思います。

「鍛ほめ福岡メソッド」実践の手引きを作成しました。

「鍛ほめ福岡メソッド」を実践する上で指導の前提となる「鍛ほめ実践3ヶ条」を中心に実践事例や実物資料、実践する上で知っておきたい心理学の知見等を掲載しています。

学校や教育委員会等において積極的に御活用ください。

福岡県高校生の学習意欲の喚起と基礎学力の着実な定着を目指すための研究開発構想 鍛えて、ほめる、学校の教育力向上プロジェクト ~鍛ほめ福岡メソッドの展開を通して~

【鍛える2】 挑む活動(不安の払拭) 生徒一人一人または生徒同士の グループが、周りの人から最小 限の支援を受けつつ自らの力で 解決に挑む!

【鍛える1】 目標設定の活動 指導者、生徒一人一人または生 徒同士のグループが、やや困難 な課題や目標を設定する!

【ほめる】 振り返る活動(安心感・信頼性) 指導者が振り返りの場を設定 し、指導者または生徒同士が、 その頑張りをほめる、認める! 【実践研究校】

【伸ばす】 高等学校におけるPDCAサイクルの確立 ・学校の指導体制の在り方の検討 ・学び直しの教材開発(国語・数学・英語) ・カリキュラム・マネジメントの確立 ・基礎学力定着度の検証・評価 ・教材のオンデマンド(共有化) ・県立高校全体の基礎学力向上 CBT実施に向けた課題と解決方法の検証 ・技術的課題と解決法の研究 ・テスト結果の指導改善への活用方策の研究 ・施行テストの実施と分析 ・委託先との連携 調査研究事業検討会議WG ・福岡県教育センター ・実践協力高等学校 等 調査研究事業検討会議 ・中・高校長会 ・連携大学 ・連携企業 等

【福岡県学校教育目標】 社会的自立の基盤となる、学力、体力、豊かな心を培う! 社会の変化に対応し、社会を支え、その発展に寄与する力を育てる!


人は、変わることができる

2018年11月09日 15時19分50秒 | 日記・断片

午後1時から中田宅でのブロック会に参加した。
金曜日が休みの渡部さんに合わせて開催した。
聞くと、「もう、クリスマスばかりではなく、新年のお飾りを販売する時期になった」と大型ショッピングセンターの商戦について語っていた。
合唱についで、ビデオを鑑賞。
これで、同じビデオを3回観たことになる。
ビデオは大手運送会社の係長の体験談である。
営業の仕事に行きつまり、離婚もした。
その係長が人に励まされ、奮起した結果営業成績がトップになったという体験談。
口下手で人間関係に悩み、「仕事を辞めたい。もう限界だ」と絶望したいた人が、180度変わったのである。
人は、変わることができるのである。
昨日は、ビデオを観たご婦人二人が、ハンカチを出して涙を拭っていた。
実は渡部さんは、元自動車販売会社でトップクラスの営業マンであり、今の勤務先に招かれ新人研修の講師を務めている。
今日は、登山の話や旅の話、地域友好などが話題となる。
「ざっくばらんに、何でも語ってほしい」と司会を務めた渡部さんが切り出したから・・・。


人は何のために生まれてきたのか?

2018年11月09日 08時53分23秒 | 沼田利根の言いたい放題

1)幸福になるため
2)この世に何らかの使命を果たすため
3)生んでくれた親の恩に報いるため
その他もあるのですが、省略
しかし、自殺する子ども、大人も方も絶えませんね。
なぜ、でしょうかね?
誤解を承知で、言及するのですが、死魔(死ぬことへの誘い)が存在すると思うのです。
1~3の生きる意味を破滅させる存在。
それが死魔そのもの。
死魔との闘争、それが過酷とも言える人生行路の過程にあるのではないでしょうか?
死魔に破れるか、死魔に勝か-が大きな人生の分岐点なのではないかと思われるます。


自殺しない子ども育てるには?

2018年11月09日 08時16分38秒 | 社会・文化・政治・経済

心の強い子供に育てるにはどのようにしたら良いでしょうか? 

