八紘一宇(はっこういちう)

2019年06月29日 18時08分23秒 | 社会・文化・政治・経済

八紘為宇とは、天下・全世界を一つの家にすること。

『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を、全世界を一つの家のようにすると解釈したもの。

田中智學による国体研究
大正期に日蓮宗から在家宗教団体国柱会を興した日蓮主義者・田中智學が「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語したとされる。
これについては1913年(大正2年)3月11日に発行された同団体の機関紙・国柱新聞「神武天皇の建国」で言及している。
田中は1922年(大正11年)出版の『日本国体の研究』に、「人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である。」と述べている。
もっとも、田中の国体観は日蓮主義に根ざしたものであり、「日蓮上人によって、日本国体の因縁来歴も内容も始末も、すっかり解った」と述べている。
八紘一宇の提唱者の田中は、その当時から戦争を批判し死刑廃止も訴えており、軍部が宣伝した八紘一宇というプロパガンダに田中自身の思想的文脈が継承されているわけではない。
1936年(昭和11年)に発生した二・二六事件では、反乱部隊が認(したた)めた「蹶起趣意書」に、「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。
此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり」とある。
この事件に参加した皇道派は粛清されたが、日露戦争以降の興亜論から発展したアジア・モンロー主義を推し進める当時の日本政府の政策標語として頻繁に使用されるようになった。
現在、日本の代表的な国語辞典では、八紘一宇は「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」、と説明している。
第二次世界大戦での日本の降伏後、連合国軍最高司令官総司令部によるいわゆる神道指令により国家神道・軍国主義・過激な国家主義を連想させるとして、公文書における八紘一宇の語の使用が禁止された。


神武天皇の建国のそのときからの歴史

2019年06月29日 18時00分07秒 | 社会・文化・政治・経済

「八紘一宇」は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていたもの。

元は「日本書紀」に記載されている神武天皇の即位建都の詔の一節に由来しており、本来は国内の統合を意味する言葉だったが、昭和前期の頃から対外政策の基本理念として用いられるようになった。
この発言は問題視されたが、三原氏は「私とて、この言葉が戦前に国威発揚のために使われたことは存じております」とした上で、戦争の原体験を持つ政治家はそのような意味で捉えたが、「私たちにはそうした体験はありません。だからこそ、この言葉が持つ本来の意味を評価する必要があると思います」と反論してみせた(東洋経済オンライン 2015年4月5日)。自分は戦争を知らないから、戦前のスローガンを再評価するという考え方は「教育勅語」をめぐる与党の政治家の発言とよく似た構図だ。

「八紘一宇」について「『日本人は永遠に言葉にとらわれつづけるべきだ』と考えるか、あるいは『戦争を乗り越えて、新しい未来を作る』と考えるかによって分かれる」と語っているが、新しい未来を作るならわざわざ戦前のスローガンを持ち出す必要はあるまい。

三原じゅん子 自民党・参院議員
「神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」
ハフポスト日本版 2016年7月10日

2016年7月の参院選でトップ当選した三原氏だが、選挙特番の中で上のようにコメント。さらに司会の池上彰氏に「神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?」と問われて「私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています」と答えた。

 初代天皇とされる神武天皇は神話的な人物であり、史実を伝えるものはほとんどない。池上氏に指摘された三原氏だが、「そういう考えであってもいいと思います」と言い張った。
三原じゅん子 自民党・参院議員
「世界が激動する現在、それをフォローできるのは、安倍晋三首相しかいない」zakzak by 夕刊フジ 2018年5月7日

 三原氏は安倍首相に心酔しているようだ。森友学園問題や自衛隊の日報問題が紛糾していた最中に受けたインタビューでは、「与党議員として、じくじたる思いがある」としつつ、「『長期政権の緩みで生じた』という批判もあるが、私は関係ないと思っている」と断言。あくまで悪いのは官僚機構だとした。


中途半端な甘い気持ちでは、勝てない

2019年06月29日 17時27分27秒 | 社会・文化・政治・経済

▽人は臆病になると、相手が大きく見える。

▽自分には無理だと思うと、困難の壁はますます高く映る。
すると現実をを直視し、徹底的に切り込んでいく勇気がもてない。

▽「断じて勝つ」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。

▽一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。

▽中途半端な甘い気持ちでは、勝てない。
そして、その根本には迷いや恐れや油断があってはならない。


三原じゅん子議員の罵詈雑言 「恥を知りなさい」

2019年06月29日 15時54分35秒 | 社会・文化・政治・経済

三原じゅん子氏に罵られる国会の低レベル
6/28(金)