男の子の育て方で気をつけていることはありますか?

たしかに物騒な事件は増えているように思います。
が、自殺しない子、犯罪をおかさない子とか、そこを
目標にしてしまうのはなにか違うようにも思います。
自殺しないことがそのままイコール心が強いではない
ようにも思いますし。。。

自分を好きになる、とか、自分に自信を持つ、とか
人の気持ちを考える、とか、協調性を持つ、とか
負ける経験、勝つ経験、努力する経験、限界を
知る経験・・・いろんなことの積み重ねだと思います。

育て方で気をつけていること・・・甘やかさない。
もちろん他にもいろいろありますが言い出すとキリが
ないので書きませんが。あえて親として心がけているのは
やはりこれです。甘やかそうと思えばいくらでも出来るから。
そこをセーブして、最終的に1人で社会を立派に生きて
いけるようになることが親のつとめかと。
もちろん甘えさせてあげることはたくさんしていますよ。

 


女優由紀の追憶

2018年11月09日 07時28分15秒 | 創作欄

「週刊誌に書かれたけれど、作曲家の秋元崇さんとは、何もなかったのよ」
由紀は甘えるような仕草で言った。
幼く繕う口調は、私が初めて由紀と出逢った時そのものであった。
私はそれを可愛いと思った。
「私は心から皆に微笑んでいるのよ」
由紀は鏡に向かって微笑んで見せて、私を鏡の端にとらえて、一層爽やかに笑みを浮かべた。
「心からの微笑み。そうでございますよんね」とハスキーな声で鏡に問い掛けながら、耳のピアスを交互に映し出した。
私が由紀に唯一贈った誕生日プレゼントであった。
「あなた、死にそうな顔している」と由紀は振り向いて、眉をひそめた。
「君はいったい、どうなったいるんだ」
私はテーブルのタバコに手を伸ばながら、上目つかいに由紀を見返した。
私は由紀の求めに応じて何度も由紀の体に入った。
徹夜明けの由紀が怪しいまでに輝いて見えた。
<女優になる女は化け者のなんだ>と私は呆れながら、タバコの煙を由紀に向かって吹きかけた。
「あなた、私にもタバコちょうだい」由紀は手を伸ばすようにしたので、私はもう一本のタバコを咥え、ライターで火を点けた。
明日の診療は休みであったことから、私は学位論文を一気に書き上げようと奮闘していた。
来る時は何時も気まぐれな由紀は午前1時半頃に、私のマンションの部屋のベルを鳴らした。
もっとも、私の方から連絡することを由紀は絶対に許さなかった。
月1回の定期健診に来る以外、由紀は昼間私と会うこともなかった。
そして、由紀は二人で居る時以外は、素顔を人前に晒すこともなかった。
「今日も、撮影があるんじゃないか。寝なくていいのか」と私は心配した。
「今度の映画、気乗りしないのよ。一層のこと役を降ろされた方が、さっぱりするわ」
私の気遣いを冷笑するように、強い口調で半ば投げ遣りの感情を含めて言う。
そして、シャンソンを軽い乗りで口ずさんだ。
今のようにカラオケなどなかった時代である。
由紀はパブのピアノで自ら演奏しながらシャンソンを歌いまくっていたと言う。
店に居合わせたお客は、女優である由紀のワンマンショーを無料で聞くことができたのである。
小学1年生から由紀は音楽教師である母親からピアノを教えられていた。
幼稚園のころからバレエも習っていて、三越劇場で一人で踊ったもともあった。
由紀には歌はあくまで趣味の域で、酒の勢いで歌ったに過ぎない。

でも歌は素人に過ぎないが、シャンソンには強い思い入れがあった。

由紀は中学生のころからピアフに憧れて続けていて、ピアフの生涯そのものが<特別な存在>であった。
パブ専属のジャズ歌手が出番を控えていたので、由紀のマネジャーだけ一人が、「気をもみながらオロオロしていたの」と由紀は首をすくめて笑っていた。


11月8日(木)のつぶやき

2018年11月09日 03時19分54秒 | 医科・歯科・介護