7分半に及ぶ演説で三原氏は、安倍氏の責任を問う決議案を提出した野党、特に旧民主党勢力を徹底的にこき下ろした。いくつか表現を紹介しよう。

■「愚か者の所業。恥を知りなさい」

 「野党の皆さん、年金を政争の具にしないでいただきたい。(中略)猛省を促します」

 「(民主党政権の3年間は)はっきり言って、無為無策だった」

 「民主党政権時代はどうだったか。(中略)まさに悪夢だったのであります」

 極め付きは「民主党政権の負の遺産の尻ぬぐいをしてきた安倍総理に、感謝こそすれ、問責決議案を提出するなど、全くの常識外れ。愚か者の所業とのそしりは免れません。恥を知りなさい」。

 ここまで来ると批判というよりも罵詈雑言だろう。SNSでは「ヘイトスピーチではないか」という書き込みも見られた。

■参院で「八紘一宇」を訴えて、激しく批判されたが…

 三原氏というと「八紘一宇」発言が記憶に新しい。

八紘一宇とは「世界を1つの家にする」という意味だが、第2次世界大戦で侵略戦争を正当化するスローガンとして用いられた言葉。

 三原氏は2015年3月16日、参院予算委委員会の質問で「建国以来、大切にしてきた価値観『八紘一宇』を紹介したい。強い国が弱い国のために働く制度ができて、世界は平和になる」と肯定的に語ったのだ。
プレジデントオンライン編集部


「無給医」、50大学病院に計2191人

2019年06月29日 15時34分51秒 | 投稿欄

2019年6月28日 読売新聞

全国の大学病院で診療を行う医師、歯科医師(教授から助教の教員除く)のうち、7%の2191人は勤務実態があるのに給与が支払われていない「無給医」と確認されたことが28日、文部科学省の調査でわかった。

医師免許を持つ大学院生や専門医を目指す専攻医らが大半で、「自己研さんにあたる」などとされていた。労働基準法に抵触する可能性があり、文科省は労務管理を改善するよう各大学に通知した。

調査は国公私立99大学の108付属病院が対象。昨年9月時点での3万1801人の給与支給などを調べた。

その結果、2191人が、「自己研さんや研究」の範囲を超えて勤務実態がある「無給医」と判断された。順天堂大医学部付属順天堂医院(東京)が最多の197人。北海道大学病院(北海道)146人が続き、計50病院で無給医の存在が確認された。


「読書バリアフリー法」成立 超党派の議員立法

2019年06月29日 15時31分26秒 | 社会・文化・政治・経済

毎日新聞 2019年6月21日 

視覚障害者らがより読書を楽しめるよう、国や自治体の責務などを定めた「障害者読書環境整備推進法(読書バリアフリー法)」が21日、衆院本会議で全会一致で可決、成立した。

 目や手足の障害や識字障害があると、紙の本や雑誌に印刷された文字を読むのが難しい。

そうした人も利用しやすい音声や点字の図書などを増やそうと、障害者団体の要請を受け超党派で議員立法の法案を取りまとめた。
同法は「すべての国民が障害の有無に関わらず読書を通じて文字文化を楽しめる社会の実現」を目的に提示。

国と自治体に障害者の読書環境を整備する責務を定めた。具体的には、国が基本計画を作り、出版社、障害者団体、国会図書館などと協議会を設けて施策を進める。

出版社が書籍の電子データを点字図書館や障害者個人に提供する取り組みの促進や、図書館が録音図書や電子書籍などの所蔵を増やすことも盛り込んだ。【原田啓之】


「自由に本を」読書バリアフリー法案、超党派で提出へ

朝日新聞 前田智 2019年5月22日

視覚や上肢の障害、発達障害などがある人の読書環境を整えようと、超党派の国会議員が今国会に「読書バリアフリー法案」を提出する見通しになった。

誰でも読みやすいLLブック 読み書き不自由な人へ工夫
 18カ条からなり、「障害の有無にかかわらず全ての国民が等しく読書を通じて文字・活字文化の恵沢を享受できる社会の実現に寄与する」とうたう。

 7条と8条では、国が読書環境整備の基本計画を定め、自治体に障害当事者の意見を反映した具体的な計画をつくるよう求めた。

 国や自治体が取り組むべき基本的施策も盛り込まれた。障害者が利用しやすい図書館の整備(9条)▽インターネットによるサービス提供の強化(10条)▽読みやすい書籍や電子書籍の製作支援、販売促進(11、12条)▽使いやすい電子書籍や端末など先端技術の研究開発(16条)などだ。

 法制定を求める動きは2008年ごろ始まり、日本盲人会連合、DPI(障害者インターナショナル)日本会議、弱視者問題研究会、全国盲ろう者協会の障害当事者4団体が、「自由に本を読みたい」と共同で取り組んできた。日本は昨年、障害者の読書環境整備をめざす国際条約(マラケシュ条約)を批准した。


読書のバリアフリー

2019年06月29日 15時19分36秒 | 社会・文化・政治・経済

「読むことは生きることであり、情報は命」

日本盲人会連合は、わが国の視覚障害者を主体とする団体により構成され、視覚障害者福祉の向上を目指し、組織的な活動を展開している社会福祉法人です。また、視覚障害者に対する総合的なサービスを提供するため、次の事業を行っています。

  1. 全国の視覚障害者団体に対する連絡及び助成事業

書は、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識や知恵の継承と、豊かな人間性を養い育てる為に不可欠な活動であり、知的で心豊かな人生を送る上で欠かせないものです。

 しかし、通常の活字の本は視覚障害者にとって自力で読むのは困難です。
そこで長年視覚障害者の読書は、点字図書館(視覚障害者情報提供施設)、点訳ボランティア、音訳ボランティア、拡大写本ボランティアなどによって支えられてきました。近年はデジタル化の流れを受け、電子書籍が普及したことにより、視覚障害者でも自力で本を読める可能性が出てきました。
 サピエ図書館(※1)には、約18万タイトルの点字データや約7万タイトルの音声デイジーデータ、約2千タイトルのテキストデイジーデータなどがアップロードされています。さらに、毎年約2万タイトルが追加されています。
 一方、我が国で発売された本のほとんどが納本されている国会図書館には、既に1000万タイトル以上の本が所蔵されており、毎年新たに5万タイトル程度の本が発売されていると言われています。

※1…サピエ図書館(視覚障害者情報総合ネットワーク)とは、インターネット上で点字データや音声データとして図書の貸出が可能なサービス。

今後の課題

上記の条約や法律の理念を具現化するためには、障害者や高齢者の読書環境の改善に関する法制度が必要です。
 具体的には、

発売される電子書籍が合成音声による読み上げに対応すること
画面上での拡大や色の調整ができるようになること
公共図書館や学校図書館でも障害者サービスが充実されること
国立国会図書館の電子図書館も視覚障害者でも利用できるようにすること
などが望まれます。また、読書のバリアフリー化に足かせとなるような著作権法の改正も必要です。

 読書バリアフリー法(仮称)の制定は障害者の自立と社会参加の礎となるだけでなく、今後我が国が迎える高齢化社会においても大きな意味を持つものです。
 本連合は、視覚障害者の読書環境の改善のため、法制定を目指して啓発活動などに力を入れてまいります。


自責3以下の阪神・西勇輝の覚悟

2019年06月29日 13時13分35秒 | 社会・文化・政治・経済

虎のイニングイーター―阪神・西勇輝の覚悟―

 阪神の西勇輝投手(28)が本紙の独占インタビューに応じた。ここまで13試合に先発。3勝6敗ながら、クオリティースタート(6回以上投げ、自責3以下)は実に10度を数える。

チーム勝ち頭の青柳とともに開幕からローテーションを守り続け、投球回91回1/3、防御率2・76はともにリーグ3位。虎の「イニングイーター」は、リーグ戦が再開される後半戦もフル回転を誓った。(取材・構成 吉仲 博幸、山本 浩之)

―前半戦は3勝6敗だが、QSが13試合中10度。今の成績をどうとらえているか?

 「イニングは食えているかなと思っています。(自分の)勝ち負けは気にしない。チームが勝てればいいと思っています。負けがついたら素直に悔しいし、チームにもその負けが直結するんで、勝敗を勘定の中には入れているだけで、自分につく結果の勝ち負けはなるべく気にしないようにしています。焦りもありません。ケガをせず、1年間をまっとうしてイニングを食えれば、おのずと評価される。イニングに関する評価が日本ではまだ低いように感じます。プロ野球は、長いイニングを投げることがすごいことだと僕は思っています。5回を1年間放り続けて10勝するピッチャーと、9回まで完投能力のあるピッチャーが1年間放るのとでは全然違う。QSが10回というのはよくできた数字だと思いますし、順調に数は消化できていると思っています」

 ―自身の勝敗はまったく気にならない?

 「先発はやはりイニングだと思っています。気にしないですね」

 ―カード頭を託されることが多い。一線級の投手と投げ合うことが多かった。

 「それも気にしないですね。相手ピッチャーがどうだからって自分のピッチングは変わらない。打たせない、何イニングを放る、フォアボールを出さない、エラーをしない。この4つを守るだけ」

 ―相手も一線級の投手だから打線の援護が少ない。負担がかかるのでは?

 「その負担もあまり感じません。正直、苦しいのは苦しいです。何でかと言うと、世間からはやはり勝ち星で評価されることが多いので。だから、気持ちが入り交じっています。カード頭の宿命、チームを背負うピッチャーの心得じゃないですけど、やらないといけないなという自分の立場も分かっているので。球場だったり、ベンチやロッカー、投げない日の立ち居振る舞いも大事。選手に逆に気を遣わせて、打たなあかんと思わせる先発ピッチャーもどうや?と思いますから。だったらエラーしても気にしないとか、エラーしたら助けるだとか、相乗効果で頑張っていけたらと思っています」

 ―甲子園の広島戦(5月17日)でマルテに失策がつかないまずい守備が2度あった。それでも顔に出さなかった。心掛けていることは?

 「エラーして、ムスッとするピッチャーはいると思いますが、高校生の時、1年生の子が3年生のピッチャーが怒っていたら怖いと聞いていたし、怒っても何も変わらないので。ガクッとしても変わらない。結果はヒットやし、ランナーはいるし。ガクッとしたら、ヒットやランナー取り消しにならないでしょ? だったら、プラスに考えようと。自分が投げた球が悪かった、自分の悪い所を探したり、次のバッターのことを考えた方がまだプラス。だから、マルテ、北條、木浪、糸原らは存分にエラーしていいと思う。それが自分の今後の糧になると思うから。まだ自分が救える結果が多いのかな。高橋遥人ら若手ピッチャーが投げる試合はしっかり守ってあげて遥人らを楽に投げさせるのが大事。2アウトで僕の時にエラーしても次のバッターを抑えたらええやと言えるのと、遥人ら若手がいっぱいいっぱいの時と全然違うと思うので。青柳の時もそう。そこをかばってあげられるのはカード頭を任される投手かなと」

 ―西投手の姿を後ろの選手は見ていると思う。

 「別に感じなくてもいいと思うんですよ。感じさせるためにやっていないので。思いきってプレーできなくなったら、だめだと思うので。(先発投手だと年齢が)メッセンジャー、岩田さん、僕の順なので、気を遣う順番もあるだろうし。同級生なら、まあ、しゃあないかと思うだろうし。次やらなかったらいいみたいな。ただそれだけです。昔、そう言ってもらえたキャッチャーがいたんです。“俺の配球のせいだ”と。どれだけ救われたかと思いましたし、そういう存在でありたいなと思っています」

 ―甲子園の広島戦(5月17日)では後続の島本、守屋が打たれた。ベンチの前に出て2人をねぎらうシーンが印象的に映った。

 「ああいうのは先発ピッチャーが全員やるべきだと思う。僕の尻ぬぐいをしてくれているわけですから。自分が投げられないから、投げきれなかったから中継ぎが投げてくれているので。出なくてもいい場面で、準備していなかったかもしれない。そのピッチャーを僕がわざわざ呼び起こしてしまったわけで“ごめんな、守屋”とか“ありがとう”も込めて、前に行くのは当然だと思う。この前(6月14日・オリックス戦)だったら藤川球児さん。3点取られたけど、8回の頭から準備していたかもしれない。自分が投げている時は(ブルペンが)どういう展開かわかっていないので。どんな状況でも降りてきた時には感謝の言葉を絶対にかけるべきだと思っています。マウンドを降りてからも声を出すし“ありがとうございます”は絶対に声をかけたいと思います」

 ―長いシーズン、いろんなことがある。

 「13試合投げて、自分が本当につぶしたのは2試合だけかな。中日戦とオリックス戦、自分の中での失敗と思ったのは。プラスにとらえているから、何も心は痛くないですね」

 ―1000奪三振を記録した。投手として一つの勲章では?

 「三振数より、やはり僕はイニングですね。三振は歴代のキャッチャーのおかげです。その人たちの配球がなければ、三振はとれない。若手の時なんて、もっとそう。日高さんだったり、鈴木さんだったり。斎藤さん、辻さん、(伊藤)光さんらいろんなキャッチャーに受けてもらって。(梅野を含め)すべてのキャッチャーの方々に感謝したい。イニングは野手全員のおかげ。三振は投げて受けるキャッチャーがいて成り立つものだから、そこは数々のキャッチャーとスコアラーに感謝したい」

 ―投手として何よりも重きを置くのはやはりイニングを食うことなのですね?

 「はい。ここ数年はずっとイニングです。イニングさえ投げれば、自分の仕事をしたってピッチングコーチにも言われてきました。昨年は12球団で一番、援護率がなかった中、2桁いっても何もすごいと思われなかった。イニングを5、6年投げてきたことに、自分は胸を張っています。ケガをせずに10勝して。だったら、170イニングを10年続けたりだとか。石川(ヤクルト)さんは、十何年と続けているじゃないですか。その方がすごい。ずっとケガをせずに、2600イニングくらいでしょうか? 本当にすごいと思う。続ける大変さ。すごいパフォーマンスを持っていないけど、ケガしない能力は持っているという自負があります。ケガせず、ずっと投げ続ける。チームの言われたところで矢野監督が言われたところで投げる。ただ、それだけです」

 ―セ・リーグにやって来て変化を感じますか?

 「バッティングがあるからなおさら楽しい。(打撃は)ノープレッシャーですから。向こうがプレッシャーなので。“西は打ってくる、バントもする”って。甘いところにきたらたまたまヒットすると思われているだけ、全然得だと思うので」

 ―打撃で投球リズムは変わらないか?

 「変わらない。ただ、純粋に野球を楽しんでいます。これまでパ・リーグでずっとやってきたし、交流戦でたまに打ったりするけど、パ・リーグのままでやれている感じですね。全然何とも思わない。(投手に)打たせたらしんどいし、(自分が出塁して)塁上でハアハア言ってるけど、ベンチに帰ってきたら落ち着く。そこは練習で補えるし、楽しいですよ。ちょうど10年やってきたし、節目のいい機会で、いい状況でできています。変化や環境は自分が求めてきたので」

 ―若い投手が多い。高橋遥や青柳にアドバイスもしている。そういう役目を感じるか?

 「僕もしゃべるのが嫌いじゃないし、求められたらしゃべってあげたい。遥人とか、青柳、浜地、守屋、シマ(島本)あたりは積極的に会話しています。ちょっとした自分の意見、考え、アドバイスは言ったりしますね」

 ―私生活のアドバイスも?

 「守屋は結構聞いてきますね。睡眠や食事の話など。自分がよく言うのは、打たれた後の切り替えですね。自分も経験があるので、勝てない時とかに伝えてあげたいなと思う。自分も(年齢的に)いいタイミングでこのチームにこれたと思うし。オリックスも若手が多いし、若手の(気持ちの)上げ方はわかっています。きつく言ったらへこみそうな奴にはうまく盛り立てて、尊重して意見を聞いてみたり」

 ―モデルになった投手はいるのか?

 「オリックスの時は年上の投手が平野さんや比嘉さんや岸田さんでした。7、8歳上の方が多く、この方たちの間にいたら助かるだろうなという先輩になりたかった。パイプ役といいますか。中継ぎで8、9歳上の人にガツンと言われたらへこむし。なら、間に入って、盛り立てて、聞いてあげて、アドバイスできる先輩がおったらうれしいんとちゃうかなと。僕はそういう人におってほしかったんで。だから、自分は積極的に後輩にしゃべりかけられるのかなと思う。たわいもない話でいいんですよ。ただ、しゃべるという行為がすごく大事。そこから野球の話も広がるし、何を思っているかもわかる。悩んでそうな顔をしているのにしゃべりかけない先輩より、声をかけられる先輩の方が絶対いい。自分がやった方がいいと考えながら、やっています」

 ―最後に、後半戦に向けの意気込みを。

 「一番、ここからが大事になってくる。ホーム球場がドームと違って外ですし。梅雨もあるし、雨、湿気、夏の暑さ…。若手の多さ、中堅の少なさ。選手層の薄さ。福留さん、糸井さん、鳥谷さんにおんぶに抱っこは卒業しないと。じゃないと、強いチームにはならない。強いチームは誰が抜けてもそこに入れ代わる選手が出てくる。近本、木浪が出てきて良かったし、大山も4番として成績を残せれば、強くなる。それが出来るメンバーだと思う。ピッチャーも守屋、島本が出てきて抑えているし、自信を持っているし。あいつらもいつか疲れてきて、打たれる時もくるかもしれないけど、前半戦それだけやってきたというものもあるだろうし。そこにファームの奴が来て抑えられるだけの、シマと守屋に安心させないような中継ぎも出てきて欲しい。イキのいい奴があがってきたら強くなるし、おもしろい」

 ―西投手はイニングをさらに伸ばす?

 「阪神に自分がいなかったらどうだったのか? と思わせられるように。たとえば、180イニング投げたら、この180を誰が埋めたのか?と思わせたい。勝ち星はおまけ。そこは巨人の菅野さんともよく話をしていて、よく言っているのは“勝ちを気にしない。自分の仕事をまっとうしたら、次に切り替えて野球するだけ”って。ほんまにそうやったし、それを信じてやってきたここ3、4年間でした。ほんとうにいい人に出会えて、いいアドバイスをもらって(野球観は)自分の分岐点でした。すごく変わった。あの人がいなかったら、まだ勝ちを追い求めて夏場に苦しくなって、勝てなくて…。抹消だったり、追い込みすぎてケガをしたり。常に冷静に保てて同じ練習ができて調整ができています。だから、イニングを食う。ただそれだけ。ケガしないのが一番。野手は2000本安打とか何試合連続出場とか、ああいう時にすごさが際立つけど、ピッチャーやったらイニング数かと思うのです。西が10勝した時や3年連続2桁勝利とか、見てほしいのはそこじゃない。ケガをせずにずっと投げていることなんです」

 

 (※1)0―0の4回2死無走者からバティスタの打球を一塁のマルテが捕球できず(記録は右前打)先制点のきっかけになると、1点リードの8回1死一塁から野間のゴロを弾いて(記録は強襲安打)ピンチを拡大し、その後に逆転を許した。

 (※2)2―3の9回から島本が西の後を受け登板。先頭の会沢に中前打されるなど2死二塁で降板すると救援した守屋は4安打1四球で1死も奪えず2人で計6失点した。


林業も子育てと同じ―森を育てる

2019年06月29日 12時59分42秒 | 社会・文化・政治・経済

為替の自由化に伴い安価な外国木材が大量に流入して、国産の材木の価格が暴落した。
林業が衰退し、山は荒れた。
森は、大自然が歳月をかけて築き上げたものだ。
陽樹の下で陰樹が育ち、木の実や落ち葉は生き物と大地の糧となる。
樹齢300~400年のケヤキやトチノキの巨木。
コガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、フクロウやムササビが巣を作り、木の実を食べ、その種を他の土地に運んでくれる。
時代に抗するように森づくりを続けている人たちが存在する。
「林業も子育てと同じ。光を当て過ぎて育てた早生の木は、中がスカスカで折れやすい。密集した中で鍛えられ育った苗木は芯がしまり、長じて良い木になる」そうだ。


世界は強力な敵に満ちている」

2019年06月29日 12時34分11秒 | 社会・文化・政治・経済

「われわれの偉大な国を、これ以上笑いものにさせてはならない」
トランプ米大統領が30年も前に、10万㌦の私費を投じて有力紙にだした意見広告だそうだ。
毎日新聞の1面「余録」のコラム欄で知った。
トランプさんの執念がそのまま堅持れ、大統領の立場で<自らの原点>へ回帰する構図であろうか。
大統領就任直後の演説で「ホワイトハウスにはタフガイが要る。世界は強力な敵に満ちている」と語った。


「日本最大級のがん経験者コミュニティ」5yearsについて

2019年06月29日 12時10分12秒 | 社会・文化・政治・経済

「日本最大級のがん経験者コミュニティ」5yearsについて

 病気には、5年生存率という嫌な言葉があります。
診断から5年経過後に生存している患者の割合をしめすものです。
しかし、そんな過去のデータが今を生きる私たちにどういう意味があるのでしょうか。
多くの患者さんたちが病気を乗り越え、再び社会に戻られています。
以前よりも活躍している人だってたくさんいます。
5yearsは、今を強く生きている人たちにスポットライトをあて、病気をしても人生にチャンスがあることを示します。

ごあいさつ



代表 大久保 淳一さん

 日頃より5yearsファイブイヤーズの活動にご支援を頂き、誠にありがとうございます。ごあいさつを兼ね活動の原点をご説明させて頂きます。

 私は初めてガンの告知をうけたとき、まるで真っ暗やみに突き落とされたような不安と孤独を感じました。

 それから間もなくして、ガン転移の告知、さらに合併症により肺線維症という病気の告知と続き、まさに深く暗い深海に沈んでいくような恐怖心と孤独感を味わいました。
 今なにをどうすればよいのか、どういう選択肢が自分にあるのか、どうやって何を決めればよいのか、これから自分の生活はどうなってしまうのか、自分の将来に明るい希望はあるのか…

 病院では病気と治療のことを説明してくれますが、患者と家族がかかえる不安とか疑問は、病気・治療に限らず生活全般の問題までと多岐にわたります。
 こんなとき、恐らく一番の助けになるのは自分と同じ病気を経験した人たちの話や、同じような境遇にあった人たちの実体験に基づく情報だと思います。

 診断がおりた直後の私は、「たとえ命は助かったとしても、自分の人生は下り坂に入り、何ひとつ元には戻らないのではないか…」と否定的に考えてしまいました。
 しかし、病気治療を終えカムバックしたスポーツ選手や芸能人が大勢いることを知り、病気すなわち人生下り坂などという考え方は間違いであると解りました。
 このように治療後、無事に社会に戻った人たちは有名人に限らず一般の人たちにも数多くいるはずで、そんな先人たちの存在が病気と向き合っている患者と家族の不安を和らげ、勇気づけるものと信じています。

 5yearsの活動は、私が闘病当時に「こんなサービスがあったら、どんなに良いだろうか」と感じたところから始まっています。

 このサイトには、治療を終え無事に社会に戻った人たちがたくさん登場します。そして治療中の人、ご家族、リハビリ途上の人、社会に戻った人が体験に基づくさまざまな情報を交換し、似た境遇の方々が交流を通じて明日へのエネルギーを生み出し合います。

 5years とは、そんなパワースポットのような場です。
 「病気をしても、人生は終わりではない」

 みんなで病気を乗り越え、元気に社会へ復帰し、患者と元患者に対する世の中のイメージを変えてみせようではありませんか。


裁判所も検察に証拠開示させることに消極的

2019年06月29日 11時55分15秒 | 社会・文化・政治・経済

「大崎事件」
地裁と高裁が続けて再審再開を決定っしている事件である。
こうしたケースで最高裁が再審を取り消すのは初めてとみられ、異例だ。
殺人罪などに問われ懲役10年が確定し服役した人が、一貫して無罪を主張する。
理性・知性が真に働けば「何かあるはず」と考えるのが、常識的な人間の思考。
だが、しばしば、非常識な人々が存在すると思えてない裁判官たちの存在。
さらに問題なのは、検察側の対応である。
証拠開示が迅速に行われず、裁判所も検察に証拠開示させることに消極的。
なぜなのか、不可解!


「効果の不明な治療薬や機器が出回る懸念がある」

2019年06月29日 11時29分15秒 | 医科・歯科・介護

「再生医療安全性確保法」や「医薬品医療器法」に問題はないのだろうか?
透明性一層の確保を
「効果の不明な治療薬や機器が出回る懸念がある」
英科学誌ネイチャーは1月、製品を名指しし、論文発表なしに承認された点を「驚くべきことだ」と批判した。
研究者の間で作用メカニズムについて議論が分かれる再生医療のの機器や薬剤の存在。
公表される臨床試験のデータは一部で、論文発表がなければ、利害関係のない研究者同士による広い議論がないまま、再生医療製品が世に出ることになる。
毎日新聞「記者の目」東京科学環境部の荒木涼子さんの指摘である。


年金制度の信頼性と直結する問題ではない

2019年06月29日 11時13分15秒 | 社会・文化・政治・経済

年金だけでは老後の暮らしに十分ではないケースもある。
これはそのとおりであり、年金制度の信頼性と直結する問題ではない。
野党が攻撃を仕掛けたとしても、政権は「年金の運用は、従来通りに適切に進める」と冷静に対応すればよかった。
麻生太郎財務相いわく「新聞読まない人は全部自民党支持だ」。
批判が効果を発揮しないのは、自民党が論理的整合性に関心を払わない有権者を主たる「顧客」として取り込んでいるからだ。
小泉政権(2001~06年)時代、広告代理店が政府に提出した広報戦略では、政権の支持基盤である「具体的なことがわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する主婦、若者、高齢者を「B層」と名付け、彼らに「分かりやすい」宣伝を提案していた。
また、同時期にマーケティングアナリストの三浦展さんは、低い所得だけでなく、意欲に欠ける生活習慣や思考様式を共有する階層「下流」の出現を説いた。
「B層」は「下流」の言い換えともいえよう。
その階層の利害を代表sうるのではなく、単に支持層として利用するのだ、と。


日立市 鵜の岬 30年連続、全国1位 18年度宿泊利用率86.9%

2019年06月29日 10時11分41秒 | 社会・文化・政治・経済

6月22日 茨城新聞 

日立市十王町伊師の国民宿舎「鵜の岬」の昨年度の宿泊利用率が全国79カ所の公営国民宿舎の中で1位となった。国民宿舎協会が21日、発表した。鵜の岬の全国1位は1989年度から30年連続で、平成の時代を通して日本一の座を維持した。地道なおもてなしの取り組みや体験交流イベントの実施などが利用者から評価された。赤津義和営業課長は「全ての利用者に感謝したい」と話した。

宿泊利用率は全室の定員に対する充足割合を示す。鵜の岬の昨年度の宿泊利用率は86・9%。2位は岡山県の「サンロード吉備路」で72・7%、3位は鹿児島県の「おきえらぶフローラルホテル」で61・2%。

全国1位の要因について、鵜の岬は旬の食材を使った料理や、笑顔による出迎えなどのおもてなし、快適に過ごせる施設に向けた計画的な客室改修のほか、周辺を散策するノルディックウオーキングやホタル鑑賞会などの体験交流の充実などを挙げる。

鵜の岬は1971年に開業し、97年に現在の建物が完成。客室は全58室で定員は204人。宿泊利用率は翌98年度に95%を突破、2005年度には97・9%に達した。利用率が一時に比べやや低下していることについて、鵜の岬は、夫婦2人でのんびり過ごすといった少人数型の旅行スタイルに変わっていることが背景にあるとみている。

客室稼働率は99・8%で、年間を通して予約が取りにくい状況に変わりはない。赤津課長は「引き続き『第二のふるさと』に帰ってきたような気持ちになってもらえるよう取り組みたい」と話した。(川崎勉)」

愛と希望の鐘

太平洋を一望できる展望デッキに設置されています。心地よい潮騒と鐘の音に包まれます。

中庭

本館とレストランしおさいに面しています。中央にはモニュメント・群鵜のフラクタルが配置されています。

 

ご利用料金
1泊2食付き
平日
休前日
夏期・年末年始
大人
10,383円~
11,463円~
12,543円~
小人
8,613円~
8,613円~
8,613円~

※ 上記は洋室2名利用時の料金です。お部屋のタイプ、ご利用人数によって料金が異なりますのでお問い合わせください
※ シーズン期間は、夏期7/20~8/25、年末年始12/30~1/5 
※ 幼児は3,095円
(平成29年10月1日より料金改定)


 

自慢料理

 常磐沖で採れた新鮮な海の幸中心の料理です
 平目・伊勢海老の姿造り( 16,200円 )
 アンコウ鍋( 1人前2,484円 )
 いわし鍋( 1人前1,296円 )などの追加料理あり

 ※ 写真は宴会料理Aコース


大広間5、小宴会場2、会議室2、イベントホール、喫茶、レストラン、スナック、カラオケルーム2

茨城県営  鵜(う) の 岬

美しい白浜青松、そして連なる断崖とそそりたつ岬 ”自然にやさしい鵜の岬です ”